第199話 梨から生まれた梨太郎
すでに正気は失われている。
ゆえにこの行為は狂気の果てのもの。
すでに意識は失われている。
ゆえにこの正義は無意識のうごめき。
すでに記憶は失われている。
自分がなぜこうしているのか、いつからこうしているのかを彼は知らない。
ゆえにこの行為は、身についた習慣によるもの。
何もかもを失った彼にあるもの、それは──
『異界からの侵略者から、この大陸を守れ』
『戦え。戦わなければ──生き残れない』
『すべての人を生き残らせるため』
『この身はきっと、梨から生まれた』
◆
梨太郎のキックが迫る、氷邑梅雪の騎兵車。
急な襲撃。そして、いきなりの攻撃。
その危機に際して動き出した、三人の剣士がいた。
一人──
「ボケッとすんな野郎ども! 周囲を固めろ!」
侍大将にして軍師としてこの出征に連れてこられた、元酒呑童子頭領、イバラキ。
青をベースにした巫女装束を着た半鬼の女が号令すると同時、直属の精鋭兵たちが動き、騎兵車を囲む。
同時に周囲索敵。相手が一人で突っ込んできた。しかし、こちらは一見ではっきりわかる大軍勢。であればどこかに潜む兵がいる可能性がある。そういう『常識的な脅威』に、たとえ空振りであっても備えるのが彼女の仕事である。
一方、前へ同時に走り出す二者がいた。
片方は銀のカツラを被った竜面の美丈夫。
右側をはだけた、明らかに矢を放ちそうな服をまとい、しかし左の腰に佩いた太刀を抜きながらすさまじい速度で迫りくるライダーキックに突進していくその者、現在の名を『ヨイチ』。
氷邑梅雪の右側に立つことを許され、左に立つウメが主人をそばで守る盾として機能する一方、迫る脅威へ駆けて行きこれを仕留めるという方法で主人を守る、『矢』の働きを任された者である。
ゆえに必然、迫る脅威に駆けていく。
そして、その隣を並走する者。
獅子のごとき髪を持つ金髪の偉丈夫。
その者、すでに背負った二丁鉄鞭を抜き放ち、人体が地を踏むとは思えない爆音を立てながら一心に駆け抜ける男である。
獅子のごときその男の名は──七星彦一。
……今回、毛利家救援のための出征。
その際に、帝の名代として梅雪が発した詔は、七星家にも出兵を促すものであった。
毛利家の危機はクサナギ大陸の危機。帝より名代を授かったこの総大将氷邑梅雪の要請にふさわしき者を出せ──
ようするに、七星彦一を出せという要請である。
事前に織から『氷邑家だけが武功を立てる状況は、帝の両輪としてよろしくない』という旨の手紙をもらっていた七星家、この要請に応じる形で侍大将彦一を出征へ付き合わせることになる。
これは要求に唯々諾々と従ったというより、この出征は明らかに武威を示すことのできる貴重な場であり、その必要性を理解したうえで、最強の男を遣わしたということである。
七星家最強の男が、元熚永家当主と並走し、迫りくる脅威へ突撃した。
その時、キックが彦一、ヨイチ両名へと迫る。
両名は武器を振り、キックを迎撃。
彦一・ヨイチと梨太郎。互いの攻撃がぶつかりあった場所で火花が散る。
すさまじい衝撃で、大地が震える。
「ぬうっ……!」
「く……!」
梨太郎のキックに武器を叩きつけた彦一とヨイチが、はじかれ、後退する。
一方でキックの勢いを止められた梨太郎が空中で回転し着地……
「…………」
腰に差していた不思議な輝きを放つ刀を抜き放ち、左手に刃の峰を乗せるようなポーズをとりながら、彦一たちに迫る。
彦一たちもすぐさま体勢を立て直し、梨太郎と交錯する。
緑を基調とした梨太郎が、同じ色のブレードをふるう。
七星家最強と熚永家最強がこれに応対する。
だが、
「つ、強い……!」
「……」
