第237話 そして新たな日が昇る
「……『都の巽、シカぞ住む』か」
面白いね、と父・銀雪は笑っていた。
氷邑梅雪はうまく笑えなかった。
シカノの処遇。
アシュリーの義妹とした。
アシュリーは氷邑忍軍頭領であり、分家筋とは言えないけれど、梅雪の側室である。
なので『縁者』には違いない。……わかっている。くだらない抵抗、ささやかすぎる意趣返しだ。だが政治的にこうするしかない。あと、これ以上ガキに増えられても身がもたないので、一か所にまとめてしまえ、という思惑が梅雪にはあった。
そのガキ三人が今、氷邑家の庭園で楽しそうにおしゃべりをしている。
ガキその一はアシュリーである。
「滅ぼせ!」
ガキその二は世界呑凍蛇──ようするに、神器のアメノハバキリである。
「蹴散らせ!」
ガキその三が、シカノだった。
「我に七難八苦を与えたまえ!」
その様子を縁側で見ていた銀雪が、横に座る梅雪に問いかける。
「あれはなんの話をしているところなのかな?」
梅雪は苦々しい顔で答えた。
「…………毛利家を滅ぼす話です」
アシュリーとハバキリはなんだか最初から意気投合していた。
だが、そこに加わったシカノは、最初、どこか怯えていて、何をするにもいちいち『あ』とか『え』とか声が漏れる様子であったが……
アシュリーが『妹? 妹!!!』とはしゃいで連れ回したため、三日ぐらいで元気を取り戻した。
立ち直りが早すぎる。
一生もののトラウマを桜によって刻まれた様子だった頃が、早くも懐かしい。
「やるのかい?」
銀雪が問いかけて来る。
梅雪は頭を抱えた。
「……とりあえず、先にニニギの迷宮を攻略し、目障りな不死者どもを撃滅してからです」
「そうか。……ニニギ神のことは聞いたが──」
ニニギの与える『迷宮攻略特典』──『神の加護』が、『肉体の乗っ取り』であるかもしれないと言う話だ。
「──お前が大丈夫と言うなら大丈夫とは思う。しかし……こういう時、信じているつもりでも不安な気持ちになってしまうのは、いったいどういうことなのかな。これが、親の気持ち、というものか」
「……さて。私にはなんとも」
「そうだったね。……まぁ、お前もきっと、近く、理解することだろう」
名門の当主なのだからまあ、理解するようなことにならなければ困るのはわかる。
だが、今はそんなことよりも楽しいことがたくさんある。戦い、強くなる。梨太郎に勝って得た史上最強の称号を守る。父とともに迷宮に挑む──氷邑梅雪はこうしてみるとまだまだ子供で、なおかつ、男の子なのだった。自分でも驚くぐらい、自分の子供の部分を最近意識させられる。
……あるいは、意識させられるから──『自分は、まだまだ子供っぽいなあ』という実感を得ているからこそ、大人になってきている、ということなのかもしれないが。
「……それよりも、父上、九十九州で『さるご令嬢』の協力を得たとおっしゃられておりましたが」
「うん。……あれはなかなか、強烈なご令嬢だ。なんというのかな……気を付けなさい」
「具体的に何が……?」
「まず、九十九州に踏み入ると同時に襲撃をされた。それから、求婚された」
「大友国崩ですか……」
ウメがシンコウに連れられて武者修行をしていたころ、『世話になった』九十九州有数の雄だ。
身長190cmの異世界追放された真の聖女たる悪役令嬢であり、九十九州に入る者にとりあえず必殺の国崩カリバーを放って様子を見て、生き残れた者を高笑いとともにヘッドハンティングするというめちゃくちゃな女である。
なお年齢は梅雪よりちょっと上らしい。ゲームではもっと上だと思っていた。いろいろとデカすぎるので……
ちなみに国崩カリバーの説明文はこうである。『国崩カリバーは大友国崩お嬢様の必殺技である。忠実なる大友聖騎士団の心が一つになったなと大友国崩が感じることで、なんかいい感じにテンションぶちあがったお嬢様が個人の技量で放ってしまう超級道術だ』。つまり大友聖騎士団、なんの関係もない。
(……モトナリに続いて、次は大友国崩に遭うかもしれないのか……)
南の人間は総じて濃い。
ここに島津四姉妹と龍ゾン寺まで絡んでくるし、桜島大根が歩いているのだ。ちょっと行く前に胸焼けする。
