第272話 島津領防衛戦 一
陸を渡る『魔異』の魔物どもは氷邑銀雪が押しとどめていたが、少数とはいえ、海を渡った者のいた。
桜島は島津領西側の湾内に存在する。
なので、海を渡って東へと向かった魔物どもは、真っ先に島津領に到着することになった。
ちなみに九十九州は州が九十九もあるにもかかわらず、現実の九州より小さい。なので……
「あらあ、困ったわ、どうしましょう」
島津家長女のヨシヒサがのんびりと、頬に手を当てながら声を発する。
その立ち振る舞いも声音も、まったく困っているようには感じられなかった。
肩の上に乗せた髪もそのままに彼女がしているのは──
──戦い、である。
魔異の魔物どもは、海を渡り、島津領にまで侵攻していた。
『海を渡る』といえども、そう簡単なことではない。
魔異こそ起こったが桜島はそもそも聖地として見られており、そこはこの群雄割拠の激しすぎる九十九州においてさえ、誰も領地にしなかったほどの土地なのだ。
そこに渡る海には──出るのだ。
桜島大根が。
晴れた昼などに島津領の高い場所から見れば、桜島周囲を立ち泳ぎしながら浮かぶ大量の桜島大根を目撃することができるだろう。
海水の浮力で浮かんだ桜島大根どもが、まあるい体に生えた短い足を必死に動かして立ち泳ぎしつつ、聖地に侵入する者どもを一人たりとも見逃さないという熱意で見張っているのだ。
桜島大根というのは現代日本においても結構な大きさの大根であり、平均的に10kg、大きなものでは30kgにもなると言われている。
このクサナギ大陸において桜島大根は妖魔の一種と数えられる。だが、こうして海を立ち泳ぎで警戒しているこの桜島大根もまた10kg級の大根であり、その大きさはおおむね乳幼児ぐらいになる。
桜島への侵入者を見るやいなや集団で取り囲み丸い体でひたすら体当たりしてくるので、桜島への海路を進む者にとっては邪魔でしょうがないため、桜島は桜島大根どもの聖地とし、不可侵地帯と化しているのだ。
なお、桜島大根どもと良い関係を築けていると、ある程度の『海での警戒』を経た桜島大根が、最後に訪れ、すっとその身を差し出すことがある。
海水で漬けられ、水に浮かべなくなった桜島大根が、『どうか、私をお食べください』と訪れるのだ。
そうして捧げられる桜島大根は程よい塩みと、まるでスナック菓子のようなカリッとした食感で、九十九州外にも人気の漬物となっている。
なお、妖魔の漬物だろうが巨人塩だろうが、クサナギ大陸の人は、美味いものなら抵抗なく食べる。
閑話休題、そのような桜島大根のいる海を渡るのは、並大抵ではできない。
なぜならあの『別に泳がなくても普通に浮く』ということに気付かず必死に立ち泳ぎを続ける妖魔ども、桜島への侵入のみならず、桜島からの脱出も見逃さないからだ。
さすがに魚のような『泳ぐ生態』の生き物を止めることはできなくとも、そもそも泳げないような生物であれば、桜島大根の悪質タックルで沈められてしまう……
だから、海を渡って島津領にたどり着いた魔物どもは……
桜島大根のタックルでも沈まなかった、強者のみとなる。
島津領に訪れている魔物──
──強者である。
体こそ大きくはないが、赤黒いネトネトした触手を無数にうごめかせる、イソギンチャクのような形状をしていた。
その触手の先端には目玉がつき、そこからピンク色の光を放って島津領の者どもを攻撃している。
そのピンク色の光、無機物に当たっても透過するので攻撃力という意味では皆無の様子ではあるが、人体に受けたら確実になんらかのまずいことになるのが予感できるものである。
だが、一発も当たらない。
島津のビキニアーマー猫耳戦士たちは、軍であるが、隊列というのをさほど重要視しなかった。
彼女たちの九十九州での戦強さの秘密は機動力と自由さによる『戦闘への横入り』と『仕切り直しのうまさ』にある。
いわゆるところの『釣り野伏』も、最初は『釣るぞ!』という狙いで開発されたわけではなく、仕切り直しを繰り返すうちに、敵を味方勢力のいる場所までトレインしてしまった結果、相手を殲滅する威力が高かったので、戦術として整理されたという背景がある。
九十九州の戦争形式で『強い勢力』となるためには、『初撃の衝撃力が高い』か『仕切り直し・横入りの能力が高い』かというのが必要になる。
大友は初撃の衝撃力の高さが九十九州随一であるがゆえに強豪であり、島津は仕切り直し・横入りの力が高いゆえに強豪であった。
そしてその仕切り直し・横入りの力を担保するものこそ、機動力である。
島津の機動力──
無数の触手をあちこちに伸ばす魔物どもの動きを凌駕する。
ヨシヒサがふわふわした印象を受ける動きで移動する。
すると、触手のピンク色の光線は、ヨシヒサの残像を射抜くのみであった。
ヨシヒロが地面を爆ぜさせるような豪快な動きをすれば、触手どもは光線を放つ間もなく両断される。
かくして島津領に侵入成功した魔物ども、島津の将兵を苗床化すること適わず、一方的に蹂躙される。
さらには、桜島の上空に浮かんでいた『魔異の入り口』が、白銀の斬光によって両断され、消滅していくのが観測された。
島津領に迫った脅威は、こうして除かれた──
──かに、思われた。
「姉者!」
その時、ヨシヒロが鋭く声を飛ばしたのが、この場にいる島津の者の中で、彼女が最も鋭い感覚を有していたからだった。
ヨシヒロの身の丈の倍はある長く、そして厚く、太い刀が示す先──
そこには、光があった。
上空に出現し、肥大化を続け、九十九州をまるごと呑まんとする、巨大な光……
光?
