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第23話 vs剣聖シンコウ 三合目

 オアシスの水たまりにかがり火が揺れている。


 闇の中だった。街灯などない、しかも人里離れた『魔境』の夜。あたりの暗さはかがり火程度ではどうにもならないほど深く、視界の確保は困難を極めた。


 その闇の中で、ばち、ばち、ばち、と爆ぜる光がある。

 それは御雷(みかづち)の光だ。纏いし者はその仇名を『剣聖』。若くして剣の道を極め、さらにその極めた道に導を置き、人々に道筋を示す、弱者にとっての光。


 対するのは音。ただ歩くだけで周囲の木々をなぎ倒し、砂塵を舞い上げ、他者を傷つける、轟音を上げながら渦巻く風を纏う少年だった。

 光がゆっくりゆっくりと進むのに対し、風は素早く大きく動き続けている。

 それは若さであり、技量の差であり、(はら)の差、すなわち、気力、胆力……勇気の差でもあった。


「ハッハッハッハァ! たった十歳の子供を相手に、なかなか勝負が着かんものだな、〝剣聖〟ィ!」


 荒くなった息と体に重苦しく纏わりつく疲労を誤魔化すかのように、氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)はことさら挑発的に叫ぶ。


 すでに二時間の戦いが彼らの間にはあって、それは『ゆったりと近付く剣聖シンコウ』と『近付かれるたびに大げさに距離をとる梅雪』という図の繰り返しであった。


 梅雪の攻撃は竜巻に孕ませた金属(つぶて)──に偽装した氷と岩の混合物を含め、一度も当たることがない。


 一方でゆらりと近付いて無造作に振るわれたシンコウの刀も、一度も当たることはなかった。


 互いに近付いては離れ、また近付いての繰り返し。

 だが、その盤面は互角ではなかった。


「なるほど、このぐらいでいいでしょうか」


 目隠しをした女が呟く。

 梅雪の額から、疲労とは違う汗が流れた。


「あの子は充分に離れたかと思いますよ。これであなたが全力を出しても巻き込む心配はないでしょう。あなたの気がかりだったのでしょう? 解消されたので、そろそろ、本気を出せますね」


 シンコウがその場で立ち止まり、左腰に差した大小二刀のうち抜いてない方──小刀(しょうとう)を左手で抜く。


 右手の大刀は剣桜鬼譚(けんおうきたん)内で使われている単位によると四尺、すなわち一二〇cmという片手で扱うには余りにも長過ぎるもの。

 対して左手に持った小刀は一尺三寸程度。とはいえ脇差と呼ぶには長く、小刀(こがたな)と呼ぶべきだろう。


 かがり火とシンコウ自身が纏う雷によって確保された視界で見れば、刃は白みの強い余り光を反射しないものであった。浮かび上がる刃紋は沸き立つ湯の如く刃から峰へかけて細かく白色に見える模様がぶくぶくと立ち上っている様子であり、柔らかく、そして幾重にもその模様が重なっている様子は、真っ白い花が無数に刃を飾っているかのようにも見えた。


 左右に大小二刀を備えるに至った剣聖は、ゆるりとした歩みを止め、やはり構えらしい構えをとらず、その場でだらりと両腕を垂らしたまま待ち構えている。

 現代スポーツ、特にボクシングなどにおいて、『足を止めてはならない』という教えが存在する。

 単純な話だ。動き回る的に当てるより、止まった的に当てる方が容易い。ゆえに自分を『止まった的』にしてはならない。そうすれば殴られたい放題になるからしない方がいい。そういう教えであった。


 だが、剣術にはステップを踏まず、フットワークも使わず、ただ立って待つ型がいくつも存在する。

 ただ立っているだけなのに、攻めかかれない。攻めかかった瞬間に自分が斬られる姿がありありと想像出来る、そういう姿勢が存在する。


 姿勢。


 シンコウの姿は、剣術について学び始めたばかりの梅雪から見ても、美しかった。

 重心はわずかに前。(かかと)を浮かせることはしていないが、足先の方にわずかに体重が乗っているのが分かる。


 下腹に僅かに力を入れ、姿勢はやや前傾。……だが、理解させられる。シンコウのあれは紛れもなく前傾と呼べる角度での立ち姿なのだが、それでも前傾姿勢と呼ぶのはふさわしくない。

 そもそも武術を修めていない者の立ち姿が後ろ寄り過ぎるのだ。あの女の今の姿勢こそが、人体がそうあるべき立ち方だというのを理解させられる。


 肩。理想的に下がっている。

 戦闘の緊張は全身、殊に肩へと力みを与える。そして人体は肩が力んで上がってしまっていると疲労する上に、力が出ない。

 ……そうは言っても殺し合いだ。大きな刃物を互いに持って向かい合っているこの異常な状況で、ああまで理想的に肩を下げられるだけの度胸の持ち主が、実際に戦争を経験した者まで含めて、一体何人いるというのか? 本当に殺し合いを日常にしている者の、適切に力が抜けた姿がそこにはあった。


