第260話 九十九州大混戦 三
山。
イバラキの戦場たる山。
その規模は、氷邑領都屋敷の裏庭にあるのと同等ぐらいのものだ。
慣れていれば、子供が散歩しても迷わない。その程度の山。本物の、複雑な山を知る身だと、『丘』とでも言いたくなるぐらいの、なだらかな場所だった。
だが、そこが初めて来る場所であり、なおかつ、敵との交戦中とくると、話が変わってくる。
山とは、何か?
まず、明かりがない。
これは夕刻も暮れかけているとはいえ、まだ光源がある。であれば、問題はない。
次に、斜面や段がある。
このあたりの土は乾いて粒が大きい。砂利のようなもので、踏む場所を間違えると砕けて足が沈む。
感覚的には雪に近いだろうか。軍を率いて昇るのには不向きだ。特に、全身鎧を身に付けた大友聖騎士団にとって、ありがたくない地形と言える。
山には、木々がある。
鬱蒼と生い茂った広葉の木々が、隙間なくびっしりと並んでいる。
季節はとうに冬。だが、九十九州にクサナギ大陸本州の気象条件や植生は当てはまらない。気温は蒸すようなぬるさで、生い茂った葉は濃い新緑のニオイを漂わせていた。
これが、たいそう視界を遮る。
相手の姿、相手の影を隠す。
……とはいえ、『山での戦い』に慣れていれば、こういった鬱蒼と木々が生い茂った環境の中でも、わずかな違いに注意することに慣れる。
ましてイバラキの主戦場は『大江山』。そこは四季折々の景色が一年中広がる異境なのだ。どのような季節の、どのような山であろうとも、イバラキは経験を応用出来る。
だから問題は……
「相手も同じことが出来る──ってこと、か」
山に入ったイバラキは、龍ゾン寺の軍を見失っていた。
ありえない。自分が山で敵を見失うというのは、異常事態と言ってしまってよかった。
だが、実際に起こっている。これは、相手が自分と同じかそれ以上に、『山での戦い』に慣れているということに他ならない。
……イバラキの知りえない情報として。
そもそも子鬼というのは、人里から少し離れた山、あるいは洞窟などに隠れ住む生き物であった。
ヒトの社会に溶け込んでからはそういった山賊稼業めいたことはしなくなった。とはいえ、経験がないわけではない。そうしないと生きていけない時代というのが、確かにあったのだ。
ともあれ大友聖騎士団を率いた状態で、イバラキは足を止めざるを得なかった。
山のふもとに布陣し、山を見上げて足を止める状態だ。
ある意味で『相手を山に追い込んだ』とも言える状況ではあるのだが……
「イバラキ様、よろしければあの山、吹き飛ばしてご覧に入れましょうか?」
のしっ、と横に立った大友国崩が提案してくる。
山を吹き飛ばす──大友国崩の国崩カリバーの出力があれば、確かに、あの程度の山は跡形もなく消し去ってしまえるだろう。
だが……
「いえ。やめた方がいいでしょうな」
「ふむ。判断の理由をうかがってもよろしくて?」
イバラキはちらりと国崩を見上げて──肉体が見事すぎて顔を見ようと思っているのに胸の下側しか見えない──から、視線を山に戻した。
「まず、相手がその方法を考慮していないとは思えません。もっとも単純な解決法には、もっとも強力な罠が仕込まれていると考えるべきです」
「しかし、『そう考えると想定し、考えの裏をかく』ということもありうるのでは?」
いわゆるところの『逆噴射』『逆張り』などと呼ばれるものだ。
誰かと判断力・思考力で戦う場合、常にこれは付きまとう。
互いが互いの意図を想定し、思考を追うような戦いにおいては、常に『こっちに行く、と見せかけて、こっちに行くのでは』『相手は自分の行動を想定しているから、あえて愚かで効率の悪い手を打ってみるか』というような選択肢が発生する。
それでも『明らかに不利になる一手』の場合は『とられない』と判断するのが常道だが、人間というのは考え続けて考えすぎる状態になると、わけがわからなくなることも多い。
その結果、相手が『わけがわからなくなって』変な手を打ち、それが結果的にこちらを追い詰める鬼手になる──なんていうことも、ありうる。
とはいえ……
「現在、私と龍ゾン寺軍軍師とは、術理・心理を読み合う戦いを行っています。……その前提として、『向こうは時間を稼ぎたがっている』『こちらは相手を殲滅したがっている』という状況がありますね」
「ええ」
「互いの目的がそのように整理出来ている現在、『山を吹き飛ばされる』は、相手が備えていなければならない手段なのです。なぜなら、あの山に軍師が潜んでいる状況こそが、我らの追撃を止めるもっとも重大な障害なのですから」
裏の裏をかく、確かにそういうのも使ってくるだろう。
だが、心理戦、思考戦において、常に意識しておくべきことというのがある。