銀雪は穏やかに笑い、
「稀人入管センターを警備する『異界絶対殺すロボ』のお陰であれらの者たちが本州に来ることはないが……」
「南のネーミングが濃すぎる……」
「……まあ、気を付けなさい。ニニギ迷宮の在処を発見したが、あれは、必要な時代にしか現れないものらしい」
「……」
「そして、現れたということは、私以外が発見する可能性もある。仮に、九十九州の──『異界』の性質を持つ者たちがニニギの力を得て、その力を以て九十九州から本州に渡れるようになったとしたら、今想定出来るよりよほど凄まじい戦乱が幕を開ける。何せ九十九州人は、『戦い』が日常だからね。戦わないと落ち着かないので、意味もなく戦争をするんだ、彼女らは」
「暑さに頭をやられているのでしょうか」
「その可能性は否定出来ない」
「であれば、急いだ方がいいでしょうね」
「連れて行く人員は決まったのかな?」
「ええ。……私と、父上と、他に四名。すでに決めております」
迷宮は最大六人で挑むものだ。
……まぁ『ゲームでは』という話である。実際、備中高松迷宮は、七星家の六名と、梅雪、ウメ、アシュリー、イバラキ、トラクマという、合計十一名で挑んだ。
だがあそこは廃迷宮。一部の機能を残していたとはいえ、やはり本来の迷宮とは仕様が違うであろうし……
実際問題、九十九州は遠いので、軍をずらりと連れて行くわけにもいかない。兵站もタダではないのだ。
あと九十九州に軍隊なんか連れて行ったら、砂糖菓子に蟻がたかるがごとく、九十九州人にたかられる。連中は興味で戦争を仕掛けて来るのだ。遠征で疲れた軍が慣れない土地でたかられたら、それこそ食い尽くされるのみだろう。
なので少数精鋭が望ましい。とはいえ……
「私も父上もいない時に、氷邑家をどう運営するかという問題はありましたが──」
梅雪はその時、近寄って来る者に気付いた。
その者は、離れより現れて、庭園で遊ぶ三人のガキに近寄り、何かを言い含める。
『毛利を倒せ!』と盛り上がっていた三人のガキが一瞬で静かにさせられた。
ガキを静かにさせた少女は、梅雪と銀雪のいる縁側にあくまでも楚々とした動作で近付いてきて、玉砂利の敷かれた地面に膝をつく。
「当主様、先代様。──氷邑はる、参上いたしました」
はる。
梅雪の妹だ。
ふわりと振袖を舞わせながら見事な礼をした少女は、しばし見とれるほど美しかった。
肩口で切りそろえた銀髪。長いまつ毛の下の碧眼。服装は丈の短い着物姿で、青と銀を基調としながら、黒い差し色がなんとも落ち着いた雰囲気を演出している。
そして、彼女は背に、身長よりも長い刀を負っていた。
氷邑一刀流で用いる長さである。
梅雪が彼女をここに呼び出した。
それは、留守の氷邑家の政治的なところをあずけるため──では、ない。
「まず一人目。迷宮へは、はるを連れて行くつもりでおります」
「ほう」
サプライズとして用意してはいたが、銀雪が小さく、しかし確実に驚いている様子を見せるのは、梅雪にとって意外だった。
予想外の人事ではあろう。だが、父が驚く姿をどうしても思い描けなかったというのは、ある。
「私が氷邑一刀流を教えておりますが」
梅雪がそう前置きしたのは、氷邑一刀流は当主であれば誰を選んで教えてもいい家伝の剣術であるからというのと……
父・銀雪が、梅雪に内緒ではるに氷邑一刀流を教えているからだ。
梅雪の目であれば、はるの動きからその身に剣術が宿っているのはわかる。
だが、父が秘密にしているのだから、それはどれほど見えていようとも、秘密として扱わなければならない。
……というのが面倒なので、自分で教えて、『はるは氷邑一刀流を使える』というのを公然にしてしまったのである。
「かなり、筋がいい。……あるいは、私よりも覚えがよく、この剣術に適しているのやも」
数年前であれば冗談であろうとも言えなかったし、冗談として言おうとしても、これほど自然には笑えなかった言葉だな、と自己分析する。
「迷宮に挑む精鋭として間違いのない人選と存じます」
「うん、私も異存はないよ」
