第226話 砂賊糾合事変決戦 三
「ヨイチ様、見逃して良かったのでしょうか」
「主人が『梨太郎が来たならば止めるな』と仰せである」
備中高松迷宮の外……
ペリーに攻撃されない岸辺で、ヨイチは全軍の軍監──主人に代わり、配下どもを監督する役割を遂行していた。
先ほど上空を渡って梨太郎が迷宮に入ったことを知っている。
……加えて、決戦が始まっているのだろう、すさまじい音と震動が迷宮全体を揺らしているのも、わかっている。
つい、助けに行きたくなる気持ちはわかろうというものだ。
だがそれが命令であれば行かない。そうして仮に判断を誤って主人が死したならば、その責任を負うのが『従う』ということであるとヨイチは考えている。
だが……
すさまじい震動。
何か大きなものが──たとえば壁などが破壊された、音。ここまで来る、瓦礫が粉砕されたことによる埃。
獣が吠えるような声。
『バックン!』という声が、静かな備中高松迷宮の夜によく響いた。
「ヨイチ様ぁ!」
今すがりつくようにしているのは、梅雪直属の三百名のうち一人だった。
さして名のある家の者ではないが、梅雪の抜擢を受けてその周囲を固めることを許されたうち一人である。
それだけに梅雪への忠誠心すさまじく、その様子は『梅雪が死ねば自分も死ぬ』と思っている様子であった。
……余談ではあるが、梅雪のあの態度は幼いころから変わらないものの、実行力がついたことで、一種のカリスマ性を感じる者が増えているという事情がある。
傲慢は有能な者が示せば、王の器のように見えるのだ。
ヨイチがすがりつく若者をどう黙らせようか思案していると──
不意に。
……本当に、不意に。今、この瞬間まで何もなかったというのに……
強大な神威が、オアシスの向こう側から発せられた。
すべての者が感じ取れるほどの気配だ。
ヨイチも当然瞬時に臨戦態勢になり、その手にはすでに弓が握られていた。
あの神威反応は、主人・梅雪の言いつけを破ってでも弓を用いなければならない、そう思わせるに足るものだった。
その神威は──
まず、ペリーの砲撃を受けた。
……まだ岸辺にいるように見える。
だというのに、オアシスに入る者を迎撃することしかしない──実際に真後ろにいるヨイチらにはなんの反応も示さないペリーどもが、一斉に砲撃を開始した。
それは生存本能による攻撃のようにさえ思えた。
集中砲火を受け、岸辺にいる者の姿が煙に包まれる。
次の瞬間──
オアシスの水が、断たれた。
刀を一振り、唐竹割に。
そういった風情で水が真っ二つになり、ついでのようにペリーの艦隊が消滅した。
その人物は、水が割れたことであらわになった水底を悠々と歩いて来る。
ヨイチは……
弓を置き、膝をついて、その人物を出迎える。
その人物は、
「ああいや、結構。……中、かな?」
梅雪の居所だろう。
ヨイチは軽い首肯で応じる。
その人物は左手で顎を撫でるようにして……
「では私も向かうか」
迷宮内部に、入って行った。
◆
梨太郎の大剣が爆ぜる。
地面が割れ、空気が震え、振っただけの衝撃で剣士どもが吹き飛ぶ。
「Oooooooooooooooooooooo!!!!」
絶叫。
その叫びは苦悶の色が濃かった。
まるで周囲に虫でも飛んでいるかのようにめちゃくちゃに大剣が振るわれる。
当然ながら他者を狙ったものではない。苦しみをまぎらわすために暴れている、というような風情。
だがそのめちゃくちゃな斬撃が衝撃を生み、地を割り、他者を寄せ付けない圧倒的な『暴』だった。
「一斉──ありゃ?」
桜がペリーに思念を飛ばそうとして止まる。
すでに迷宮の床を踏んでいた桜が一瞬振り返ると、水辺に浮かべておいたペリー艦隊が消滅しているところであった。
神威による姿の再現ではあるのでまた出そうと思えば出せるが、意図せぬ消滅は桜に動揺を生んだ。
「この俺との戦いの最中に、余所見をするなァ!」
梅雪が斬りかかる。
桜がそれを受ける。
愛神光流が、始まる。
梅雪が片手で放った逆袈裟。
一方で桜は防御などまったく考えずに、梅雪の肩から腰までを両断せんと、両手で袈裟斬りを放つ。
剣速、桜がわずかに速い。
桜の放ったのは、彼女なりの対シンコウの太刀。すなわち蜻蛉と呼ばれる『バッターのような構え』から、左手で振り右手で制御するのが当然である剣を、両手の力で振るうという一撃だった。
相手を両断することしか考えないこの太刀、不死者との相性はすこぶるいい。とにかく突っ込んでとにかく敵を真っ二つにするという動きには一切の迷いがなかった。
梅雪は剣の速度で劣ることを刹那に認識。このままでは、自分の剣が相手の体に触れるより早く、剣士の速力と腕力で押し切られる。
己を、見つめる。
(俺は剣士ではない)
名門後継のくせに、剣士ではない。
そのことを受け入れたくなくて癇癪を起こしてきた。
だが、
(それでも俺は、天才だ!)
