第229話 砂賊糾合事変決戦 五
「Guooo……!」
「うん?」
異界の神威に侵された甲冑に身を包んだ梨太郎が、低く唸る。
彼の持つ黒い大剣が、氷邑銀雪の刀を、わずかずつ押し返し始めていた。
氷邑銀雪。
このたびの砂賊糾合事変の解決を帝より命じられた総大将──氷邑梅雪の父親である。
その長い銀髪、着流しの着物、腰に一本だけ鞘を差した様子などは、服装のランクをあえて落としている旅装ということもあって、流れの剣客のようであった。
ただしその手に持つ長刀は銀舞志奈津。青白く輝く氷邑家の重代宝刀であった。
通常、この刀は当主が受け継ぐ。
だが新しく当主となった梅雪に『奪い取るまで、お持ちください』と言われたため、家から持ち出され、銀雪とともにニニギの足取りを追う旅に同行することとなっているものであった。
その刀がぎりぎりと押し返されている。
幼い頃より制御能わぬほどの剛力に悩まされてきた銀雪にとって、『自分が力を込めて押しているものが、押し返される』というのは初めての経験であった──銀雪の父、桜雪との立ち合いを除けば、であるが。
その体験は銀雪の顔に、笑みを引き出した。
「──面白い」
少し押しても潰れないモノは初めてだ。
だったら、もう少し押そう──
銀雪がさらに力を籠める。
拮抗しかけていた梨太郎の大剣が再び押し返される。
驚くべきは、銀雪はまだ片手なのだ。
対する梨太郎は両手でしっかりと大剣を握り、両足を踏ん張って、押し返そうとしている。
だが、出来ない。
氷邑銀雪──
腕力だけで言えば、当代の帝をも凌ぐ、史上最高の剣士。
……だが。
「Oooooo…………Aaaaaaaaaaaa……!」
梨太郎は片手を剣の柄から離し、肩に峰を当てるようにして体で銀雪の剣を押し返しながら、空けた手でベルトに黒いキビダンゴを喰わせる。
ベルトが、声を発する。
『剛力無双』
大剣がその形状を変化させる。
黒い神威を注ぎ込まれた剣。その剣の刃に腕についた甲がのぼり、剣の先端まで移動する。
すると大剣は、巨大なハンマーにその形状を変化させた。
同時、梨太郎の腕力が増す。
銀雪に押しつぶされかけていた膝がしっかりと伸び、地面にヒビを入れながら、剣を押し返す。
銀雪は──
「うん、面白い。これなら──ちゃんばらが出来そうだ」
穏やかに笑い、剣を薙いで梨太郎を弾く。
梨太郎がたたらを踏みながら後退すると、すぐさま追いすがり、無造作に剣を叩きつけた。
武術ではない。
ただ、力で叩きつけるのみ。
まさしく『ちゃんばら』──子供が棒状の物を叩きつけ合う遊びのような動きだった。
だが、起こる衝撃はそのような微笑ましいものではありえない。
銀雪が無造作に振った剣に、梨太郎もハンマーと化した武器を叩きつける。
瞬間、空間に波が起こった。
空気、あるいは世界そのものがうねり、梨太郎と銀雪の剣がぶつかった地点からそのうねりが広がり、周囲にいる者を吹き飛ばす。
一合、互いに互いの武器を弾かれるように半歩後退。
二合、後退して出来た距離を踏み込みながら、再び全力で叩きつけ合う。
音とは呼べない何かが広がり、空間を満たした。剣と剣がぶつかった場所から不可視の何かが広がり、それは迷宮の壁を砂に変えていく。
三合、剣とハンマーがぶつかる。その衝撃で、銀雪の頬がわずかに裂け、血が噴き出す。
一方で梨太郎の仮面にもヒビが入った。
四合──
「すごいな。では、もう少しだけ力を出してみるか」
「Aaaaaaaaaaaaaaa……!」
剣とハンマーがぶつかり合った時に、『ごぎゃ』だか、『ぼぎゅ』だか、名状しがたい音が重苦しく響いた。
それは衝撃だった。剛力を誇る二者がただただ全力で武器を叩きつけ合った時に生じる、この世界の耐久限界を超える衝撃。それが鳴らした世界の悲鳴──
「ちょっと待った!」
少女の声がする。
銀雪も梨太郎も、構わず武器を叩きつけ合う。
五合目、銀雪の顔に広がる笑みから穏やかさが抜け、口角が吊り上がっていく。
梨太郎の武器が大きく弾かれた。迷宮の壁が触れてもいないのに吹き飛んでいく。
「みんな死ぬ! 梅雪も死ぬから!」
少女の声はどうやら、桜のものらしかった。
銀雪はこの少女を知っている。何せ、以前、自分の屋敷に踏み入って、剣聖とともに狼藉を働いた者だ。
直接見たわけではない。だがその風体、そして黒い神威の兵を操る様子は、梅雪からもたらされた情報と一致する。
つまり敵対者、梅雪が殺すべき対象。
それが梅雪の心配をするというのは若干の不可解さがある。
だがそれ以上に、不愉快さが勝る。
「この程度で死ぬほど、梅雪は弱くない」
「……」
「貴様はなんだ? なぜ、貴様が我が子の強さを決めつけ、あまつさえ心配するようなことを言う? なんの資格があってそんなことをする? ……不快だよ」
六合。
押し返されバランスを崩していた梨太郎が斬りかかってくる。
銀雪はあくまでも『ちゃんばら』で応じた。力いっぱい振られた剣に、力いっぱいの剣を叩きつける。
