第224話 砂賊糾合事変決戦 二
「Uoooooooooooooooooooo!!!」
仮面の下から獣のような叫び声が響き渡った。
梨太郎の猛攻──
氷邑梅雪は、桜に振るわれる絶対的な暴力を見て、舌打ちをした。
(俺に向いているわけでもない攻撃で、少しだけ、身が竦んだ)
犬形態の梨太郎の攻撃は、少し離れた場所から見ても圧倒的だった。
白い仮面甲冑姿で、白い槍を持った梨太郎。
その槍が振るわれるたびに空気が裂ける高い音が鳴り響き、震動で空間さえも歪むようだった。
桜はその猛攻を愛神光流で受け流しているが、あの剣聖に皆伝を認められた腕前をして、流すだけで精いっぱい、反撃に移ることが出来ていないのが明らかだ。
梨太郎の槍さばき──
精妙ではない。
あまりにも荒々しかった。槍ではなく、ただの棍棒かのように、振り回す、殴る、叩きつける。
ただその速度が異常なのと、威力が異常なので、愛神光流という『格上殺し』に特化した剣の技術を発揮させずに叩き潰そうとしている。
「うわ、これはすごいね!」
桜は嬉しそうに言いながら転で増幅した力を利用して離脱。
だが距離をとったところで意味はない。
なぜ、犬形態は槍なのか?
……『犬』というのは、実のところ、人間に向けて使う場合は、いいイメージの言葉ではない。
『犬畜生』『犬にも劣る』などという、人間へ向けた表現が古来からある。
そのイメージを前提として、不名誉とされる攻撃方法に『犬』をつけて呼ぶことがあった。
犬形態が槍である理由。
それは、
「Ooooooooooo!!!!」
梨太郎が、槍を投げる。
投げ槍、遠くから不意に槍を投げつけて攻撃すること、それは名誉のない行いとされ──犬槍とも呼ばれた。
梨太郎の白い槍が、離脱した桜へと豪速で迫る。
転で溜めた勢いは梅雪の屋敷から逃げ出した時ほどではなく、今の桜はそもそも『この場からの離脱』ではなく『少し距離をとろう』としただけなので、速度もさほどではない。
投げられた槍が桜の胴を貫いた。
胴体が『パンッ!』という音を立てて弾けて飛び散る。
投げられた槍はしばらく進んで桜の『影』どもを貫くと虚空に消え、気付けば再び梨太郎の手にあった。
梨太郎は手に槍が戻ると、爆発的な勢いで地を蹴り、下半身だけしか残っていない桜へととびかかる。
次の瞬間、桜が蘇生した。
どう見ても死んでいる状態であろうが、異界の侵略者ども──怨異の神威を感知することに長けた梨太郎をごまかすことは出来ない。
「あ、ちょっと待って、服、服が」
飛び散った布をかき集めて体を隠し、恥ずかしそうにしながら桜が応戦する。
そこに、
「貴様の敵は梨太郎だけではないぞ、桜ァ!」
梅雪も参戦する。
「ちょちょちょ梅雪、今はだめ! 今はだめだから!」
「気色悪い!」
この一髪千鈞を引く戦いの中で、桜はあくまでも『男の子に裸を見られた女の子』として恥ずかしがっている。
その様子は気色悪い。それさえ通り越して恐怖の対象でもあった。
何せ、前から梨太郎、後ろから梅雪に斬りかかられ、片腕で胸辺りを隠しながら、応戦しているのだ。
応戦しきれているわけではない。
梨太郎の槍が桜の体をこそげとり、うち砕き、破裂させる。
梅雪の剣が急所に滑り込み、重要な骨を分断し、血管を凍らせる。
幾度も死にながらしかし、桜はまったく余裕を崩さない。
もちろん、死にもしない。
……いや、幾度も死んでいるのだ。蘇っているだけで。
「本当に厄介な不死者め!」
梨太郎と梅雪の攻撃が激化していく。
だが桜を殺しきるところまで行かない。
……この強者二人の猛攻を受け続けて、生き返り続けている。
そして、それは、
「……うん、わかった。こうかな」
無限に成長する存在──主人公に、成長の機会を提供してしまっている、ということでもあった。
最初は不器用に。
時々失敗して、酷い目に遭って。
でも、だんだん小器用に。
剣を剣で受け、ギリギリでかわし、足運びにも気遣えるようになって。
そして、ついに。
前後から寄せられる無数の攻め手に、完璧に対応し始める。
「貴様ァ!」
梅雪は自分の剣が受け、流され、体勢を崩されるのが増えてきているのを感じ取っていた。
氷邑梅雪とて天才である。その目の良さ、物覚えの良さにかけては剣聖さえ唸らせた。
だが、桜の成長速度は、その梅雪をさえ超える。
……超える。
……本当に、超える、のか?
