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第230話 或る一つの終わり 一

 (さくら)が神威を集め、『影』どもを放つ。

 それは氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)へと迫った。


 だが──


 一人目。梅雪の前に矢のごとく飛び出す、分厚い男がいた。


「おおおおおおおお!!!」


 血反吐の混じった叫びを挙げ、己と周囲を奮い立たせながら、一丁の鉄鞭を振るうのは、七星(ななほし)彦一(ひこいち)

 彼の倒れていた場所には、半ばから折れた鉄鞭が打ち捨てられていた。梨太郎の一撃を受け止めた時に折れ、曲がり、砕けてしまい、使い物にならなくなったのだ。


 その衝撃は鉄鞭では止まらず、彦一の肉体をも深く蝕んでいる。

 実のところ、未だに立って戦える状態には程遠い。内臓は酷く痛み、呼吸をするたびに腑と喉が酷く痛む。痛みは熱を生み、思考もぼやけていた。『とにかく力いっぱい、掌中の物を保持する』という意思を込めて握りしめてはいるものの、手先に感覚がなく、鉄鞭を握れているかどうか、触覚ではわからなかった。


 だが戦えている。


 桜の放つ影を両手で握った鉄鞭で蹴散らし、吹き飛ばし、進み続ける。


 そのような活躍が出来る理由は何か?


 気合と使命感である。


 七星家侍大将は貴人の守護を専門とする。

 このたびの戦い、梅雪の護衛として招集されたわけではないが、彦一の中では、梅雪に傷を負わせぬように戦おうという目標があった。

 その目標をくじかれた。


 ……ヨイチとの会話があった。

 梅雪直々の命により軍監(ぐんかん)を任され、迷宮内部に入れなかったヨイチ。

 そのヨイチから、梅雪を託された。『氾濫(スタンピード)の主』を倒すため、自分の代わりに主人の矢となってくれと託された。


 己に課した誓い。

 友に託された誓い。


 片方はくじかれてしまった。

 だからこそ、もう片方は決してくじかせない。


 ゆえにこそ彦一は限界を超えて『矢』となる。

 梅雪と桜との間を阻む黒い影どもを蹴散らし、濃い闇を斬り裂き、金髪の大男が進む。


 並走するのは黒い、丸い、機工甲冑の阿修羅(あしゅら)


 この坊主に特別な誓いはない。ただそういう環境にあったから、梅雪の兄貴に従っているだけであり、そうして従っていると強い相手と好きに相撲をとれるのが喜びであった。

 一方で中身──アシュリーの方も、物心ついた時には氷邑家に仕えており、忍軍頭領もおじいちゃんに託されたからやっているだけ、という面が強い。

 先代当主銀雪(ぎんせつ)の時代には、銀雪が実の父のように優しかったので『この環境で働くこと』になんの疑問も不安もなかったからそうしていただけであり、実際、梅雪が当主になりそうになると、すぐに逃げ出したという経歴がある。


 では、今は?


 アシュリーに特別な想いというのは、やはり、ないのかもしれない。

 梅雪の側室になってはいるものの、やはり何か重大な事件があって、曲げられない誓いがあって、彼の行く道のために命を賭けよう──なんていう使命感はない。


 居心地がいい場所にいるだけ。

 使命感はなく、『命を差し出せ』と命じられれば、力いっぱい嫌がるだろう。


 だが、彼女は梅雪のために戦う理由はなく──理由をいちいち考えない。

 幼い頃からずっと一緒にいた梅雪の命令に従って戦うこと、梅雪のために戦うことは、いちいち理由を考えるまでもなく当然のことだった。結果的に命懸けになっている。だが、どういう状況に陥っても、『どうして自分はこんなことをしているんだろう』などと、自分の行動原理に悩むことはない。


