第267話 耳川の退き口 一
氷邑はる。
ゲーム剣桜鬼譚における彼女の評価──性能面ではなく、キャラ面での評価は、このようなものになっている。
『真面目な女騎士』
『くっ、殺せ! とか言いそう』
『かわいそうな子』
彼女の仲間入りエピソードというのは、『兄から逃げて主人公を頼り、主人公の仲間となり、自分の生家を支配し、屋敷に火を放つ』というものだった。
火を放たれたあとの屋敷はすさまじい速度で再建され、主人公の拠点となる。
自由度の高いゲームなので必ずしもそのルートを辿らないといけないということでもないのだが、攻略難易度の問題から、どのようなプレイヤーもたいていそのルートを通る。そういうルートのエピソードヒロインと言える。
人気の出たゲームなので、はるのことを『でもさ、家族を裏切って家に火をつける女じゃん』と言う者もいた。
だが、多くなかった。
なぜなら、ゲームにおける、はるの兄……氷邑梅雪は、何をされても仕方のない悪役だからだ。
『ゲームの悪役』だ。
いくら叩いてもいい藁人形だ。
最も攻撃性の高い人間は、『誰かに酷いことをしてやろう』と思っている者ではないし、『自分は悪いやつだ』と思っている者でもない。
攻撃性の高い人間というのは総じて、誰かを攻撃していても、攻撃している意識がない。
自分が行っているのは正義であり、当然のことであると認識し、誰かについて言及する人間。これが一番、攻撃性の高い人間である。
そうして、ゲーム剣桜鬼譚は、『氷邑梅雪をこき下ろすことは正義である』と信じさせる話運びになっている。
だから、氷邑はるのやったことを冷静に見る者は少ない。その必要がないし、それは別に気持ちよくないからだ。
仮に氷邑梅雪が主人公のスピンオフがあり、その視点で氷邑はるのやったことを見れば、はるがクソ女だという評価をする者が増えるだろう。
何せ、人は物語を主人公の後ろから見る。だから主人公の肩を持つ。主人公に共鳴し、主人公に酷いことをした者は、『絶対的な正義に反する酷いやつで、いくら攻撃してもいい』と思う。
大抵の『気持ちがいい娯楽作品』はそのように出来ているし、そもそも、ちっとも共鳴出来ない者は主人公と認められない。そういう事実がどうしようもなくある。
そもそもゲームにおいて、はるは実の兄の梅雪に凌辱されかけて逃げて来たという事情があった。
主人公に共鳴しているプレイヤーにとって、その一点だけでも梅雪は許せる相手ではなく、はるは被害者のポジションに収まる。
では、『もしも』。
はるの兄である梅雪が、ある日急に、己のキレ易さを問題視し、これを改める努力をし、なるべく家中の者と協調して生きていく、『大人しい兄』になったとしたら……
はるは、氷邑家で過ごし続けただろうか?
答えは、『否』だ。
氷邑はるは、かわいい妹ではなかった。
氷邑はるは、大人しいお姫様でもなかった。
氷邑はるは、まさしく、氷邑の血を継いでいる女だった。
その剣士としての才能、その腹黒さ。その計算高さ。その──
──傲慢さ。
氷邑はるは、つまらない家に興味を持てない。
つまらない兄にも、興味を持てなかっただろう。
仮に梅雪が、『家族と仲良くしよう』として、煽られているという思い込みを完全に捨て去って、そうして氷邑家で『いかにも育ちのいい、お坊ちゃん』になれたとしたら、きっと、はるは、家を出て行った。
今もまだ、はるが兄を慕っているのは……
彼と、彼の存在がもたらすものが、はるにとって興味深く、楽しいからだ。
『それ』はつまり、
(戦うのって、楽しいな)
龍ゾン寺家当主を乗せた輿。
大量のゾンビをぐちゃぐちゃとくっつけて一つの球体にしたおぞましいモノに乗った輿が、爆速で耳川の複雑な地形を疾走する。
はるは、その輿を足場に、敵の暗殺者と戦っていた。
暗殺者。小柄で老いた男。
軍師としての手腕は認めるところだが、戦士としては、強い者特有の『圧力』みたいなものを感じない相手であるはずだった。
ところが、黒い直剣と、カイトシールドを身に付けた暗殺者は、立派に、圧力を感じる戦士になっている。
