第196話 帝と梅雪
「このたびの熚永平秀の乱について──」
御簾の内側から発せられた声に、氷邑梅雪は驚きを禁じ得なかった。
(本当に、帝自らが進行するのか)
我自ら声を発するに足る──そうは述べたものの、大事なところで声をさらすだけであり、進行などは家臣、そこにいる家老に任せるというのが通例である。
だが、本当に進行から何から帝がするらしい。
これは『最初からそのつもりであった』というわけでもなさそうだ。
横に控える侍大将の顔と、家老がわずかに発した『それでは』と進行の枕にしようという言葉の『そ』から、帝が今、独断で、自分でこの場を仕切ることを決めたとうかがえる。
これは帝が帝たる自分の立場をよくわかっていない、軽率な行為だ──と、通例に則るならば、そう判断するところだが。
(……場が静まっている。なるほど、夕山神名火命の兄ということか)
帝の声には力と魅力があった。
加えて、『自ら家臣に言葉をかける帝、その権威は失墜した』と人に思わせないだけの『中身』がある。
……実際、あそこからどう進行しようとも、進行役が家老であったならば、侍大将のやらかしに発するざわめきは静まりきることはなかっただろう。
しかし帝が声を発しただけで、梅雪さえもニヤつきを忘れてその声に聞き入らされている。
(普通の言葉を、普通に発する。それだけで注目が集まる強烈な『魅力』。そして……父・銀雪でさえもが一目置く、剣士としての圧倒的才能。……面白そうだ)
しばらくは従ってやるのも、反旗を翻すのも、どちらもだ。
……梅雪の目的は、天下統一──には、ない。
統一というのはあくまでも天下を背負う覚悟が必要な行為だ。戦国という時代に覇を唱えるのは、時代を欲するがゆえだ。
ところが梅雪、当主大名になって世界を見渡してみると、世界そのものを呑もうという欲望が己にないのに気付かされる。
梅雪の内側にある欲望、それは──自分を侮る者を全員平伏させる。
自分を侮る者に気持ちよくやり返せれば、自分が天下人かどうかはどうでもいい。
結果としてすべての領地をわからせて回る可能性、もちろんある。
だが、自分を侮らず、立場上だけとはいえ自分より上に据えてやってもいい者がいるならば、それを支えるという形でも叶えられる願望であり……
すべての領地を支配してすべての者を差配する責任、至極どうでもいい。
あくまでも梅雪が欲するのは『己の欲望の充足』であり、責任なんぞはとりたい者がとればいいと思っている。
そういう意味で、帝は仰いでやるに足る存在かを確かめたいわけであった。
今のところ──
(いきなり進行を奪ったと思しいが、熚永平秀の乱の概要、熚永家のやらかし、氷邑家の功、すべて適切に語っている。自分が読むわけではない原稿をしっかり読んで覚えていたか? それだけならば、『真面目だな』と評価してやるところだが)
まず熚永家の置かれた状況を語り、そこから発したのが今回の乱であった──
その乱において熚永家がやらかしたことは、その影響も含め、許されることではない。
だが同じ御三家の氷邑がこの凶行を止め、なおかつ当主梅雪の妻にして帝の妹である夕山から熚永家の生き残りについては許すよう嘆願があったため、これ以上、熚永を責めるのはよくない。
かといって許すわけでもない。家は取り潰し、熚永にまつわる者は永遠に家臣として迎えることはない──
(……まさか『ヨイチ』が『熚永平秀』であると気付いていないわけではあるまい。それが、すぐ目の前にいるというのに、大した役者だ)
声になんの動揺もなく『熚永家は二度と家臣に迎えることはなく、御三家改め両輪たる氷邑・七星はもちろんのこと、我に恭順せしすべての者、以降熚永家とのかかわりを持つこと許さぬ』と言ってのける。
しかもこの場に集められたクサナギ大陸の名だたる大名たち、中にはヨイチが熚永平秀であることをわかる者も少なくない。
その状況で熚永家を永遠に自分の支配下から排斥すると、ヨイチを目の前に言ってのけるのだ。
わかる者にはわかろう。『バレないようにやれ。正体を隠している体裁さえ整えたならば目こぼしする』という意味の言葉だと。
これが帝自らの口から発せられるのだから、弱腰だの慈悲が深すぎるだの思われかねない。
だがそれをさせないのが、帝の平静な様子と声音だ。
帝。
ゲーム剣桜鬼譚においては開始一行で死んだ存在。
だが指導者、支配者として、そして戦士として二人といない逸材であることには変わりない。
梅雪は、つい、思ってしまう。
(……いかんな。『家臣にほしい』などと。帝に対して──不敬だなァ?)
