side 氷邑の花嫁 一
本編再開前最後のsideです。
こちらは氷邑家の過去編になります。
全3話。
「氷邑家と、熚永家、両家のますますの繁栄を願い、乾杯!」
壮麗な結婚式であった。
帝さえ出席するほどの、盛大な結婚式であった。
新郎となるのは銀髪碧眼の氷邑家の者。
いまだ十代ではあるが、その有能さ、そして精強さから将来を嘱望され、家臣団・親族、さらに帝からさえ覚えめでたき者である。
新婦となるのは燃えるような赤毛の少女。
こちらもまだ十代。しかも、成人したばかりという年齢の少女であった。
気が強そうな瞳の色も燃えるようで、顔つきには己が名家の出身であること、そして、本人はそのような出身以上に有能であることが、自信にあふれた顔立ちからはうかがえた。
クサナギ大陸の支配者たる帝。
その忠実なる家臣たる三つの家のうち、二つを結ぶ良縁。
間違いなく祝福された結婚であった。
この上もない、婚姻であった。
「いやあ! 本当にめでたい!」
披露宴にて乾杯の音頭がとられ、参列者たちは上等な祝い酒に舌鼓を打ち、氷邑湾からとれた魚介のうまさに頬を押さえる。
美味い酒、美味い魚、若き将来を嘱望された当主候補と、名門の本家に近い血筋の少女との婚姻──
これから先の未来には明るいことしか待っていないだろうと、誰もが信じ切っているような慶事であった。
「幼きころより剣士として優秀であった婿だ。きっと、その子も優秀な剣士となるであろう」
「できれば第一子、それも男の子を生んでくれればよいのだが」
「きっとそうなることでしょう。何せ──熚永トモリ嬢と、氷邑銀雪殿の婚姻なのだから! 生まれてくる子はさぞや強壮な剣士の男の子に違いない!」
……いつの時代、どこの場所でも、名門というのは『血をつなぐ』ことを期待される。
特に氷邑家は帝に仕える御三家のうち一つ。現当主氷邑桜雪の強さは大陸中に響き渡るほどであり、その息子たる銀雪も幼いころより優れた才能と理知的であることを認められてきた。
『だから剣士の男の子が生まれるだろう』。
……と、ならないのは現代日本でもクサナギ大陸でも同じ。『親が強いから男が生まれるだろう』というのは根拠のない迷信のようなものである。だが、口々に男の子の出生を願う人々にとって、『二人の子は強い剣士の男の子になるだろう』というのは、最大限の祝辞でもあるのだ。
いまだ十六歳と十四歳の新米夫婦である。そのように大声で騒がれても困ってしまう初々しさが二人にはあった。
……これは。
氷邑梅雪の父、氷邑銀雪と──
氷邑はるの母、熚永トモリ。
それから、梅雪の母である椿との、物語。
◆
氷邑銀雪。
熚永トモリ。
そして、椿。
この三名は幼いころからの知り合いではあるが、その出会いは偶然であった。
まず、氷邑銀雪と熚永トモリは、最初から『ゆくゆくは、婚姻を結ばせよう』ということで幼いころから親しんでいた者同士である。
銀雪は力のコントロールが苦手であらゆるものを壊してしまうことに幼いころから悩まされてはいたけれど、熚永トモリも名門・熚永家の才覚を受け継ぐ剣士である。本家ならぬ傍流ではあれど、熚永家が才能を認めた者のみに行う、弓の秘伝を受けた者でもあった。
そういった事情からトモリを相手には『触っただけでケガをさせる』というほどでもなかったため、幼い銀雪もトモリと遊ぶのは嫌がらなかった。
トモリが三歳のころには知り合い、そこからはずっと二人で遊ぶようになり……
銀雪が十歳になるころにはもう、親の監視もなく、『二人で遊んでおいで』というようなことが許されるまでになっていた。
……クサナギ大陸特有の放任教育と言えるかもしれないが、名門の子息・息女とはいえ、常に誰かの監視下にあるというわけでもない。
無論『どのあたりで遊んでいるか』を家の者が把握している必要はあるが、そういう『目』のないところで好きにさせ、あるいはわざと危機に陥るような場所に放ち、ある程度の『痛い目』や『苦い経験』を積ませるのをよしとするという教育方法が存在した。
その結果大事故につながることも歴史の中で何度もあったのだが、そもそもが『強い剣士』向けの育成方法であり、こうしてわざと監視を外した状態で死ぬような目に遭うなら、『そもそも適格でなかった』と悲しまれつつもあきらめるという風潮があったのだ。
そういった事情で、十歳の銀雪と八歳のトモリは、氷邑家領都屋敷の裏山で二人きりで遊ぶことを繰り返していた。
「狩りをしますわ!」
八歳のトモリは気が強く活動的で、おしゃまな女の子であった。
ふわふわした赤い髪をなびかせて素早く走る様子など、健康的でかわいらしいと評判だ。
多少危機感が鈍いというか、『少し考えたら危ないとわかるだろう』ということをあえてやってしまう冒険心もあったが、剣士特有の生来の頑健さによって大したケガもなく過ごしていた。
