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第234話 或る一つの終わり 四

「いいのかなぁ!? 私の相手をしてて! きっと梅雪(ばいせつ)梨太郎(なしたろう)に勝てないよ!?」


 (さくら)の戯言を、ウメは聞き流す。

 だが、聞き流しているつもりでも、イラつくのは事実だった。


 ……何せ桜は、本気で梅雪の心配をしている。

 

 あれだけ殺すと言っておいて。今も殺し合いをしておいて。

 そもそも、支配した梨太郎を差し向けておいて──桜は普通に、梅雪の心配をしているのだ。


 イラつく。

 だが、イラつきは剣を乱す。ウメは平常心を保ち、つとめて無表情のまま、愛刀の貪狼(とんろう)を振るった。


 その背後から、


『ゴックン!』


 ベルト特有の声が、


「ほら、また梨太郎が大技を出すって! 絶対に助けに行った方がいいよ!」


『ゴックン!』


 一度、二度、そして、


『ゴックン!』


 三度、響き──


蹂躙奥義(リーサル)


 ──瞬間背筋を駆け抜けた予感に合わせ、ウメは大きく横へ飛びのいた。


 すると、直前までウメがいた場所を通過して、氷の斬撃が桜へと襲い掛かる。


「え、ちょっ……!?」


 桜はその斬撃を剣で受け、衝撃を回そうとする。

 だがしかし、そうはさせない。斬撃はうねり、軌道を変え、蛇のように桜に絡みつきながら、凍り付く。


 その氷は永久凍土である。

 ……それは梅雪が恐山で見出し、しかし雪女と化したマサキの神威を神喰(かっくらい)しなければ放てなかった技だった。


 決して溶けない氷で出来た蛇に絡みつかれ、動きを封じられた桜──

 その目の前に、歩んでくる、全身甲冑の者が一人。


「…………もしかして、梅雪?」


「ふん」


 その者、左半身を輝ける青、右半身を輝ける緑の甲冑で包んでいる。

 左手に小刀。右手には装飾の多い、身幅の広い、緑色の刀を持ち、果実を咥えた蛇のマフラーを棚引かせ、ゆったりと迷宮の床を踏みしめ、桜の前に立つ。


 くるりと両手の剣を回し、いつの間にか手の中に出現させた白いキビダンゴと、青いキビダンゴを、ベルトに喰わせる。

 ベルトには蛇のような口が二つ備わっていた。蛇の口に神仙の果実の象形であるキビダンゴが押し込まれると──


『ゴックン!』


 ベルトが声を発する。


『──蹂躙奥義(リーサル)


「その姿について説明とかないわけ!?」


 桜が永久凍土を神威量に任せて引きちぎりながら問いかけて来る。

 梅雪は二刀を翼のように左右に広げて構え、応じた。


「説明してやる義理はない。何も知らずに死んで行け」


 二刀が交差し、斬撃が放たれる。

 桜は愛神光(あいしんひかり)流の太刀筋でこれを受けようとするが──


「……重っ!?」


 ──受けきれない。


 衝撃を回すことが出来ず、剣を弾かれる。

 梅雪は二刀を腕力で振るって、桜に離脱と反撃を許さない。


 さらに剣を振りざま、手の中に出現させていたキビダンゴを中空に投げ、攻撃しながら立ち位置を調整。投げたキビダンゴをベルトに食わせ、


『ゴックン! ──蹂躙奥義(リーサル)


「それ、連発していいものじゃないと思うなぁ!?」


 梅雪の二刀がきらめき、斬撃波が放たれる──

 その一瞬前、受けきれないと悟った桜が後方に下がる。


 だが、下がれない。後ろに壁がある。


 備中高松(びっちゅうたかまつ)迷宮の壁ではない。

 ──永久凍土の壁が、いつの間にか、背後にあった。


「……やば」


 梅雪の二刀が交差され、桜の首に迫る。

 避けきれない。死ぬ。


 背後にある永久凍土ごと首を斬り裂かれ、桜がまた死亡した。

 だが完全に消滅はしないし、散逸もしない。桜の神威量はもともと凄まじいが、鳥取において砂賊を糾合する戦の中で神威運用をメインに戦ったおかげで、その量はかなり増えている。


「『剣士としての才能はあるが、道術はからっきし』──」


 それは、剣桜鬼譚(けんおうきたん)の主人公についての説明だ。

 だがしかし、この説明はあくまでも『ゲーム開始時点のもの』。シンコウの死などのイベントを挟むことにより、異世界勇者としての──死霊術師(ネクロマンサー)としての才覚が戻った主人公は、黒い影を神威によって操ることが出来るようになる。