両者の攻撃がぶつかり合い、やはり火花が散る。
二人を相手に梨太郎、一歩も退かない。
しかしそれは二人が負けそうだという話でもない。
この二人と梨太郎、まったく互角に斬り結んでいる。
二人の背後に大量の兵がおり、いまだウメやアシュリー、さらには梅雪などが出ていない状況も見れば、梨太郎不利と言える状況だろう。
そこで梨太郎が何をしたかと言えば……
ブレードを振って、再び彦一とヨイチを吹き飛ばす。
そうして、左手を振る。
と、どこからともなく、左手の中に白い球体が出現する。
梨太郎はその白い球体を、ベルトのバックルに差し込んだ。
ベルトのバックルが叫ぶ。
『バックン!』
奇妙にテンションの高い男性の声である。
さらに──
『キビダンゴ、サイコォ! 干支盤、スタートォ!』
梨太郎のベルトのバックルの前に、干支──子から亥までが描かれた円盤がホログラムのように浮かび上がった。
そのホログラムの中で、『キビダンゴ』がコロコロと回っている。
さながら、カジノなどにある、ルーレットのゲームのように。
『ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ……ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ……ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ……』
「『ヨイチ』、まずそうだ、止めるぞ!」
「承知!」
彦一とヨイチが鉄鞭と太刀を振りかぶり、梨太郎を叩く。
しかし、
『ネウシトラウタツミウマヒツジサルトリイヌイ! サル! サル! サルゥ!』
キビダンゴが『申』に止まる。
すると干支盤が黄金に輝き、その光が爆発を起こして、再び彦一らを吹き飛ばす。
『ゴーリキムソー! サイキョーアバレンボー! ケンザァン!』
黄金の光に包まれた梨太郎。
その全身から光がはがれると……
鎧の形状が変わっていた。
手にしていた緑のブレードがどこかへ消え、代わりに両腕には重々しい手甲が出現している。
胸部プレートが厚くなり、足にも甲がつけられていた。
緑だった全身は黄金に変化しており……
「──────────!!!!」
梨太郎が不明瞭な叫びをあげると同時、胸甲を叩き、ドラミングする。
その音と衝撃があたりに伝わり、遠くにいた一般兵が吹き飛ばされた。
彦一とヨイチは衝撃に負けず再び斬りかかる。
しかし、梨太郎が腕を振るうと、彦一の二丁鉄鞭がまとめて弾かれる。
鉄鞭が弾かれたことで両腕が上がってしまった彦一の腹部に、ストレートパンチが叩き込まれた。
「ぬ、グゥ!」
優れた剣士である彦一でさえも苦悶の声を漏らす、強烈な打撃。
だがその時、ヨイチが梨太郎の背後から、冷酷に首を狙っていた。
梨太郎の首に刃が迫る──直前、梨太郎の後ろ蹴りがヨイチの腹を叩く。
たまらぬ勢いにヨイチが吹き飛ばされ、梨太郎がまた吠える。
彦一がたまらぬ様子で叫んだ。
「この者、あまりにも強い!」
「……彦一殿、しばし、時を稼いでくれ」
「承知! オオオオオオ!!!」
彦一が吠えながら梨太郎と殴り合う。
その間にヨイチがしたのは、梅雪の騎兵車に戻ることだった。
小声で、ヨイチが梅雪へと話しかける。
「……弓の使用を許可していただきたく」
梅雪は、歯を噛みしめた。
弓の使用──それは言うまでもなく奥の手だ。
梅雪はいつか弓隊を白日の下で活躍させようとしている。
しかしそれは今ではない。今、氷邑家が弓を育てていると知られるのはまだ早い。
しかし……
梅雪は考える。
(梨太郎、ゲームでも理不尽な強さだったが、現実でもここまでとは!)
