第231話 或る一つの終わり 二
剛剣の勢いは、剣から伝わって全身を押し潰すかのようだった。
氷邑梅雪は剣士ではない。道士である。名門に生まれながら、名門の後継者が当然そうあるべきという力を持って生まれなかった、不完全な存在である。
……父・銀雪と梨太郎との戦いを見た。
(ああなりたかった)
力と力の凄まじいぶつかり合い!
互いに一歩も退かぬ、圧倒的な強さの勝負!
そばにいるだけでわかる。余波でさえ人が死にそうなほどの迫力ある戦い。ああなりたかった。あんな剣士になりたかった。真正面から、堂々と、力で相手を圧し潰す。そんな剣士に生まれたかった。そんな剣士であればきっと、幼い日からずっと耳の奥にこびりついていた自分の資格を問うような声も、ひそひそと囁かれる『あいつは後継にふさわしくない』『実の子ではないのでないか』という好き勝手にほざかれる噂話も、存在しなかったことだろう。
(けれど、ああいうふうには生まれられなかった)
……それでもかつての梅雪であれば、『さも、剣士のような』戦いを無意識にとろうとしただろう。
それはコンプレックスがさせたものだった。素直に認めてしまえば、幼いころ、『中の人』が入ったころの梅雪の戦いは、剣士の模倣であった。自分は剣士ではない。だが、剣士にも劣らず、剣士のようなことが出来る──そういう、誰か、あるいは世界そのものに向けた煽りだった。
だが梅雪はもう、知っているし、認めることが出来る。
(俺は、道士だ)
だから梨太郎の攻撃を力で受けようなどとは思わない。
道術をぶつけ、小技で力を削る。方向を逸らす。
受けると見せかけて流す。流した勢いを利用し、多角的に、手数多く、ちまちまと道術を放つ。
格好悪い──とかつての自分であれば思っただろう。
絶対にイヤだ──と、かつての自分であれば、こんな戦い方は選ばなかっただろう。
だが、今は選べる。
なぜなら──
(俺は、天才の──道士だ!)
梨太郎の剣を受ける勢いで距離をとる。
ただ背後に飛ぶわけではない。イメージしろ。自分を天から見下ろす視点。己と己の周囲すべてを俯瞰し、己をプレイヤーのように操作しろ。
自由に動く己をイメージする。
圧倒的に動く自分をイメージする。
剣士であれば目の前の敵を力で叩けばいい。
だが、道士であれば、そうはいかない。……そうはいかない?
(違う。違うなァ、俺よ。まだ、剣士が上で、道士が下だと思っているのか? おいおい、あまり俺を馬鹿にするなよ、俺。言葉が違うぞ愚か者。『そうはいかない』ではない。『剣士のようにはやれない』ではないのだ。この俺は──)
「──剣士より自由にやれるのだァ!」
発した声にはまだ、剣士へのコンプレックスがあった。
表現が違う。己の心の根幹にあるトゲがまだ抜けていない。
それが自由度を減じさせる。自分の周囲に道術の礫を回し、周囲の空間に配置し、それを蹴り、叩き、ピンボールのように動く。
だが、決めに行こうと思うと、剣を握って前に出てしまう。違う。そうではない。もっと自由に。もっと道士らしく。
そう──
「……剣士より、ではない。道士だからではない」
梨太郎に接敵──
大剣が凄まじい勢いで振るわれ、梅雪はそれを剣で受ける。
勢いを吸収する。だが、吸収しきれない。
今の自分の愛神光流は、開祖である剣聖よりも上だという自負がある。それで衝撃を回しきれない。これは流派の限界──ではない。欲望が、願いが、コンプレックスが、選択肢を狭め、動きを硬直させてしまっている。
距離を取る。
梨太郎が追いすがって来る。
道術の礫を足場に、軌道を変える。
梨太郎が通り過ぎていき、距離が出来る。
一瞬前までの自分であれば、あの見えている背中に迫り、二刀を以て斬りかかっただろう。
剣士であれば、それが正解だ。
だが、氷邑梅雪は剣士ではない。
剣士ではなく、道士で……
道士である、以上に。
「俺は俺だ」
そうだ、その方針で戦いを編み上げていたはずだった。
だがすぐに見失う。『自分は自分だ』という事実はまだ骨身に馴染んでいなくって、すぐに自分の属性を誰かの語った言葉の中から探してしまう。
名門後継者。道士。わがままの利かん坊のクソガキ。暴にして狂。
……世界で生きていくということは、世界に暮らす人たちの影響を受けるということ。人格というものはあやふやで、油断するとすぐ、誰かの言葉によって染まり、形を変えてしまう。
確固たる自分を維持するのは難しい。
自分のまま、誰かの前に出るのは、もっと難しい。
人は誰でも自分を『何か』に定義したがるものだ。
アイデンティティ。多くの人には、これがない。そして、これがないことを不安がる気持ちがある。だから人間関係を結ぶ。コミュニティに入る。そうすると、自分を定義出来る言葉が手に入るような気がするから。『俺は〇〇です』と言える安心感というものは、本当に、生きていく上で重要だ。