「──まったくふざけた欺瞞だ。貴様はなんでも出来る。何をしてもそこそこまで行く。鍛え続ければどの分野でも最強となれる」


 桜が蘇生する。

 生えた頭部を抱えながら、首を斬られた衝撃を回して愛神光流。


 斬りかかってくる桜を見て、梅雪は笑う。


「だが」


 梅雪が左剣をタクトのように振る。

 どういう攻撃が来るか読めないのだろう、桜はほんの少しの戸惑いを顔に浮かべた。


 そうして来た攻撃は──


 桜にとっての右方から。


「おおおおおおお!」


 七星(ななほし)彦一(ひこいち)が、鉄鞭を両手で握り、殴り掛かる。


「え!?」


 桜の驚きの声は、彼女が『ある思い込み』をしていたからだった。

 その『思い込み』は──


 ……梅雪が左剣をさらに振る。


 すると、彦一の鉄鞭を受けようとしていた桜の左方から、何かが飛び出し、そのまま桜の胴部を抑え込む。

 その者、機工甲冑阿修羅(あしゅら)


 桜はついに、叫んだ。


「ちょっと! 一対一でやるんじゃないの!?」


 桜の『思い込み』。

 それは、氷邑梅雪が、『決戦では一対一にこだわるだろう』というものだった。


 確かにこれまで、梅雪は自分の力で大敵を降すことにこだわってきた。

 そのやりようは戦略的意義・戦術的意味を超えて、趣味的でさえあった。梅雪は強敵の相手は必ず自分で手ずから行い、部下どもには邪魔に入らないようにと命じる。それは梅雪のこだわりであり、人間性ゆえのものだ。


 桜は『人の願い』を見る。

 だからこそ、ただ一度顔を合わせただけで、梅雪のことを深く理解していた。実際、これまでの梅雪であれば桜との勝負は一対一で決めたがったし、それは先ほどまで──桜と梅雪がこの備中高松迷宮で再会した時までは、変わらない、絶対的な予想だった。


 だが、


「ほざくな有象無象。この俺がなぜ、貴様ごときの相手を一人でしてやらねばならない? 俺は指揮官だぞ」

「梨太郎の力を喰らっておいて!?」

「ああ、だからだ。……梨太郎を倒し、満足した。なので貴様は、雑に処理してやる」

「…………こいつ!」


 こいつ、としか言えなかった。

 なんという自分勝手。なんというわがまま。なんという傲慢。


 氷邑梅雪は確かに先ほどまで、確実に、『桜を殺すこと』にこだわっていた。

 彼が『殺すこと』にこだわるというのは、ようするに『一対一で上回って殺すこと』だ。桜は梅雪の歩んだ道を知らないけれど、梅雪という人を読んでいる。また、客観的に、梅雪の歩んできた道を見ても、彼は多くの場面で強敵を己の手で降すことにこだわっていたし……


 桜は間違いなく強敵だった。


 梅雪が独力で倒したがるような、強敵だった。


 だがしかし、史上最強を倒した充足感を得た梅雪は、今、そういう気分ではない。


 ゆえに、


「──策を示せ」


 風に声を乗せて部下へ届ける。

 すると、阿修羅に抑え込まれ、彦一の鉄鞭を力で受けるしかない桜へと、躍りかかる一団がいた。


「この状況で、策もクソもねぇ。──囲んで殴れ」


 頭から流れた血で片目が塞がれたイバラキが、同じく傷ついた七星家一団を従え、潜み控えていた場所から襲い掛かる。


 七星家郎党の攻撃が迫る中、桜は影から神威を噴出させ、周囲の者どもを吹き飛ばそうとした。

 だが、神威が威力へと変じる前に、まとめて斬り裂かれる。


 ひらめく刃の軌跡は赤。

 ウメの長刀が炎をまとって、『影』どもを蹴散らした。


 七星家一団の武器が桜を叩き潰し、突き刺し、絶命させる。

 だがまだ死なない。まだ桜の神威を散逸させるには足りない。


 なぜ、この女は死なないのか?

 それは単純に神威量が多い妖魔だからであり、蘇生と治癒に優れた死霊術師(ネクロマンサー)だからである。

 そもそもにして彼女の蘇生・治療はあまりにも効率がいい。いくら殺してもなかなか神威総量が減らないのは、殺されかけるたびに彼女が行う蘇生の術式が、ただ殺されるよりも神威消費量が少ないからだ。