長年、己の力を抑え込んでいた銀雪は、全力を出すまでに多少ボルテージを上げる時間が必要になる。
今、一段階上がった実感があった。
梨太郎が吹き飛ばされ、桜にぶつかる。
銀雪はすぐさま追いかけ、七合──
桜にのしかかるように仰向けに倒れた梨太郎に向けて、剣を振り下ろす。
その衝撃だけで、桜が死んだ。
不死身の死霊術師はすぐさま蘇生する。だが、梨太郎に乗られているため動けない。
梨太郎はハンマーの柄で銀雪の剣を受けているが、ぎりぎりと押し込まれ、次第に腕が下がってきている。
「どうする、黒い騎兵? なかなか強いようだが、このままだと潰して終わるぞ」
「Guuuuuu……!」
「貴様がその程度のわけがなかろう。貴様は、梅雪を追い詰めた。それが、まだ本気になれない私に、ただ単純な力でやられるほど弱いなどというのは興覚めだよ。見せてみろ、貴様の力を」
「Ooooooooo……!!!」
黒いキビダンゴが、ベルトのバックルに喰わされる。
『──殲滅奥義』
「ちょっと!? 私が後ろにいるんだけど!?」
止まるはずもない。
黒い神威がおぞましく膨張し、梨太郎の武器が二倍、三倍と膨れ上がった。
瞬間的に上がった出力により銀雪さえも押し返される。わずかに出来た空間。梨太郎が銀雪の腹部を蹴り、吹き飛ばす。
「面白い──」
吹き飛ばされ、宙で姿勢を制御しながら梨太郎へつぶやく一瞬──
立ち上がった梨太郎が大剣モードに戻した武器を振りかぶり、振り下ろした。
黒い衝撃が銀雪へ向けて飛ぶ。
銀雪は、宙にいるまま、構えを変えた。
「──では、戦いを始めるか」
剣先を相手へ向けて突き出すようなその構え、地を踏んでこそいないものの、氷邑一刀流。
この剣術は体の前に円錐状の空間があると意識し、その内側に何者も入れず、裁き、受け、流すことを神髄とする。
梨太郎必殺の斬撃波──
銀雪はそれに切っ先を合わせると、空間がねじれるような力を伴うその衝撃波を絡め、回し、流し──
梨太郎に返した。
着弾。
黒い爆発。
土煙。
銀雪が着地する。
もうもうと上がる土煙が、内側から引き裂かれる。
そこには梨太郎が立っていた。
ただし、仮面は壊れ、黒い神威に侵された『中身』が半分覗いていた。
気弱そうな顔立ちの男だ。
まなじりの下がった、いかにも戦いとは無縁そうな目元が、割れた仮面の隙間から見えている。
ただし、その黒い瞳は、死霊術師の神威で濁っている。
……銀雪は情報が足りずにわからないが、その風体は奇妙なのだ。
桜の『影』となった者には、顔がない。死人に口無し──死人は目や声で意思を発することが出来ない。
だが、梨太郎の仮面の下には、『顔立ち』があった。
ともあれ銀雪にとって大事なのは、梨太郎が自分の『武』を使うに足る強敵であるという事実である。
今の応酬で相手が生きている。素晴らしいことだ。これは、戦いになる──
……だが。
銀雪は長年、己を抑え続け、最近、戦いの喜びを見出し始めたばかりである。
それでも、銀雪は人の親であった。
目の前の相手が、自分と戦いになるかもしれない強者である。
それ以上に大事なことは──
「父上」
背後から、血反吐交じりの声がする。
銀雪は梨太郎から視線を切り、背後を肩越しに振り返った。
そこでは、我が子が立っている。
未だ瀕死。けれど起き上がれるようになった我が子が、左右の手にそれぞれ剣を持ち、闘争心の宿った目を向けている。
「父上、これは、私の戦いです」
ふらふらと頼りない足取りで、進んでいる。
安全な銀雪の後方から脱するように、前へ、前へ。
「救援については感謝いたします。あなたが来なければ危うかった事実も認めましょう。けれど──これは、俺が総大将の、俺の戦いだ。後から来た分際で、横取りをするなど、許さぬぞ」
銀雪は、微笑んで口を開く。
「では、ご下命を。当主様」
「すっこんでろ」
「御意」
銀雪は銀舞志奈津を鞘に納め、梅雪に道を譲った。
着物の袖に手を入れるように腕を組み、ただ息子の歩む姿を見つめる。
後ろから前へ来る、燃え滾るような闘志を秘めた目を見た。
横を通り過ぎていく我が子の、身長が少し前に比べて、かなり高くなっていて……いずれ追い抜かれるのだろうな、と思った。
そして、横を通り過ぎて、自分より前に出る息子の背中を見た。
……大きくなっていた。ほんの少し──三十年を生きた自分からすればほんの少しにしか思えない、たったの数年という時間で。かつて見た背中より、ずっとずっと、大きくなっていた。
そして、その背中に寄り添う者たちがいた。
ウメ。阿修羅。それから七星家の侍大将彦一。
「なるほど、これはあなたたちの戦いだ」
いつの間にか、息子には息子の人間関係があった。
それは喜ばしく、寂しい。
……出来れば自分もあそこに混ざりたいという気持ちもある。
しかし、それは今ではない。当主直々の『すっこんでろ』という命令だ。これ以上の手出しは、息子を侮るも同然である。
だから銀雪は見つめるのみ。
彼の視線の先で──
砂賊糾合事変の戦いが、最高潮に至る。




