第220話 備中高松迷宮攻略戦 二
備中高松迷宮──
天井や壁、床などがところどころ破壊され、穴が空いたまま修復されていないものの、ここは『迷宮』である。
『迷宮』というのは入り組んだ複雑な構造の先に神が眠る場所を指す。
帝の居城である帝都蒸気塔などは、この迷宮をベースにして『最奥にいる者の神格化』を試みた構造となっていた。
この備中高松迷宮に実際に挑む際に認識しておかねばならないことは二つある。
一つはここが、ゲーム剣桜鬼譚においては、『迷宮』にカテゴライズされる場所ではないということだ。
ゲームにおける備中高松迷宮は、『迷宮だったという設定がある領地』でしかない。
この場所に侵攻しても、『迷宮攻略パート』は始まらないのだ。
なので氷邑梅雪の『中の人』知識を以てしても、この迷宮の攻略道順はわからない。
そしてもう一つは、『すでに死した迷宮』だということだ。
迷宮というのは、最奥に座す神の御業により、壁や天井、床などは不思議な力で守られている。
破壊が不可能なのだ。それは、どのような剛力の者とて変わらない。世界の法則と呼ぶしかない、概念的な破壊不可能オブジェクトなのだ。
だがここは『元迷宮』なので、破壊が可能である。
お互いに、破壊が可能なのだ。
……迷宮内を進む氷邑家。
迷宮というのはゲーム上では兵を率いて入ることが出来ず、指揮官が最大六人で一党を組んで入るという仕様になっている。
こうして今挑んだ備中高松迷宮もまた、通路の広さ、入り組んだ構造ゆえに侵入人数を絞らざるを得なかった。
挑むのは氷邑梅雪、その護衛としてウメ、斥候役を期待して忍軍頭領アシュリー、それにイバラキとトラクマ……
先導役として七星彦一以下五名の七星家精鋭という形だ。
ヨイチは外に置いてきてある。
軍勢を外で待たせている都合上、大将代理で軍を率いる人材は必要だ。
その役割を任せられるのが梅雪直属の三百名の中から誰か出すか、ヨイチぐらいだったのだ。
集団戦ならばイバラキに任せるのは手だったのだが、イバラキはその人格と出自から大軍の将帥には向かない。
また、彼女には迷宮内で役割があり、連れて来たというのもある。
「こっちだな」
分かれ道で七星家が止まると、イバラキがしばらく悩んだあと、道を示す。
イバラキには『お宝発見!』というスキルがある。
これは迷宮内で『お宝』がある方向の選択肢が光るというものであり、この現実においては、三種の神器の場所を知らないイバラキを、神器アメノハバキリの場所まで導いた実績のある、独特な嗅覚である。
そしてすでに廃された迷宮であるこの場所に、いわゆる『お宝』はないはずだ。
とくれば、梅雪にとってのお宝──『桜の首』まで導いてくれるはずだ、ということで採用している。
実際にどこにたどり着くのかは知らない。『廃された迷宮』というものが、『中の人』の知る限り、この備中高松迷宮しかなく、他の場所で事前確認など出来なかった。
だが、確信がある。
たとえ、イバラキがいなくとも──きっと、桜の元へとたどり着く。
イバラキが示す方向と、梅雪が『何か』を感じ取る方向は同じだった。
迷宮特有の『迷わせる力場』が働いているせいか、シナツの風による先の探索は出来ない。……だが、感じる。近付いている、と。
実際──
「氷邑様、来ます!」
彦一が鉄鞭を握りしめ、七星家一党が臨戦態勢に入る。
ほぼ同時、迷宮の壁を破壊しながら、真っ黒い『影』が梅雪らに襲い掛かる。
桜の『影』だ。
迷宮に入るまで、ペリー以外の『影』はどこにもいなかった。
だが迷宮に入った途端、このように散発的に襲い来る。
襲撃の一回一回が必殺の意思のあるものであり、厄介なことに、直前の襲撃で倒した者が、何度でも復活し襲い来る。
なおかつ、影の一つ一つが精鋭。……どうにも桜の『影』には『影となった者の実力が最高潮に至っている瞬間』を再現する特徴があるらしい。
どのような者にだって『乗っている瞬間』というのはある。激戦の果て、あるいは鍛錬の果て、もしくは運良く何か調子がいいなという時。桜の『影』はそういった瞬間を切り取る。だからこそ、ただの雑兵であった者が、『影』として出現すると、一廉の武人のようになるのだ。
もっとも、それは──
「まったくもって、ご苦労なことだなァ? ──より取り見取り、食べ放題というわけだ。顎を開け、世界呑ハバキリ!」
梅雪が小刀を抜き放つと、そこから白と水色で構成された双頭の大蛇が出現する。
それが咆哮を上げながら飛び回り、大きく開いた口の中に桜の『影』を呑んで──蛇の姿に固めた道術によって、殺し、その残滓を吸収していく。
