第197話 出征の目的
「氷邑梅雪、お前は『砂賊』についてどこまで知っている?」
論功行賞を終えた氷邑梅雪は、促されて、もっと『私的な話』をする場に通されていた。
ここはやはり御簾のある一段高い場所に帝が座すものの、部屋は五人も入ればいっぱいになってしまうほどに狭く、窓などは存在せず、一本の蝋燭があたりを照らすのみの狭い部屋であった。
帝は御簾の中にいるが、その前に控えるのは家老一人のみである。
梅雪側は梅雪のみが入ることを許されており、儀礼の通りに畳にそのまま正座をし、帝の『直接の声』に一拍おいてから、儀礼からは外れるものの望まれているのを察し、直答することにした。
「鳥取砂漠に出る少数部族ども──といったところでしょうか」
この回答は合っているが正確ではない。
砂賊というのは確かに鳥取砂漠に点在するオアシスを根城にした少数部族どもであり、オアシスの数だけ部族がおり、それらがバラバラに過ごし、時に争い、また、時に人を襲って金品を奪うなどと言われている。
奪った金品はさらに南の大戦乱孤島九十九州に持ち運んで食糧や武器などに替え、そうして勢力を強めて、砂漠を通行する者をまた襲う──ということをしている。
帝の支配の及ばぬ狼藉者どもである。
だが、精強だ。
とはいえてんでばらばらに存在する砂賊どもは、あくまでも『複数の独立小勢力の集団』であり、連携をとることがありえないため、毛利家一つで押しとどめることができた。
ゆえにこそ梅雪の回答は『少数部族ども』という表現にとどめられたのだ。
注意すべき点、これまで撃退こそされ殲滅にまで至らぬ点、砂漠という土地に連中が潜む限り、決して根絶できない強さを持つ点──わかっている。わかっているが、『取るに足らぬ』と言葉にせず表現するための、正解なれど不正確な言い回しであった。
帝はその意図を汲んだように「そうだ」と肯定する。
肯定するが、
「だが、事情が変わった。決して手を取り合うことなく、己のオアシスにこもり切りで、時には相争うことさえあった砂賊どもが──手を組み、一つの勢力となっているらしい」
『砂賊』とひとまとめに呼ばれるすべての勢力が、もしも一つにまとまったら?
……それは、たとえ視界のいい平地に誘き出すことに成功したとしても、帝でさえ手を焼く一大勢力と言えるだろう。
とはいえ砂賊どもがまとまらない理由には、連中の『歴史』が深くかかわっている。
梅雪ら『砂漠の外の民』は連中を『砂賊』とひとまとめにするが、砂賊たちはそれぞれ、歴史も出自も人種も、それどころか出身世界さえも違う連中なのだ。
だから、これが一つにまとまることはありえない。……そう言われてきたし、実際、そうだった。
しかし……
「これが急速にまとまり、一大勢力となっている。……それどころか、さらにその数をふくらませているという話だ」
「……理由について心当たりがあります」
「思う通りであろう。……氾濫の主かかかわっている」
桜──
あの状況から、ヨイチの矢を喰らってなお逃げ延びた『主人公』は、西へと飛んで行った。
梅雪は帝に桜のことを詳らかに語っている。
そもそも帝と御三家というのが、過去に氾濫を死国に封じ込めたところから始まっている集団であるし……
熚永平秀の乱を綺麗に終わらせるためには、あの事件に氾濫の主人がかかわっていることにした方が都合がよかったからである。
熚永家の生き残りに、夕山が願ったという体裁をとったとはいえ寛大な処置が施されたり、いかに乱を平定したとはいえ、熚永の持っていた財産のほとんどを氷邑家が獲得したりといった背景には、『事件の裏に氾濫の主人がいた』という報告ありきであった。
そして同時に、その旨について報告し、それゆえに氷邑家の望む通りの展開になったということは──
