第200話 イツクシマの毛利
超級巫女国家、毛利家。
その本拠地は『イツクシマ』と呼ばれる神社であり、そこで祀られているのは『水辺の神』とされるものである。
ゲーム剣桜鬼譚においてスキルとして出てくる神は、火のホデミ、水のミズハ、雷のミカヅチ、風のシナツの四種類しかいない。
だが『設定』として出てくる神というのはいくらでもいる。基本的には『はなはだしいエネルギーの塊』や『意思を持つ強大なもの』、『土地の特徴を決めるもの』は神と呼ばれる。そういう世界観だ。
そういった分類でいくと、イツクシマは、神器関係で出てくるニニギや、その妻とされるサクヤと同様の、『人であったものが、エピソードや偉業によって神に昇った者』ということになる。
水辺の神。
水辺とは『彼岸』と『此岸』の境目であるとされている。
イツクシマで祀られる神は、中国地方と死国の間にある海峡を司るものであり、この世界と異界との間に住まい、この世界への侵略を押しとどめる神でもある。
クサナギ大陸にとって異界からの侵略者というのはすべての土地が抱える問題であるから、十月には神々がこの入雲イツクシマに来て侵略者情報を交換し、何かに活かしている──というのが、剣桜鬼譚における『神有月』である。
その『水辺の神』を祀るイツクシマ神社は、水上に浮かぶ神社である。
無数の真っ赤な鳥居が並ぶ浅く美しい水辺を歩いて行けども、なかなか神社そのものは見えてこない。
だが、巫女たちに先導されるまま歩いていけば、いつの間にか視界に神社があるのだ。
(結界──儀式道術の一種か。……確か、七星家の祖も、この神社の出身という話だったな)
氷邑梅雪が参照するのは、この世界で生きた梅雪自身の記憶である。
ゲームにおける帝の祖については概要と『今の権力者の先祖であり、かつて、氾濫を収めた』という情報が残るのみであり、祖のパーティのメンバーの出自などはさほど語られていない。
七星家が得意とする大規模な道術の原型はイツクシマ神社の術式らしいというのは氷邑梅雪の知識だ。
ただし、現在の七星家の儀式道術──伝承されている『死国に氾濫の主人らを封じ込めた術式』と、広範囲を見下ろすがごとく見ることができる『天眼』とは、似たものこそいまだイツクシマに伝わっているものの、すでにこの術を行使できる者はいないというたぐいのものらしい。
イツクシマの術式は七星家のものよりもさらに大規模かつ消費神威が重いのだ。
これをコンパクトにしたものが七星家の術式ではあるが、それでも『儀式場を用意して儀式をきっちりやり、やったあとは数日間神威不足で動けなくなる(それも代々神威量の多い者同士を掛け合わせて作られた七星家当主がだ)』というものになるので、本来のイツクシマの術式の重さは、推して知るべしである。
そのようなことを考えながら梅雪がひときわ大きな鳥居の下をくぐると、不意に、目の前に一人の人物がいた。
その者──
「……これはこれは。お初にお目にかかります」
梅雪は驚き、その人物を見る。
その人物、巫女装束をまとった女である。
髪の色はまばゆすぎて白にも見える黄金であり、瞳の色も同様。
顔立ちは美しい。年齢は十代中盤のように見える。
だが落ち着いた雰囲気は『老成』と言ってしまえるほどであり、浮かべる微笑にはどこか母、あるいは祖母と言いたくなるような優しさがある。
そして何よりその女性、半獣人である。
