第251話 九十九州大氾濫 一
「こんにちは、たぬきです」
狸ではない。
そこは三河の獣人独立共和国『三河ぽんぽこパーク』。
南の九十九州、東の三河ぽんぽこパークと剣桜鬼譚ファンから並び称される、クサナギ大陸二大空気のおかしな地域、その一つである。
すべてがファンシーになるその場所に訪れた者は──
「失礼。観光ではないのだ。主命で、会わねばならん方々がいる」
──竜の面を被り、銀のカツラで髪色を隠した、背の高い筋肉質な剣士。
氷邑家で労役刑に処されているはずの罪人、ヨイチであった。
「ご案内します!」
狸獣人が子供みたいな声で一生懸命背伸びをしながら請け負うのを、ヨイチは竜面の下から困った顔で見ていた。
ヨイチもまたファンシーを苦手とする人である。
生まれてこのかた、ひたすら真面目に名門武士として学び、鍛え、懸命に武家の世界で生きてきた。そのため、たぬきワールドのふわふわした感じは身の置き所がわからず、大層居心地の悪いものであった。
もっとも、主命──氷邑梅雪からの命令をこなすためにいるので、苦手だからなどと言っていられないのも事実ではあるのだが……
ヨイチがそのように困り果てていると、天の助けか、狸獣人の向こう側から、目的の人物と思われる人が歩いてきた。
ヨイチは「もし!」と声をかける。
すると、狸と今後のウナギ漁について話していたその人物は、ヨイチを見て「あなたは!」と驚きの声を挙げた──
──が、ヨイチとこの人物は、顔見知りではない。
この人物が知っているもの、竜面である。
その人物はヨイチに近付くと、眼鏡をいったんクイッと押し上げてから、頭を下げた。
「その節は、大変お世話になりました」
「うむ……いえ、どうぞお気になさらず」
ヨイチの対応の歯切れが悪いのは、すぐそばで狸獣人がつぶらな瞳で彼を見上げているからではなく、彼を見つめる狸獣人が時間を追うごとにどんどん増えているからでもなかった。
目の前の眼鏡の青年が礼を述べるべき相手が、本当はヨイチではないからである。
彼が礼を述べるべきは、三年前にこの面を被っていた者──すなわち、氷邑梅雪であるべきだ。
しかしその梅雪から『仮面の剣士となれ』と言われているので、礼を拒むわけにもいかず、どうにもヨイチはやりにくさを感じていた。
このまま話が進むと、永遠に歯切れの悪い対応しかできないかもしれないと、己のコミュ力のなさに辟易し始めたころ……
眼鏡の青年が、頭を上げる。
「わかっております」
「……」
「記憶によれば──あなたは、違うお方ですね」
「…………なんともはや」
「しかし、その面を被り、我らの前に現れた。であれば、我らは礼を尽くす必要がある。あなたの背後のお方にね」
「……さすがは『今幻庵』と名高いお方だ」
「それは父です」
「…………」
「私は父が八十八歳の時に出来た子なので」
「さ、左様で……」
「お話をうかがいましょう。時間があるならば、レンジャーショーをご覧になっていただきたいところですが」
「誠に残念ながら、こうしている今も政務が積みあがっている状況でして、申し訳ないが、立ち話にて、用件だけを伝えたく。……というより、『説得』はするな、というのが主命ゆえ、私のすることはただの伝令なのです」
「ほう?」
眼鏡の青年が、レンズをきらめかせる。
ヨイチは氷邑梅雪からの伝言を伝えた。
「黄金龍を駆って、九十九州に向かっていただきたい。──巨人の取りこぼしが出る、と言えばわかるらしいのですが」
その言葉を聞いて──
眼鏡の青年は、笑う。
そして、返答を伝えた。
◆
その日。
その日の進撃が、よもや九十九州における対龍ゾン寺家最終決戦の端緒となるとは、誰も想像さえしていなかった。
島津──
「何度か釣ってみたけど全然ダメね。感触がない。意思がわからない。……九十九州中の兵力を自分たちに向けたいのはわかるんだけど、『どうして?』っていうのがわかんないわ。それに、目的に乗らないと言ってもいられない状況になってきてる……」
「トシヒサ殿の考えも、そうですか」
「べ、別にアンタに同意してるわけじゃないんだけど!?」
「……」
「……まあとにかく、派手な動きはたぶん大友あたりがするでしょ。それに、桜島の様子もおかしいわ。島津は警戒しつつ、大きな戦はしないで様子をうかがいましょう。……っても、最近は例の『黒い連中』が夜中に領地にまで入り込んでくるから、のんびりもしてらんないんだけど」
「……そうですね。のんびりもしていられないが、自分から大規模な戦を仕掛けてやるのも癪だ。機を待ちましょう。必ず来ます」
「………………」
「トシヒサ殿、どうなさいました?」