一方で氷邑銀雪は十歳当時、こんな少年だった。
「おい山猿」
二歳歳下の少女、しかも名門出身の御嬢様に向けるにはあんまりにもあんまりな表現であった。
だが、その顔には『仕方ないな』と『かわいいな』が同居した笑みがある。
氷邑銀雪は大人たちから見ると『将来有望な理知的で強力な剣士』であるが……
同世代から見ると『性格の悪いイヤなヤツ』というふうになる。
しかし、付き合いの深い同世代から見ると、また別の評価になる。
『付き合いの深い』トモリは、山猿呼ばわりしてきた『お兄様』を振り返り、ぷくーっと頬をふくらませる。
「もう! れでぃに対してそういう表現はよろしくありませんのよ!」
「だったら『レディ』扱いされるような振る舞いをしろ。お前が山に帰化して本当に猿にならないように監視する僕の苦労も少しは偲べよ」
「大丈夫ですわ! だってお兄様は、わたくしがどこかで迷っても必ず助けてくださいますもの!」
「……お前さ、前に僕が一晩中お前を探し回ったことを『成功体験』だと思ってないか? あれは反省してその後の態度を改めるべき体験だからな?」
「お兄様は優しいので大丈夫ですわ!」
「だからさぁ……ああ、お前は本当に、いつになったら言葉がわかるようになるんだ? 道理をわきまえて反省ができないうちは、お前はずっと山猿のままだぞ」
「うきー!」
山猿と呼ばれた少女が、嬉しそうに木々を蹴って山中へと踏み入っていく。
銀雪は疲れきった顔でため息をつきながら、その気配をゆっくりと追いかけた。
氷邑銀雪──
口は悪いが苦労をしょい込みがち。
そして歳下から奇妙に頼られるけれど、頼られることをまったく誇らず……
どこか露悪的に振る舞う、少年であった。
◆
剣士というのは神威を身体や武装に流す方法を生まれつき知っている者だ。
ようするにある種の『センス』を持って生まれる者たちであり、それゆえに、『世界に働きかけ有効な物理法則を起こす知識を必要とする道士』や『道具に神威を流す方法を経験によってつかまなければならない騎兵』などよりも、幼いころから強い。
それゆえに増長しやすく、市井で偶然(多くの場合は何代か前に強力な剣士がおり、その血が目覚めるゆえのこと)剣士の才能に目覚めた少年少女は、周囲より強いために増長しやすく、大名家などで折られ続けた剣士よりも小さくまとまる傾向があった。
剣士は最初から強い。
だが、それでも──それこそ大名家が『失敗』を積ませようと、監視を外して我が子らを放任する時間を設ける理由でもあるのだが、『生まれつき強い』だけに『さらに強くなる』ためには、本人の心構えが重要であり、どこかで、偶然でも演出でもいいから、『強くなるモチベーション』を抱かせる必要があった。
……その日。
いつものように氷邑銀雪と熚永トモリが、その状況であるにもかかわらず裏山に『遊びに行っておいで』と放たれたのは、当時の氷邑家当主、自他に厳しい武人として有名であった、氷邑桜雪の差配であったのかもしれない。
風の強い日だった。
時期はいまだ夏のはずだが、身に吹き付ける風は冷たく、木々のざわめきもどこか奇妙な音曲を奏でているように思えた。
「おい、山猿。今日は深くまで行かない方がいいぞ」
十歳の銀雪はうっすらと危険性のようなものを感じ取っており、山猿こと熚永トモリの入山をいさめるようなことを言う。
とはいえそれは、根拠がある話ではなかった。
だから、
「大丈夫ですわ! 氷邑のお山はシナツ様に守られているのでしょう? この風だってきっと、シナツ様の思し召しですわよ!」
どうにも氷邑家の裏山でぴょんぴょん跳ぶのがお気に入りであるらしい八歳の熚永トモリは、どうしても裏山でぴょんぴょんするのをやめたくない様子であった。
こうなると銀雪は参ってしまう。この歳下の幼馴染をかわいく思っていないわけではない。家では厳しくしつけられているようだし、たまの息抜きぐらいはさせてやりたいと思ってしまうのだ。
それに、トモリもそうだが、自分もまた剣士である。
ただの力比べで大人に勝ったことだってある。……トモリと遊ぶ時間は、銀雪にとっても、『自分が身じろぎするだけで、何かを壊してしまうかも』ということをあまり心配しなくていい、気安い、息抜きの、楽しい時間でもあったのだ。
「わかった。でも、僕の命令は聞けよ」
「まあ、お兄様は猿回しに?」
「……お前ね、普通の御令嬢が『山猿』とか呼ばれたら、『山猿と呼ばれない振る舞いを身に着けよう』って奮起するもんだぞ。それをさあ」
「わたくしをそのように呼ぶのはお兄様だけなので平気ですわ!」
ぴょんぴょんと跳ねていってしまう。
