第245話 九十九州の価値観
「ウメ、かいでんは出来たのか?」
「うん」
ふた振りの長刀が、すさまじい音を立ててぶつかり合った。
優れた二名の剣士が、互いに剣を打ち付け合う。
その時、刀という『細長い刃物』にしか過ぎないものは、迫撃砲にもなるし、ミサイルにもなる。
まき散らされる衝撃。その余波で立派な幹の木々がバキバキと音を立てて折れ、しっかりと枝についた広い葉っぱが嵐に巻かれた薄紙のように舞い散った。
「そっか。じゃあ、あの銀髪…………男の方? が、ばいせつ?」
「うん」
剣を叩きつけ合ったあと、二者は距離をとる。
ウメが剣を軽く薙いで狙うのは、首ではなく目だ。
目への攻撃は命には届かないが、もしも当たれば次の攻撃を命に届かせることが可能になる。
それが予備動作なく、不意に、軽く振るわれるのだ。刃物におけるジャブのような振り方。だが、眼球ごときであれば、名刀の切れ味を前には、軽く切っ先が引っかかっただけで傷がつき、眼球への傷はそのまま視力を奪う。
しかし、人間にはそもそも、目に迫る攻撃に過敏に反応する本能が備わっている。
島津イエヒサは軽く上体を後ろに反らして、目への斬撃をかわした。
刹那かつ寸毫の見切りであった。切っ先の閃きが目の前で一筋の尾を曳く。ほんの一寸、否、一分でも間合いを読み誤れば、眼球に一文字の傷が走っていたことだろう。
眼球への攻撃というのは、このようにかわされやすい。
……だからこそ、流派──愛神光流において、『目を狙った攻撃』は、次の一撃への布石として扱われることが多い。
軽く眼球の表面に傷をつける程度の振りであれば、勢いもさして乗っていないので、変化させるのは簡単だった。
すぐさまウメの名刀・貪狼の軌道が突きへと変化する。
眼球狙いの攻撃をされた者は、本能的に上体を後ろに反らす。すると体は崩れ、すぐには横への移動が出来なくなる。
また、目を狙った攻撃を避けるために上体を反らすということは、喉が無防備になるということだ。
そこを狙った突き。これもまた刺し入れるような軽さで放てば致命傷となるため、勢いも体重も乗らない、隙のない攻撃である。
だがしかし、島津イエヒサの柔軟性と身軽さは、大抵の人間を凌駕する。
上体を後ろに反らす勢いのままぐにゃりと腰から『∩』の記号を描くように地面に頭をつけ、その頭を起点に後方宙返りで距離をとる。
それがただの曲芸であれば追いすがってどこでもいいから切っ先を引っかければ済む。だがしかし、イエヒサはそのようなアクロバティックな軌道をしながらも周囲をよく見ていた。宙返りのまま後ろにあった無事な枝を掴んで樹上へ登り、そのまま無事な樹を選び樹上を駆ける。
そうして幅の広い葉の影から、がさごそと音を立てて、ウメへ向けて落下──
ウメは腰を落としながら体を回すようにしつつ、落下攻撃を回避する。
そうして、地面に落ちたイエヒサの首を刎ねるべく、回転の勢いを乗せて剣を薙ぎ──
──落下してきたものが、イエヒサの長刀のみであることに気付いた。
イエヒサ本人は、まだ樹上。
顔を上げる。
ウメの真上から、イエヒサが落下してきた。
イエヒサは優れた剣士である。
その落下踏みつけは、人体の頭部を陥没させ、胸まで沈める威力がある。
ウメは回転を殺さずに加速し、独楽のように回りながらイエヒサの踏みつけを避ける。
イエヒサは踏みつけの勢いを膝で吸収し、刀を手にしながら跳ね……
「よかったなーウメ。無事に帰れたんだな」
「うん」
「そういえばさー、お前が帰ってからうちの夕食がまたふかしイモだらけになったんだよなー。お前の料理また食べたいんだ。ウチ来るかー?」
「うん」
「そっか! ねーちゃんたちも会いたがってたぞ! また夜遅くまで起きて話とかしような!」
「……それは怒られるから、やめた方が、いい」
「へへん。ねーちゃんは怒っても、けっきょく許してくれるんだ。あたしに甘いからなー」
『スーパーボールを思い切り叩きつけた』。
そんな様子で地面を、木々を、葉さえも足場にしながら、イエヒサが跳ねまわる。
ただしその跳ねる動作は攻撃だ。縦横無尽、上下左右、不規則な軌道、なおかつ目で追うことが不可能な自由さ・速度による、本人さえ軌道を意図しない完全ランダムな攻撃。
そうして振るわれる刃は優れた剣士のものなのだ。大抵の者は、この軌道の範囲に踏み入れば、わけもわからず絶命するであろう。
では、ウメは?
