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第222話 ワ・ライラ 五

「…………」


 暗闇の中で、梨太郎(なしたろう)は遠くを見つめる。


 この目に映るのは異界の怨異(ONI)

 この身が感じるのも、異界の怨異。


 クサナギ大陸は八百万(やおよろず)の神が出る場所だ。

 あらゆる人の願いがあらゆる神を生み出す。


 だがしかし、存続し続けられる神というのは多くはなかった。

 神は生まれては消え、また消えては生まれる。


 そうして消えた神のいた場所は、『異界』に付け込まれる空白となった。


 ……村を追われた人たちがいた。

 家族を殺された人たちがいた。


 強い者は弱い者に理不尽を強いる。

 許せなかった。どうして弱いというだけで当然のように奪われなければならないのか。……もちろん、世界は残酷で、そういうのが『当然』と言われているのも知っていた。でも、納得だけは出来なかった。


 ──■■■■ちゃん。

 ──オレは、やっぱり、イヤなんだ。

 ──……そりゃあ、オレは全部を救えない。でもさ。

 ──この手が届く範囲にいる人が、この目で見える範囲にいる人が、困っているのに、何も出来ないなんて、イヤなんだよ。

 ──だからオレは戦うんだと思う。

 ──これは、オレに力があるからじゃない。

 ──オレにあるのは、力じゃなくて……


 ──願い、なんだ。


「……Uuuuuuu……」


 うなり声は獣のようだった。


 思い出せない。頭の中に響く声は誰のものだっただろうか。あの日、自分に戦う理由を問いかけた彼女は誰だっただろうか。自分を育んでくれた人は。大事にしていた友達は。


 この目に映った悲劇は。


 この手につかみ損ねた希望は。


 ……いったい、どういうものだったのだろう?


「……Aaaaaa……」


 数多の『怨異』を屠った。

 だが、まだ減らない。異界の怨異はまだクサナギ大陸におり、この大陸を自分の場所にしようとしている。すでに住んでいる人たちを殺して、焼いて、蹴散らして──守りたい大事なものを踏みにじっている。


 ──マキビくん。

 ──きっと、長い時間はあなたから全部をすり減らすと思う。

 ──鳥取の砂粒が、もともと何だったのかわからないように、きっと、あなたもいずれ、この砂と同じものになる。

 ──それでもあなたは、永遠の戦いを続けるの?

 ──守りたい人がいなくなった時代になっても、永遠に戦い続けるの?


 思い出した。

 金色の尾を持つ少女の声だ。 


 別な大陸から来たという──

 確か、彼女は──


「Guuuuu…………」


 ──■藻■■ちゃん。

 ──きっと、後悔するんだろうなって思うよ。

 ──でも、未来にする後悔は、今、苦しんでる人を見過ごす理由にはならないとも思うんだ。

 ──だから、きっと……


 ──未来でまた会おう。

 ──オレ、頑張るからさ。


 梨太郎は頭の中に響く、よくわからない言葉を、よくわからない姿を、振り払うように首を揺らした。

 掌で頭を抱え、見つめる方向は、備中高松(びっちゅうたかまつ)迷宮。


 鳥取砂漠じゅうに広く薄く展開していた『異界の神威』。

 これの処理をしていたせいで気付けなかったけれど、あそこには今、大量の『異界』がある。


 戦わなければならない。

 ……なんのために?

 わからない。もう、戦う理由は失われた。大事な人の顔も、声も、覚えていない。


 でも、願いだけは覚えている。


 怨異を退治する。

 きっとそれが、梨から生まれた理由なのだから。



 備中高松迷宮、最奥──


 かつて『迷宮の神』がいたその場所には、小さな焚き火を挟むようにして、二人の少女が座っていた。


 一人はシカノ。

 名目上、砂賊の盟主とされている少女だ。


 そしてもう一人は……


「……あ、氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)


 一人は(さくら)

 梅雪の姿を見かけると、どこか照れたような、気まずそうな、謎の表情を浮かべる女。

 その黒い一つ結びにした髪も、目の色の黒さも変わっていない。

 だが服装は砂賊風になっており、あまり見ない編み方の紐で縛る、生成りの貫頭衣という格好になっていた。

 ……そして、瞳に、かつてなかった『色』がある。


 梅雪はちょうど、剣聖との戦いを終えたばかりだったので、その『色』に気付いてしまった。


「……どこぞの変態女と似たような目つきをするようになったな、桜」


 その目に宿る情念、シンコウから感じ取っていたものである。

 すると桜は「いやあ」となんでか知らないが、照れたように頭を掻いた。


「あのね、氷邑梅雪──」

「いちいちフルネームで呼ぶな。気色悪い」

「じゃ、じゃあ…………名前で呼んでも、いい?」

「…………」


 梅雪はとてつもない据わりの悪さを感じていた。


(なんなんだこの女は? 少し会わないうちに様子が明らかにおかしいぞ? というか──俺と出会う女は、最初から『こう』か、次第に『こう』なるかしかない……遭遇する女が全員この感じになっていくのは何かの呪いか?)


 梅雪は経験からこの手の変態にあんまり構ってやると相手を喜ばせるだけだと知っていたので、投げやりに「好きにしろ」と吐き捨てることにした。


 一方で桜は『人差し指を合わせて腹の前でくるくるさせながら、もじもじとし、視線を合わせるのがなんだか恥ずかしいというように目を泳がせながら、口の端にこらえきれないニヤつきを浮かべる』という奇妙としか表現しようのない様子で、


「ば、梅雪……あのね」

「……」


 心底気持ち悪かった。

 気持ち悪すぎて怖かった。

 本当になんなんだろう。何が起きてこうなったのだろう。

 一体、ここからどんな発言が飛び出すのか、恐ろしくて聞きたくなかった。だが、聞かないで帰るのもそれはそれで怖いので、さっさと話して欲しかった。


 その答えは──


「あなたを、殺したい」

「……」

「たくさん攻められて、それで、気付いたんだ。……最初は師匠の願いだった。でも、今は……私が、あなたを殺したい。たくさん追い詰められて、どんどん攻められて、すごく……あなたと戦っているとね? すごく、生きてる感じがするの。ものすごく……新鮮な気持ちになって、見るもの全部が輝いて見えるって、気付いたんだ」

「そうか。病院に行け」

「だからあなたと……殺し合い、ます! あなたとこの距離で殺しあったら、私……ものすごく、生きてる実感を覚えられる気がするんだ。おかしくなりそうなほど、生きてるって、感じちゃいそうで、ちょっと怖いけど」

「すでにおかしいので安心しろ」

「うん、じゃあ──殺すね」

「……やってみろ変態二号。貴様はやはり、ここで殺しておく」


 不死身にして不滅の死霊術師が、刀を抜く。

 梅雪も応じるように愛刀を抜いた。


 迷宮最奥──


 砂賊糾合事変における最後の戦いが、始まる。

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