(この俺が)
氷邑梅雪は天才である。
足らぬを知り、足らぬを受け入れ、己の優れたるところを見つめられるようになり、成長することを覚えた天才である。
(この俺が、こんな、いかに異世界勇者とはいえ、発生して一年も経っていないだろうやつに)
ゲーム剣桜鬼譚において、主人公はゲーム開始時に発生する。
本来は死国に封じられているはずの異世界勇者。それが記憶や力の大部分を失って、この世界の人として切り分けた分御霊。それこそが主人公の正体である。
だから主人公は、死国と大陸とを結ぶ大橋のたもと──氷邑家が警備する『魔境』の中に、記憶を失った状態で唐突に発生するのだ。
ゲームの通りであれば、剣聖が桜を発見したのは、発生直後のはず。
つまり、桜はこの世界に再誕してから一年も経っていないことになる。
その、若輩者に。
(この俺が、負ける? 成長速度で──天才性で、この俺が、こんなやつに、敗北する?)
梅雪は、つい、刀を持つ手に力がこもってしまうのを感じた。
……梅雪はずいぶん落ち着いた。それは自分に『他者には負けないもの』があると理解しているからだ。
その『他者には負けないもの』こそが、『天才性』。
あらゆる者をぶちぬいて成長することが出来るという事実こそが、梅雪の自信の根幹。
それを、超えられる?
天才性において、二番手に堕ちる?
それは、
「──受け入れられるわけがあるかァ!」
梅雪の、心の底からの危機感と怒りを煽った。
だが、雑にはならない。
今の梅雪は、知っているのだ。
怒り、焦り、危機感、不安。
そういったものに対処するには、ただ怒鳴り散らせばいいのではないのだと。
自分を煽った者、見下した者に対し、自分の小物感を見せつけても、それは馬鹿みたいな振る舞いでしかない。
悔しいと思ったならば。
怖いと思ったならば。
絶望を感じたならば──
「──この俺の方が貴様より成長すると示してやるぞ、桜ァ!」
──実力でわからせろ。
己こそが、誰よりも天才であると。
梅雪の剣が桜の肩口に迫る。
これを読まれていた。肩で受けた桜がその勢いを吸収していくのが感覚でわかる。
だが、成長する。
吸収された勢いの方向をずらす。
剣が当たり、威力が相手の力となる刹那にずらす。とてつもなく難しい。だが、出来るようになる。今、ここで。
衝撃の方向をずらされたため、桜の『力の吸収』が弱まる。
その隙を突いて刃を寝かせ、肩を斬る軌道から首を引っかける軌道に変える。
だが相手も成長する。力の方向を急にずらされたなら、その『急なこと』にさえ対応してみせる。一秒前、いや、一瞬前までは間違いなく出来なかった精妙かつ高度な身体操作。間違いなく桜はこの一瞬で成長していた。
追いついてみせる。
足を浮かせずに踏み込んで抗力を発生させる。
その力によって剣にかかる力を増す。桜の想定を一瞬超える衝撃を生み出し、あわや吸い取られかけた力で桜の首をへし斬ることに成功する。
殺害。
蘇生。
首を断たれた桜が、帽子でも押さえるように頭に手を当て、梅雪を振り返る。
その顔には驚きと喜びがにじんでいた。殺されて喜ぶ変態。首を断たれて死なない人外。そのことになんの疑問も抱いていない、自分が生きられるならばどれほど不自然でも理由などいらないと思い込んでいる主人公の精神性。
化け物め、と梅雪は口の中で転がした。
桜の反撃。
首を断たれたことで勢いは少し減じてしまっているけれど、まだまだ愛神光流の神髄は息づいている。
残った力を回して勢いを増しながら桜は梅雪の脛に刃をかすらせようとする。
脛斬りは梅雪が特に多用する技術だ。踏み込むと脚というのはだいたい剣を持つ手と同じぐらい前に出るものであり、なおかつ、剣を持って踏み込んでいる時には相手を斬ることを意識しているものだ。そのため、視界に入らない脛への意識はなおざりになりがちで、カウンターとしての脛斬りはかなり入りやすいと経験から知っていた。
とはいえ剣聖などの一部の者はこれをかわし、逆用する。
桜もその位階の使い手。
もちろん、梅雪もだ。
脛を斬られる勢いに足を持って行かせ、宙で横に回転するようにしながら上半身をひねり、桜の胴を狙う。
剣聖が最初に見せた光断。相手の剣の勢いで体ごと回るというこの隙の大きな動きには、これはこれで利点がある。
