第253話 九十九州大氾濫 三
大友と龍ゾン寺の戦場。
それは島津と龍ゾン寺くまが戦う戦場よりやや北の場所で、湿地帯の広がる、遮蔽物のない場所である。
……そこで。
大友家食客軍師のイバラキは、見た。
ゾンビの隊列の向こう側に立つ、緑の肌の老人。
黒い手袋をはめた、鬼のように小柄な人物。
イバラキは龍ゾン寺の配信の話は聞いていたが、『その人物』が画面の前に出した手袋さえも、直接見たわけではない。
だが、確信した。
──あいつが、軍師だ。
今まで奥に引っ込んで出てこなかった軍師が、なぜか出てきている。
先ほど──つい先ほど、この戦場にたどり着く少し前にあった不気味な震動が理由だろうか?
あれがただの地震ではないことは、イバラキにもわかった。
『桜島大噴火』による氾濫の発生だというところまではまだ掴めていないが、大友国崩が不吉な予感がすると述べていたことから、ただ事ではない何かが起きているものとは想定している。
今まで奥に引っ込んでいた敵軍師が出て来ざるを得ないような──勝負をつけにかかろうとするぐらいの、大きな何かが、起きている。
「……面白れェ」
イバラキは凶悪に笑った。
それはムカつくサムライを見て浮かべる、『どう残酷に殺してやろうか』と考える時の笑みとは、また違う。
ここ数日の、大友と龍ゾン寺との戦いで、比べ合い、ぶつかり合った。
そうして得た『あいつと自分とは、性格が似ている』という確信──
自分と似た性格の軍師と、軍略を比べ合う。
イバラキはその予感に、つい、笑ってしまったのだ。
昼日中の湿地帯で、龍ゾン寺ゾンビ軍と、大友聖騎士団がにらみ合う。
ここなら合図で細かく軍の動きを調節できる。声さえ、届くだろう。細かい指示だって、可能だ。
そしてそれは、相手も同じ。
事前に授けた軍略で戦わせるのではなく、リアルタイムで手を指し合うことになる。
軍師の戦いが、始まろうとしていた。
◆
龍ゾン寺軍の暗殺者もまた、イバラキの姿を認めていた。
大友の動きが変わった理由について、暗殺者も『誰かが大友の軍略をコンサルタントしている』ということに気付いた。
だからこそ、わかる。……あの小柄な、少女のような軍師。巫女装束に似た格好をした──半鬼。
……いや、あれは。もっと原種に近い。
人の肌のゴブリン。
アレは、生物としても、精神性も、自分に近い。
「やれやれ」
だからこそ、暗殺者は肩をすくめた。
「凄惨な戦いになりますな」
彼は戦いを好む性分ではない。
安穏たる暮らしを望んでいる。自分たち弱者が搾取されることなく、平穏に、豊かに生きていける、そういう人生を望んでいるのだ。
だが、そのために戦いを乗り越えねばならないことも知っている。
彼に嗜虐の喜びはない。彼にあるのはただ、穏やかに暮らしたいという願いであり、そのために戦闘をし、多くを殺すことを厭わない信念と冷徹さだけだった。
だからこそ……
「であれば、精一杯凄惨にいたしましょう。すべての人々が戦争を厭えば、戦争はなくなる。そうして──戦争を厭う人々が足を引き、軍は弱くなる。『弱者は蹂躙される』という常識はどうにも、どこの世界でもあまり認識されていない様子ですからな」
革手袋のはまった手。
片手を腰の後ろに。
もう片方の手を、上へ。
「相手から『戦争』という選択肢を奪うぐらいに、凄惨な殺し合いをいたしましょう。平和と平穏は『戦う力』を前提としていると思わないすべてが、戦争を厭うように。──その方が侵略がやりやすいですからな」
上へ上げた手を、振り下ろす。
ゾンビの軍が、進む。
軍師と軍師が、噛み合う。
◆
イバラキと暗殺者は、ほぼ同時に、つぶやいた。
「「初手」」
互いの軍を挟み、互いの間には距離がある。
だが、二人の目には、相手の思うこと、語ることが、将棋盤でも挟んで対面しているかのように、詳らかにわかった。
「大友聖騎士団突撃。相手を蹴散らす」
「大友聖騎士団突撃。にべもなく蹴散らされますな」
黄金の鎧の一団が神威を輝かせながら突撃すると、ゾンビの軍が吹き飛んでいく。
この衝撃力こそが大友聖騎士団の長所。大友国崩を先頭に突っ込む聖騎士団が槍を並べて突撃すれば、これを受けきれる軍は存在しない。
だから、
「「二手」」
軍師は、次の展開を操る。
「吶喊。だがこれは止められる」
「吶喊。左右より軍を発し、横から挟む」
大友聖騎士団の横、湿地帯の地面の下から、ゾンビの軍が這い出して来る。
最初のころはこの伏兵にずいぶんと驚かされたものの、今は驚きそのものはない。ゾンビというのはこうして土から湧くような奇襲が可能な兵科である。
だがしかし、左右から大規模な軍勢が現れたならば、それに注意を割かれるのはどうしようもない。
結果として聖騎士団の足はわずかに鈍る。
鈍った間に、蹴散らした正面のゾンビが復活し、聖騎士団を取り囲む。
