第198話 中国地方の洗礼
中国地方──
軍を率いてこの地に出征した氷邑梅雪は、この地に入った途端、奇妙なざわめきを覚えていた。
(懐かしい気配、と言えばいいか。あるいは、落ち着かない空気、と言えばいいか)
梅雪自身でさえ言語化が難しい、よくわからない気持ちである。
その理由について思いを馳せてみるが──思いつくものは実にいろいろあった。
たとえば、この土地はほかの土地より『死国』の影響を受けており、異界の瘴気が濃いということ。
あるいは毛利家というのが、梅雪の母と縁のある家であるということ。
もしくはこの土地で起こるイベント、登場する特有のキャラクターについてのこと……
どれも理由であるというより、自分の状態がよくわからないため、どれも理由に思える。
不思議な落ち着かなさを抱きながら、軍の先頭で騎兵者に乗り込んで向かう場所を、小窓から見る。
そこは大江山のように、世界のテクスチャが違う場所であった。
大江山といえば、自然物のすべてがなんとなしに水墨画風になっている場所だった。
この中国地方、毛利家の治める超級巫女国家の入り口から見える景色というのは、言ってみれば『水彩画風』であろうか。
大江山の景色は『墨で描いたとしか思えない外殻』がすべての物にあった。虫も、鳥も、木々も、墨で囲った中に色を持っていたという様子だったのだ。
ところが逆に、毛利家の領地に入った光景、いうなれば『水彩画風』か。
そこにあるすべてのものには、輪郭がない。すべてが淡く溶け合うような質感であり、色が微細に変化していって『物体』を確立している、そういう印象を受ける景色であった。
季節としては十月ぐらいになる。……十月。旧暦で言うところの神無月であり、現代日本において、出雲のみ神が集まるので神有月と呼ばれている──という月である。
日本の戦国時代をモチーフにしている剣桜鬼譚世界も、一か月はすべて三十日ではあるが、一年は十二か月であり、その暦の読みは旧暦に準拠している。
そして細かいこだわりを持ったスタッフがいるのだが、入雲関連の土地だけ、十月の表記が『神無月』ではなく『神有月』になるという仕様になっていた。
(実際、十月になるとすべての神がここに集う──という話はあったな。システムに反映されている点として、十月に迷宮攻略をしても神のスキルを得られないということがあったか)
シナツ、ホデミ、ミズハ、ミカヅチなどの神が十月になると入雲へと出向いてしまうため、迷宮からいなくなり、迷宮を通過しても神に力を示せない(いないので見てない)。それゆえに攻略が無意味になる、という仕様だ。
まあ宝物はあるので、まったく無意味ということもないのだろうけれど。
「ご主人様、もうじき巫女たちとの合流地点です。でもちょっと早く着いちゃいました」
騎兵車室内部にあるスピーカーから、アシュリーの声が聞こえる。
今回、氷邑家出征である。
なので梅雪は忍軍頭領のアシュリーも連れてきている。
アシュリー……
(最近なんだか距離があったが、段々とまた馴れ馴れしい感じに戻ってきたな)
八歳当時から十一歳の今に至る間に、アシュリーの中でなんらかの心情の変化があったのだろう。
もちろん馴れ馴れしくない方が家臣かつ側室の末席としては普通なのだが、この無遠慮な馴れ馴れしさに慣れてしまった梅雪としては、アシュリーがふてぶてしくないと少し寂しいという気持ちもあった。
妻に対しても家臣に対してもそういうふうに思うべきではないのだが、たぶん妹扱いしているせいでこんなことを思ってしまうのだろう。
というわけでアシュリーの馴れ馴れしさは内心歓迎してはいるのだが、当主にして夫であるから(結婚はアシュリーの成人(十三歳)を待つけれど)、言わなければならなかった。
「……『ちょっと早く着いちゃいました』ではない。相手は毛利だぞ。慎重に振る舞え」
大江山で七星家が遅刻とかいうアホをやらかしたわけだが、軍団と軍団、家と家の関係において、『待ち合わせに遅刻し、相手より遅く着く』というのはやってはいけないことである。
それは同時に『早く行き過ぎない』という気遣いをする必要性もはらんでいる。
ようするに進行管理の問題だ。
当主を乗せて先頭を行く騎兵車の運転手は、当然、このあたりの時間管理を厳密にする必要がある。