不敬、と思った瞬間に笑ってしまう。
もちろん、そのようなこと気にする自分ではないのを理解しているからだ。
ここまでの話を聞いて、梅雪の中で、帝への扱いが決定する。
(今は立ててやったほうがよさそうだ。これを前に立たせたほうが、面倒ごとが減ろう。それに……)
梅雪が見抜いていること。
それは、帝の思惑のうち一つ。
自ら進行役をかって出るという行為の裏側で、帝はこのようなことを考えていた。
(氷邑梅雪。その性質は『狂にして暴』に違ない。しかし、夕山が惚れるのもわかる。……クサナギ大陸の平和のためにも、この男とはうまくやっていく方がよかろう)
帝もまた、氷邑家を利用しようとしている。
ただし梅雪が我欲と『面倒な統治業務を避けるため』という理由であるのに対し、帝が考えるのは、あくまでもこの大陸の平和。熚永家のやらかしにより、今後出現するであろう帝や御三家へ攻め入る勢力、そして存在が確認されている脅威に対し備えるための、利用である。
……氷邑家と帝。
目的が違い、利害が違う。
それゆえに、協力は成る。
梅雪は帝を利用すると決めた。
帝も梅雪を有能と見込み、これを利用すると決めた。
互いに互いに対する評価があり、互いに対して礼節を尽くそうという心掛けがある。
互いの目的がかち合わない限りこの関係は続くであろう。
論功行賞はかくして終了する。
多くの大名、その有力な家臣たちの目の前で、熚永の乱を収めた大功が評価され、氷邑家に正式に熚永家の遺産のほとんどが割譲され、熚永のものだった土地が与えられることを告げられた。
これは領土の広さだけで言えば帝を超えることになる異例の褒章である。
だが、異を唱える者はいなかった。
氷邑家の成したことがそれだけの褒章を得るのにふさわしいと認めざるを得なかったからであり……
所持する土地の広さ程度などどうでもいいほどの器を、ただ『論功行賞を進行し、仕切る』という手腕、声のみで、帝が居並ぶ者どもに示したからである。
……そして。
「さて、大功ある氷邑家──かつて、我が祖とともに駆け抜けた両輪たる『盾の氷邑』。お前に今ひとたび、期待したい働きがある」
帝が告げる。
梅雪は微笑をたたえて頭を下げる。
「なんなりと、お申しつけください」
「西の毛利──超級巫女国家入雲狂巫女大社イツクシマの話だ」
それは中国地方を支配する大名家である。
帝が『御三家の反乱を収めた御三家への論功行賞』を開いているので、当然、呼ばれているべき超大国である。
だがこの場に毛利の者は存在しない。
その理由は──
「知っての通り、鳥取砂漠をすぐ西に臨む毛利家は、砂賊の脅威にさらされている。同時に、すぐ南に怨異ヶ島──異界との扉が開きやすい、かの氾濫の主を封じていた島が、狭い海峡を挟むだけで存在する場所でもあるから、異界の脅威にもさらされている。これに毛利家は長く、独力で対処していたわけだ」
氷邑家の西にある『魔境』は、言ってしまえば『魔境の入り口』。この『魔境』に隠された橋を渡ることで、魔境本土と言える死国怨異ヶ島に渡れる場所、ということだ。
魔境本土は総面積にして約15万平方kmもある広大な土地であり、ここには氾濫以前にも様々な『異界からのもの』が来訪していた。
海を挟んでもなお異界からの門が開きやすい中国地方全土は、天国や地獄、極楽といった世界の門が開きやすい恐山と並ぶ霊場でもある。
まだ帝の祖、そのまた祖さえいなかった時代からこの『異界』と付き合いを続けてきたイツクシマの巫女たちは、高い戦闘力を持つ超級巫女として、イクツシマ以外に仕える巫女たちとは一線を画す存在とされている。
「その入雲から救援要請が来ている」
それは秘されている情報であった。
少なくとも梅雪は知らず、梅雪の論功行賞を聞かされるために集められていた者どもも、知らない様子でざわめいている。
帝の家老・侍大将はもちろん知っていたはずだが──
梅雪は目ざとく気付く。
(動揺しているなァ? ……なるほど、帝、面白い。この場でその事実を発表するのは、独断だな?)
熚永の乱によって熚永が潰れ、西側の『実際に戦争をすることはないが、もしも戦争を仕掛ければ御三家を含む帝にも対抗しうるのではないか』とさえ言われていた毛利家イツクシマが危機に陥っている。
上を塞いでいた超戦力たちがのきなみ弱っているこの情報、多くの者に公開すれば、いらぬ野心を煽るだろう。
だからやっている。
帝は独断で、今後、乱の原因となりそうな勢力を洗い出し、潰そうとしているのだろう。
……ただしそれは、潰す余力があってこその戦略だ。
つまり──
「氷邑家に命じる。我が名代として毛利家の救援へ向かい、即座に『砂賊』と『異界』を鎮圧してまいれ」
もっと詳しい話をされてみなければ、可も不可も言いようがない。
だが、帝がこの場で多くの者に毛利家の危機を明かし、さらに梅雪に名代を命じたのは──
(この俺であれば、長引かせず、毛利が弱る前、この俺の不在を突かれる前に、さっさと西のイベントをこなせると見込んでのことか。……なるほど)
梅雪はこみ上げる笑いを止められなかった。
なぜなら、
(これが『偉いお方に期待される喜び』か。……よもや、この俺がそんな感慨を抱こうとはな。見事だ、と言ってやろう。しばらくはこの喜びをしゃぶってやる。味に飽きれば──どうするかわからんがな)
しばし耽溺していい喜びだと梅雪は感じる。
ゆえに、
「拝命いたします。帝に代わり、クサナギ大陸の武威を愚か者どもに示してご覧に入れましょう」
事情も知らぬ討伐命令に、梅雪は唯々諾々と従った。
帝と梅雪、互いに互いを見つめる、静かなる戦い──
(引き分け、それも快い戦いのすえの引き分け、ということにしてやるか)
梅雪の人生で数少ない結果と、なった。