『目的』だ。
暗殺者は明らかに時間稼ぎを目的とした動きをしていた。
それさえも『と、見せかけて』という逆張りをすることは可能ではある。だがしかし、情報と状況が、『時間稼ぎ』こそが相手の目的だと証明している。
もっと大局的に、この九十九州の状況を捉えればわかることだ。
まず、九十九州北東部において、イバラキと龍ゾン寺軍師の戦いが起きている。
そして南西部においても、何かが起きている。空の色がおかしい。桜島のあたりだろうか? そこから何かが噴出しているのだ。
そしてここより南では、恐らく、島津に協力を取り付けた梅雪が、何かと戦っている。
戦の音や気配というのは、距離があっても、同じ島の中であれば、わかるものだ。特に、南の方は、何かとても騒がしいので、まず間違いなく戦いが起こっている。
梅雪なので『煽られたから』という理由で木っ端勢力と争っている可能性もまあまああるのだが、木っ端勢力にてこずるような男でもない。なので、高い確率で龍ゾン寺家との戦いをしているものと思われる。
そして龍ゾン寺家の中間指揮官の層の薄さを思えば、龍ゾン寺当主のくまと戦っている可能性が高いものと思われる。
暗殺者が『何かを待つような動きをしている』ことも、南の戦場に龍ゾン寺当主が存在する確率を上げている。
そこから導き出される答えとして、暗殺者の目的は『龍ゾン寺当主との合流』だ。
どうにも『先に龍ゾン寺領に戻って待っている』という方策はとれないらしいことも、わかる。
タイミングを揃えなければだめなのだ。当主と軍師が龍ゾン寺領の外で合流することが、相手の戦術の上で重要な『ポイント』なのだ。
術理・心理の読み合い、思考戦で『わけがわからなくなってしまう』ことを避けるためには、『相手の行動から目的を予測すること』、『相手の目的までの道のりで通過しなければならないポイントを予測すること』が重要となる。
前提として、情報戦が重要になる。
だが現在は『事前に仲間を忍び込ませて情報を集める』というテイクをとることが出来ていない。なので、相手の行動から、相手の目的を予測するしかない。
当然ながら情報の確度は低い。これでは『相手の目的の読み違え』が発生しうる。
だが、イバラキは、さらに別な要素から、自分の『相手の目的推測』が大きく外れていないことを確信していた。
それは、相手が握っているこちらの情報だ。
ないのだ。
互いに、何度か兵をぶつけ合った。
だがそれだけだ。
これは互いに互いの軍に間者を忍び込ませることができない理由でもあるのだが、龍ゾン寺と大友では兵科が違いすぎる。ゾンビの中に聖騎士が混じっていれば当然目立つように、聖騎士の中にゾンビが混じっていても目立つ。なので、事前に間者を潜り込ませての情報収集というのが、実質的に不可能なのは間違いない。
つまり、相手もイバラキの動きからこちらの意図を読むしかない状況に立たされているのは間違いない。
その結果、イバラキの目的は察せられているものと思って間違いない。
イバラキは、誰よりも早く龍ゾン寺領に入ることを目的にしている。
なぜなら、軍師がそこにおり、龍ゾン寺当主が南にいると予測しているからだ。
中間層の薄い龍ゾン寺家が、二人の指揮官を領外に出している今、相手より早く龍ゾン寺領に入れば、そのまま領地をとれる可能性が高い。
なので、イバラキは軍師を見失わないようにしながら、九十九州に散らばる氷邑勢力との協調よりも、龍ゾン寺領への接近を優先した。
軍師を見失わないようにしているのは、言うまでもなく、見失ったあとに何をされるかわからないからだ。さっさと敵領地に入ればそのままとれそうだとは思われるものの、とった直後に背後を突かれては意味がない。
つまり、二者の『目的』と、その目的に至るまでに通過しなければならない『ポイント』を整理すると、こうなる。
イバラキ側は、目的が『龍ゾン寺領への誰よりも早い侵入』。
ポイントは『相手軍師を見失わない』、あるいは『相手軍師の殺害・その直属部隊の殲滅』。
暗殺者側は、目的が『イバラキよりも早く龍ゾン寺領に帰る』──これは『タッチの差で早い』といったものではなく、イバラキと大友軍を行動困難な状態にして帰り、中で侵攻に備えることだと想定される。
ポイントは『龍ゾン寺くまとの合流』。どういった理由で合流を目指しているのかはわからないが、動きが明らかにそうなっている。
(そして、それらすべてが『嘘』の可能性)
……思考に浮かべた『目的』と『条件』はほぼ間違いがないものだと確信している。
だが、相手が行動で嘘をつき、あるいは効率とかメリット・デメリットだとかを全部度外視して、ただ嘘をつくために嘘をつくという可能性──