 背骨は伸びている。しかし、無理矢理に伸ばしている様子はない。

 きちんと足裏に全ての重量が乗る安定感を覚えるどっしりとした重心位置。加えて、まるで頭を上から何かに吊られているかのような、風でも吹けばぶらぶらと揺れそうな姿。異なる二つの要件を満たす立ち姿は背骨を適切に伸ばしていた。


 目。


 シンコウはその目を神の光に焼かれており、視力がない。

 真っ黒い布で覆われたその下で、実は見えている──なんていうことがないのを、梅雪は知っている。

 だが、視線を感じる。

 それもシンコウの顔からではない。全方位からシンコウの視線を感じるのだ。

 わずかにでも動けば、いかに巧妙に隠したとてその動き出しを完全に察せられるような異質な緊張。


 ……思い知らされる。

 今までは、遊ばれていた。


 奴隷の少女という邪魔者が、充分に離れるまでの、余興であった。

 のらりくらりと歩くシンコウはまだ手加減した状態で……

 ああして両手に大小それぞれ二刀を備え、だらりと立つあの姿こそが……

 あの女の、真髄であった。


愛神光(あいしんひかり)流は、神を斬るための剣術です」


 シンコウは動かない。

 梅雪も動けない。


 そして互いにこの場から離れ、決着を先送りするつもりはない。

 ゆえに、互いの隙を狙う。


 会話というのは、言葉というのは、拮抗した状況下においては、動揺や迷い、怒りなどの緊張を引き出すための武器である。

 シンコウの瑞々しい唇から紡がれる言葉(武器)は、耳朶を撫でて脳まで揺らすような、余りにも心地よい声だった。


「我々才能無き弱者は、常に先制攻撃を受けねばなりません。あるいは速度によって。あるいは距離によって。あるいは……身分によって。先に攻撃することが許されぬのです。ゆえにこそ、愛神光流は、()(せん)(せん)を真髄とし、理念とし……奥義とします」

「ふん、コソ泥が偉そうに何のつもりだ? まだ自分が優位に立っていると思い込んでいるのか?」


 シンコウはそれには答えず、口角を上げる。

 真っ暗い闇の中、かがり火の中でも、梅雪からその笑みはよく見えた。……そして梅雪は、それを挑発とみなさないことが出来ない。


「我々弱者は相手に先んじられるのが常。しかし……護身ではなく、戦いの場に用いる剣術として見た場合、後の先狙いというのは、相手に手を出してもらうのに苦労をするものでもあります」


 (たと)えばこれが二十一世紀の日本などであれば、『相手が攻撃してきた時』という特殊状況への対処だけに狙いを絞って鍛錬しても良い。

 なぜなら自分から攻撃することは犯罪だからだ。平和な時代、国家という単位で同じ法律が布かれ、コネなどなくとも通報という手段で国家に保障された治安維持機構に急行してもらうことが出来る時代であれば、相手からの攻撃に対処する方法だけを磨いても良い。

 むしろ相手からの攻撃をあえて誘ったり、こちらから先制攻撃を仕掛けたりといった技術は、多くの者にとって不要かつ有害である。


 だが、ここは戦国。

 己から仕掛けなければならない状況も、相手からの攻撃を引き出さねばならぬ状況も、無限に存在する。


「ゆえにそうして、安っぽい挑発めいた、訳の分からん戯言を唐突に語り出す──という訳かァ? ふん、余りにもお粗末だな。剣聖が聞いて呆れる」

「いえ。これは……警告です」

「……あァ?」

「今のわたくしに仕掛ければ、あなたは死にます」

「………………」

「ですから、逃げ去ることを許しましょう。わたくしは、仕掛けられるまで動きませんので。好きな物を持ち出し、好きに逃げるといいでしょう」


 それはシンコウにとっては紛れもない警告であった。

 シンコウは梅雪の成長を願っている。彼が神に至るのを願っている。

 だが、まだまだだった。奴隷獣人トヨが充分に離れるまでいくらか見てみたが、まだまだ、シンコウが求める領域にはほど遠い。

 しかし可能性は感じた。彼と別れてからおおよそ一月。たったそれだけの期間で彼の宿す神威は輝きを増し、立ち姿や動きには剣術の入り口に立った程度ではあるが進歩が見える。