狐をベースにしたと思しき三角耳と、太くふんわりした尻尾を持つ女性。
クサナギ大陸においてはまぎれもない被差別人種である。
だが、その半獣人の前で、巫女たちが水辺に片膝をついて平伏する。
それをやはり優し気に見て、梅雪に視線を戻した狐耳の女性は、柔らかく語った。
「わらわのことを、存じておる様子で」
この女性、クサナギ大陸が半獣人を差別しがちであるという以上に、そもそも隠れてなかなかイクツシマ神社から出ないので、その姿が外に伝わっていない。
だがしかし、この女性、クサナギ大陸有数の重要人物である。
もちろん梅雪がこの女性について知っているのは、『ゲーム知識』のおかげ。
氷邑梅雪自身も、そしておそらく当代の帝でさえも見たことがないはずのこの人物は──
「ええ。存じ上げております。──イツクシマ大社以下、入雲に存在するすべての神社……すべて合わせて狂巫女大社と呼ばれる巫女連合を治める大神主。毛利モトナリ殿、ですね」
女性はにっこりと優しく笑う。
「いかにも。氷邑梅雪殿、このたびは、わらわの救援に応じていただき、感謝を。普段は姿をさらさぬようにしておりますが、梅雪殿は半獣人にも理解のあるお方であると聞き及んでおりましたゆえ、こうして、姿をさらし、出迎えさせていただきました」
女性──モトナリは腰を折って頭を下げる。
「ようこそイツクシマへ。クサナギ大陸の平和のため、お力をお借りしたく存じます」
向こうが頭を下げているというのに、こちらが圧倒されるような──
なんとも歴史の重みを感じる、一礼だった。
◆
毛利モトナリ。
二千年ほど前から生き続けているとされる、攻略対象である。
イクツシマ建立のころからずっと中国地方にいる不老不死の者。
ただし不滅ではない。ゲームでは普通に死亡する。『老いない女』という方が実情に近かろう。
そのモトナリと梅雪は、評定の間にあたる畳敷きの場所で、ともに一段高い場所にのぼり、向かい合って座っていた。
広いその空間の低い位置には、モトナリのいる側に巫女たちが正座して並び、梅雪のいる側には梅雪が連れてきた者たちが、同じように姿勢を正して並んでいた。
通されて始まった話の最初、モトナリがまずは、梅雪に向けて両手を床に着いて一礼する。
「重ね重ね、救援に感謝を」
梅雪は──
(……やりにくい相手だ)
煽ってくるわけではない。見下してくるわけではない。
席次にも気を遣われて内外に『このイツクシマにおいても、トップであるモトナリと同格。しかもモトナリに先に頭を下げさせたので、毛利家の方から礼を尽くすべき立場』と示している。
実際、梅雪の煽り妄想感性を以てしても、モトナリから煽られている感じはない。
だが……
(分厚い紙の中に心を包み隠しているような、凄まれているわけではないのに、重苦しく柔らかい圧力がある。……初めて会うタイプの女だ)
ゲームにおいても、わがままで終わってる性格のキャラが多い剣桜鬼譚世界では、あまりにわがままさがないので、キャラが薄く印象に残りにくいのがモトナリだ。
彼女の目的はクサナギ大陸の守護、特に異界の脅威からの守護である。
そのために中国地方に二千年も居を構え、異界の門が開くのを監視し続け、砂賊どもとの戦いを繰り返している。
だが実際に向き合ってみると、静かで分厚く、しかし柔らかい迫力は、父・銀雪ともまた違うし、剣聖シンコウに似てはいるが、あそこまでの『狂い』も感じ取れない。