「氷邑家には、氾濫の主人を討滅する意思がある──そうだな?」
これら帝からの『特典』は、氷邑梅雪の中に『氾濫の主人を滅する』という、ある意味で帝の初代からの宿願を叶える強い意思があると見込まれてのことであった。
梅雪は微笑を浮かべ、うなずく。
「は。……個人的にも、氾濫の主人には思うところがございます。必ず滅しましょう。我らが代にて、かつての因縁に決着をつける気概にて」
「本来であれば、こういったことには、余自らが臨むべきである」
「……」
「だが、あの騒乱より三年。……人心の傷、倒壊した建物、失われた住居、死した親しき者たちの空けた穴を埋めるのに、それだけかかった。そこに来てまた、熚永の乱だ。余がこれを放置してイツクシマへ出向くことは、内政を捨てて戦に現を抜かしているとみなは思うであろう」
熚永平秀の乱により、帝内地域には、より強い厭戦の気風が広がっていた。
氷邑家は『攻められたので防衛した』。だがしかし、多くの者にとって氷邑家が評判の悪い家であったことは事実だし、熚永家が滅びたあと、『熚永家に正義があり、氷邑家はうまくやったのだ』などと逆張り主張をする者もいる。
そして多くの熚永・氷邑以外の者にとって、戦いというのは『当事者同士で勝手にやってくれ』というものになっていた。
もちろん帝都騒乱という未曽有の大人災が起こった歴史の上にある考えなのは言うまでもない。
そんな状況で、毛利家などという遠くの家に、帝が自分の兵を出して出征するのは──歴史的、状況的に、そういうことをしてでも解決すべき問題が起きているのもまた、言うまでもない。
だが、それでも呑めないというのが、戦というものに辟易している帝内地域の民の考えなのだ。
(平和ボケの愚図どもめ)
梅雪にとって嘲笑の対象である。
……考え方が『俺たちを巻き込むな』というものなのは、本当に笑ってしまう。
御三家同士の戦い──とはいえ足元で戦火が広がりかけた。備えて然るべきだ。覚悟して然るべきだ。自分たちを守る兵力の強さを示して然るべきだ。喜んで帝の出征を送り出して、然るべきなのだ。
だが、それでも戦乱と無縁でいたいと思う。金も人も自分たちの周囲からは出したくないと思う。可能な限り戦争と無縁でいて、最後の最後まで平和を謳歌していたいと思う──それがどうにも、戦乱の始まりをまだ感じ取っていない、鈍い愚か者どもの心情らしい。
だから梅雪は嗤うのだ。
(いいだろう。この氷邑が武威を示してやる。戦って、戦って、戦って──金と命を懸けて戦って、より強くなってやる。帝の直臣、帝の軍が経験を積めぬ間に、この俺たちがたっぷりと経験を積んでやろう。だから帝都の皆様方におかれましては、安心して──俺たちに実効支配される日を待つがいい。アホ面下げてな)
結局は、武力のない者に平穏はないのだ。
それをわかっていない者が多すぎる。
もっとも、帝もまた『わかっていない者』、というわけではないようだ。
「毛利家の存亡は、今後五十年の平和に直結する。これに対応するは余でなくてはならぬ。しかし──余の親征は内政面を鑑みれば出来ぬ。それゆえ、お前を名代とするのだ」
(かなり『ぶっちゃけ』られているな)
ここは私的な会話をする、という体裁の部屋だ。
とはいえ『体裁』である。ようするに氷邑家にある『当主の間』と同じ属性の部屋なので、あくまでも上の者が下の者に親し気にし、信頼を示す演出をするための場所。実際にはそこまで下の者にぶっちゃけることはない。
だが帝の語ることはあまりにも詳らかだった。
普通であれば『語らないが察しろ』というようなことまで語っている。
梅雪は──
少し、つついてみることにした。
