第201話 流星
時を遡る。
氷邑家領都屋敷で熚永平秀の乱が終息した翌日──
鳥取砂漠。
広大な砂漠にあるとある水辺──俗に『オアシス』と呼ばれる場所。
オアシスは砂賊たちにとって貴重な水場であり、砂賊はオアシスの数だけ存在するとまで言われるように、たいていの砂賊が本拠地に据えている場所こそが、オアシスの周囲である。
水というのはどのような人間にも必須のものであるから、その砂漠のオアシスは厳重に守られ、部族ごとに一日に使っていい水の量は厳格に定められていた。
その重大なオアシスに──
流れ星が一筋、流れ着いた。
その直撃によってオアシスの水が吹き飛び、熱量によってあたりにもうもうと水蒸気が立ち上る。
そのオアシス──大抵のオアシスは管理する砂賊の名前をとって呼ばれるため、『アマゴ・オアシス』と呼ばれるその場所は大騒ぎになり、砂賊の者どもが、長まで含めて一斉に集う。
未だ夜明け間近の暗い時間帯。明け方の紫色の光が雲のない砂漠の空に広がり始めている。
その空の下で、アマゴ族が見たものは……
干上がったオアシス。
そして、その中央で倒れる、一人の女。
「何事だぁ!?」
遅れてやってきた若き、というより幼きアマゴ族の長たる少女が、甲高い声で叫ぶ。
だが部族の者ども一同困惑している。
『流れ星がやってきてオアシスの水を吹き飛ばしました。流れ星かと思ったら人でした』。
……こんな馬鹿馬鹿しい報告を長にできるわけがないからだ。
「ああ、我らのオアシスが!」
干上がったオアシスに、一人の少女が駆け寄っていく。
その少女は生成りの布で胸と腰あたりを隠した十歳そこそこの女の子である。
褐色肌にはアマゴ族の悲願を表す誓いの紋様が描きこまれており、この白髪褐色肌の少女の一日は、顔料によって体に紋様を描くところから毎日始まる。
今朝もばっちりと紋様を描きこんでいるところにこの大騒ぎであるから、中途半端なままの紋様が腹部あたりで完成を待っている状況であった。
その、紋様にしても忘れぬようにしている、アマゴ族の悲願。
塗炭の苦しみを忘れぬようにしているその少女は、干上がったオアシスを前に両膝を地にがくりとついて、天を仰ぐと、こう叫んだ。
「お の れ 毛 利 !」
……アマゴ族。
この少女はこの一族の長ではあるのだが、アマゴの血筋ではない。
かつて中国地方で最大の砂賊であったアマゴ族。
その当主一族が毛利との戦いに敗れて族滅されたがゆえに、この少女はアマゴの復興を祈り、体に墨を塗りこんでその当時の恨みを忘れぬようにしながら、砂漠に潜んで毛利への復讐を企てていた。
少女は天にわなわな震える両手をかざすようにして、まだ明け方前の空に叫んだ。
「我に七難八苦を与えたまえ!」
主人であるアマゴ一族が族滅されて以来、とてつもない苦しみが襲い掛かるたび、この少女はこう叫ぶようになっていた。
言葉の意図はだいたい『ちくしょうめ!』と同義であり、本当に七難八苦が欲しいわけではない。
亡きアマゴ族の報復を誓う少女──シカノの声が砂漠にこだまする。
与えたまえ! たまえ! まえ! え! え……え……と残響する声がすっかり消えたころ……
「うう、今日の水をどうすればいいんだ……」
両手を砂漠に着いて泣き始めるので、周囲のアマゴ族一同、おろおろしてしまう。
このシカノという少女はアマゴ族によく愛された長であった。アマゴ族とはいえもはやアマゴ族はいない、名前だけ借りた集団ではあるが、それでもアマゴ族再興を目指して頑張る、まだ幼いこの少女は、一族のアイドルなのだ。
そのアイドルが泣いているというのに、何もできない──
鳥取砂漠にはいくつものオアシスがあるが、ほとんどのオアシスは誰かの持ち物である。
『水を分けてください』と要求するのは、よくて『あなたたちの奴隷になります』という表現だと捉えられる行為であり、悪くすればもちろんその場で戦闘の上に皆殺しである。
アマゴ族は弱小なのだ。砂漠の奥でひっそりと生きているだけの集団なのだ。復讐を狙ってはいるが実際に行う力はない──そういう者たちなのだ。
一応、長であるシカノが『剣士』に分類されるものの、まだ幼く、毛利はもちろん、中規模砂賊にさえ勝利できない。
力さえあれば、シカノの求心力と、そして七難八苦の中でも生存を拾う運と機転により、アマゴ族はもっと大きな部族となり、毛利への復讐も視野に入るのだろうが……
……そのアマゴ族に、降り立った『流星』。
その少女は、花弁が舞い散るような刃紋の刀を備えた、黒髪の、奇妙に印象に残りにくい顔立ちをした女である。
その少女の名──
今の名は、
「……うぅ……」
「目覚めたぞ!」
シカノの叫びは『目覚めたからどうこうしよう』というものではなく、だいたい『うわぁ! しゃべった!?』ぐらいの驚きであり、ここからどうしたらいいかはさっぱりわかっていないものである。
頭であるシカノがそんな様子だから、周囲の配下たちもおろおろするばかり。
そんな中で目覚め、頭を振り……
「……氷邑……梅雪……ああ、そうか、私は……生き延びた、んだ」
笑う。
……その女の名、桜。
『主人公』にして、氷邑領都屋敷の戦いから生きて離脱した者。
熚永平秀の矢に貫かれ半死半生ながらも、持ち前の生存能力と、運命の保証によって生存を拾った者にして……
氾濫の主人。
異界の神威を宿す者。
すなわち──
アマゴ族に足りなかった、『力』であった。