「その間の氷邑家の管理ですが、名目上、当主たる夫のいない時に、家中を差配するのは妻の役目。そして、政治的なことを行うのは、家老の役目。……ですがどちらもまだ、若輩にて未熟」
妻と呼んで指すのは夕山である。
そして家老として挙げたのは、ヨイチであった。
ヨイチはそもそも名門の当主経験があり、政治を担うのにまったく問題ない。
その性格の真面目さ、思考の固さのせいで大きめのやらかしをしたという過去もあるが、梅雪へ忠誠している今であれば、梅雪のいない家を『維持』することに問題はなかろう。
で、そのヨイチが若輩だというのは、ヨイチが公式には『十三歳』だからだ。
梅雪が過去に行っていた『仮面の剣士』としての活動。あれを全部『ヨイチがやりました』としたことにより、三十代、梅雪の父親と同世代のあの男は、公称十三歳なのである。なので、若輩だ。
「……そこで、お力を借りたく思い、父上の許可を通さぬという勝手をいたしましたが、あるお方にお願いをいたしました」
「…………」
そこで銀雪が黙り込んだのは、梅雪が『お願いをした』相手が誰か、心当たりがあったからだろう。
ざ、ざ、と庭園を踏んで、はるが来た方向からゆっくり歩いて来る──赤い髪の人物。
もともと熚永家に縁があり、熚永アカリのやらかしによって家での立場を弱めはした。……梅雪との不仲もあった。
だが、ここにいる。
……きっと、ゲームの氷邑梅雪であれば、家督を継いだ時点で殺してしまっていただろう。
だが、生きている彼女は……
「梅雪に力を貸すというのは、意外だな──トモリ」
はるの実母にして、銀雪の側室である、氷邑トモリであった。
アカリと名前が近いのだが、これは、トモリとアカリが従妹だからというのが関係している。
……帝都騒乱において氷邑家中で最もワリを喰った人物なのだ。
トモリは梅雪と銀雪の正面、はるの横に膝をつく。
「当主様のご下命とあらば、従わぬ道理がございましょうか。まして、帝都騒乱の時には、わたくしの身の安全を守ってくださったお方なのです。恩があり、義がありますゆえ──」
「義母上」
「──はい」
「つまらんおためごかしは結構。いつも通りの方が安心します」
「いつも通りなどというのは、出来ませぬ」
「……」
「梅雪殿。かつてのあなたは、どうしようもない悪童でありました。あの椿の子とは思えないほど、品がなく、余裕がなく、椿の持っていた包み込むような優しさは、まったく受け継がれぬものと、そう思っておりました」
「……」
「ところが、最近のあなたに、わたくしが苦言を呈するところは……」
「……」
「……まあ、ないとは申しませんが」
「く、ふっ……」
「……梅雪殿。なんですか、その笑いは」
「いえいえ。言いたいことがあるならば、はっきり言ってはいかがです? それとも、立場も後ろ盾もない程度で、あなたは『己』を曲げるほど、老いて弱ったのでしょうか?」
「そうやって見下ろしながら『こういう態度をとれ』と強要するような子を見れば、椿が悲しみますよ」
「亡き母、私がさして浸るべき思い出もない母の様子を『私の方が、よく知っています』という態度で語るその様子、紛れもなく私の知る義母上です。安心いたしました」
「梅雪殿──」
トモリの眉根が寄せられ、息が大きく吸い込まれた。
『始まる』前兆だ。
こうなると長い。それを慌てて止めたのは、トモリの横にいるはるだった。
「それよりも! こうして家族三人で遠出するなどと、初めてのことですね! ね!」
トモリが吸い込んだ息を鼻から吐き、梅雪がはるに笑顔を浮かべた。
「ああ。……思えば我々は、家族としての交流というのをしたことがなかった。それは、俺の責任でもある。幼いころには弱すぎて、剣士であるはるや父上にずいぶん気を遣わせた。当主になる直前には武者修行でクサナギ大陸を巡り、当主になってからは平秀の乱の鎮圧、毛利家への救援と、息つく暇もなかった」
「……」
「このたびの迷宮行も『クサナギ大陸の未来のため』という立派なお役目だが──」実際、帝から勅命を出させている。「──こうして機会を見つけなければな。家族の時間というものは、捻りだすものだ。待って、『いずれ、きっと』と願っていても、その『いずれ』は来ない」
