第246話 九十九州の夜
異世界勇者の神威が地面に水たまりのように広がり、そこから、顔のない、真っ黒な兵どもが湧きだしてくる。
では、異世界勇者──『主人公』、桜が九十九州にいるのか?
──否である。
「暗殺者か」
氷邑梅雪は龍ゾン寺の配信の様子を、大友国崩から口頭で聞いただけなので、配信を直接見たわけではない。
だが、国崩の口から語られた『暗殺者』の特徴は、異世界勇者四天王のものである。
つまりこの黒い兵どもは、異界の騎士ルウと同格の者の影からこぼれた、異世界の兵である。
異世界勇者の神威は四天王にも伝播している。プールでルウの影から侵略兵どもがこぼれ落ちたように、暗殺者の影からも、侵略兵がこぼれ落ちている。己の手で殺した、侵略兵が。
とはいえ──
(──やはり、この時点で暗殺者が復活しているという知識は『中の人』にはない。剣桜鬼譚によくある『描写されてないが実はあったこと』か、あるいは、俺のせいで流れが変わったか。何にせよ……)
梅雪は凍蛇を構える。
「どうにも、ゆるふわとした殺し合いは俺には向かぬようだ。……一方的に、容赦なく──蹂躙といこうか」
九十九州の戦いは、戦いが日常になっている者たち特有の、アットホーム感みたいなものがあった。
もちろん、油断すれば死ぬだろう。だが……だというのに、この戦いには背景も憎しみも、相手を倒さなければこちらが死ぬという必死さもないのだ。
九十九州人はみな、自分がいつか死ぬという可能性を当たり前のように受け入れ、当たり前のように戦争をしている。
その独自の価値観が生み出す特殊な空気は、梅雪をして毒気を抜かれるものだった。
戦いがいちいち爽やかなのだ。戦いが決別を意味しないのだ。
梅雪は思う。
自分には向かない。自分に向く戦いは、こちらを煽り散らした者を、どう殺そうか昼夜問わずに考え、そうして最大限の尊厳凌辱をしつつ相手を土下座させ、その首を刎ねるといった性質のものだ、と。
黒い兵どもが迫り来る。
梅雪は凍蛇から氷の道術を放ってこれを蹂躙。
だがまだ尽きない。まだまだ、沼のような黒い神威溜まりから、黒い兵どもは湧いて来る。
──いい、神威だった。
道術によって殺した神威が、散逸し黒い神威溜まりに還る直前、凍蛇による神喰。
異世界勇者の神威を身に宿した梅雪は、ニヤリと笑って片手を顔の横に上げる。
すると、その手の中に、ベルトのバックルが出現した。
「──降りろ、梨太郎」
梅雪が命じるとほぼ同時、梨太郎の影が、梅雪の真横に出現する。
その影は梅雪と鏡映しのように同じポーズをしながら、やはり片手にベルトのバックルを持っていた。
二人が同時にバックルを腹の前に着けると、ベルトが巻き付く。
そして、これもまた同時に、ベルトへとキビダンゴを喰わせる。
ベルトが叫ぶ。
『ゴックン!』
『バックン!』
『『十二支盤、スタートォ! ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ……』』
『辰巳ィ! ──世界蛇』
『申! 酉! 犬!』
『傲慢無双』
『天下無双』
『『──史上最強ォ!!』』
梨太郎の体がざらざらと粒子に分解されるように消え、その粒子が梅雪に吸収される。
すると、体の左を青、右を緑の機工甲冑に包んだ梅雪──史上最強形態が顕現した。
右手にはごてごてと装飾の多い剣を、左手に凍蛇を備え、梅雪が黒い兵どもに突撃する。
あとはもう、誰も手出し出来ないほどの蹂躙だった。
二刀を振るいながら、梅雪は違和感を覚える。
(……プールで戦った時の、ルウの影よりはるかに弱い。俺が強くなったから──というのもあるかもしれんが、なんだこの奇妙な歯ごたえのなさは?)
異世界勇者の神威の影響を受けた四天王。
それが出す『黒い兵』は、四天王が直々に倒した者たちだ。
そういう意味で、暗殺者が倒したことのある者どもが雑魚揃いなのだろうか?
(あり得ない話でもない、か? だが……ゲームにおいて、異世界勇者四天王の兵どものスペック差はなかった。もちろん主人のステータスに影響はされるが……取り立てて差異みたいなものはない、はず。相性差、ステータス差の影響があるという程度……)
暗殺者は確かにそういう意味では、異世界勇者四天王の中ではもっともステータスが低かった。
だがしかし、それを差し引いても弱すぎる。
(そもそも、暗殺者はどうやって死国の封印を抜けてここに来た? 稀人入管センターは、まあ、死国と九十九州との間にある海を渡れば無視出来なくはないとはいえ……そのような移動手段はアリなのか?)
異世界勇者四天王──
そのキャラクターについて、さして描写されていない。
これは主人公が魔王ルートにさほど行かない理由でもあるのだが……
異世界勇者四天王は、主人公が条件を満たして死国へ出向くと、唐突に出て来るポッと出のキャラであり、過去エピソードもさして語られないまま、『実はあなたは異世界勇者で、我々とともにこの世界を侵略しに来たんですよ。なので、クサナギ大陸を裏切って本来の使命を果たしましょう』と勧誘されるわけだが……
大抵の人は、そこまで進める過程でクサナギ大陸側のキャラに愛着を持っているので、初見で寝返るプレイヤーはほとんどいない様子だった。
そしていざ裏切っても『これまで合意えっちしかなかったキャラを凌辱出来るぜヒャッハー!』というのがプレイヤーの興味の中心になっているせいか、異世界勇者四天王は『ただの兵隊』以上の扱いをされない。固有のセリフも、あまりないのだ。
なので異世界勇者四天王の『個性』についての情報は、実はほとんどない。
(暗殺者、何を考えている?)
最後の一兵を斬り捨てて、梅雪はやはり、違和感を覚える。
紛れもなく『無双』と呼べる戦いぶりであり戦果だった。一人で千ほども黒い兵を斬っただろうか。
だが驚くほど達成感がないのだ。無双をするにも相手の質はある程度必要であり、梨太郎を降ろした梅雪にとって──否、通常時の梅雪にとってさえ、今の黒い兵はあまりにも弱すぎた。
(情報が必要、か)
考えて答えが出ることではない。
少しでも龍ゾン寺周りの情報を集める必要がある──つまり、さっさと島津家に行って、とりあえず島津四姉妹から話を聞くべきだと結論付けた。
「すげー! かあっこいいいいいいいい!!!」
唐突に梅雪の背後からそのような声が聞こえる。
振り返ればイエヒサが梅雪に向けて駆けよって、目をキラキラさせながら梅雪の周囲を回っている。
島津イエヒサ──
どうにも興味の方向性が『オトコノコ』であり、こういうのに弱いらしかった。
梅雪は周囲をうろちょろされてうざいので、変身を解く。
「ああ!? なんで!?」
「……いろいろありすぎて疲れた。まずは、休ませてはもらえないだろうか」
「あ、そっか、そうだよな! じゃあ休んだらまた今の見せてくれよ!?」
「約束は出来んが、なるべく期待には応えよう」
いろいろあって疲れていた梅雪は、ため息混じりに答える。
……長かった九十九州一日目も、これでようやく、終えることが出来そうだった。