相手より早くも遅くもせず、長い距離を軍団という不確定要素をふくみながら、時間通りに目的地にたどり着く能力が求められる──
(まぁ、『面倒だな』という感じではあるが)
大きな家と家との関係は、無数の『面倒』の積み上げだ。
互いに『面倒』をこなすことで、相手を軽んじていないことを証明する。……意味はわかるのだが、もっといい方法を模索できないものかと思わざるを得ない。
(せめて電子メールや電波時計があればと思わなくもないが……)
そういうもの、実は領地によっては存在する。
だが『電波時計』や『電子メール』なので、『電気』がないとどうにもならない。通信ケーブル、電波塔も必要だ。
氷邑領に導入するとしたらそういったインフラからになるので、単純に時間がないのと、電気は無から生まれるわけではない(生まれる場所もある)ので、電気を起こすための設備・資源などを輸入せねばならず、無理に電気化を進めると『資源のある領地』『ノウハウのある領地』に頭を下げることになる。
それはやりたくないし、なければないでどうにかなるし、そもそも電気文明が最高に発展した文明であるというわけでもないので、今のところ氷邑家は、いわゆる『近代化』をしていない。
たぶん今後もしないだろう。
氷邑家は氷邑家の土地にあった発展をしていく──クサナギ大陸で領地ごとに文化が全然違う背景には、そういう各領地の意図もあるのだ。
ともあれ相手より早く着いてしまいそうという問題は今、どうにもならない。
「……仕方ない。小休止をとるか」
梅雪がため息をつく。
本当に甘い対応だと思う。……最近、家臣と接することも増えて、梅雪は『適切な対応』をとれたと自分で自分を褒めたくなる毎日を送っている。
そういう経験を積んでみれば、自分からアシュリーへの対応は明らかに『甘い』部類に入る。
幼いころから一緒に過ごしているという以上に、アシュリーの人格が奇妙にかわいがられるものだなというのを、彼女の普段の様子を見ていて思うのだ。地味に魔性の女であった。
そうして、小休止の号令が発せられる──
より、一瞬早く。
『警告! 警告! 警告!」
梅雪の騎兵車から、けたたましい音とブザーが鳴り響いた。
「なんだァ!?」
梅雪、この仕様について知らないので叫ぶ。
アシュリーがスピーカー越しに答える。
「出発前につけた緊急アラートです!」
「貴様、俺の騎兵車を黙って改造しすぎだ!」
「便利です!」
「『便利です』じゃないだろうが馬鹿者ォ! 一言言え!」
やっぱりコイツふてぶてしいな、と梅雪が思う中──
『それ』は現れる。
騎兵車の内部に外部映像が映し出され(知らない機能)、カメラ(カメラ?)が捉えた騎兵車の外の映像が流れ出す。
梅雪のシナツの索敵網に引っかからないものさえ引っ掛ける謎の警戒装置は大したものだが、知らん機能が山盛りすぎて『そろそろアシュリーは一回立場をわからせた方がいいな』という気持ちが募るばかりであった。
そうして映し出されたもの、それは……
フルフェイスのマスクを身に着け。
体にぴったりと沿うような鎧を身に着け。
マフラーをなびかせ──
派手なバックルのベルトをつけて。
バイクに乗って迫りくる、ライダーである。
緑を基調としたシックで未来的なデザインの全身甲冑をまとったそのライダーは、手首をひねってバイクのマフラーからけたたましい音を響かせながら、加速し──
まっすぐに、梅雪たちのいる場所へと向かってくる。
そして、ある程度接近すると、バイクからジャンプし……
空中で一回転。
足を梅雪の乗り込む騎兵車へ向けながら、急降下、つまり──
ライダーキックを放った。
つい見入ってしまったが、梅雪はこのキャラクターを知っている。
……このキャラクター。
数百年、いや、数千年前から、中国地方をさまよい、異界にまつわるすべてを刈って回る、クサナギ大陸が誇る孤高のヒーロー。
その名も──
「梨から生まれた『梨太郎』!?」
ゲーム剣桜鬼譚における、中国地方の最強エネミー。
その出自が異界にある主人公を見つけると襲ってくる、最強のステータスを誇るスーパーヒーロー。
それがなぜか、梅雪に向けて、キックを放ちながら接敵していた。