第270話 耳川の退き口 四
「何を、したかったんですか?」
問われている。
暗殺者は、己が質問されていることに気付いた。
外部からの刺激、外部への働きかけは、すべて聖剣に遮断される、『愚者』の状態。
だというのに、氷邑はるの声が、はっきりと聞こえる。
暗殺者は、自分が地面の上に倒れていることに気付いた。
龍ゾン寺の乗った輿が見当たらない。落とされて、置き去りにされているのだろう。
つまり、自分は、負けたのだ。
「……ほっほっほっほ」
笑うと全身が痛んだ。
しかし、笑えた。本当に、笑えた。二重、三重の意味で、面白かった。
氷邑はる。
銀髪の、まだ幼い少女──
──傷一つない。
対してこちらはどうだ?
聖剣は砕かれ、盾も半ばから消失している。
五体があるのが不思議に思える。全身の感覚はない。
暗殺者は『魔法使い』ヴィヴィアナの影である。
だが、『死人に口なし』の法則を潜り抜ける、特別な個体になった代償に、痛みを感じる。……まるで生きている時のように、痛みも、苦しみも、感じるのだ。
そうして、なかなか消えられない。
大抵の影が致命傷を受ければすぐさま消滅し、主人の中に戻るのに対し、暗殺者はきっちり死なない限りは、引き戻されないのだ。
暗殺者は、ようやく笑いの止まりかけた口で、自分が感じている『面白み』について、答えた。
「いやぁ、お強い」
氷邑はる。
大友国崩より、はるかに強い。
……いや、その評価は、正確ではないだろうと、思い直す。
たとえば正面からの殴り合いにおいて、恐らく、大友国崩の方が、はるより強い。
だが、殺し合いにおいて、間違いなく、はるの方が強い。
バイアス。
それは『矜持』とか『誇り』とか、『信念』とかいう名前でも呼ばれるものだ。
大友国崩には、『正々堂々と、真正面から』というバイアスがある。
はるのように、えげつくなくない。はるは、えげつない。相手を殺すのが目的だから、手段を選ばない。力圧しもやるし、隠れ潜んでの暗殺もする。この少女は、とにかく相手に刃を入れることを目指して、何もかもを使う。そのせいで、殺し合いにおいて、国崩より読みにくいのだ。
「こうまで圧倒的に負けることがありうる、しかも、ただの一人に。……元の世界でもなかったことです」
「それは、私の質問の答えではありません」
何をしたかったか、と、はるは聞いた。
山間の土の上、龍ゾン寺の輿を大友軍に完全に任せて、こんなところで、もう戦う力もない老人を見下ろしている──
これは『情報収集』なのだろう。
暗殺者は、ばれない範囲で時間稼ぎをすることにした。
この少女を、大友軍から引きはがす時間は、そのまま、龍ゾン寺の生存時間に加算されるだろうから。
「『何』と申されましてもな。ぞんちゃん様に九十九州を獲らせて差し上げたかっただけでございます」
「『魔法使い』がそのための援軍であったなどと言うつもりではないでしょうね」
「……」
「今の九十九州の急激な状況、絵を描いたのは間違いなくお前です。けれど、その真の目的が読めない」
「もちろん、目的は複数ありますとも。……一つの行動で、複数の、競合するものまで含めて、目的を達成しようとする。これが可能であれば、上首尾というものです」
「お前のしたこと」
はるは、語る。
暗殺者のしたこと。
まずは、どこからともなく龍ゾン寺に取り入って、そこで軍師のような真似を始めた。
その結果、大友家は九十九州北西部を手放すことになり、大友、島津、龍ゾン寺という三すくみが出来上がった。
これは理解出来る。
二大勢力が激突し、無数の小勢力がその動向に影響される──そういう状況よりも、三つの勢力の三すくみという状況の方が、外部からの干渉がしやすい。
だから、魔法使いの方の目的はともかくとして、『魔法使いに先遣されて、魔法使いが入る準備を整える』という目的だとすれば、理解が可能だ。
龍ゾン寺の軍師でありながら、九十九州のヘイトを龍ゾン寺に集めるような行動をしたのも、同じ理由で理解出来る。
三すくみで安定させておいて、一つの勢力が大きな隙をさらせば、当然、二大勢力の目が『隙をさらした一つ』に向く。と、背後への注目がおろそかになり、『魔法使いが入る隙』が生まれる。
桜島での異常──はるはまだその詳しいところを知らないが、『魔異』と同時に動き出した理由も、まあわからなくはない。
