第265話 九十九州大決戦 二
ラップというのは、自己表現である。
いわゆるHIPHOPと言われるのは様々な要素を複合的に含んだ自己表現のことだが、その中でも音楽のことをラップと称する。
そう、これは自己表現なのだ。
ラップバトルというのは基本的に相手をサゲてこちらをアゲるものではある。
だが、煽りや罵倒、マウント行為で重要なのは、結局のところ、『自己アピール』と『勢い』であり、ラップバトルで相手を負かすには、説得力のある歌詞と、思わず体が動いてしまうようなビート・リズムが必要になってくる。
そうして説得力のあるリリックをビートに乗せて相手をディスるのも、こちらをアゲるのも、どちらも『己を見つめ直す』という工程が必要だ。
自分自身のことがわからなければ、自分自身をアゲることも、相手が自分より下だとサゲることも出来ないのである。
だから、氷邑梅雪は、己に問うことを強いられていた。
(誠に業腹ではあるが、このふざけた催し、自己探訪に役立っている……)
いきなりラップバトルに巻き込まれた時は、あとでアシュリーの尻でも叩いてやろうかと思ったが……
アシュリーは、『その時に必要なことを、直感的に成す』ということが可能だ。
本人は絶対何も考えていないし、なんなら『それ』をしているのはアシュリーではなく、アシュリーの組み上げた機体の方っぽくもある。
しかし、このラップバトルは龍ゾン寺を足止めするのに必要であったし、梅雪自身が抱えている悩み、迷い……大友国崩との会話で浮き彫りにされた己の弱点を克服するために必要な胡乱であった。
(ようするに俺は──母を恨んでいるのか)
このモヤモヤ、この執着。
敵へ対するものだった。
氷邑梅雪はいつでも味方より敵に執着してきた。
剣聖シンコウ然り、今、追いかけている異世界勇者・桜然り、それらはすべて『敵』だった。
敵を前に生き生きする。敵を追いかけている時にこそ……ギアが上がる。
認めざるを得ない。
氷邑梅雪の人生に必要なのは、『本気で殺したいと思いつつ、なかなか殺せない敵』であり……
その『敵』に勝手になり代わられることこそ、最も我慢のならないことだった。
梅雪の中で一番取り換えが効かないもの、『そこ』に勝手に居座られては強いストレスを感じるものこそが、『敵』。
大友国崩の『あなたを息子も同然と思う』という発言にああも苛立ったのは、そういうことだ。『勝手に、俺の敵の座に腰かけるな。不愉快だ』ということ、だったのだ。
では、なぜ、母を恨んでいるのか?
……それは、単純な『恨み』なのか?
(……単純な恨み、ではない)
母・椿。
梅雪を置いて死んだ母である。
道士であったらしい、というところから、『剣士になりたかった時代の梅雪』からすれば、『お前のせいで、俺は道士なんぞという不遇職になったんだ』と、逆恨みをしても無理のない相手でもあった。
家中において、妹のはるにあって、自分になかったもの。それは剣士の才能である以上に、自分を庇護してくれる母親だった。
父さえも『不干渉』を貫いていたあの時期、梅雪に最も必要であり……子供であった梅雪の人格が歪む、もっとも大きな要因は、『無条件で自分に無償の愛を注いでくれる存在』の不在であり……
梅雪は、思わず、吹き出すように笑った。
(なんだ、すべて逆恨みではないか。しかも、とてつもなく陳腐な、逆恨みだ)
ようするに、『俺が苦しんだのは、母親がいないせいだ』『母親が俺を道士に産まなければこうはならなかった』『人格のゆがみも、まともな親の愛をもらっていないからだ』という、なんともテンプレな逆恨み。
これが、まだ、氷邑梅雪の心の中にはあったらしい。
これらすべて、換言すれば『ママのおっぱいが恋しい』以上の意味ではない。
なんとも恥ずかしい、なんとも情けない……
だから、成長のためには、母を許さなければならない。
いかに恨みがあったとて、報復する機会のない人間などいくらでもいる。もちろん、人間以外も、いくらでもいる。
たとえば『運命』などがそうだ。『これ』は梅雪に目を向けて、梅雪を翻弄し、梅雪を試しているとしか思えない動きをしている。
けれど、実体がない『屏風の虎』のようなものなのだ。『では、その屏風から出してください』という話だ。そいつに意思はない。そいつに肉はない。そいつに魂はない。ただ、染料と顔料の集合体に、『虎』という幻影を見ている。それだけの話。
死人もまた、運命と同じようなものだ。