俺は俺です、だなんて。
空気の読めない、勘違いしたヤツの語る、滑るギャグみたいだ。
だから、世間にすでにある属性に自分を染めようとする。
アイデンティティとしてのオタク。アイデンティティとしてのコミュニティ。アイデンティティとしての、人間関係。
だからことさら叫ぶのだ。
すぐに歪んでしまう『自分』というもの。すぐに世間にあふれる言葉のどれかから、自分を定義するものを探してしまう弱い心。
奮い立たせる。そのために、今一度、氷邑梅雪は叫ぶ。
「俺は、俺だ。名門後継者である以前に、道士である以前に──俺だ」
これは戯言でも譫言でもなく、言霊である。
「同じように、貴様も貴様だ、梨太郎」
道術を放つ。
氷が、金属が、そして風が、梨太郎を貫く。
だが油断はしない。氷の道術によって上がった冷たい煙の中から、まだまだ大きな神威反応。梅雪の目は神威を見る。だから、梨太郎の神威から距離をとる。
道士の必殺にして安定の戦術は退き撃ちである。
そして……
すさまじい道術攻撃の中を梨太郎が突っ込んでくる。
身の傷など厭わない猛進。道士の速度ではかわしきれない。
道士は接近戦に弱い。
だが、氷邑梅雪には剣術がある。
だから、対応できる。
大剣を受ける。
愛神光流が始まる。
受けた衝撃を回して返す。
道術を放つ。多角的に、多元的に。莫大な神威を持ち、神威を見る目を持ち、剣術まで使う──それが氷邑梅雪。
遠距離も近距離も隙がない。
ゆえに、
「俺は俺で、俺は──最強になる男だ」
大剣の鎬に凍蛇の鎬を合わせ、絡めるように受け流す。
梨太郎の体勢を崩して、腹部に至近距離から道術を放つ。
梨太郎の腹部装甲が砕け、黒く染まっていない地肌が覗く。
たまらず吹き飛ばされた梨太郎。
着地をする前に、複数の道術攻撃がその身を襲う。
「Gaaaaaaaaaaa!!!」
吠えると同時に大剣をひと薙ぎ。道術礫をまとめて消し飛ばす。
そして着地前に、黒いキビダンゴをベルトに喰わせる。
『──殲滅奥義』
梅雪らを一撃で戦闘不能寸前にまで追い詰めた攻撃の予兆。
その中で涼し気に笑い、梅雪は尋ねた。
「で、貴様は誰だ?」
……氷邑梅雪に他者を説得することは不可能である。
いかに情報を持っていようが、梅雪は他者の心に寄り添うことが出来ない。生まれつきの人格によるものだ。
氷邑梅雪に出来ることは、傲慢に他者を見下し、挑発し、嘲笑すること。すなわち……
氷邑梅雪は煽りしか出来ない。
梨太郎の殲滅奥義が放たれる。
大剣から飛ぶ斬撃波。先ほど一撃で彦一らごとまとめて吹き飛ばされたその攻撃が迫る中、梅雪は嗤っている。
「貴様の悩みの概要は知っている──」
斬撃波。
先ほどは対応する暇もなく吹き飛ばされたその一撃──
「──故郷を欲して戦う戦士だったか。だがな」
──神威による、致命の一撃である。
つまり、
「貴様に故郷が見つからん理由を教えてやろう。それは、貴様が『自分』を持っていないからだ」
神喰の吸収対象。
速度、威力の凄まじさから、先ほどまでは対応出来なかった。
だが、今は出来る。
氷邑梅雪は一瞬一瞬で一足飛びに成長する天才だ。
衝撃の余波が壊れた迷宮の砂を舞い上げる。
立ち上る煙が梅雪の姿を隠す。
その中から、ベルトの声がした。
『ゴックン!』
もうもうと上がる土煙から、人型のシルエットが覗く。
『干支盤、スタートォ! ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ……ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ……』
煙の中で、ホログラムのようにルーレットが浮かび上がっていた。
そのルーレットの中では、青と銀色の玉が転がっていて……
「永遠の戦いですり減った? ゴールが見えなくてくじけた? で、あれば貴様はそれまでの男だったというだけの話よ。だがな、貴様がその程度であること、この俺が許さん」
氷邑梅雪の声がする。
青と銀の球体が、ルーレットの中で止まり……
ベルトの声が、続く。
『辰巳ィ! ゴウマンムソウ! サイキョーキカンボォ!』
「戦い続けろ梨太郎」
『──世界蛇』
土煙の中から、氷邑梅雪が現れる。
その姿、全身甲冑。
顔まですっぽりと覆う、体にフィットするような銀色の甲冑を備えた、騎兵。
神喰により、梨太郎の神威を吸収、己の力にした姿で、梅雪が剣を構える。
装飾の多い、身幅の広い、どことなく玩具のような剣。
だが、確かに『威』を感じさせるその剣を携え、
「『貴様自身』を俺に証明しろ。貴様がそれを望まずとも」