はるは、これとの打ち合いに集中した。
「聖騎士団のみなさまァ~! 突撃!」
大友国崩の号令一喝、隊列を整えた大友聖騎士団が、爆走する輿と正面からぶつかる。
スクラムを組んだ騎士団と、ゾンビタイヤで爆走する龍ゾン寺の輿とが激突し、震動と、慣性による力が、はるの身にかかった。
だが、踏み堪える。
暗殺者もまた踏み堪え、はるへと攻撃を繰り出して来た。
小柄な体をカイトシールドに隠すようにしながら、その陰から直剣を突き出してくる。
切っ先をこちらの体の関節部に引っかけるような、守備的な動き。
はるは、突き出した長刀で、来たる切っ先を絡めとり、流し、相手の体を崩そうとする。
氷邑一刀流──
守備的な剣術と言われれば、否定する言葉を持たない。
この剣術の理念は、『己の前に円錐形の空間を意識し、そこに何者も入れないように、相手の剣を流し、絡め、落とす。そうして進めば、こちらの切っ先が相手の体に突き刺さる』というものだ。
つまり、守備こそが氷邑一刀流の要であることは間違いない。
だが……
氷邑家開祖、道雪。
伝え聞く彼の人柄は、そんなに大人しいものではない。
道雪が槍術を組み直して興した氷邑一刀流もまた、開祖の人格を色濃く残している。
はるには、それがよくわかった。
この守備は、攻撃のための守備なのだ。
相手の、体重も乗せていない、すぐに引き戻せるような突き。
──関係ない。強引に巻いて、落とす。
「ふ、おっ」
技術により相手の剣に重さを加え、強引に相手の体勢を崩す。
防御とはそもそも、攻撃のための技術だ。
どのような攻撃も、相手の体勢が崩れていないことには入らない。
受ける、崩す、攻める。戦いとはこの三つのサイクルの繰り返しであり、戦いの内容はそのほとんどが『崩し合い』に終始する。
そして崩すためには、上手に受ける必要がある。
だからこそ開祖は『受ける』ことを最優先に考えた。
あふれ出んばかりの攻め気を封じ込めて蓋をし、『ただ、攻めても相手を殺せない。だから、確実に殺すために受けよう。そうして崩して、一気呵成にぶった斬ろう』という、その理念で術を組んだ。
よくわかる。
だって、攻めても攻めても相手に刃が届かないのは、とてつもないストレスだ。
はるは、父の銀雪と、兄の梅雪に、氷邑一刀流を習った。
どちらも上手かった。まったく攻撃が通らない。
それは技量差を思い知らされる事実であり、師匠である相手に技量差を思い知らされるのは、当然のことだ。
反省し、向上心を抱き、師匠を超えようと前向きなモチベーションを抱くのが、『良い弟子』なのだろうと、はるは思う。
では、現実に、兄や父になかなか剣が通らない時に、はるが何を思ったかと言えば──
──ムカついた。
斬れないことに、ムカついた。転がされていることに、イラついた。
氷邑はるは、ゲーム剣桜鬼譚において、剣術を必死に修めようとする、剣士少女であることがアピールされる。
それは真面目な様子として、プレイヤーには映る。
だが、実際のはるが、何をモチベーションに剣術を頑張っていたかと言えば……
怒り。
斬りたいと思った時に斬れない苛立ちは、半端なものではない。
だから──
強引に崩し、
「こ、れ、は……!」
強引に攻め。
「なん、と……」
強引に、斬る。
それを実現するための剣術であり、『受け』『崩し』の技術である。
はるの切っ先が、敵の暗殺者の肌を引っ掻いた。
体勢を崩したことにより、相手のカイトシールドをかいくぐって、相手の首に刃の先っぽを引っかけることに成功したのだ。
だが、浅い。
致命傷ではないし──
「…………苛立つなあ」
──斬りたいように、斬れなかった。
それが、はるをムカつかせる。
……わかっている。この攻撃性、気の短さは、よくないものだ。
だから、普段は抑えている。はるは、己を抑え、偽装することが出来た。これほどの癇癪を抱え、これほどの攻撃性を抱えつつ、己を偽装し、ムカつく相手にも普通に接することが出来た。
『必要な時に、必要な演技が出来る』。これは、梅雪になかった特技であり、梅雪とはるの運命を分けた精神の成熟に発する差異でもある。
