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side 草津温泉ぽんぽこ紀行 三

「なんかユルそうなイベントだから、私が行ってくる」

「クリアするとなんかお土産もらえるやつですよね? 行きます!」


 ぽんぽこパークでのイベントのことをサトコあたりから聞かされていたのだろう(サトコ、子供への面倒見がいいのでアシュリーなどに懐かれている)アシュリーと、夕山(ゆうやま)がイベント解決へ乗り出すようだった。


 世間的な立場のことを言えば夕山が行くなら梅雪(ばいせつ)も責任をもって護衛としても、夫としてもつき従わなければいけないのだけれど、狸時空で思考を手放している梅雪は「ああ、そうか。行ってこい」と見送った。

 当然のように夕山にはムラクモもついていくので……


 妹のはると梅雪が、二人きりで残されることになった。


「…………」

「…………」


 腹違いの兄と妹、降って湧いた水入らずである。


 梅雪とはるは仲のいい兄妹である。


 会話に困ることはないし、ここまでの道中、騎兵車内でも、そうベラベラ多くの言葉を交わす方ではなかったものの(主に夕山がしゃべっていた)、どう話を切り出していいかわからない沈黙が二人の間に降りることはなかったわけである。


 それが今、若干の気まずさがあった。


「……とりあえず、宿で待つか」

「はい」


 梅雪が切り出し、はるが応じる。


 そもそも、はるは丁寧なしゃべり方をする方だ。

 だというのに梅雪、今の言葉遣いには少しばかりの距離を感じる。


(……二年間、か)


 梅雪は東ルートで荒夜連(こうやれん)を救いに向かった帰り道、ほぼ一年半をかけて北陸ルートから帰った。

 予定通りの旅程ではなかった。寄ろうと思っていた箇所すべてに寄れたわけでもない。主に軍神領で足止めを食らったのだ。

 まあ、そのお陰でサカイのサイカという傭兵集団と顔つなぎができたりもしたので、まったく無駄な旅路というわけでもないが。


 そして、武者修行の旅を始めてから二年間、はるとは言葉を交わしていなかった。


 実は梅雪、つい先日帰ってきたばかりなのである。

 だから、二人の間には、二年分の距離がある。


「こちらです」


 正信(まさのぶ)に連れられて、宿へ向かう。

 その道中……


 なんとなく、そわそわした気配が、二人の間にはあった。



 温泉郷の宿。


 群狸(ぐんり)県の民家は竪穴式住居だが、宿は街の景色が一望できる高床式住居であった。

 VIP待遇の梅雪は街でも最高に床が高い高床式住居を用意されており、夕山が『同じ部屋で寝泊まりは(理性と情緒が)耐えきれない』と言うので、この部屋で眠るのは梅雪、アシュリー、そしてはるの三名となっている。


 温泉宿の部屋と窓の間にある謎の空間(ローテーブルや安楽椅子などがある細長いアレ)で椅子に腰掛け、温泉郷の様子を見る。


 歴史の教科書で見たことがあるような縄文時代の街並みが広がり、その中を腰蓑ファッションでボディペイントをした人々と、浴衣を着た観光客とが行き交っている。

 なお高床式倉庫は農耕を始めた弥生時代以降のものなので、縄文時代フェチが見たら『時代考証ォォォォォ!!!』とぶちギレそうな街並みである。

 しかし広く利用されるようになったのが弥生時代というだけで、縄文時代からも高床式建造物が存在したという説はある。歴史。


 はるの淹れたお茶を飲みつつ、用意されていたまんじゅうなど食べる。

 温泉宿にまんじゅうとお茶が常備されているのは、風呂の入りすぎによる脱水と低血糖を防ぐためである。風呂に入る前に食べておくと入浴がはかどります。


 狸関連では物事を深く考えない──そう決めた梅雪は思考を手放しており、これまでの人生にないほど穏やかな顔をしていた。

 街並みを見下ろす目はまるで愛しい民草を見る領主のようである。なお、氷邑(ひむら)領の者にこんな優しい眼差しを向けたことは一度もない。


「兄上様」


 アシュリーと同い年(誕生日で言えばはるの方が年上)のはるもまた、十歳になっていた。

 口調には子供の無遠慮さがなくなり、所作もどこか大人びている。

 とはいえまだまだ幼い。見た目は、子供だ。しかし……


(武家の娘になっていく、か)


 今のはるには、確かに、未来のはるの片鱗があった。


 ……梅雪にとって、『未来のはる』は、ゲーム剣桜鬼譚(けんおうきたん)に登場したはるだ。

 主人公に寝取られる──とはいえ、はるのエピソードの中の『氷邑梅雪』は、『気が狂った挙句はるを襲おうとして逃げられた』という状態だったので、寝ていないから、寝取りではない。どちらかと言えば『僕が先に好きだったのに』の方が近い関係性であろう。


 梅雪は街並みに顔を向けたまま、横目ではるを見る。


 銀髪碧眼の少女だ。

『中の人』の評価では『北欧系』というカテゴリに入るが、梅雪の感覚ではぴんとこない。クサナギ大陸の人は、目も髪も色とりどりなのだ。


 さすがにまだ十歳なので幼いが、これが将来、キリッとした感じのクール系女剣士になる。


 ……剣士に、なるのだ。


 はるは、才能を持っている。

 かつて梅雪が、発狂するほどに望み、手に入れたいと切望し続け、手に入らない現実を受け入れられず、何もかもに苛立っていた。それほど欲した才能を、はるは持っている。


 梅雪は、かつての気持ちを思い出そうとしてみる。

 そして、はるが強く美しく成長し、自分より剣士として優れた才覚を発揮し、家中から次期当主に推されるところまで、妄想してみる。


 だが……


(……心になんの、波風も立たぬな)