「耳の痛い言葉だ」
銀雪が肩をすくめる。
はるが笑い、
「けれど、夕山お義姉様との時間は、あまりとられていないようですが」
「…………うん、まあ、それも、いずれ」
モトナリのところから帰ってきて、今度は大友国崩に遭うことがほぼ確定なので、夕山を間に挟みたくなかったのが本音である。
濃いものばかりだと舌が麻痺するから……
はるが、にっこりと微笑む。
「とりあえず、見えている敵を鏖殺すれば兄上様にも時間が出来るのでしょう? であれば、さっさと行って、首を刎ねましょう。それがいいです」
「……」
剣桜鬼譚のはるは『お嬢様』あるいは『姫騎士』という感じで兄を裏切って屋敷に火を点けて主人公にNTRされる女だったが、なんかこのはるは、言動の攻撃性が高い。
誰のせいだろう。俺のせいかな……と梅雪は思った。教育に悪いなと思った。でも、ちょっと嬉しくも思った。
「……俺のいない時の政治はヨイチが。御意見番として義母上にも活躍していただきたい。ヨイチとは親族であるかのように馴染むであろうことを保証いたしましょう」
「御意」
トモリがうなずく。
ちなみにトモリは、ヨイチの中身が熚永平秀であることを知っている。というか、見た瞬間に把握した。何せ、元熚永家のトモリであり、ぶっちゃけると、ヨイチにとっても従妹にあたる。
親族であるかのようにというか、親族なのだ。それも、かなり近い。
「家中のことは夕山に任せるが、ムラクモや他の者がうまく支えるだろう」
ここで述べる家中とは屋敷の世話をする者たち……ようするに奴隷だったり、もっと私的に氷邑家のスケジュールを管理する人員だったり、そういうものを指す。
夕山は当主に代わって家の事情を切り盛りするという感じではないが、やはり異常に愛されるので、あれを家の名代にしておくだけで大抵のことがうまく転がる。ただ、変に愛されてストーカーが出ても困るので、ムラクモには夕山の後ろで無駄に素振りなどしていてもらおう、という感じである。
「もしも俺が不在の時に戦乱に巻き込まれるようなことがあった場合には、第一に帝に、そして第二には、織越しで彦一を頼れ。帝、七星、そして氷邑の三軍があって対処できぬ事態は存在しない。仮にそれでも不安が残れば、モトナリ殿に書状を送れ。あまり頼りたくない手段だが、背に腹は代えられない」
現状、氷邑家は(代償が必要となる場合もあるが)、氷邑、帝、七星、毛利の四つの家の軍を動かせる立場である。
これに攻め寄せるのは狂乱者だが、クサナギ大陸なので狂乱者自体は結構いる。そういうケースはしょうがないので完膚なきまでに叩き潰せという話である。
「他、不安があれば風に囁け。運が良ければ声を拾うやもしれん」
指示を受けたトモリは静かにうなずいた。
そのトモリに、
「……仲間外れにしてしまうことは、申し訳なく思っております」
「構いませぬ。このたびの迷宮行は帝より授かった大事なお役目でもあると、理解しておりますから。戦う力を持たぬわたくしは、家を守ることに注力するのみです」
「『戦う力を持たぬ』とはご謙遜を。さる者から聞き出したところ、幼いころには随分とお転婆でいらしたとか。小鳥の目を狙って射抜くなどもしていたようではございませんか」
「おかしいですね。熚永が滅びた今、わたくしの幼い頃を知る者は、もはや銀雪様しかいらっしゃらないはず。その者とは、どこでわたくしの幼少期の様子を知ったのでしょう?」
「さて、風の噂では? ……いずれ、私と、はると、父上と、あなた。……四人の時間もとりましょう」
「……」
「留守を頼みます、義母上」
「承りました。気を付けて、行ってらっしゃいませ」
そのやりとりを見て、はると銀雪が互いを見交わし、同時に肩をすくめ、笑っていた。
かくして、九十九州迷宮行が、始まる。
親子とともに歩む残りの三名は誰となるのか──
知識を求めて、梅雪は旅立つ。
八章終了
明日からちょっとだけsideを掲載します。
その後九章途中でカクヨムに追いつくので、そこからはカクヨムと同じ投稿ペースでやっていきます(3日に1回)。