否、あれは……
「……『穴』ねえ」
長女・ヨシヒサの言葉に、島津領の兵たちは、最初、何を言われているかわからないという様子で固まった。
だが次女・ヨシヒロが言葉の意図に気付く。
「……まさか、あれ……あの巨大な、白いものは……異界とつながる穴、なのか……?」
九十九州に長くいる者であれば、その瞬間を目撃することはままある。
異界の穴が開く瞬間だ。
何せこの土地は異界と通じる穴が開きやすい霊場なのだ。
……クサナギ大陸は、端に行けば行くほど、異界とつながりやすくなる。
なぜならそこには『固着化した権威』が届きにくい。固着化した権威が届きにくいと、信仰が捧げられる対象が乱立する。
そうして乱立しただけに激しく出たり消えたりを繰り返し、消えると、信仰の余白が──異界からの穴が開く余白ができやすくなる。
九十九州は戦乱を続けることによって、そこに『異界の穴』を乱発させようと設計された実験場なのだ。
もともと異界からの侵略が起きやすい、異界からの穴が開きやすいクサナギ大陸。それを全国どこでも開かせないようにと調整し、さらに、異界のモノの処理を異界のモノに任せようというSDGs。殺し合いのサステナブルこそが九十九州の正体である。
この状況を設計したとある『神なる技師』はしかし、ここまで想定していたのだろうか?
空間、時間、時空間。
それが物質のように、穴が空きまくるほどに脆くなり、より大きな穴を広げる土壌が整ってしまうなどと──
その結果、異世界が丸ごと落ちてくるなどと──
この状況を設計した神匠ニニギは、想定していたのだろうか?
ともあれ、異世界が落ちてくる。
……まだ、島津領に、この事態の全貌を知る者はいない。
だが、あの『空を塞ぐ白い光』は、即座に対処せねばいけないものだと、長年、戦争を繰り返したカンは確かに告げていた。
……だが。
「……あらあ」
長女・ヨシヒサの目が鋭く細められる。
片手に持った長巻──刀の柄を長くしたような長柄の重量武器──を担ぐように構え、『空を塞ぐ白い光』とは別の方向に体を向けた。
そこには、『炎』がいる。
……あの、空に浮かぶ白い光は、異世界勇者の故郷の世界。
風は毒を孕み、水は腐り果て、大地は乾き切ってひび割れた。
その世界は人が住めるものではない。
だが、不滅を義務付けられた神々は、まだあの世界に生きている。
……一方で。
神は不滅でこそあれ、『願いを受けてその存在を決定づけるもの』であるという在り方は、クサナギ大陸も、異世界勇者の故郷世界も変わるものではない。
しかし、あの世界にすでに人はいない。
では、何が、神の在り方を決定づけるほどの『願い』を抱くのか?
それは、大地そのものである。
島津ヨシヒサ、ヨシヒロの目の前に現れた『炎』──
それは不可思議だった。
人のようなシルエットに見える。
腕があって、脚があって、それらが胴体にあり、胴体の上にはゆらめく炎そのものではあるが、頭部があるように見受けられた。
だが、その炎は、ゆらめく先端が白い土のように固まり、粉になって崩れて消えていく。
灰になり崩れ落ち続ける炎──
それは、大地そのものの願いを受けて変わり果てた神の姿。
大地そのもの、滅びた世界そのものの、苦しみが、憎しみが、怒りが、嘆きが、神の姿と性質を変えたもの。
それら負の要素を背負いきった神々……
もはや、理性も何もない、化け物である。
ただし──
『炎』が、ヨシヒロに接近する。
島津一の戦士であるヨシヒロ。その速度、威力、術理、こと『戦闘』と呼べる分野においては島津で随一と言って誰も異を唱えないほどの使い手。
そのヨシヒロが反応できないほどの速度で、『炎』はヨシヒロを殴り飛ばした。
家屋を貫いて吹き飛んでいくヨシヒロを、島津兵たちがつい、目で追う。
「 」
なんらかの甲高い音に兵たちが振り返れば、そこでは、『炎』が天を仰ぐようにして、両腕を広げるようにして、絶叫していた。
悲しみが、怒りが、苦痛が、声だけで兵たちに伝わる。
『炎』はひとしきり吠えて、
「 死 悶 !」
不明瞭な、しかし殺意と憤怒だけは伝わる言葉? を発し、島津兵に襲い掛かり始める。
──かくして島津領に、異界の神が降臨する。
ただしその神は、『神の力』を持つだけの、ただの暴走するバケモノだった。