あれは、実際に何が起こっているかわからずとも、九十九州全土が巻き込まれる類の異常だというのはわかる。
結果、多くの勢力が浮足立った。……魔法使いを招き入れるためには、ある程度、龍ゾン寺も『勝ち』が欲しい。弱小勢力だと思われれば、そもそも注目が集まらないからだ。
だから、異常事態で他の二大勢力が浮足立った隙を突くように、飛び出した。……龍ゾン寺も勝手な飛び出しのように見えて、暗殺者の指示で島津を刺激しに出て来たのだろう。
わかる。
すべてが、『魔法使いの九十九州入りを助けるため』だと言われれば、一応、納得は可能だ。
その魔法使いの目的の方は、さらなる大戦略の一環であろう。
そちらはこの小鬼に聞くよりも、魔法使いと実際に剣を交えて確かめるべきものだ。
だからこの小鬼は、あくまでも魔法使いの使い走りであり、彼は『九十九州の注目を龍ゾン寺に集め、魔法使いの九十九州入りを成功させる』という目的のために行動し、それを達成した──というのは、わかる。
わかるのに、
「納得が出来ません」
「……」
「お前は使い走りをするような者ではなかった。ただの使い走りの、覚悟ではなかった。ただの使い走りの剣ではなかった」
「……恐縮です、と申し上げましょう」
「お前自身の目的があるはず。それを、聞きたい」
「まるで、わたくし自身に関心があるかのように聞こえますな、美しいお嬢さん」
「関心があります」
「……」
「死後の魂まで懸けて誰かに仕える心情が理解出来ません。けれど、はるは、それを求められる立場です。演じるために、参考にしたい」
「…………ほっほっほっほっほ!」
事実を陳列し、相手の質問に答えているようで答えていない回答をし、時間を稼ごう──
それが暗殺者の意図だった。
しかし、今、それはやめることとした。
この美しい少女は、自分を見下し、嘲り、情報を搾り取るために尋問をしているわけではないのだ。
ただ先達に教えを乞うているだけである。
この男なら答えを持っているのではないかと信じ、たずねているだけなのだ。
……無垢な信頼には、庇護を返す。
それが、彼の『最低ライン』だ。
「教えましょう」
影で良かった、と死後初めて思った。
この身がただの肉体であれば、もはや、ひゅうひゅうと息のようなモノを漏らす以外に出来なかった。それほどの損傷であろうから。
言葉を放てるこの身で良かったと、暗殺者は思った。
「コツは、自分の人生の主人公が自分であると、忘れないことです」
「……」
「誰かのために『死の道』を選んだその瞬間、自分の人生の主人公は、自分に『死の道』を選ばせた誰かになる。それだけは、してはいけなかった」
「しかしお前は、実際に、命懸けで、『誰か』のために動いている。それが、従者の心得ではないと?」
「いえいえ。誰かのためではないのです。自分のためなのですよ」
「……」
「わたくしは、生き返りを望んでおりました」
暗殺者は『影』である。
異世界勇者の神威の影響で、己が殺した相手の戦力利用が適うようになった、魔法使いの、『影』。
かつて、勇者のために、命を手放した。
後悔はなかった。そこで、人生が終わったから。
だが、こうして、『第二の人生』を歩んでみて、思った。
「ニニギの迷宮なる場所で、魂を物体に封じ込める知識を授かることができる──という伝承があるようで。わたくしが興味を惹かれ、意欲的に動いたのは、その知識のためなのです」
神器。
アメノハバキリの剣。
ヨモツヒラサカの勾玉。
アマノイワトの鏡。
これらは意思を持つ無機物だ。
ニニギが大昔からそういったことが可能であるならば、『魂を物体に封じ込める技術を持っている』という伝承が残っていてもおかしくない。
ニニギが物体に魂を吹き込むことだけは、事実なのだから──それが『本物の誰かの魂を封じ込める』か、『優れた職人が生み出す、優れた道具への賞賛の表現として「魂を吹き込む」と言われている』かは、わからなくとも。
「一度死者となり、死後もこうして従僕働きをする身になりましてな。……ああ、これは、同じだと。わたくしが脱しようと思った、かつての、故郷でのゴブリンへの扱いと同じだと、そう思ったのです。ですから、抜けようと思った」
「抜けて、どうするのです?」
「再び、我が意思で、活動する。これが、肝要です」
「……」
「いいですか美しいお嬢さん。自分で選び取ったもの以外に価値などありません。押し付けられた服従、生まれつきの立場による隷属。その中に、真の忠誠など芽生えようがない。真の忠誠は、自分で主を見出してこそなのです」