 自然とここにいる。

 なぜなら、この場所の居心地がいいから。


 理由として挙げるなら、その程度で充分だ。

 その程度の理由で阿修羅は『影』どもに突っ込んでいく。


 桜までの道が空く。


 空いた道を滑って、桜へと放たれる太刀が一筋。


「いやいや、君の相手は私じゃないでしょ!」


 桜が太刀を受け、回し、流そうとしながら声をかける相手は、ウメ。

 そのツッコミは確かに正しい。この戦いの砂賊側総大将は桜であり、であるならば梅雪がぶつかるべきも桜である。

 主人を差し置いて従者が総大将に斬りかかるというのは、今ここが決戦の場であることを思えば、不整合感も覚えようものだ。


 だが、ウメは確信している。


「これでいい」


 体を火炎と化しながら桜と剣を合わせ、衝撃を回す。

 肉体の火炎化。ホデミに気に入られているウメだからこそ叶う『奉納』という裏技。命を燃やすことにより二倍三倍に出力を上げるその技法は、使えば使うほど命を消費する。燃やした命は、戻らない。

 だが、それでいい。


 主人が主人の戦場に立つために、この命は使われるべきだ。


 身を捧げ、命を捧げ、血を捧げる。

 従者の役割(ロール)に酔っている? ……そうかもしれない。命を懸ける自分に陶酔している。そういう面も、最近はあるかもしれない。


 でもそれは、主人あってこそだ。


 剣聖に連れ出されたところを救われてから、ウメの心には『生存』以外の目標が出来た。

 酩酊するに足る美酒である。ならば浴びるほど呑もう。命を捧げて。


 部下どもが創り出した空間の中で、梅雪は梨太郎の前に立つ。


 割れた仮面の下から、優し気な目元が梅雪を見ていた。


 梅雪は、一瞬目を閉じ、笑った。


「……さすがは異界と戦い続けた男だ。……俺はな梨太郎、お前の話を知り、お前のファンになった。二千年戦い続けた男。己の身を顧みず目標のために邁進する男。そういう生き様を好ましく思ったよ。好ましく思い──欲しいと思った」

「……Uuuuu……」

「今一度言ってやる。俺に降れ。……お前に関する記憶の持ち主はな、お前のような存在が好きだったらしい。だが、俺の視点においてお前は──貴様の誠心は、憧れるものではなく、捧げさせたいものだ」

「Aaaaa……」

「桜に何を言われた? 俺に降らぬのに桜に降ったのだから、よほど心地よい甘言であったのだろうな。俺は甘い言葉は囁かんぞ。ただ、俺のために尽くせと命じる。──戦え梨太郎。貴様の戦いはまだ、終わらない」

「Gううううう…………!」

「貴様の願いは、戦いの果てにしか叶わない。『誰かが自分の夢を叶えてくれる』などという幻想、誠に片腹痛い。自分の夢は、自分で叶えろ。『叶えてくれよ』『誰か俺をわかってくれよ』『誰か』『誰か』『誰か!』──『欲しいものが手に入らないこの世界を、変えてくれよ』」

「…………」

「何も手に入らなかった。何も変わらなかった。……たとえ、何かが手に入ったとして、その『手に入ったもの』に、満足することが出来るのか? 嘆いて、喚いて、駄々をこねて、それで誰かからもたらされたものに、果たして満足がいくのか? ……いくわけがない。だから……」

「……」

「俺は戦う。貴様も戦え。戦うことが生きることだ。貴様はまだ生きている。だから、戦え。……逃げて、お前はお前を許せるのか、ヒーロー」

「オオオ…………」

「……」

「…………オレ、は」

「……」

「オレ、の、夢、は、願い、は」


 梨太郎の目の輪郭が、はっきりとしていく。

 黒い神威に侵されていたその身が、だんだんともとの色を取り戻していく。


 ……だが。


「オレ、のぉ……願い、はぁ……! おお、おおお、Ooooooooooooooo!!!」

「まだ話は出来んのか。良かろう。──続きは貴様をひれ伏せさせてからとする!」


 梨太郎が大剣を振り下ろす。

 梅雪が二刀を交差させて受ける。


 世界が悲鳴を挙げる。

 二千年戦い続けた戦士と、すべてを呑む天才の戦いが始まった。

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