曲芸的に大ジャンプをしたり、宙返りをしたりというのは、いかにも演武的で、人に魅せることを意識した大きな動きでしかない。武ではなく舞だと言われることもあろう。
だがしかし、大きな動きは人の意表を突くことが出来る。
美しい動きは人の魅了を誘う。
『意外なことをされて、びっくりして一瞬動きが止まってしまう』というのは、実戦でその状態になれば死あるのみ。
相手がどう動くかを精緻に読んでいる殺し合いの中でこそ、相手の読みの中にない動きを挟むことで、より大きな相手の動揺を誘える。
実際、桜は、宙を回る梅雪を見て、目を見開き、驚いていた。
胴に剣が通る。
桜の肝臓あたりをがっつりと斬り、梅雪は着地。同時に身を低くして踏み込み、細かく足を狙って右へ左へと刃を幾度も往復させる。
桜は足を大きめに上げて後退しながら梅雪の斬りつけをかわす。
その動きもまたどこかコミカルな、舞いのようであった。
「Oooooooooooo!!!」
桜が結果的に距離をとることになると同時、梨太郎が槍を投げ放つ。
投げられた、と思ったらもう頭部に迫っている。凄まじい速度。
だが所詮は投げ槍。握ったまま突いて来るのと違い、軽く払えば落ちる。……その『軽く払う』が梨太郎の腕力で投げられるとそもそも難しいのだが、そのぐらいのことは桜であれば可能だった。
だから、柄で叩き落としたと思った槍が、落ちないのは──
投げた槍に追いついた梨太郎が、槍の柄を再び掴んでいたからだった。
「な……」
「Aaaaaaaaaaaa!!!」
驚きは一瞬だけ時間を止める。
激しい戦いの中でほんの瞬き一回にも満たない時間だけ訪れる『驚き』は、致命的な隙となって桜を死なせることになった。
投げた勢いのまま片手で放たれた突き。
走った勢いのまま、桜の胴に槍を突き刺し、進んでいく。
桜は幾度も幾度も殺されながら蘇生を続ける。
突き刺されたまま運ばれた桜は、迷宮の壁にぶつかってようやく止まった。
だが、ぶつかった衝撃で『死した迷宮』の壁が破壊され、桜は水場へと投げ出された。
備中高松迷宮を囲む水場。
すなわち、ペリーの備えているオアシスである。
「一斉射撃」
桜がそのような意思を伝達したと同時、桜を乗せるように水中から浮上した無限増殖黒船から、無数の神威砲弾が放たれる。
梨太郎はとある呪いを受け入れることで不老の存在になっている。
だが、不死ではない。この最強無敵に思える存在は、実のところ、殺されれば死ぬ。彼はあくまでも妖魔ではなくて、このありさまになってなお、人間なのだ。
その梨太郎に迫る必殺の集中砲火──
『バックン!』
ベルトの声が響き渡る。
『──テンカムソウ』
「集中砲火、もう一度!」
何かを感じ取ったらしい桜の声には、危機感があった。
だが、遅い。
集中砲火が上げるもうもうとした煙の中……
『鬼門遁甲』
圧倒的な白とも黄金ともつかない輝きがあふれ出し……
晴れた煙の中、これまでとはまったく違う姿の梨太郎が立っていた。
背中には鳥のような翼を生やし、上半身は隆起した筋肉を思わせる装甲。そして足には素早く駆けることの出来そうな爪を備え……
剣と槍と弓を合わせたような大剣を手にした、紫色に輝くその姿。
鬼門遁甲形態。
無限に続く怨異との戦いの中でたどり着いた、梨太郎の最強装備であった。
「……やばいかも」
桜が笑う。
だが、戦意は衰えた様子ではなく、むしろ、これから始まる戦いを楽しむかのような、これまでの彼女にはなかった表情だった。
一方で──
「……まずい」
梅雪もまた、舌打ちしかねない様子でつぶやいていた。
……なぜならば。
鬼門遁甲形態は、確かに最強の形態なのだ。
ゲーム剣桜鬼譚において、梨太郎を仲間にするには倒す必要がある。
だが、一回倒しておしまい、ではない。このクソ強ユニットを幾度も倒す必要があり……
基本、サル、トリ、イヌの四つの形態を超えた先にあるのが、この鬼門遁甲形態。
……つまりこの形態を倒せば、ゲームでは、梨太郎が仲間になる。
主人公の、仲間になるのだ。
……すべての形態を打ち破られ、弱ったところを、『影』に取り込まれ、仲間になるのだ。
「梨太郎はやらせぬぞ!」
梅雪がとびかかる。
桜が笑いながら応対する。
梨太郎が大剣を振りかぶり、斬りかかる。
鳥取砂漠における現在最強の三勢力が、いよいよその殺し合いを最終段階に至らせようとしていた。