銀雪はため息をつき、追いかける。
それは、あまりにもいつも通りの『二人の時間の始まり』で……
その日が『いつも通り』ではなくなるなんて、二人とも、想像さえしていなかった。
◆
思えば、その日の風はどこか……
磯臭かった。
銀雪は『山』という場所で決して見るはずのないものを目撃する。
それは、貝であった。
ゴツゴツとした岩のような質感の貝。似たものを探すならば牡蠣であろうか。
ただし、その牡蠣は間違いなく『異なるモノ』。
……山の木々にびっしりと取り付く、どくんどくんと心臓のように脈打つ青黒い牡蠣の群れなど、尋常な海の幸であるはずがない。
それは──
うかつに『その場所』に踏み込んだ熚永トモリの全身にも、取り付いていた。
銀雪が嫌な予感を覚えて足を早めた時にはすでに遅かったのだ。
『その場所』──異海の牡蠣どもが縄張りとしていた場所に入ったもの、すべて養分とされる。
赤毛の幼い少女が、その肌も見えぬほどびっしりと牡蠣に寄生され、恐らく……
養分を吸われている。
「トモリッ!」
自分の声の大きさに自分で驚くほどであった。
銀雪は人生で初めて『必死』になり、護身用に差していた刀を抜き、突撃する。
勝算がどう、賢い立ち回りがどう、などというのは頭から消え失せていた。
ただ、わずかに、トモリの特徴的な赤い瞳が牡蠣の塊の中から覗くのを見た瞬間、いてもたってもいられずに飛び出していた。
『その場所』に踏み込んだ銀雪を、牡蠣どもが襲う。
木々から射出される青黒い牡蠣どもは、弾丸のような速度で四方八方から銀雪にとりつこうとする。
銀雪は無我夢中で刀を振るう。あとにも先にもないほど、後先考えぬ全力での行動であった。
山が震動し、剣圧で木々が裂けていく。
……牡蠣どもが撃ち落され、気持ち悪い青い汁を噴き出し、ぐずぐずに溶けて消えていく。
この時点の銀雪はまだ知らないが、これこそが『異海』なるモノから発せられる飛沫の一つ。
数年ののち、氷邑湾より発して、父・桜雪の死の遠因となる『海異襲来』。その前兆であった。
わけもわからず暴れまわる。
牡蠣どもを薙ぎ払う。
その銀雪の攻撃にトモリが巻き込まれなかったのは、無意識のうちに銀雪がトモリを攻撃の軌道から避けた──というよりも、ただの偶然であった。
守ろうという意思はもちろんあったが、唐突にして初手で『大事な人が危機に陥っている』という状態から始まった銀雪初めての実戦において、周囲を気遣いながら戦えるほどの余裕は、十歳の銀雪にはなかった。
彼には才能があった。
通常の剣士であれば──否、上澄みの才覚を持つ剣士であっても、取り込まれ、養分にされてしまう、四方八方から襲い掛かる異海の牡蠣の弾幕。
それを無事にしのぎ切ったのである。
銀雪が無我夢中で剣を振っていて、気付けば、周囲の木々にびっしりとこびりついていた牡蠣どもは残らず消え失せ、地面では最後の一つがぐずぐずと醜い汚物めいた液体になって消えていくところであった。
……だが、まだ、牡蠣のすべてが視界から消え失せたわけではない。
トモリにこびりついた牡蠣は未だ脈動しており、明らかにトモリの命を吸い続けている……
「トモリ!」
銀雪は叫び、刀を構え……
それ以上どうしていいか、わからなかった。
無理やりにひっぺがしてそれで無事に済むもののようには思われない。
そもそも、自分の力で『無理やりにひっぺがす』など。……剣士の中でも上澄みであろう才覚を持つトモリでさえも、うっかり間違えて壊してしまうかもしれない。
氷邑銀雪は生まれつき才覚を持つ強力な剣士である。
だが、脆い、守りたいものを救いたい今この時……
何も、できない。
うっかり触れば壊してしまうようなものになど、怖くて触れられない。
「誰か……」
それは、銀雪にとって初めての行動だった。
「誰か、トモリを助けてくれ、誰か……誰か!」
すぐそこで苦しんでいる妹分を、救うことはおろか、触れることさえできない。
「誰か! 誰か!」
少年は叫ぶ。
その声に応えたのは……
「今参ります!」
少女、だった。
木々の隙間から飛び出してきた少女が、銀雪の横を通り過ぎる。
死に装束のような真っ白い着物を着た、白髪の少女だ。
あまりにも華奢だった。神威は感じるが、肉体の弱さはもどかしいほどの足の遅さからわかる。
間違いなく剣士ではない。
戦えば確実に銀雪が勝つ。というか、勝負にさえならない──同年代の少女。
だが、
「お願いします!」
銀雪にとって、自分の呼び声に応じて迷いなく飛び出し、びっしりと気持ちの悪い青黒い牡蠣に覆われたトモリへと近づくその少女は、祈りを捧げたくなるほど強く見えた。
……これが、氷邑銀雪と、熚永トモリ……
そして、苗字を持たぬ、病気療養中の少女、椿との出会いであった。




