第212話 砂賊攻略戦 五
備中高松オアシス──
水上に浮かぶ『旧迷宮』の最奥に、シカノと桜はいた。
それしかいない。
生きている者はすでに二人しかなかった。
ここまでの戦いで糾合された各砂賊ども、そしてシカノとともに生きたアマゴ族。その一切合切、もういない。
シカノは、こんなことを思ってしまう。
(いっそ、桜が残酷なやつで、アマゴ族も全部、あの『黒い影』にするために、わざと死なせた──っていうんだったら、よかったのに……)
桜は人命をまったく軽視していなかった。
ただ、彼女にとって『生存』の定義がシカノと違うだけなのだ。
アマゴ族は、打って出た。
自らの意思で──族長たるシカノの意思を跳ねのけて、自ら出陣したのだ。
そして、散った。
……戦場についての情報を、シカノはつぶさに集めているわけではない。この戦場は、まだ幼いシカノがすべてを受け止めるには酸鼻極まるものであった。
精神的に耐えきれない。ましてこの戦いのすべてが、『自分の願い』の果てだと思い知らされてしまえば、なおさらだ。
だが、『死ねばわかる』。
なぜなら、桜の影になるから。
影になった仲間を、桜は嬉しそうに見せてくれるから、わかってしまう。
シカノは……
(わたしは、『ここまで』覚悟してなかった)
……彼女にとって大切だったものは、何か?
それは、『アマゴ家の再興』を目指して、でもうまくいかず、この砂漠で、毎日水に困らされ、食べ物を得るのにも窮しながら……
みんなと一生懸命生きていく日々。
……これが、シカノにとって、本当に大切なものだったのだ。
アマゴ族の再興という目標に嘘はないつもりでいた。
でも、実際に求めていたのは、掲げた一つの目標を、みんなで一緒に、ゆるゆると目指していく時間だった。
打倒毛利という熱意に嘘はなかった。
ただそれは、みんなで一緒に同じ方向を向いて、だからこそ交わされるやりとりの中にあった。
砂賊としての生活は、楽ではなかった。
だがほとんど物心つくころから砂賊をやっていたシカノにとって、この砂賊生活は『日常』だったのだ。
人は日常というものが明日唐突に終わることをなかなか想像しない。だからこそ、シカノはこの生活の苦しさを叫び、水や食べ物でいちいち苦労させられながらも、なんだかんだ、そういう騒がしく苦しく、しかし楽しい日々が明日以降もずっと続いていくものと思っていたし……
本当の意味で、この生活を『つらく、苦しいもの』とは思っていなかった。
だが、アマゴの亡臣である一族の者たちは違ったのだ。
彼らはアマゴが一つの大名家であったころを知っている。城を構え、城下には街もあったころの暮らしを知っている。
毛利によって滅ぼされる『前』の……
すでに滅びた『彼らの日常』を知っている。
……砂賊での暮らしは彼らにとって屈辱的で、そして、ありえないほど辛いものだったらしい。
そんな彼らに、桜が希望を見せた。
見せてしまった。
だから彼らは望んで攻めた。
アマゴ族の再興という悲願を──シカノが叫ぶ時の『熱さ』よりも、もっともっと熱くて重いものを秘めていた彼らは、ここに『命の懸けどころ』を見てしまったのだ。
『きっと、アマゴ家を再興し、毛利に報復を』
そう述べて膝をつき、頭を下げる彼らは、『武士』だった。
気のいいおじさん、優しいおばさん、物知りなおじいちゃん。シカノの知る彼らではなかった。シカノのお遊びみたいな『本気』じゃない。苦い肝を舐め、石くれを枕にし、ずっとずっと表に出さないようにしながらも毛利への恨みと、かつてのアマゴ家の復活を願う、亡き武家の忠臣たちの姿が、そこにはあった。
シカノが見たことのない姿だった。
桜だから、見せた。
桜には──力があるから。
シカノと桜に、ぶっちゃけ桜だけにすべてを託して、彼らは死にに行ったのだ。
彼らと桜は、『生存』の定義が同じだった。
死して肉体が滅びようとも、この魂はいつまでもそばに──
それは彼らと桜にとって、『生きている』ということだった。
シカノとは、違って。
「シカノ、怖い?」
不意に暗闇の奥から声がかけられて、シカノはびくりと震えた。
暗い場所から歩いて来るのは、黒髪の若い女──桜。
アマゴ族の救世主。
砂賊たちの盟主。
……そして、シカノの、パートナー。
桜はここに来る前にも『何か』を背負っていた。
だが、彼女が背負う大半は今、アマゴ族の誓いだ。
シカノと同じように──
不意にシカノが背負わされることになった『本当に重いもの』を背負わされ、しかしいつもと変わらぬ笑みを浮かべる。それが桜という、救世主だった。
「すぐそこに大名家の連合軍が来てる。……少し、準備が遅かった。籠城するしかないね、これじゃあ」
あはは、なんて笑う彼女は、本当にいつもの通りだった。
あの日──
流星として堕ちて来て、アマゴ族のオアシスを蒸発させたあの日。
それから、『水』を求めて戦ったあの日。
だんだんアマゴ族に認められて、その命を懸けて戦う姿に胸を打たれて、信頼をし、仲間となり、笑いあったあの日。
砂賊の王となったあの日──
──多くの者たちと仲間となり、盃を交わして砂賊の連合が成った、あの日。
そして、今、たった二人にまで減った、この日。
変わらない。
桜は変わらない。このままだ。
談笑をしていても、殺し合いをしていても、砂賊のすべてが黒い影になっても、変わらない。
ずっと変わらない。何を背負っても。何を犠牲にしても。
今。
大名家の連合軍が備中高松オアシスを囲んでいるのがわかる。
少し迷宮の高いところにのぼって向こうを見れば、無数の篝火が暗闇の中に浮かんでいるのだ。
とんでもない数で囲まれている。
そんな『今』。自分の死が目の前に迫っている状況でも、桜は変わらず、このままだ。
「大丈夫。私たちは勝つよ」
桜はシカノの隣に座り、シカノの髪を梳く。
歳の近い人がいなかったシカノにとって、桜は『降って湧いたお姉ちゃん』だった。
幼い少年少女は誰しも優しい年上の兄や姉を欲する。シカノの中にもそういう気持ちはあった。その中で、桜は理想的な『お姉ちゃん』だった。
かつて、こうして髪を撫でられるだけで嬉しくなった。安心出来た。
でも今は、安心出来ない。
ただただ──恐ろしい。
「怯えないで。きっと大丈夫だから。……記憶はないけどね。私は、こういう苦境に立たされることが多かったっていう印象は残ってる。そして全部、超えてきた。だからきっと──想いを背負って、どこまでも行くよ。果ての果てに到達して、すべて叶えてみせるよ。だから……」
桜は微笑みかけ、
「待ってて、シカノ。みんなで勝つ」
『影』を展開する。
人がいた。化け物がいた。
桜の展開する兵たちは武装している。
……ならば、『これ』も、武装のうち一種、なのだろうか。
生前によくなじんだ武器。桜の影はその多くが『戦う者』だった。だから、彼らは武器を持っている。生前の全盛期のまま、武器を持っている。
その武器のうち一つ──と、呼んでしまって、いいものか。
「海戦のやりかたも知ってる。……オアシスの水場で、きっと、大名連合を──氷邑梅雪を撃退してみせる。だから、少しだけ待っててね」
桜は『軍艦』をオアシスに並べ、微笑む。
かくして──
備中高松迷宮を巡る、水辺の攻防戦が開幕した。