「なんでもないわよ! バッカじゃないの!? い、行くから! 今日も戦争、あ、アンタも来るでしょ!?」
「それはもちろん」
「あたしも行くぜ!」
「イエヒサ! アンタはまた迷子になるから留守番してなさい! イエヒサ! イエヒサ!!! 勝手に出て行くなイエヒサ!!! ああもう、ほんっとあの子は! しょうがないから行くわよ梅雪!」
「はいはい」
◆
大友家──
「まず、大友家の強さの秘密は、九十九州のルールにございます。『夜になれば全員が戦闘をやめる』、すなわち『最初の突撃の結果がそのまま戦争の結果になりやすい』九十九州において、最初の突撃力の強い大友聖騎士団は、強い。ここの土地のルールで『強い』とされるには、『初撃が強い』か『横入りがうまい』かの二つのどちらかになる必要がございます。大友家は、恐らく初撃の強さにおいて、九十九州最強でしょう」
「そうでしょう! わたくしの大友聖騎士団は、豪壮なのです!」
「だから負ける」
「……」
「龍ゾン寺に勝てない理由が、まさにそこなのです。相手の軍師は、あなたたちの初撃を受け止めない。そして、距離を作らず、乱戦に持ち込む。泥沼のような戦いです。あなたたちは、立ち止まって殴り合うような戦いでは、実力を発揮できない。陣形をそろえての突撃こそ、あなたたちの強み。相手の軍師は、あなたたちの強みを消す戦い方を心得ている。だから、勝てない」
「勉強になりますわ」
「……ここ数日で、大友聖騎士団の使い方も確立しました。とはいえ、それでも勝てはしないでしょう。これは単純に、相手の足軽がゾンビなのが理由です。減らない。無限に湧く。我らが龍ゾン寺を滅ぼそうと思えば、『軍師』か『ゾンビ』、どちらかが不調になり、機能不全になるのを待つしかない。あるいは……」
「銀雪様には頼れませんわ」
「……では、待つしかありませんね。まあ、軍師の力を見せろと主人からは言われておりますから、銀雪様を組み込んでは、それが適わない。私にとっては、ちょうどいいことです」
「やはり、女は自らの手で土地を落とし! 瀟洒に贈り物とし! 殿方の心の硬い閂を跡形なく破砕する! それこそが、恋ッ!」
「……まあそちらは知りませんが。ともあれ、今は『待ち』です。軽々に飛び出さぬよう。時間はかかりますが、相手に機能不全は必ず起こります」
「なぜそう言えますの?」
「相手の性格が、私と似ているからです」
軍師は、嗤った。
◆
龍ゾン寺家──
「絵 的 に 映 え な い !」
「ゾンちゃん様、もう少々お待ちください。もう少しで我らの勝利──は、まあ、出来ませんが、有利な状況で戦いを始められますので」
「そうは言ってもゾンちゃんってば映えて称賛されないと死んじゃうからさー。なんとかしてよ暗殺者P!」
「とは申されましても。あとほんの数日ではありませんか」
「魔界通販で頼んだEXギンチヨロボのこと~? ゾンちゃんほぼ全財産突っ込んじゃったんだけどアレ大丈夫? 今後どうやって食べてくの?」
「ゾンビにも食事は必要で?」
「肉とか超喰いますけど!?」
「別に小競り合いがないわけではないので、肉の確保は容易でしょう」
「そうだけどさー。あんまり映えないと視聴者の触手どもがさー」
「どのようなライブにも設営の手間は必要でございましょう? 舞台造りに手間と時間をかけるほど、大きく素晴らしい舞台になる──もう少々だけ、お待ちください。未来の最高のあなたのために」
「お、その言い方いいなー。未来の最高のゾンちゃん? は? 今も最高だがー? でも許す! ゾンちゃんもうちょっとだけ待つよ!」
「ありがとうございます」
◆
氷邑、島津、大友、龍ゾン寺。
四つの思惑は、互いに理由は違えど、すべて『もう少し待つ』というものだった。
……だが、ここで、起こるのだ。
氷邑梅雪の『中の人』さえ知らない、ゲーム開始前に実際に起こった大事件。
九十九州という地域が、ほぼ大友、島津、龍ゾン寺、そしてもう一つの勢力だけになっていた理由……
もう一つの勢力。
妖魔どものうろつく、聖地桜島。
その桜島が、噴火した。
ただし、そこはただの山ではなく、その噴火も、ただの噴火ではない。
噴火した。
その噴火を、過去にあった似たような現象になぞらえて、こう呼ぶことになる。
『氾濫』。
桜島の火口に大規模な異界とつながる穴が開き、そこから土石流のように妖魔どもがあふれ出し、一斉に九十九州に広がっていく。
ゲーム開始より前の時間軸で起き、九十九州の勢力が大友、島津、龍ゾン寺、そして聖地桜島の妖魔どもの四つだけになってしまった理由。
梅雪の知らない旗印の軍勢がすっかり消えてしまった理由──
九十九州大氾濫が、始まった。