 それはとりもなおさず、彼がこの一月、とてつもない密度の鍛錬を繰り返してきたことを示していた。


 シンコウはその努力を愛おしく思う。

 才能にあぐらをかいて自分を磨かなかった、神になれるはずなのにその向上を怠り続けていた魂が、何かの理由で、急に向上の努力を始めたのだ。


 愛おしく思う。本当に。

 だから、今この段階で斬ってみるのも、一興かと思ってしまう。

 ゆえにこれは、シンコウなりの占い(うけい)であった。


 梅雪が去るならよし。彼のさらなる向上を待ち、もっと神に近付いた彼を後に斬りに行く。

 去らないなら……


 その斬った味わいを、愉しもう。

 そういう、占いであった。


 ……とはいえ、梅雪を知る者にとって、今投げかけられた問いかけは、『選択肢を与えるもの』ではない。


「……この俺を」


 氷邑梅雪は──


「侮ったな、コソ泥」


 ──煽り耐性ゼロである。

 そして、信頼出来る者以外からの発言の全てを煽りとみなす、認識歪曲男でもある。


 ゴンッ、と音を立てて梅雪を囲む竜巻の範囲が広がる。


 ありとあらゆる(つぶて)を孕んだ竜巻。シンコウはすでにその暴風域に収まり、礫は容赦なくただ立つ彼女を襲う。

 だが、当たらないのだ。動いているようには全く見えない。自分に迫る全てを認識し、全てを見切り、ほんのわずかな動きでかわし、ほんのわずかな身じろぎでまた元の姿勢に戻る。

 それは刀の間合いよりもはるか遠くから見ても、本当に『すり抜けている』としか見えない、見事な動きであった。


 ……だが、梅雪は動きの見事さよりも。


「この程度は攻撃でさえないと言うか、下郎……!」


 すでに暴風圏内に収めたシンコウが、まだ『反撃』する様子がないのを見て。

 その侮りに、目を怒らせた。


 梅雪は少しだけ頭の中で検討する。

 まだ、予定した手順は満たしていない。

 剣聖に命乞い土下座をさせるためには、まだ、稼いだ時間が足りていない。

 この挑発を受けて突っ込むのは、明らかな悪手。


 だが……


『主人公』に全て奪われると知ったあの日から、決めていることがある。


「この俺は、何も譲らん。俺から奪う者に、なぜ我慢し、容赦をしてやる必要がある? ……俺は何一つ失わん。父も、奴隷も、妹も。そして何より、子供のような意地さえ! 俺は何一つ、誰にも奪わせんぞ、コソ泥ォ!」


 梅雪が斬りかかる。

 それは二人の最初の一合の再現のような光景だった。


 ただしシンコウは二刀を備えており……

 梅雪は、怒りの発散よりも勝利を選んでいる。


 梅雪の突撃と同時、『魔境』の荒れた地面が沈み、シンコウの体勢を崩させる。

 さらにそれとも同時、シンコウの真後ろから暴風が吹き、彼女の背を強く強く押す。

 まるで凪いだ湖面に浮かぶ小舟のごとく不動であったシンコウが、流石にわずかによろめいた。


 道術を用いた小技。ただ『相手の体勢を崩すため』だけに放たれたもの。……力押しだけでは勝てないと認めた梅雪が、力任せに斬りかかって怒りを発散するためだけではなく、相手に確実に勝利するために使った搦め手であった。


 前へよろめき、沈み込んだ地面に足をとられたシンコウに向けて、刀を振り下ろす。


 梅雪の刀は名工の作ではないが業物であった。真なる名刀は金だけでは手に入れることが出来ない。そして梅雪には名工と呼ばれる刀鍛冶に技術を差し出させるほどの力はまだない。ゆえに、金で買える範囲では最高と言える刀を帯びている。

 それを大上段に振りかぶり、振り下ろす。


 いかな全ての攻撃に対応する達人による無形(むぎょう)(くらい)……ただだらりと刀を持った手を下げただけの構えとはいえ、物理的に、下げた刀と頭とは遠い。ゆえに攻撃だけを狙うならば大上段からの振り下ろしこそ、もっとも有効な手段である。

 もちろん先んじて切っ先を腹に合わせられれば振り下ろす前に決着がつく。だが、梅雪はその可能性を除外した。それは腹を突き刺されても必ず勝つという覚悟の表れでもある。


 刃は風を纏いわずかに伸びている。間合いを幻惑する、これも小技。しかし一髪千鈞を引く命の奪い合いにおいては、こういう幻惑こそが生死を分ける。

 果たして数々の小技を用いてまで勝利を掴まんとした梅雪の一撃は……


「この奥義、『(みかづち)を断つ』という理念によって編まれたもの。ゆえに『光断』と称する──」

 ……振り下ろした刃の先に、シンコウはいない。

 その代わり、背後から、あの女の声が聞こえた。


「──(みかづち)を断つにはまだ不足なれど、あなたを断つには、過分でしたね」


 梅雪の左腕が、ぼとりと地面に落ちた。

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