いかに自分を縛ろうとも、いかに自分が感情を向けようとも、そこに実体はない。
死者はただ幻想の中に住まうのみで、現実には干渉してこない。
(まあ、『影』とした死者は違うがな)
自分で自分の思考の例外を持ち出して、梅雪はまた笑った。
そして……
「死人は死人でいるべきだ。そうは思わんか、龍ゾン寺」
ビートをぶった切るように、話を始める。
輿に乗って今も歌い続けていた龍ゾン寺は、「はあ!?」と、こちらもリリックを止めて反応する。
……その、話の振り方は。
「ぞんちゃん、生きとるが?」
一度死に、魔界に堕ち、そうして復活した彼女自身には、刺さるものだった。
わかっている。
だから、梅雪は、そういう言葉を選んだ。
そして梅雪がわざわざ、相手の痛いところを突くような言葉を選ぶ時。それは……
「いやいや。貴様は復活すべきではなかった死者だよ」
相手を煽る時である。
ラップバトルはディスり合い。
だが、そもそも……
ディスり合いで、相手のルールに合わせてやる必要もない。
ルールを布くのは、自分自身。
決まりに縛られるのも、自分自身。
氷邑梅雪は、運命にも、他人のルールにも縛られない。自分を曲げることを何より嫌う存在であると、ようやく思い出した。
「だいたい、龍ゾン寺? なんだそのふざけた名前は? 相手を笑わせて気を抜くのが目的か? なんとも姑息な戦術もあったものだな」
「人の名前を笑うのはよくないと思います!」
「それが自分でつけた名前でなければ、その言い分も通っただろうなァ」
暖気。
自分は今、暖気をしているのだと、梅雪は認識した。
大友国崩に『我が子も同然』と言われてからずっと、調子がおかしかったような気がする。
思い悩んで。人の流れに合わせて。慎重すぎた。臆病過ぎた。
氷邑梅雪は、己に問いかける。
(俺は、『空気』やら『流れ』やらに合わせてやる、そんなお行儀のいい子だったか?)
──絶対に、違う。
わがままで、傲慢。自由にやる。自由にやれないなら、世界そのもの、正史をぶち壊すこともいとわない。
死ぬはずだった悪役。あっけなく、情けなく、敗北して、全部を奪われて、悲惨に死ぬことで誰かの溜飲を下げるはずだった、悪役。
(一つ一つ、思い出せ。俺は氷邑梅雪だ。俺は誰だ?)
自分自身を、自分に証明しろ。
梅雪は、鼻で笑い、大きく息を吸い込んだ。
「死者は、死ぬべきだ。死ぬべき者が、生きるべきではない。……誰しもが『運命』というものに背を押され、その求めるままに進んでいく。だから、死ぬべき者が生きると、世界がおかしくなる」
龍ゾン寺が反論をしているようだが、梅雪の耳に、その言葉は届いていなかった。
今、梅雪が煽っているのは、龍ゾン寺ではない。
自分自身だ。
ちょっとしたことで『自分自身』を見失ってしまう、自分だ。
梨太郎との戦いの中で、何度も何度も、『俺は、俺だ』と再確認をしたはずだった。だが、ちょっと戦闘のない時期を──穏やかな、ごっこ遊びのような戦争しかない時期を過ごしただけで、こうも腑抜けてしまった。
自我はまだ、固まり切っていないようだった。
自分はまだまだ、成長途中の子供のようだった。
十三歳は、そういう年齢らしかった。
だから、しつこくしつこく、塗り固めていけ。
何度も何度も、言い聞かせていけ。
「『運命』に死にざまを強制されるのが嫌ならば、力で『運命』に抗い続けるしかない。貴様が選んだのは、そういう道のはずだろう」
貴様とは、自分自身だった。
だが、それは龍ゾン寺のことでもあった。
反論が、来る。
「だから、抗ってんじゃん!」
それは、『弱い自分自身』の言葉のようだった。
声の調子も、言い方も、まるで……わがままで利かん坊の、クソガキのようではないか。
だから梅雪は、自分を煽り散らす。
「いやいや、足りんな。全然、足りん」
「何がだよ! ぞんちゃん、精一杯頑張ってるんですが!?」
「『頑張っている』? ハッ! それで『運命』に許されれば、なんの苦労も努力もいらん。結果を出さねば、経過を誇ることさえ出来んのだぞ。『頑張っている』などという言葉は存在してはならない。『頑張った』と、末期に己を慰める程度が、運命に抗う者のしていい『頑張った』という言葉の使い方だ」
「なんなんだよ! 努力は大事だろ!? 努力してるのは偉いだろ!?」
「ああ、偉いな。ママがいれば褒めてくれるだろう」
「はぁ~!?」
「だが、いない。……努力をした程度で褒めてくれるような、無条件で、無償の味方など、いない。それが、現実で、それが、現在だ」