ウメのしたことは刀をだらんと片手で保持し、目を閉じるということだった。
視界に惑わされない。
そもそもにして、愛神光流の開祖は、視覚でものを捉えない。
ただ己の身に当たった攻撃に逆らわず、その勢いさえ利用して、相手へ致命の斬撃を返す──それこそが愛神光流の真骨頂。
イエヒサの刃がウメの首に当たる。
逆らわず体を回し、首の上で刃を滑らせるようにしながら勢いを拝借。カウンターの一撃を放つ。
だが、イエヒサの速度はカウンターの刃を超えた。ウメが相手の勢いを利用して返した刀は、イエヒサの通り過ぎたあとを薙ぐ。──まだ足りない。速度が足りない。吸収した勢いを、もっと速度に転化しなければいけない。
さもなくば、この相手は殺せない──
「あ、そういえばこないだ、ウチの分家に新しい子が生まれたんだ! これであたしが一番年下じゃなくなったぞ!」
「赤ちゃん?」
「そう、赤ちゃん。見てみるか、すごいぞ、ちっちゃくて!」
「うん。興味がある」
跳ねまわるイエヒサと、それを回転しながら斬ろうとするウメ。
二者の速度はとうに必殺の領域にあった。互いに、何か手を誤れば、次の瞬間に死ぬ──
「兄上様」
「なんだ、はる」
「ウメとイエヒサ様、二人の会話と、動きが、なんていうか、合ってないというか……」
「わかるぞ」
『昔仲良しだった女の子と久々に再会したから思い出話が弾んじゃう★』みたいな会話をしながら全力で殺し合われると、見ている方の脳がバグる。
なんだろう、音声だけ別撮りなのだろうか。あの二人にアテレコした声優は『久々に再会した女の子二人が教室で仲良く会話してるシーンです』と騙されて収録したのだろうか。そういう不整合感がウメとイエヒサの会話にはあった。
島津軍を蹴散らし終えて見れみれば、すごく仲良さそうにきゃっきゃと会話しながら、銀雪vs梨太郎もかくやというレベルの殺し合いをしているものだから、感情の置き所に困る。
だがこれが九十九州である。
『殺し合いはまあ当然するとして、殺し合いしながら何しよっか』みたいな感じで行動をするのが九十九州人。
ウメは剣聖に連れられてその感覚に慣らされてしまった。九十九州は異常者生成の聖地なのかもしれない。
そして九十九州の理解し難いもう一つのところなのだが……
──鐘が鳴り響く。
このどこからともなく鳴り響く鐘は、九十九州に夜の訪れを告げるものだ。
りんごんりんごーん! と鐘が鳴ると、イエヒサとウメの動きがぴたりと止まった。
また、梅雪を取り囲んで様子をうかがっていた島津兵たちも、武器を下ろして油断丸出しの動作でイエヒサの方へ寄っていく。
「姫、良かったですね!」
「ウメさん、お久しぶりです」
「実は我々、また迷っていまして、家まで連れて帰ってくだされば……」
「兄上様」
「なんだ、はる」
「さっきまで殺し合っていたような気がするのですが」
「間違ってないぞ」
戦争が日常動作の一部、現代日本人で言う『学校に行く』ぐらいの行為と認識されている九十九州において、戦争したから戦争した相手と仲が悪くなる、ということはありえないのだ。
『お前、俺と違う学校に通ったから今日から敵な』とか言うやつは頭がおかしいか特別な事情があると思われるだろう。九十九州人にとって戦争したからお前とはもう仲良くしない、というのは、そういう扱いを受ける考え方なのである。
(……実体験すると、あまりのおかしさに頭がふらつくな)
第一、梅雪はまだ大友国崩の国崩カリバーを神喰した事後の疲労感から快復出来ていないのだ。
その状態で一応戦えるまでになったのは成長だが、実際に戦ってみたところ、雑魚さえ殺し切れないほど弱弱しい戦いしか出来ない状態で、ほとんど、はるを始めとして連れて来た郎党に守られながら道術を放つ装置と化していた。
冷静に考えれば大友領で休むべきだったのは、やはり間違いない。
(この精神の未熟さは、俺にとって克服すべき弱点だな)
九十九州での課題も定まる。
梅雪がそのようなことを考えていると、ウメとイエヒサが近寄って来る。
梅雪は椅子にしていた島津兵から立ち上がり、
「……島津イエヒサか。俺は──」
「ばいせつ!」
「──そうだ」
「ウメの『ご主人様』だろ! ウチに泊まってけよ!」
「……そうか。助かる」
梅雪の対応に元気がないのは、立て続けに濃いめの情報を流し込まれたせいでもあるが、精神の未熟さを見つめ直す作業で疲れているというのもあった。
ともあれ、今日の宿は確保出来たらしい。
(九十九州、初日から濃かったな……)
ふう、と息をつく。
ともあれ今日は後は、休むだけだ──
──その精神の間隙を突くように。
イエヒサが、長刀を振り上げた。
そして、梅雪に向けて振り下ろす。
梅雪は動かない。
対応の必要性を覚えなかったからだ。
イエヒサの剣は、梅雪の真横を通り、その背後に迫っていた者を斬り捨てた。
梅雪は振り返る。
すると……
宵の口の、まだほの明るい時間。
木々が倒れたことで視界がよくなったジャングルの中に──
黒い、顔のない兵がいた。
「あいつらなー。困るんだよなー。夜でもお構いなしだから。龍ゾン寺んとこの兵っぽいんだけどなー。ルールぐらい守って殺し合って欲しいよなー」
イエヒサが肩に剣を担ぎながら、ため息をつく。
その目の前で、次々と、黒い神威から、黒い兵どもが湧いて来る。
……梅雪は当然、この現象を知っている。
異世界勇者の神威。
桜の持つ神威の特性、『異界の兵どもが湧きだす』ということが、今、ここで、起こっていた。