呑まれたものは純粋神威に分解され、梅雪の全身に黒い雷のようになって絡みついた。
西洋甲冑めいた鎧の姿となり、剣は黒い刀となる。
現在の長身となった梅雪に適切な長さの刀。長刀でもなく、小刀でもない。スタンダードな長さの刀である。
黒い神威をばちばちとまとわせる姿になった梅雪が、剣を構える。
同時、横についているウメが業物長刀『貪狼』の柄に手をかけ、鯉口を切った。
第一波を純粋神威として吸収したあと、第二波が襲い来る。
狭い迷宮通路内、破壊されて開いた穴から迫り来る無数の『黒い影』──死者を前に、梅雪一党は背中を合わせるように構える。
そして、同時に全員が動き始めた。
わずかな差で最も早く敵に攻撃をつけたのは七星彦一。
迷宮突入前にヨイチと会話し、何かを託されたらしい。矢のような速度で猛進し、黒い影どもが最も集った場所に突撃。鉄鞭を振るってまとめて影どもを吹き飛ばす。
飛ばされた影どもは迷宮の壁や天井に叩きつけられて靄になり消えていく。
だがしかし敵の数は膨大。桜はすでに砂賊すべてを己の影としており、これらは桜の神威がある限りいくらでも復活する。
桜の神威量は、氷邑屋敷で戦った時よりも増しているようだった。
主人公は成長する。
それも、鍛えれば鍛えるだけ。
だが、主人公以外が成長しないわけではない。
「どすこぉい!」
という声とともに敵に突貫するのは機工甲冑阿修羅。
搭乗者はもちろん忍軍頭領のアシュリーである。
阿修羅の『口』となっているアシュリーの声は、かつて大江山を攻めた時よりもわずかに低く、『ガキっぽさ』が抜け始めていた。どうにもアシュリー謹製の機工甲冑は、人間のように歳を経るらしい。
多少の落ち着きを身に付けた悪ガキは、しかし勢いを失ったわけではない。
敵の密度の濃い場所に突撃し、張り手で散らす、複数人をまとめてひっつかんで投げ飛ばす、四股を踏んで衝撃で吹き飛ばすとやりたい放題だ。
吹き飛ばされた黒い影が梅雪に迫る──
だが、ぶつかる前に一刀両断されて靄になって消えた。
ウメの刀がいつの間にか抜かれており、その長い刀が抜く手も見せずに抜かれると、広い範囲の影が両断され、燃え散る。
ホデミの炎を刀にまとわせたウメの構えは愛神光流。必ず殺す相手である桜と、主人である梅雪以外がいるこの場所では、さすがに氷邑一刀流は使えない。だが、まったく問題がなかった。
長刀が空を滑るように流れ、何かにぶつかり、反転。
梅雪の周囲を赤い筋が走るとともに、接近するすべてが斬り捨てられていく。
……では、その梅雪は何をしているかと言えば。
「……さて、これで会うのは三回目か。襲撃のたびに顔を見せるとはなァ。まったく──死んでも厄介な変態め」
桜の影。
桜に想いを託した死者たちの魂。願いの残滓。
その中には当然、いる。
剣聖シンコウ。
黒い影となった、全盛期のシンコウ。
すでに迷宮内でこういった襲撃を受けるのは三回目だ。
一度目は剣術での戦いにおいてやや危うい結果になりそうになり、結局のところ、集団の利と、こちらもシンコウを出すことで対処した。
二度目は状況がよろしくなかった。床が派手に壊れた区間であり、鈍重な阿修羅などを抱えた梅雪はシンコウの相手をシンコウに任せてその場を切り抜ける判断をした。そうして一定区間を離れ、形としては『逃亡』となった。
そして今、三回目──
周囲はウメが守り、邪魔は入らない。
足場はしっかりしており、抜けることはないだろう。
すでに三回目。ペリーの黒船を抜いたあとの強行軍だが、周囲を固める氷邑一党、いささかの疲れも見せず、むしろ、この襲撃へ早くも適応し始めている。
であれば、意識をよそに割かずに……
シンコウと剣を交えることが出来る。
黒い影のシンコウが、二刀をだらりと垂らすようにして構えている。
梅雪もまた、左手に神威剣を出現させ、同じ構えをとった。
あの日──
剣桜鬼譚・異聞の中で決着はついた。
だが、剣術において超えたわけではないと梅雪は思っている。純粋剣術でこの女を超えることは、まだ出来ていない──あの日は確かに勝利した。しかし『勝負』であって『試合』ではなかった。そのことが引っかかっている。
殺し合いの勝負においてのみならず、剣術での試合においても、この女を負かしてやらねば気が済まない。
梅雪の負けん気が、周囲で激しく戦いの音が鳴り響く中で、二人だけの静寂を紡ぐ。
梅雪とシンコウ。
二刀を備えた二人が、戦いを始めるにしてはあまりにものんびりと、互いに歩み寄り──
抱きしめ合うように、剣を振るう。
備中高松迷宮攻略戦。
帝による命、桜という殺すべき相手。
今しばらくすべて忘れて、氷邑梅雪は剣術に耽溺する。