このあとその場に足を止められてゾンビどもの対処をしている間に日暮れになるのが、大友聖騎士団の負けパターンだった。
もちろん、イバラキが来るまでの負けパターンである。
対策はとうに練ってある。
「「三手」」
「聖騎士団に合図。事前の取り決め通り、隊列なんぞどうでもいい。とにかくこっちに逃げて来い」
「聖騎士団、合図にて逃走開始。お見事な手ですな。初撃が最強なら、止まるたびに引き返し、何度も初撃を行えばいい。単純にして強力だ。しかも騎士の逃げ方ではない。あれは──まるで、山賊の逃げ方ですな。殿もなく、ばらばらに逃げる。足の速い者が、足の遅い者を置いて逃げる。だが、ゾンビ軍にはこれが厄介だ。とにかく近場にいる者に襲い掛かってしまう。その間に、『初撃のための体勢』が完成する」
「「だが」」
「今は相手の軍師がすぐそこにいる」
「その手が有効なのは、ゾンビに即時の指示を飛ばせる『頭』が近くにいない場合のみ」
「「四手」」
「七手詰み、重要局面だ」
「六手で詰んで差し上げましょう。……ここから、相手は何をするか? 『初撃』のために退かせた。こちらは『初撃』を出されるとまた吹き飛ばされる。相手が『突撃しては逃げ、隊列を整えてまた突撃し、また足を止められるたびに逃げ、また突撃する』ということを繰り返す限り、龍ゾン寺の軍はただただ削られるだけ。わたくしは、相手が隊列を整えるのを止めねばならない──」
暗殺者が微笑む。
その表情はイバラキに向けたものであり、その言葉もイバラキに向けたものだ。
二人は互いの声が聞こえる距離にはない。
だが、互いに、相手が目の前にいるようにしゃべっていた。
暗殺者が、黒い革手袋のはまった手で、口元を隠した。
「──と、信じていただけている。騙しがいがございますな」
暗殺者の指示がゾンビたちに伝わる。
瞬間、それまで隠れていた兵力が湧き出した。
ゾンビの数が倍以上に増え、腐ったサメまで湿地から湧き出す。
その連中は、聖騎士団の退却を止めるために、放たれない。
暗殺者は、こう指示したのだ。
「全軍、足の遅い者を食い散らかしなさい。凄惨に、酸鼻に、容赦なく、遅れた者の生命を刈り取り、死体を弄び、この世に救いなどないことを敵に思い知らせるのです」
聖騎士団本隊を追わない。
ただ、退却が遅れた者を狙い打つ。
そもそもイバラキが聖騎士団に仕込んだ『逃げ方』は、看破されたように山賊の逃げ方だ。
殿だの隊列だのもなく、合図をしたら一目散にとにかく敵に背を向けて走って逃げる。足の遅い者は当然犠牲になるが、山野に慣れた山賊が仲間も何も見捨てるようにとにかく我先に逃げ出すと、軍というものを知っている相手ほど混乱し、どう追っていいかわからなくなる。
山賊は一つの集団だが、別に仲良しこよしではない。
自分も含めた全員をクズだと思っているし、誰かが死んでも『死んだな』で済ます。あるいは、そんなふうに振り返ることさえなく済ます。
だからこそとれる逃げ方だ。
だが、大友聖騎士団は、仲の良い軍隊である。
「大友の軍師。仲間を凄惨に食い散らかされようが、あなたの軍略は全体の生存率を上げ、我々を追い詰める。しかし……仲間が目の前で酸鼻極まる死を迎えることを、兵たちはどう思うか? 何より──『それでも放っておけ』と述べる上官を、兵たちはどう思うか? それを命じた新参軍師の命令にそれでも従う意義を見出せるのか?」
暗殺者は、口から手をどける。
……彼は争いを好まない。嗜虐的な趣味はない。
だがしかし、目標の途中に挟まる壁が砕けることに、喜びを覚える。
彼の口元には、笑みがあった。
「大友聖騎士団の結束は見事なものです。ですので──結束を割りましょう。我々でも砕けるほどに小さく。さて、心理の攻撃に対する防御手段はありますかな?」
……一方で、イバラキは。
この展開に、笑みを浮かべていた。
「ほらな、似てやがる。大きなモンを砕くほどの力が自分たちにねぇことを理解して、砕けるまで小さく割る考え方だ」
逃げて帰って来る大友聖騎士団。
後ろを振り返る者もいる。足を止めてしまう者もいる。引き返そうとする者もいる。
絆だ。仲間意識だ。暗殺者の一手は──『遅れた者をとにかく残酷に殺し、死体を弄ぶ』というやりようは、怒りや恐怖や、恐らく、イバラキに対する不信もあるのだろう。
わかっている。
自分が信頼を以て人を動かせないことなど、イバラキはとっくに理解している。
だから、鼻で嗤う。
「暗殺者、てめぇの死に方を決めたぜ。てめぇは──でっかいモンに、真正面から叩き潰されて負ける」
暗殺者が『遅れた者に酸鼻たる最期を迎えさせる』という四手目を打った一方、イバラキ側はまだ四手目を打っていない。
……いや、すでに打っているが──
それは、盤外で打たれていた手である。
暗殺者には観測できない。
七手詰みのイバラキと、六手詰みの暗殺者。その四手目の攻防は、まだ続いているし、同時に、終わってもいた。