だが、兄が立派になった。
だからはるは、妹でいられる。
はるが、剣の切っ先を突き出すような構えのまま、前進する。
首を軽く引っ掻かれた暗殺者が、盾の後ろに体を隠すように、腰を落とす。
はるは──
長刀を、そのまま突いた。
当然、カイトシールドに阻まれる。
だが、
「っ、おお!?」
カイトシールドを構えたアサシンの腕が、上へ弾かれた。
『力の方向を変える』技術。
これは、七星家において修練される技法の一つである。
真正面からの突きのはずが、来たのは下から上へカチ上げるような衝撃。
たまらず防御を開いてしまった暗殺者の喉に、はるの剣が迫る。
だが、暗殺者の右手には盾があるが、左手には剣がある。
はるの突きを逸らすべく、左手の剣で、はるの長刀を横から叩く。
はるの長刀は、あっけなく逸らされた。
だが、瞠目したのは、暗殺者の方だった。
はる──
長刀から手を離していた。
そして、長刀が叩き落とされるのとほとんど間がないタイミングで、握りしめた拳を暗殺者の鷲鼻に叩きつける。
「ッううう……!?」
ぶん殴られた衝撃で、暗殺者が後ろへと下がる。
それは衝撃を利用しての後退であり、距離を作る目的で行われた動作だった。
だが、すでにはるが正面にいた。
──尾庭流。
この瞬時に距離を詰める歩法は、梅雪の影となった尾庭博嗣の技術である。
七星家の技法。
尾庭家の技法。
はるは、これを、たとえば梅雪などに習ったのか?
そうでもあり、そうでもない。
氷邑はるは、梅雪に剣術の稽古をつけられている。
そこから勝手に学んだ。
どのような技術もひと目見れば盗む兄、梅雪。
その兄が盗んだ技術を──剣士でないがゆえに、はるへの稽古でも持てるモノ全てを注ぎ込む兄。その彼が使う技法を、氷邑はるが、さらに盗んだ。
追撃。
暗殺者がさらに距離をとろうとする。
はるが、暗殺者の胸倉を強引に掴んだ。
投げ。
龍ゾン寺の輿の上に、暗殺者が背中から叩きつけられる。
すさまじい衝撃。輿にヒビが入るほどの、威力。
すぐには起き上がれない暗殺者に馬乗りになり、はるが、両方の拳を何度も何度も叩きつける。
輿にどんどんひび割れが広がり、暗殺者の体がへこんでいく。
氷邑はるは、氷邑銀雪の息女である。
その剛力は、将来的に、銀雪をも超えるであろうと、銀雪自身に認められていた。
「いけない」
暗殺者を殴りながら、はるは、自然とつぶやいていた。
「これじゃ、いけない。これじゃ、あにさまをがっかりさせちゃう。でも、でも……」
はるは、困ったような声を発していた。
けれど……
その顔は、どうしようもなく、笑っていた。
「……人を倒すのって、楽しいな」
……はるは、普段から暴力的、というわけではない。
むしろ、抑えすぎるぐらいに抑えている。彼女は、氷邑銀雪を超える自制心を持っている。氷邑家息女として、あるいは『かわいい妹』として振る舞い、そこに瑕疵など感じさせない演技力を持っている。
だけれど、暴力を肯定される状況において、彼女は、演じない自分を出すことが出来る。
──不意に、何かが膨れ上がるような感覚。
はるはマウント状態を解除して跳びずさる。
片手を床に着きつつバク転をし、刀を拾い、暗殺者から距離をとって構えた。
暗殺者は……
もはや原型がないほどボコボコの顔のまま、ふらりと立ち上がった。
「いけませんな、これでは」
老爺の声には、あれだけ顔面を変形させられていれば当たり前にあるはずの、濁りも歪みもなかった。
「もう少し状況を維持するつもりであったのですが。いや、お強い。しかも、圧倒的だ。わたくしに注ぎ込まれた魔力が、見る間に削られてしまう。これでは──わたくしは、無力な小鬼そのものです」
隙だらけに見える。
だが、はるのカンは、今、あの暗殺者に近寄ってはいけないと判断していた。
このカンは、観察眼や推理力などを複合したもので、イエヒサの直感とはまた違う。
だがそれだけに、はるは、己のカンを信用していた。
「ぞんちゃん様」
「忙しいんだが!?!?!?!?」