「……とはいえ帝の『名代』というのは、重責にございます。加えて、それを公式に認められてしまえば──私も欲に負け、イツクシマで、帝のごとく振る舞ってしまうやもしれませんな。巫女など侍らせて」
「だがそれは、愚か者の描く『帝のごとき振る舞い』だ」
「……」
「お前は愚か者ではなかろう。違うか、氷邑梅雪」
「過分なお言葉、痛み入ります」
「氷邑梅雪、毛利での問題解決に関係することに限り、余に代わって詔を発するところまで含む『名代』だ」
「……」
「何をしてでも氾濫の脅威を除き、中国地方の問題を解決してこい」
「は」
「……だが、氾濫は殺しきれぬであろう。我が祖でさえ、封印がせいぜいであった」
「……」
梅雪は、『中の人』の知識ありきでも、氾濫の殺し方を知らない。
なぜならゲーム剣桜鬼譚において、氾濫の主人はすなわち『主人公』なのだ。
主人公を操作するプレイヤーが、主人公を完全に殺す方法を必死に探したり、疑問に思ったりすることはない。だから、そこは掘り下げられない。
視点人物である主人公を、プレイヤーがどうして殺そうと思うのか? 主人公にはあらゆる特典が許されている。プレイヤーが気持ちがいい限りあらゆる疑問は放置され、プレイヤーのストレスを取り除く限りにおいてあらゆる設定は目こぼしされる。
『主人公はゲーム内人物なのでセーブという概念がわからないから、このゲームはセーブできません』などという戦略シミュレーションゲームには『なんでだよ!』と突っ込みが入ろうが、『主人公はセーブという概念を知らないが、セーブできます』というゲームにはいちいち突っ込みが入らない──と言えばわかりやすいだろう。
便利を前にはあらゆるものが目こぼしされる。
主人公がセーブ&リセットで何度もやり直せることに『なんで』を唱える者はいない。唱える者がいても、『リアルとリアリティは違うんですよ』という話で終わる。
(だが実際、この立場に立たされてみて──あれだけ斬り刻んでも死なず、あまつさえあの状況から逃げおおせる者を、一体どう殺す? 封印しかないか?)
梅雪にとって、不死者殺しは課題である。
……それは同時に、今、旅に出ている父・銀雪が、イワナガという『不滅の存在』を殺す方法を求めて取り組んでいる課題でもある。
ともあれ、
「氷邑梅雪。氾濫の主人を殺せとまでは言わぬ。あれは、我が先祖でさえも殺しきることの出来なかった存在。ひとまずは撃退し、毛利家の救援、鳥取砂漠の状況安定を目指してくれ」
「は」
「何より重要なのは『時』だ。可及的速やかに毛利家の状況を安定させ、そして……帝内に戻ってほしい」
「……それは?」
「熚永の乱に発して動きを見せているのは、氾濫の主人が糾合していると思しき砂賊だけではない。すぐ東にあるサイバネティック・ネオアヅチ、ドデカ湖などの侵略者どもも、機会を狙っている。……連中に御三家ならずとも両輪ありと示すこと。そうして『最初の戦』を起こさせないこと。これこそ、平和のために肝要と心得よ」
(なるほど、正しい)
正しいが──
梅雪が『平和』を望むかは、また別の話だ。
とはいえ、梅雪と出征のための兵力を抜いた氷邑家が滅ぼされても馬鹿馬鹿しい。
つまり──
(なるべく早く、砂賊どもを倒す。そこに本当に桜がいれば、方法を見つけて殺す。……この出征、『時』が肝要──という意見、異はない、か)
帝の語る方針は、梅雪にとっても利があり、否定の余地がない。
だからこそ、『否定できるかどうか』を検討してしまうのだが。
「では氷邑梅雪、お前にすべて任す。余のため、毛利イツクシマを救援してまいれ」
「は。承りました」
かくして出征と目標が決定する。
……帝内地域において、数百年ぶりとなる、『軍隊を地方の外に派遣する戦い』の始まりであった。