梨太郎は中国地方で活動しているとランダムで発生する理不尽イベントである。
異界関連を倒しつくすために正気も意識も記憶も失ってさまよい続けるこの亡霊は、ゲームの主人公が異界の者だと見抜き、襲ってくるのだ。
一応倒せるのだが、『一応倒せる(あらゆる条件を整えた上で運が良ければ)』といったものであり、イベント発生がランダムなので、条件が揃っているかもランダムである。
……なお、このキャラクターも仲間に出来る。
出来るのだが、仲間にするためには倒す必要がある。
だというのに、
(ヨイチと彦一が二人で力負けするなど、単純出力では父並みかそれ以上! というかなぜ俺を襲う!? サトコと『異界の騎士』ルウは念のため置いてきたし、俺は異界関連では──あ)
氷邑梅雪──
『中の人』を宿した者である。
(まさか、異界というのは、この俺の中にある記憶の出身地も含むのか!? なぜ見抜ける!? というか俺は無害だろうが! 俺の方に来る前に桜の方へ行け!)
そう考えている間にも、彦一が傷ついていく。
……ほかにも兵力があるのだが、単純に、彦一と梨太郎との戦いに横から噛めない理由が多すぎるのだ。
まずあの二人の戦闘速度と吹き荒れる攻撃の応酬は、その余波だけでも一定以下の実力の者──とはいえ御三家大名の出征に従えられるような兵卒さえも──を遠方にいてなお襲い、戦闘に参加できなくする。
ウメを行かせれば有利になるだろうが、梨太郎の狙いが明らかに梅雪である以上、ウメは梅雪の横から離れない。
そこで「あわわ」とか言っている忍軍頭領アシュリーを行かせる手もあるのだが、今回乗ってきた騎兵は迦楼羅ではなく阿修羅であり、防御力は高いが速度が遅いこの機体では、梅雪の乗った騎兵車の前に立っているのが最適解である。
イバラキの方は『めちゃくちゃ強い単体』に差し向けるには頼りない。イバラキとその兵は、集団戦でこそ活きる。梨太郎に向かわせても、余波で死ぬ。
こうなるとヨイチに弓を使わせるか、梅雪が出るかといったところになるが……
(どちらもまだ秘しておきたい。……だが、このままでは彦一が潰れる。どうする!?)
使えるものを探し周囲を索敵している梅雪の感覚に、『あるもの』が引っかかる。
それは、女の軍団であった。
女どもは巫女装束をはためかせながらすさまじい速度で接近し、梨太郎へと斬りかかっていく。
背後から登場した新たな勢力に、梨太郎は飛び上がって離脱。
拳を構えてにらみつけるも──
巫女たちの集団、その先頭にいた者が、語る。
「梨太郎様、どうぞ、お退きください。このお方は、あなたの滅すべき『異界』ではございませぬ」
……その声に梨太郎が従う確信はなかったのだろう。
巫女の声には緊張がにじんでいた。……これだけの集団をして、勝てるかどうかわからない。戦えば命懸けになる──そういう相手なのだ、梨太郎は。
しばしの時間。
梨太郎は、どこからともなく取り出したキビダンゴを放り投げる。
すると白い犬が不意に出現し、キビダンゴをばくりと食べ──
バイクに変形。
梨太郎はそれにまたがり、去って行く。
……脅威は、去ったのだ。
巫女たちが胸を撫でおろす。
彦一とヨイチも、無意識に安堵の息をついていた。
梅雪さえも、鼻から息が抜けていくのを止められない。
(ただただ単純に『強い』者と向き合う。……ここまで緊張するもの、か)
剣聖のような『外れ者』とも、マサキのような『厄介者』とも違う。
感覚的には熚永アカリと戦った時が一番近いだろうか。……とはいえ、梨太郎はあの時のアカリより数段、正統派で強い。
梅雪ら──というよりその場の全員が、梨太郎を自然と見送っていた。
その奇妙で静かな時間が過ぎ……
巫女の代表者が、話しかけてくる。
「遅参いたしましたこと、お詫び申し上げます」
「……いや」
梅雪は騎兵車から降りつつ、応対する。
「合流地点はまだ先であった。謝罪は結構」
「寛大なお言葉、痛み入ります。……これよりは我ら巫女軍が『イツクシマ』まで先導させていただきます。……ようこそ、毛利領、中国地方へ」
「……ああ」
中国地方へ、入った。
……梅雪は、梨太郎が去って行き、改めてそれが、実感として心に落ちてきたのだった。