梅雪の体から神威が吹き荒れる。
梨太郎が苦しみ、ランダムに放つすさまじい衝撃の中、その衝撃さえ利用して体に回していく。
桜の袈裟懸けが肩口に振れる刹那、梅雪が行ったのは剣で受けるとか、体で受けて衝撃を吸収するとかいうことではなかった。
道術で受ける。
愛神光流は、相手からの衝撃をこちらの力に変えて戦う剣術である。
一方で、氷邑一刀流は、剣士の優れた膂力や動体視力を前提に、手首や肩などを柔らかく使って、自分の正面、円錐状のエリアに決して攻撃を入れないという剣術である。
素晴らしい剣術だと認めよう。これのみで戦いが成立すると認めよう。
だが、氷邑梅雪は道術を用いる天才だ。
(愛神光流、氷邑一刀流、どちらも剣術の流派であり、剣術や身体運用に重きを置いていた。……だが、俺は剣士ではない)
『俺は剣士ではない』。
この言葉を内心で言えるようになるまで、一体いくつの発狂しそうな苦しみがあったことだろう?
求めていた。憧れていた。そう生まれたかった。そう生まれたら自分を苦しめるすべてが勝手に解決してくれるものだと思い、そう生まなかった天を恨み、自分を見下す周囲を憎んだ。
だが、生まれは変えられない。
変えられるのは、生き方だけだ。
(愛神光流開祖シンコウ。それに、氷邑一刀流の開祖たる、父祖道雪。……喜べ、凡才ども。お前らの剣術は、この俺が完成させてやる!)
天才の自負と矜持がある。
だからこそ、今まで誰も出来なかったことが自分には出来る。
氷邑梅雪の動きが、進化した。
道術で生じた金属礫を以て、桜の剣を受け流す。
中空を舞う複数の金属礫を操作しながら、精妙に剣を操り、桜に斬りかかる。
「お、おおお……!?」
不意に多角的かつ多数になった攻撃に、桜が対応する。
対応を許している。まだ、道術操作の術理に甘いところがある。
(複数思考を並列的に行え。己の姿を天から見下ろすがごとく客観視しろ。一髪千鈞を引く戦いの中、一瞬の思考の乱れが生死を分けるこの生き死にの境において、新しい技を、それも、複数の礫を操作する技をぶっつけ本番で試す──)
剣術と道術を切り替えるのではなく、二つを同時に行使する。
……アイデアはあった。だが、その負荷の高さと、得られるメリットの薄さから、梅雪はその道を除外して考えていた。
だってそうだろう。剣術を使う状況というのは、失敗すれば死ぬというものだ。その中で道術の操作に意識を割きながら剣術まで行使するというのは、人間の処理能力を超えている。そもそも、別に一刀流と二刀流で比較して二刀流が圧倒的に有利ということがないように、戦闘において手数の多さは必ずしも相手を倒すのに役立たない。
剣が二本あろうが操るのは一人であり、戦闘時に一人が制御出来る物事には限度がある。
限度がある。間違いない。
(──小僧の思い付き。『ぼくのかんがえたさいきょーのせんじゅつ』。とにかく手数を増やそうというのは阿呆の思い付きにしか過ぎない。実現性に乏しく、実現出来たところで、効果はさほどでもない)
むしろ注意を割かれて死にやすくなる間抜けな行為でさえある。
……だが。
(この俺に不可能はない)
間抜けで無意味な戦術。思考負荷を増やすだけの夢物語。
しかし剣術も道術も出来る自分ならば、これを『術理』として編み上げることが可能。
桜という危機、梨太郎という脅威を前に、氷邑梅雪はようやく進化する。
「喜べ桜。貴様を殺すために、一つ、編み上げてやる。ゆえに──大人しく死ね、化け物ォ!」
氷邑梅雪の神威が躍動する。
金属礫で受けた衝撃を利用して愛神光流。
同時、氷の道術を桜の周囲、あらゆる角度から放つ。
己の道術とはいえ、己に当たれば傷を負う。それゆえに梅雪は自分の道術の隙間を縫うようにして踏み込み、桜の胸に突きを放つ。
まだ遅い。
桜は道術をかわし、突きを拳で叩いて逸らす。
反撃の剣が梅雪の首に迫る。カウンターであること、速度が乗っていること。避けきれるものではない──
進化する。
己の道術を己に放つ。
剣で受けて、その勢いに体を持っていかせる。
不自然な軌道で回る梅雪は、勢いを転で回し、桜に斬りかかる。