『それがなんだ』という感じだ。

 かつての自分であればきっと、想像しただけでハラワタ煮えくりかえり、その妄想に基づいた怒りを、今、ここで、はるにぶつけただろう。


 だが、もはや怒りもわかない。

 ……当たり前のはずなのだ。自分が頭の中で展開した妄想で勝手に怒り、あまつさえ、その怒りを他者にぶつけるなどというのは、頭がおかしい者のすることである。

 だが、過去の梅雪は、そういうことをした。

 今は……


「はる」

「……はい」

「剣の稽古をしているそうだな」

「………………はい」


 そこでようやく、梅雪は、はるから感じていた『距離』の理由がわかった気がした。


 はるは、知っているのだ。

 あの陽だまり──二人がなんの気兼ねもなく出会い、ただの幼い兄妹のように睦み合うだけの、屋敷と離れの間にある陽だまり。

 そこ以外の場所にいる梅雪のことも、知っていたのだ。


 知っていた上で、梅雪が『陽だまり』以外では酷い人格だと知った上で、その理由まで想像がついていた。


 だから、剣士の才能がある自分が、兄と同じく氷邑一刀流を学んでいることが、気まずいのだろう。


 梅雪は、笑った。


「父上の教えは厳しいだろう」

「……はい」

「とはいえ、氷邑一刀流は教わっていることさえ秘密であるし、そもそも、剣術稽古が厳しいなどと、口が裂けても言えぬことではある。だから」

「……」

「二人きりの時は、愚痴でもこぼそう」

「…………あにさま」

「心配しなくともいい。お前が不安がるような兄は……死んだのだ。もはや俺は、剣士の才能を欲しいとは思っていないし、才能ある者をひがむこともない。……まァ、それでもなお、『剣士の才能がないので後継者とは認められない』とほざく家中の者は、わからせるつもりだが──」

「……」

「──それは、剣士の才能以外でも簡単にできるのでな。与えられなかったことを嘆くより、持っているもので生きていくことを、俺は覚えた。だから、不安がるな。お前は、俺の妹だ。……これから先も、ずっと」


 梅雪は、己がはるを襲おうとした理由を、想像してみる。

 すると思いつくのは、笑ってしまうぐらい浅い理由だった。


 ようするに、上下関係を刻み込みたかったのだ。

 優れた剣士である妹。後継者になってくれればいいのに、と家中でささやかれる妹。これに剣士の才能では敵わない。道術を用いて暴力で勝っても……恐らく、その時の梅雪は、『勝った気』にはなれなかった。さりとて、妹を殺すほど思いきれなかった。

 その結果が『犯す』だったのだろう。……浅く、滑稽で、醜悪で、なんと情けないことか、と今なら思える。


 憎悪は消えることはないのだろう。

 悪意あるささやきを妄想する癖は、抜けない気がする。


 だが、選択肢と、仲間と、居場所を、自分の力で獲得した自信がある。


 だから、狂わない。

 狂わないまま、侮りを、嘲りを、きちんとやり返す力と思考能力を身に着けた。


「それにしても」


 梅雪は、笑って、


「ずいぶん簡単に吐いたなぁ、はる。俺は別に、父上から、お前が氷邑一刀流を習っているなどとは、聞いていないぞ?」

「え!?」

「鎌をかけただけだ。……いかんなァ、そんなことでは。これは父上に言いつけてやるべきか」

「ええ!? ずるい! あにさま、ずるいです!」

「ははははは。……まぁ、俺も、父上から『はるには、氷邑一刀流を習っていることを教えていい』とは言われていないのでな。……二人の秘密、としておこうか」

「……はい」


 言いたいことは、たくさんあったはずだった。

 だが、二人の間には再び沈黙が降りた。……もっとも、その沈黙は、先ほどのものより、随分と居心地がよいものであったけれど。


 はるが、思いついたように言う。


「あにさま、下のお風呂に行きましょう!」


 この高床式高層建築、超VIP用のためか、五階層ある。

 そのうち真下にあたる階層には、狸どもがせっせと草津の湯を運び入れることによって成立する家族風呂があるのだ。

 一言連絡を入れれば、狸が狸に乗ることにより完成する狸梯子が形成され、狸バケツリレーによって草津の湯が湯船に満タンになることだろう。

 この部屋の真下なので『湯気で床が大変なことになりそう』などと懸念はあるものの、たぬきふしぎパワーでそういう細かいところはいい感じに処理される。


「夕山様を待たずに風呂に入るとは、いけない子だ」

「夕山様なら気にしませんから!」


 あの限界推し活女、梅雪の家族と着々といい関係を築いているようだった。

 すでに結婚しているので今さらな話だが、『外堀を埋められている……』と感じてしまう。


 かくして梅雪は、はるとともに、一足早く草津の湯を楽しむこととした。


 その後、まる一日がかりで源泉を支配する天狗だの(ドワーフ)だのドラゴンだの他獣人だのをどうにかして、たっぷりお礼をもらい疲れ果てた顔で夕山たちが帰ってくることになる。

 なお、今度は妖魔狸の呪い的なアレが原因ではなく、普通に温泉利権を巡る話だったのであんまりファンシーではなかったようだが、解決したのでめでたしめでたし。

草津温泉ぽんぽこ紀行終了。

次回はまた別なside、その後本編再開です。

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― 新着の感想 ―
夕山いざその時お互い服脱ぐだけで失神するの三十路くらいまで続けそうだが大丈夫か? はるは可愛い(かわいい)
非常に珍しい穏やかな光景だ……すこしなく。 あの謎の空間は、戦後に旅館業は椅子を置いて座れるようにしなくてはいけない(海外からの旅行者への配慮)とか法律だかなんだかが出て、作られるようになったらしい…
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