 桜の神威を散逸させるには、桜が蘇生や治療を意識出来ないほど一瞬で、この剣術の達人かつ強大な妖魔の命を吹き消す必要がある。

 それは、意識外から放たれる強力な一撃にしか成せない。

 たとえば、


「──忠義を示せ」


 梅雪が風に声を乗せると同時、迷宮のまだ無事な壁を貫いて、迷宮外から放たれる一撃があった。


 それは、赤い神威矢の一撃。

 壁抜き、遠距離、視界外。

 だが、命じられれば、山から扇の的までなんでも貫くのが、その者の弓術である。


 桜から、梅雪の家臣どもと七星家が離れる。


 ヨイチの狙撃が、桜を消し飛ばした。


「なんで迷宮の外にまで声が届くの!?」


 まだ蘇生する。

 だが、先ほどまでより確実に神威総量が目減りしている。


 桜の疑問は梅雪の風の道術を知らないからではなかった。

 備中高松迷宮は死してはいるが迷宮。その『迷わせる機構』は失われておらず、梅雪の風を以てしても道の把握などは出来ないもののはずだった。

 梅雪の風は届かない──はずだった。だから、外に声も届けられない、はずだった。


 だがしかし、


「見上げてみろ。……月が沈みかけ、日が昇りかけている。父や俺と梨太郎が戦い、ここまでさんざん破壊した迷宮が、もはや迷宮機能を維持できるわけがなかろう」


「……!」


「桜、貴様は最強になれる。道術も出来る。剣術ももちろん出来る。剣士としての才覚も比類なく、その出力、強さは帝さえも踏み越えるまで成長するであろう。……だが、今、最強なのは俺だ」

「……」

「とはいえ、貴様はしぶとい。今、貴様を完全に殺し切るのは難しかろう。だからな──逃げてもいいぞ」

「……はい?」

「貴様は死なないし、不自然に『逃げ勘』が働く。生き延びることにかけて比類のない存在であろう。これを詰むには多少、手が足りん。なので逃げられることは、うむ、受け入れよう。今は梨太郎に勝利した余韻に浸りたいのもあるしな。だが」

「……」

「『逃げたけど、実質勝ちです』などという気分で去るのは許さん。なので──この俺にボコボコにされながら命からがら逃げ延びて、無様に生を拾うがいい。貴様の情けない逃げ様を絵物語にして帝内地域にばらまいてやる」

「……こ、い、つ……!」

「喜べ。この俺が貴様の物語の語り部となってやるのだ。だから──無様な姿をさらせよ『主人公』!」


 梅雪が斬りかかる。

 桜が対応のために身構える。


 意識外から、矢が放たれる。


 多角的かつ多数の手数。

 梅雪が斬り結び、要所要所で梅雪の部下たちが横やりを入れて来る。


 これは阿吽の呼吸──というだけでは説明がつかない。

 ……これは、先ほどまで梅雪がやろうとしていたことの完成形。


(梅雪、戦いながら指示を出して、道術みたいに部下を操ってるってこと!?)


 氷邑梅雪は剣士ではなく道士である。

 だが同時に、指揮官である。


 手数の多さと攻撃がどこから来るかわからない厄介さは、道術と剣術を併用することで見出した梅雪なりの『道』だった。

 だがそこに指揮官としての立場も加えることで、道術と剣術を併用されるよりも、よほど厄介になっている。


 さらに、別にこの戦術は、道術の使用をしないと誓っているものでもないのだ。


 梅雪が斬りかかる。

 その部下たちが斬りかかる。

 同時に、道術も放たれる。


 飽和攻撃。

 これで飽和するのは注意力と意識だ。


 桜の集中がさすがに乱れ、愛神光流の太刀筋が鈍る。


 これら攻撃をすべて意のままに放っておいて、しかし梅雪の太刀筋は鈍らない。それどころか、鋭くなり続けている。


 ……生き残れるか、生き残れないかという勝負において、桜はまだ負けないだろう。

 だが、持てるものを尽くし、思考能力の限りにすべてを適切に運用する頭脳戦において……


(どういう頭の使い方してるの!?)


 桜は完全に敗北していた。


 達人を殺す手段は、その技量を発揮させない状況に追い込めばいい。

 手足のように動く部下と、絶えず放たれる道術。おまけにそれを操る指揮官は剣の達人ときている。


 これに一人で対処しきることは、不可能だった。


 桜が、神威を散逸させながら死ぬ。


 生き残れない。

 あの日、氷邑領都の邸宅で訪れたはずの『死』の運命の正体。

『選択肢』が出現した理由。

 いくら殺されても死なないはずの桜が死の危機に瀕した理由──


 ──氷邑梅雪の覚醒である。


「ああ、もう! 選択肢が──!」


 桜の動きの質が変わった。

 梅雪は鼻で笑う。


「お、そろそろ逃げるか? 幾度も殺されほとんど裸というナリで、大勢に囲まれてボコボコにされ、さっきから雑に神威を放出するしか出来ず、ご自慢の剣術もなおざりで、それでも『チート』に頼って尻尾を巻くのか? 良かったな生き残ることが出来て。貴様の活躍はこの俺が手ずから脚本を書いて舞台、絵巻物、講談、狂言、瓦版と、ありとあらゆる手段でバラまいてやろう。全裸姿が帝内中の人々にさらされるぞ。嬉しいだろう?」