ふくらはぎの半ばから脚を断つことに成功。
だがそれでもまったく動きが鈍らないのが蘇生をし続ける反則女。片足を斬り飛ばされながら即座に治癒。反撃の剣まで放ってくる。
桜の周囲で氷の礫が舞い、その礫から次々とつららのように尖った道術が放たれる。
中空を舞う金属礫を踏み、叩き、二足歩行で飛行の出来ない生物とは思えない不自然な軌道で動き続ける。
桜が対応を始める。
梅雪が出した道術礫を利用し、放たれる道術を体や剣で受け、こちらも動きを不自然な様子にしていく。
自分が操作する道術で、同じ軌道の自由度。
──これは、『お前程度の放つ道術など、簡単に読める』という煽りである。
煽られて梅雪はまた進化する。
桜に当たりそうになったつらら状道術を掴んで剣と成す。
梅雪によって放たれた道術が梅雪によって止められたことで、桜の動きに一瞬のこわばり。
そのこわばりの間に梅雪がしたことは、多角的に道術を放ちながら桜から距離をとることだった。
距離をとって──
今の梅雪は、神喰状態である。
しかも、異世界勇者──死霊術師の神威をその身に回している。
だからこそ、
「降りろ、熚永アカリ!」
死者を影として蘇生することが可能。
そして、梅雪固有の技術により──神威をその身に取り込み、神威の技術や性質を操ることが、可能。
それゆえにどうなるか?
梅雪は、黒い神威で作られた矢を放った。
名門嫡男であるが、弓の訓練はしていない。
だがその弓の技術は精妙。まるでこの技術を深く習熟した天才のごとく、あちこちに移動しながら、桜を射抜かんと黒い神威の矢を、それこそ矢継ぎ早に放ち続ける。
呼び出した熚永アカリの影は存在しない。それを取り込み成した弓使いの梅雪。
道術と神威矢が、桜の動きを縫い付ける。
多方面から放たれ続ける複数の射撃攻撃は、桜をしてその場で足を止めて対応するしかない密度であった。
だが、飛び道具ではヤツは殺せない。
わかっている。だから──
「降りろ、尾庭博嗣!」
──どれほど遠間にいようとも、一瞬で相手に肉薄する独特の踏み込み。
手にした武器はいつの間にか弓から金棒に変わっていた。踏み込みの勢いのまま、矢より速く迫った金棒の強烈な一撃は、桜を叩き潰し地面のシミにした。
だがシミがうごめく。影が粒子のように舞い、桜が蘇生する。
殺し切れない。
──それがどうした?
「好きなだけ蘇生しろ。許す。死ぬまで殺してやる」
金棒による滅多打ちで、蘇生するそばから殺し続ける。
過去、帝の祖さえ殺し損ねた化け物を殺し続ける。
神威は確かに散逸している。だが、容量があまりにも大きい。それがなんだ。百回で足りないなら千回、千回で足りないなら一万回殺す──
「こ、れ、は、ちょっと、まずい……!」
蘇生しきる前に殺され続ける桜が、別な場所での蘇生を試みる。
させない。尾庭博嗣の踏み込みは、梅雪の天才性と合わさり、ほとんど瞬間移動のような速度に達していた。どれほど遠くであろうが、直線状で遮蔽物さえなければ一瞬でたどり着き殺す。
その時、
「Oooooooooooo!!!」
梨太郎の咆哮がひときわ大きく響き渡った。
苦しみの様子をやめ、大剣で桜に斬りかかる。
「あれ、師匠が出て来ないな!?」
桜はおどろきながら対応する。
だが梅雪の多角的な道術攻撃が続く中、梨太郎と、金棒を持った梅雪本体まで相手にするのは、いくら無限に成長する不死の化け物だとしても具合が悪いらしい。幾度も殺されていく。
その中で──
「しょうがないか。無理強いしたくはなかったけど──」
桜が、何かを始めようとしている。
氷邑梅雪の知らない何かだ。『中の人』の知識にない何かだ。
……だが。
桜の黒い神威が、梨太郎のベルトへと注がれていることは、わかった。
「桜ァ! 何をしようとしている!?」
猛攻。
しかし、死なない。幾度も殺しているというのに、桜の完全なる死がまだ見えない。あまりにも理不尽。神威量が多いというだけでは到底説明がつかない死ににくさ。なんらかの条件を達成しなければ殺せないという、妖魔らしい妖魔──
その妖魔が、梨太郎の中に滑り込んでいく。
梨太郎の、心の中に。




