第195話 熚永平秀の乱・論功行賞
熚永平秀の乱から二月が経過した。
季節には冬の気配が混じり始め、ふとすると肌寒いと感じる日も増えてきている。
それだけの時間が経過したあと──
氷邑梅雪は、帝に呼び出され、帝都蒸気塔へと登っていた。
『氷邑梅雪』名指しでの公式訪問は、帝都騒乱のさいにウメやアシュリーが『英雄』として祭り上げられる時、それから氷邑家当主襲名の時以来、三回目になる。
夕山との結婚の際には帝都にてお披露目を行ったが、あれは厳密には『呼び出された』わけではない扱いになる。
他には大江山での『酒呑童子討伐』の結果たる神剣奪還式典の際にも、七星家ならびに氷邑家ということで招かれることになったのだが、政治的に七星家のみが帝からお言葉を賜るべき場面だったのと、『七星家ならびに? あの有様の七星家と並ばされてもなぁ(笑)』ということで辞退したわけである。
帝都蒸気塔謁見の間──
そこは外部が大正浪漫の蒸気都市であり、ここも地上300メートルはある巨大な塔であることを考えると、ずいぶん『普通の』和風の城の内部である。
普段は『評定の間』として利用されているのもあり、大きな畳敷きの広間であり、ただ他の家と違うのは、帝のおわす部分の高さ(普通の大名家も領主大名の席は一段高い場所にあるが、帝のおわす場所の高さは学校で朝礼の時先生が昇る台ぐらいある)と、そこに天蓋があり、帝は姿を見せずに御簾の内側にいらっしゃるということであろう。
帝との一対一での私的な(という体裁の)会話を行うもっと狭い部屋もあり、梅雪も『ウメとアシュリーのパレード前』にそこに通されたこともあるが、今回はもっと公式かつ公的……ようするに『帝が呼び出せる家臣たちへのお披露目』も兼ねた呼び出しということになる。
なので現在、御簾の中に帝がおり、その横にいかめしい顔つきをした家老、そして新しい侍大将がおり……
その三人に向き合うように、部屋の先頭に梅雪が着座しており、その左には公的な梅雪の侍大将としてウメがいる。
実質的に梅雪子飼いの侍大将を務めているのはイバラキなわけだが、さすがに過去を消し素性を隠しているとはいえ酒呑童子元頭領が帝の目の前に来るのは『どのツラ下げて』が過ぎるからだ。
それに加えて、帝はクサナギ大陸で最も偉い侍であるため、イバラキの性癖のせいで、帝をうっかり殺したくなってしまう可能性もあった。そういうわけで、イバラキ自ら辞退したのである。
……ただし。
梅雪側に、帝を挑発しないよう気遣ってやろうというつもりは一切ない。
梅雪の左やや後方には、護衛兼、『熚永平秀の乱』における筆頭武功を挙げた者としてウメがいるが……
右。
こういった公的な場において、左に控えさせるのが武の者、だいたいの場合は侍大将になる。
そして右には家老などの内務を行う者……
ようするにこういった場で何かを偉いお方からたずねられた場合、当主に耳打ちする、頭脳的な意味での補佐役を置くのが通例である。
もちろん両側に家臣を控えさせていないというのは格好がつかない。
多くの者に見える場であるため、格好をつけない理由もなく、梅雪は左右に一人ずつ付けているわけだが。
……梅雪の右にいる者。
竜の仮面をかぶった銀髪の男である。
ただし、その銀髪はよくよく見るまでもなく、カツラであることがわかる。
その長身にして引き締まった肉体をした男、氷邑家の紋付き袴を着ることを許された、竜を彫り込んだ意匠の仮面をかぶった、銀のカツラを被った者。
「……帝よりお言葉を賜る前に。氷邑梅雪、そなたの右に居る者、仮面のまま帝の御前におわす理由を語られたし」
帝の家老が、苦々しくつぶやく。
その者、巌のような顔をして、切り込むがごとき意見を述べる者である。
ただし、そういう者をして、この発言はできればしたくない、という様子であった。
というのも……
梅雪が、粛々と目を閉じ、応じる。
「仮面を外せぬ事情、お前から説明しろ、ヨイチ」
梅雪の声に、長身で引き締まった体をした竜面の男、平伏し「は」と応じる。
そうして頭を下げる際に、銀のカツラの中から、深紅の髪がひと房こぼれる。
……ヨイチ。
言うまでもなく、熚永平秀──先の熚永平秀の乱の首謀者である。
ただし公式には熚永平秀は死亡している。
なので、ヨイチが語る『仮面をとれぬ事情』は、このようなものであった。
「幼きころ、酷く顔を焼かれまして。あまりの醜面ゆえ、二度と人に面を向けること、かなわぬのです。何卒、ご容赦いただきたく」
「とはいえ」梅雪が言葉を引き継ぐ。「この者の功、帝もよくご存じのはず」
家老が嫌そうな顔をし、侍大将が奥歯を噛みしめ、怒りなのか憎悪なのか、あるいは恐怖なのか、あらゆる感情の噴出をどうにか抑えているという顔になる。
……現在の帝の侍大将。かつて、帝都騒乱の際に帝を裏切り死亡偽装をして破落戸どもを操り、自分は蒸気塔に攻め上ろうとした、当時の侍大将──
これを恩人と慕い、これが裏切ったことを『何かの間違いだ』と信じる者である。
梅雪はその侍大将の顔を見て、笑った。
本来は凶悪な笑みを浮かべたいところであったが、後ろに大量の大名を背負っての帝との謁見の場である。