歴史の重み──
(あるいは俺が、モトナリのキャラクターデータをある程度知っているから、勝手に重苦しさを感じているだけか)
帝といい、モトナリといい、最近はこういう敵対的ではないが『圧』のある者とのかかわりが増えた。
おそらくこれが『大人の社会に出る』ということなんだろうと梅雪は思う。敵と軽々に判じられない、味方と信じ切ることもできない、隠しているわけではなく秘めている者たちと渡り合う。そういう世界が、政治上の主戦場になってきていた。
ともあれ、梅雪が一言言わなければ、モトナリと巫女たちはいつまでも頭を下げたままである。
土下座と言えなくもない姿勢ではあるが、これは土下座ではない。土下座は嬉しいが、相手に反省するところのない礼儀としての平伏にはさほど興奮しない。
梅雪は「頭を上げてください」と微笑んで、
「さて、我らはこの事態を重く見て、さらに、この事態の解決には『時』が肝要だと考えております。儀礼には則さぬ話運びで恐縮ではありますが、さっそく、現在、中国地方を襲っている砂賊連合、そしてそれを成し遂げた者について、そちらの持っている情報と、こちらの持っている情報をすり合わせたい」
モトナリは微笑む。
「……成長なさいましたね、梅雪殿」
「……なんの話ですかな」
「失礼。実は、幼いころのあなたを見たことがあります。あなたは……我が血縁ですので」
「……母が毛利の出だという話は聞いております」
「ええ。毛利の巫女たちは、すべて我が血族。……そして毛利の巫女はクサナギ大陸中を歩き、たどり着いた土地で伴侶を得ます。そういったことを二千年繰り返しているゆえ──クサナギ大陸のすべては、我が子、我が孫と言えるでしょう」
「………………」
キャラが薄くて世界の守護にしか興味がない二千年生きてる狐耳の巫女が、急に何かをのぞかせてきた。
(急にシンコウを思い出したぞ)
なんらかの狂信的な思い込みを持つ者の気配だ。
先ほどまではまともだったのに、急激に雲行きが怪しくなり始める。
モトナリは優しく笑う。
それは本当に孫を見る祖母のような笑みだった。
「梅雪殿、抱きしめさせていただいても?」
「………………いや、なぜ?」
「我が孫が立派になって戻ってきたのです。抱きしめたくなるのは、祖母として当たり前ではございませんか」
ちょっと話についていけなくなってきた。
確かに血縁的にはどこかの源流の可能性はあるのだけれど、梅雪の祖母というのについて、梅雪自身よく知らない。
早世した祖父・桜雪の妻も、その桜雪より早く亡くなっている。
母方も母と毛利家との関係がよくなかった様子なので祖母の顔は知らない。はるの母の母という意味での義理の祖母は存命時に何度か見たことはあるが、向こうからの扱いも、梅雪の心情も『他人』だ。
そして今、『抱きしめさせて』とか要求してくるのは、初対面の狐耳女である。
なお、現在は帝の名代である梅雪と、それに救援を要請したイツクシマ毛利家の代表との重要な会談の最中であり、どう考えてもそんなことを言っている場合ではない。
(……しかし、まずいぞ。この女、どうにも、本気だ。本気で──俺を抱きしめたいと思っている)
煽りの気配がない。
本当に親愛から、梅雪を抱きしめようとしている。
(……なんだこの女? 俺の周囲にPOPする女にまともな者はおらんのか?)