あとは、向こう軍師の思考体力が思ったより低くて、『わけがわからなくなって』突飛な手を打っているだけという可能性。
これも考慮はしなければならない。
だが、あらゆる可能性に同時に備えられはしないので、確度の高いものから備えていくことに間違いはない。
相手が奇策を打って来ると見越して、奇策の備えをする、というのは愚かなことだ。
そういうことをすると、大抵、普通に最善手を打った相手に、普通に負ける。
「……ともあれ、相手は龍ゾン寺を待ちつつ、こちらを足止めし、なおかつ、機会があればこちらを殲滅しようと狙っているものと思われます。そのために、『山に潜んで見当たらない』というのは、維持すべき状況なのです。この状況を破壊するものに備えていないとは思えません」
「なるほど、軍師イバラキ様のお言葉、納得いたしましたわ。ただ……」
「ただ?」
「そもそも、わたくしの国崩カリバーに、どのように備えるのかは興味がございます。備えられるのであれば、それは、大友聖騎士団と正面衝突をして持ちこたえられるということになるでしょう? しかし、先ほどの戦いでそういった様子はありませんでしたわ。イバラキ様は、どのようにお考えで?」
そう、『山ごと吹き飛ばされる』というのは対処せねばならないことではあるが、『実際問題、可能なのか?』という──リソースの問題が、そこにはある。
できるならもうやってる。それは、本当にその通りなのだ。
……しかし、イバラキには、『ある予感』があった。
「かつての氾濫の主人に仕えた四天王。それが、暗殺者の正体──主人からは、そう聞いております」
「ええ。わたくしも、同じことを伺いましたわ」
「氾濫四天王の戦いを直接見たことはありませんが、聞いた話によると、連中は、神威から、かつて倒した強者の影をひり出すということです」
「……つまり、わたくしの国崩カリバーを受けきれる『影』が、存在すると?」
「私はそのように想定しております。……というかね」
イバラキは凶悪に口を吊り上げて笑い、
「滲んでンだよなぁ、『強者の余裕』が。足取りに『浮つき』がねぇんだよ。そいつは『いざという時に頼る手』があるって言ってるようなモンだぜ。──それさえ嘘だってんなら、大したモンだがな」
◆
「引っかかりませんか」
異世界勇者の四天王、暗殺者。
彼は小鬼という弱小種族だ。
……だが、それでも、異世界勇者に仕え、四天王に数え上げられる強者である。
「やはり相手は並ではない。並ではなく、臆病。……恐らく、一つのところに根城を構え、相手をたっぷり観察し、分断と奇襲、地形を利用した戦いを得意とする──弱者の戦いが板についた者」
暗殺者はクックッと喉を鳴らすように笑う。
「親近感を覚えてしまいますな。だから、負けるのです」
暗殺者の影が広がり、そこから黒い兵が出現する。
……ルウがプールにて意図して放った『精鋭』。
桜がオアシスに意図して浮かべた黒船。
異世界勇者の神威そのものの妖魔となった氾濫四天王には、『意図せずあふれてしまう兵』と、『意図して呼び出す兵』がいる。
今、暗殺者の影から出て来たのは、『意図して呼び出す兵』、すなわち、とっておきの強者。
……ただし。
その姿は、『兵』として見ると、あまりにも異形だった。
「はてさて。ヴィヴィアナ様から勇者に認められた者の一人としての力を振るいましょうか。──悪霊ども、おいでなさい」
異世界における勇者選定の権能を持った湖の精霊、ヴィヴィアナ。
氾濫四天王の一人、魔法使いにも数え上げられるその精霊は、もともと神であったところを、無節操に、興味本位で、愉快犯的に勇者を選びまくり、多くの若者を『死の運命』に巻き込んだ。その咎で精霊に堕とされた者である。
そして、ヴィヴィアナの見た目は若い女性だが、神とは不老不死の存在。その年齢は見た目通りではない。
この老人も、かつて、若かりしころ、小鬼の命運を背負う勇者として、ヴィヴィアナに選定され……
老人となるまで生き残った者である。
氾濫四天王に弱者など一人もいない。
みな、それぞれに特技を持ち、隠し玉を持った強者である。
生き残ったゴブリン族の勇者が、己の手で殺した強者を携える。
その『強者』とは──
「聖剣抜刀。では、参るとしましょうか」
──剣。
強い武器に宿る精霊。このゴブリンは、その精霊を倒し、己の力として取り込んだ者である。
暗殺者本人の戦闘能力はさほどでもない。
だが、彼は、武器精霊を殺して我が物にすることで、装備によるバフで強者に変わることが出来る。
弱者の戦術家が、強者に変わる。
老いた小男。戦闘能力のない戦術家。
その顔を信じさせたからこそ──
嘘が、輝く。