呼びかけられた龍ゾン寺は、今、大友聖騎士団との戦いの最中である──
外から見ていると、輿の上にあるステージの上にぼーっと突っ立っているようにしか見えないが、先ほどから集中して何かをしている。
恐らく、ゾンビの直接操作をしているのだろう。かなりの思考リソースを使っている様子だった。
暗殺者は、「もーわかんなくなっちゃったじゃん!」と叫ぶ龍ゾン寺に構わず、言葉を続けた。
「わたくしはここで、暇をいただきます」
「一か月前に言って!」
「急なことで申し訳ございませんが──こうなるともう、あとは、戦って散るのみでございますので」
……観察すれば。
暗殺者の右腕が、盾と融合し、一つの黒い神威塊になりつつあった。
左腕が、剣と融合し、こちらも、一つの黒い神威塊に、なりつつあった。
『黒』は彼の両腕から体の方まで浸食し、次第に、肉体の形状さえ、変わっていく。
「かつて、この技法は、命懸けの覚悟が必要でございました。しかし──死者となり、死に至るほどの痛みと、己の精神が侵される不快感さえ呑めれば、いくらでも使えるようになった。便利でございますな」
暗殺者の全身が、黒に染まる。
それは、
「悪霊ども、我が魂を捧げましょう。──聖剣、融合」
暗殺者の用いる剣と盾は、『勇者用』に設計された人造精霊。
精霊の宿る武器というのは、暗殺者らの故郷世界において、最上位の武装だった。
ただし精霊というのは気まぐれで、武器を気に入らなければ、どれほど金をかけ、願いを込めても宿ることがない。クサナギ大陸における『名刀』と同じで、作者の技量が高く、熱意があっても、出来るかどうかわからない、というようなものが『精霊武器』なのだ。
そもそも精霊というのは自然発生した生き物である。
だから、武器に宿そうと思っても、気まぐれで自分勝手な彼女らは、望み通りにはならない。
そこで、人造精霊を生み出そうとした者がいた。
本来の精霊武器よりは出力が落ちるものの、人造精霊武器というのはある程度の量産が可能で、便利なものであった。
何より、『設計思想』を乗せられる。
この聖剣──
勇者発生の予言を受けた国家が、勇者のためにあつらえたもの。
異世界勇者が装備する羽目になる定めだったものを、暗殺者が先に奪い、己の物とした。
それは、異世界勇者を守るための行動だった。
この人造精霊──
持ち主の魂と引き換えに、持ち主の出力を強化する。
そして、製作者と、それが仕える国家に絶対に逆らえないように魂を縛る。
勇者を管理するための首輪。
強大な力と運命を意のままにしようという、傲慢なる人間の生み出した──芸術品。
だから、暗殺者は死ぬしかなかった。
その非道国家と勇者が敵対した時、暗殺者もまた、武器に支配され、勇者と敵対したのだ。
その代わりに、謀略によって国家の派閥間対立を煽り、その国家の重要な戦士を処刑台に上らせた。
だからこそ、彼のアイデンティティは暗殺者。
剣ではないものでこそ、人を殺す。望んだ相手を、どのような手段を用いても、必ず殺す。
主人のために、誰でも殺す。己さえも、殺す。
……最終的には。
魂をきしませても、主人の敵を必ず滅する。
だから、暗殺者は──
死してなお勇者に仕えた者のまま、この世界まで供をした。
暗殺者の全身が黒く染まり、それは甲冑のようになった。
黒騎士、などとも呼ばれたが、その名称を暗殺者は己で名乗ったことはなく、気に入ってもいない。
この状態を、暗殺者はこう呼ぶ。
「これよりは、『愚者』が相手をいたしましょう。力圧ししか出来ぬ身に成り下がりましたが──直接剣を交わすのであれば、お楽しみいただけるかと存じます」
黒すぎて見えなかったが、今、兜のバイザーが下りた音がした。
そして、叫び声が上がった。
理性も知性もない、言語化あたわぬ叫び声。
それと同時に、『愚者』が、はるに飛び掛かる。
その目的は、『主人』のため。
それはこの九十九州に来ている『魔法使い』のためでもあるし……
結果的に、勇者のためにもなる。
彼は、そう信じて、魂を賭ける。