そもそも剣桜鬼譚にまともな女が少ない(まともな男も少ない)というのがある。
梅雪は咳払いして、話を戻すことにした。
「……それよりも、『時が惜しい』と先ほど申し上げた通りです。まずは砂賊と、それを連合たらしめた者──氾濫の主人の情報を交換し、中国地方を襲う者どもを根切りにすべく、戦略を整えるべきかと」
そこでモトナリがとても寂しそうな顔をするので、梅雪はさらに話を進めることにした。
「我らは氾濫の主人が砂賊を糾合し、連合せしめたものと予想しております。もちろんこれは、帝も同意見です。しかし、現地であたっている皆様からの情報を得れば、違った可能性も検討すべきかもしれない。……敵を誤る愚を犯さぬため、情報をいただきたい。いかがか」
「祖母が思うに」
「祖母ではないです」
「おそらく、砂賊を糾合した者は、氾濫の主で間違いがないかと。……あのおぞましき神威は、見覚えがあります。かつて、帝と氾濫との戦いに、わらわも同行したのです」
「……なるほど」
「ですので祖母は今度も」
「祖母ではないです」
「あなたに協力をしたいところなのですが……今、わらわはイツクシマの中から出ることができません。ここで結界を維持せねば、異界の扉が一気に開く……そのために、力と時間のほとんどを使っているのです」
「……ご安心を。帝の名代として、我らが我らのみでも、氾濫を鎮圧してご覧に入れます」
「梅雪殿……立派に育ちましたね。祖母はとても嬉しく思います」
「祖母ではありませんが、恐縮です」
「ですが梅雪殿、お気を付けを。梨太郎様が、あなたを狙ったと聞きました。祖母はとても心配です」
「祖母ではありませんし、心配も無用。……次に出会えば、必ず倒します」
「……倒される──というのも、複雑な想いではありますが。梨太郎様は、長くこの大地で異界に対処してくださっていたお方。……ですが、確かに、マキビ君ももう終わってもいい頃合いではあるのかもしれません」
「…………」
「失礼。……梨太郎様の対処も、お任せいたします。本来であれば、かの英雄が暴走しているならば、巫女が命を懸けてもこれを止めるべきなのですが……梨太郎様は巫女には手出しをなさいません。彼が手出しをするのは、異界の者と、それに従う者らだけなのです。……梅雪殿を襲った理由が、だからこそわからないのですが」
「……十全に対処いたします。ご安心ください」
「祖母は」
「祖母ではないです」
「思うのです。……この時期に、梨太郎様があなたに剣を向けたのはきっと、何かの意味があると」
「運命、というやつですか」
その時に梅雪の顔には凶悪な笑みが浮かぶ。
運命──それは、梅雪にとって、打倒すべき『形のない煽り野郎』だからだ。
安全圏から匿名でレスバを仕掛けてくる臆病な低能と同じぐらいムカつく相手である。そのうち開示請求をして裁判所に来てもらいます、という気持ちではいる。
モトナリが狐耳をぴくぴくと震わせ、
「……梅雪殿、運命というものは、馬鹿にできるものではありません。わらわは、幾度も『それ』のせいで夢を叶えることができず、願いを抱きながら死んでいった者を看取ってきたのです」
「……」
「であるから、あなたがもし運命を打倒せんと願うのであれば、わらわや、多くの者を頼りなさい」
「……」
「祖母として、必ずあなたの味方となりましょう」
「祖母ではありませんが、ありがたいお言葉です」
「梅雪殿、話も終わったので、抱きしめますね」
「いえ、」
問答無用であった。
避けようと思えば避けられる速度だったが、相手にあまりにも迷いがなさすぎたため、梅雪は抱き着かれるのを回避しきれなかった。
ちょうどシンコウの剣が『速度がないのに避けにくい』のと同じ理由である。相手にとって自然すぎる動作であるがゆえ、『意』が乗らない。だから察知が困難で、敵意を感知しきれず、反応しにくい。
これでモトナリが刃物でも握りこんでいれば梅雪はたやすく首を斬られていたであろうが、もちろんそんなことはなく、モトナリはただ優しく梅雪を抱きしめるだけであった。
(……くそ)
そこで梅雪が心の中で毒づいたのは、今は亡き母を思い出させられたからである。
失礼にならない程度の力で、モトナリの肩を押して引き離す。
モトナリは抵抗することなくあっさり離れ、やはり優しく微笑んで梅雪を見た。
「あなたにイツクシマの祝福を」
「……そういうことでしたら、お受けいたします」
「ええ。久しぶりに帰る場所でなかなかなじめぬでしょうが、イツクシマを自分の家と思って過ごしてくださってかまいませんからね。祖母はそうしていただけると、とても嬉しいです」
相手が全然折れないものだから、ついに梅雪も否定をあきらめて「は」とうなずいた。
(やりにくい相手ばかりが増える)
政治上、人間関係上の戦いにおいて、『無双』となる日はまだ遠そうである。