過去も運命も故人も、『屏風の中の虎』でしかなく、そうあるべきだ。
だから、
「だから、貴様は死ね」
過去の自分。過去にこだわる自分。
すべて、振り切って置いていく。
「立ち止まったならば、いくらでも努力自慢をしていいぞ。あの世でママに褒めてもらえ。『私は、精一杯、頑張りました。偉いねって、言ってください』と。止まれば腐る。貴様のように。腐れば死ぬる。貴様のように。他者に何かを誇る言葉、この上なく、くだらん。誇りとは──」
傲慢とは──
「──己自身の中に、死ぬまで仕舞っておくべきものだ。他者にさらしていい宝ではない」
かわいそうぶること、プライドを他者に晒す行為だ。
過去に縛り付けられて行動を制限されること。ヒロイックだろう。だが、空回って寒いだけの愚行だ。
自分がいかにつらい目に遭ってきたかを叫ぶこと。同情を誘えるかもしれない。だがそれは、人より下に自分を置く、プライドの安売りにしか過ぎない。
ナイーブだった。たぶんそれは、周囲にも気付かれていた。
母にまつわることは、梅雪の『聖域』だった。大友国崩に『我が子も同然』と発言されてから、周囲が自分を気遣っていたことに、ようやく梅雪は気付けた。
それは、梅雪にとって、『母』がタブーだと、思われていたからだ。父・銀雪さえも触れない、梅雪の弱点。実際、母関係の話を出されて、弱いところをさらしてしまった。
ウメに、妹のはるに、アシュリーにさえも、気遣われていた。
情けない。
自分のかわいそうなところをさらして女どもの同情を惹く様子。客観的に見れば、なんとも情けない限りだ。
だから、ここからが氷邑梅雪のパンチライン。
「『現在』に蘇り、視界をウロチョロちらつく亡霊ども。『死』という退場をしたにも関わらず、未だに現世にしがみつく悪霊どもめ。この俺が調伏してやる。ゆえに──」
梅雪は、龍ゾン寺に向けて、人差し指を下げる。
「──そこに額をついて土下座しておけ。この俺が直々に黄泉に叩き返してやる」
胡乱に胡乱をぶつける必要などなかった。
どこかに逃げ去ろうとしている龍ゾン寺を留め置きたいならば、最初からこうすればよかった。
ただ、煽るだけで、相手の痛いところを突く。
それこそが、氷邑梅雪で。
(なるほど、自分自身に向けてみれば、なかなか痛い。……いろいろな意味で、痛いな)
故郷から遠く離れた地。
ここに来たのはニニギの迷宮に入るためだが……
図らずも、自分探しをしてしまった。
それが、なんというか──あまりにも青くて、痛い。
「生き汚くて何が悪いんだよぉ! 生きることは素晴らしいだろ! 努力をすることは尊いだろ! こんなに怠け者のぞんちゃんがさあ! 生存のために頑張ってるっていうのに、酷いことばっか言うなよ!」
「まったくうるさい死者めが。『死人に口なし』という言葉を知らんのか? ──黙って逝け。いや、不可能であったな。弱者は吠えるものだ。ゆえにこそ、この俺が首を刎ねてやろうと話をしていたのだ」
「人の努力も、人の生きたい気持ちも、否定していいものじゃないんですが~!? 配信に載せられない言葉ばっかり言いやがって! いいもんね! お前がぞんちゃんを否定するなら、ぞんちゃんを否定するお前をぞんちゃんが否定してやる!」
ゾンビどもが動き出す。
……確かに。人の生きたい気持ちも、人の努力も、他人に否定されるべきではない。
だが──
「だから、仕舞っておくべきなのだ。他人の目の前に晒しておいて、『晒したものに四の五の言うな』という甘え──誠に見苦しい」
努力をアピールしておいて、肯定しか認めない。
アピールするというのは、他人の目に晒すというのは、賛否が起こって当たり前のことだ。
「この俺が貴様の努力と生存に『BAD』をつけてやる。コメントもしてやろう。『生き汚くて草。努力アピールうざすぎ。肯定しか求めないなら発言しない方がいいんじゃないですか?(笑)』とな」
「トップに出なくなっちゃうだろ!!!」
「貴様の人生など人目に触れやすいところにあるべきではない。──ひっそりと死ね。もともと、生きてなどいなかったかのように」
「もうキレた!!! お前のコメントをブロックしてやる!」
「やってみろ死者め! お前を現世からBANしてくれるわ!」
遊びの時間も、迷いの時間も、こうして終わりを告げる。
九十九州が、夜に入る。
ここから先には、ルールなど存在しない。
どちらかが滅びるまで、殺し合いが続く──
梅雪好みの、戦争の時間だ。