「……自分で、見出す」
「見せかけだけの『忠誠している様子』が欲しいのであれば、手練手管を尽くして、相手に己を信用させるべきです。見せかけの忠誠はいずれ裏返すためのもの。信用してもらってこそ、騙しがいがございます。だから、信用をさせるべきであり……『信用させる』というのは、技術により可能です」
「……」
「ですが、真に忠誠の心を抱きたい場合、『信用される』必要がございます」
「それは、どうすれば」
「『どう』する、と考えても意味がない」
「……」
「頭が回る者、演技が上手い者、己の心を閉じ込めることに慣れた者は、どうしても、信用されません。うまくやれているようで、伝わるものです。ですから、信用を得るには、どこかで己の『本当の心』をさらす必要がある」
「どうすれば、できますか」
「わたくしには、出来ませんでした」
「……」
「だからこそ、巡り合わせに、助けられました。……空っぽの英雄と、たまたま、最初に出会った。だから、英雄から、無垢の、無上の信頼を向けられ……この心に、忠誠が抱かれた。わたくしの知る『忠誠』は、そういうものなのです」
「巡り合わせ」
「あなたに無垢な信頼を向けている者は、いますか」
はるは──
……暗殺者は、はるの動きを見て、笑った。
「生きにくい性質のお嬢さんらしい。大変ですな、これからの人生」
「……」
「ですが、あなたの人生はどうにも長そうだ。……ゆっくり身に付けていけばいいでしょう。四十年も生きれば、見えて来るものもあるかもしれません」
彼の記憶は壮年期から始まる。
そこまでの人生は、彼にとって『生きている』と呼べないものだった。
隷属、そこからの脱却。運命。それに翻弄されるだけの日々。
彼の人生が壮年期から始まるのは、それまでが、『生まれつき負っていた負債』の利子を払うだけのものだったからだ。
ようやく返し終わったころには、すでに壮年になっていた。
生まれ。
巡り合わせ。
運命。
才能。
腕力、頭の巡り、コネ。
どうしようもないものは数多い。生まれつき背負わされている荷物は本当に多い。
それを下ろし終えるころにようやく人生というのは始まる。
だが、
「四十年は、長すぎます。はるは、おばあちゃんになってしまう」
確かに、長すぎる。
生まれつきの荷物を下ろす。それだけで、人生が半分以上終わってしまう──人によっては、全部終わってしまう。
人によっては、人生を始める前に、一生が終わる。
そういうことは実のところ、悲しいぐらい、よくある。……暗殺者の祖父母や両親は、そうやって、生まれつき背負った『都市部に隷属する立場』という負債を下ろし切れなかった。投げ出す才覚もなく、そこから逃れるだけの知恵や教養、能力を身に付けられる環境でもなかった。
だから彼らの人生が始まる前に、彼らの一生は終わってしまった。
「ならば、時があなたの目を養うより早く、あなたはどうにかして、『忠誠』を見つけなければならない。……もっとも、演じるだけならば、別に、『真の忠誠』を知る必要などないとは思いますがね」
「……」
「あなたが演じるのは、社会でうまくやるためですか?」
「……」
「それとも、『演じる』という行為を通して、自分でもわからない、自分にとって大事な気持ちを見つけたいのでしょうか?」
はるの沈黙に、暗殺者は微笑みで返した。
それは、若者の前途の困難さを同情し、それでも『この先』へ進む者を激励する、先達としての微笑だ。
「そろそろこの体も消えます。また、巡り合うでしょう。次もまた、敵として」
「……そうですか」
「早くお行きなさい」
暗殺者の手足が、黒い粒子となって、ばらけていく。
はるは、ずん、と重く大地を蹴って、その場から去った。
残された暗殺者は、暗い空に浮かぶ月を見上げる。
完全に消えるまで、まだ少しばかりの時間がありそうだ。
……その月と、自分との間に、不意に、影が差した。
その影は──
「……いやはや。お早い到着で。ところで、一つうかがいたいのですが」
──倒れる老人を見下ろし、笑顔を浮かべ──
「あなたがわたくしをここに派遣した目的は、本当に『我らが勇者のために、九十九州に注目を集めておきたい』などというものだったのでしょうか、ねえ──ヴィヴィアナ様」
──杖を、振り下ろした。
ぐしゃり。