「梅雪ぅ!」

「イラストは夕山に任せよう。帝の妹が描くのだから、きっと帝も気合を入れて拡散してくれるだろう」

「必ず殺す! 必ず殺すから!」

「『必ず殺す! 必ず殺すから!』」

「私の真似のつもり!? そんなふざけた顔してない!」

「『私の真似のつもり!? そんなふざけた顔してない!』」

「こいつ! こいつ! こいつ! ──ああ、はっきりと私の願いになったよ! 氷邑梅雪、あなたを殺す!」

「そうか。捨て台詞は以上か? では景気づけにもう一回ぐらい死んでおけェ!」


 変顔煽りのために解除していた仮面(フェイスアーマー)を戻し、キビダンゴをベルトに呑ませる。


蹂躙奥義(リーサル)


 斬撃波が放たれ、桜のいる場所を斬り裂いた。

 すさまじい破壊がついに迷宮を真っ二つにし……


 衝撃が収まり、神威が消え去ったころ、そこに桜はいなかった。


「桜役はなるべく大根がいいな。声のデカい大根役者でも探すか」


 ベルトのバックルをつかみ、ひねる。

 すると梅雪の全身を包んでいた甲冑が消え、銀髪碧眼に戻った梅雪の姿が現れた。


「…………氷邑様」


 彦一がその場に膝をつく。

 それは平伏の姿勢のようでもあったが、体力の限界で倒れ込んだように見えた。


 梅雪は改めて周囲を見回す。

 死屍累々──と表現したくなるほど、全員が満身創痍だった。


 だが、一人も死んでいない。

 しかも目的は達成した。……糾合されていた砂賊は確かに殲滅し、桜を中国地方から追い払うことが出来たのだ。毛利家の救援要請は解決したと思っていいだろう。

 あの神威の減り方であれば、しばらくはまともに活動出来まい。……桜が梅雪の性格を読んでいたように、梅雪もまた、あの『主人公』がなんだかんだ『生存』を活動方針にしていることを読んでいる。だからこそ活動はしばらく自粛されるだろうこともわかる。


「みな、良くやった。これにて砂賊糾合事変の解決とする。……論功行賞は蒸気塔で行われることだろう。それまで休め」


 その声に返事をする余力もなく、部下どもが崩れ落ちていく。


 ……激闘だった。

 一度、死にかけた。梨太郎の攻撃で全滅しかけた。

 あの時、父が来なければ間違いなく敗北していただろうが──


「……父上は、なぜここに?」


 ──九十九州に行っていた父が、なぜここに来たのか、それはまだ、わからないのだ。


 梅雪が振り返った先で、腕を組んだままの銀雪(ぎんせつ)が、微笑む。

 微笑を湛えた顔で周囲を見回すその姿は、言葉はなくとも、充分以上の労いの気持ちが伝わるものだった。


 銀雪は……


「不死者を倒すための方法──というのかな。私が遭遇した方の不死者というか、不審者というか、それを倒せるかもしれない可能性が見つかったことを、お前に知らせたくてね」

「……その方法とは?」

「詳しく話せば長くなるのだが、九十九州で私は、あるご令嬢の助けも借りて、ニニギにまつわる場所を探した。そうして見つけたのだ。……『ニニギ迷宮』を」

「……ニニギ迷宮……」


 それはゲーム剣桜鬼譚(けんおうきたん)には──少なくともR-18のPC版には出て来なかったものだ。


 銀雪はうなずき、


「私とともに行かないか、梅雪」

「……」

「どのようなものが待ち受けるのか、そこに『不死者を殺す方法』が本当にあるかは、攻略してみるまでわからない。だが……どうだろう、父とともに、迷宮に挑まないか? 私はお前の横で戦いたいよ。今はね」


 その言葉の示すところは、『いずれ向かい合って戦いたい』というものであろう。

 だが……


 親子でともに、迷宮に挑む。


 それは幼い頃の氷邑梅雪が描いた『親子でしたいこと』のうち一つだった。

 弱かった自分が、名門当主の剣士である父と並んで戦えないことなどわかっていた。だからこそ描いていた叶わぬ夢だった。


 それが、叶う。


 梅雪の返事は、決まっている。


「是非」


 ……かくして、親子は九十九州に発つことになるのだが……


 その前に、帝内に戻り、論功行賞であった。

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