みぐさくないよう、貴公子然とした笑みを浮かべていたが……
その内面にある凶悪な色までは、果たして隠しきれたかは怪しい。
「この竜面の者。かつての帝都騒乱において、我が隠れた片腕として、ヤマタノオロチの首八本揃って撫で斬りにした他、北区の破落戸どもを倒しその区画の乱を平定し、なおかつ、熚永アカリを討ち取り、それを以て多くの者に帝都騒乱の終結を示した者にございます」
それらはもちろん、かつて、梅雪が行ったことである。
だが氷邑梅雪、家臣どもの功をアピールして『氷邑家』を軽々に戦争を仕掛けられぬ家とする一方で、己自身の武功は相変わらず隠しおおせるつもりであった。
ところが今回の熚永平秀の乱の平定によって、氷邑家の『武』が注目されることとなり……
その中で、かつて帝都騒乱の際に現れたという、『どうやら氷邑家の所属らしい、銀髪の仮面の剣士』について探ろうとする者が出現した。
そこで梅雪はこう考えた。
『ここにちょうどいい剣士がいるではないか』
……そういうわけで、熚永平秀改めヨイチ。
かつて帝都騒乱の際に大活躍し、熚永アカリを討って、騒乱を収めた隠れた第一武功の者として立てられたわけであった。
なお氷邑梅雪十三歳。
熚永平秀は三十二歳である。
三年前は『子供』であったという偽装になるわけで、平秀改めヨイチはかなり微妙な気持ちにさせられたが……
梅雪の決定に『否』を言わず、ただ粛々と『氷邑家の仮面の剣士』となることを呑んだという背景があった。
梅雪は微笑のまま、帝の侍大将を見つめ、語る。
「この者の功はほかにもございます。最近であれば、北条に助太刀し巨人討滅の一助となったこと、北条の者に問えばこの仮面に見覚えがあると証言してもらえることでしょう。……ああ、それから、帝都騒乱においては、もう一つ、小さな功がありましたな。確か──裏切り者の、当時の侍大将を討ったのも、この者であったとか!」
帝の侍大将の拳が握りしめられる。
……彼は『最近』、侍大将になった者である。
それは、かつての侍大将が立派であったから、これのいなくなった席に自分が滑り込むわけにはいかない、という遠慮から、ここまでその座に就くのを辞してきたためであり……
同時、有能かつ優れた家柄であるが、そういった考えの持ち主であるため、本当に侍大将に据えていいかどうか、帝と家老との間で長く協議されてきたからである。
結果として、こうして侍大将となることになったのは、帝は先の帝都騒乱を受けて、様々な思想の者をなるべく近場においておこうと考えたからである。
具体的には夕山に魅了されそうもない、何かをすでに強烈に信望する者、確固たる『己』を持っており、惑わない者だ。
家老は後者の枠での採用であり、侍大将は前者の枠での採用になっている。
で。
なんでそんな来歴の侍大将を梅雪は煽っているのかと言えば、目つきが無礼だからである。
同時に、『確認』したいのだ。
熚永平秀は熚永家当主である。
いかに氷邑家の羽織袴を身に着け、銀のカツラつきの竜の仮面を被っていたとしても、見る者が見ればすぐに平秀だとわかる。
明らかに平秀である者を横に侍らせて、帝らがどういう対応をするのか。
……氷邑家と帝、今後仲良くやっていけるかどうかを見ているわけである。
その結果、
「…………ええい! もう、我慢ならん! そこの者、仮面を外せ! 貴様の正体はわかって──」
侍大将が、立ち上がる。
彼は帝の護衛役でもあるため、腰に刀を帯びて、片膝立てて座っていた。
その状態から立ち上がりざま、腰の刀に手を伸ばす。
それを、
「やめんかァ!!!」
家老が、大声で止めた。
「多くの大名・家臣が集う、氷邑家の論功行賞の場なるぞ! しかもだ! 貴様の後ろには帝がおわす! その場で刀の柄に手をかけるとは何事かァ!!」
「しかしご家老、この男!」
……侍大将は、仮面の剣士が熚永平秀だと気付ける者である。
それでも怒り心頭なのは、『当時子供』だった仮面の剣士として梅雪が立てたのが『当時から大人』であった平秀であり。
ようするに、梅雪が、自分の慕う当時の侍大将を殺しておいて、それをネタに自分をおちょくっていると理解させられたからである。
加えて述べるならば、梅雪の言葉の抑揚、表情に忍ばせた目つきなど、非常に強く人の感情を逆撫でする。
言葉を連ねて人を煽るだけではない。視線と表情、声の抑揚だけで十分な煽り性能を持つ──それが大陸一の煽り厨、氷邑梅雪の力であった。
ともあれそのせいで混迷の様相である。
周囲はざわめき、家老と侍大将が一触即発。
それを諫められる者は──
「やめよ」
御簾の内側の帝しか、ありえなかった。
本来、大勢の前で声をさらすことのない帝の一声に、さすがの侍大将も腰を落とす。
帝は──声を直接全員に聞かせるようにして、続けた。
「では、熚永平秀の乱における、氷邑家の論功行賞を始める。この働きは、我自ら声を発するに足るものとする」
許可を求めたり、よろしいかとたずねることはない。
帝の言葉は『決定』である。それに異を唱えることは、帝に対する叛逆に他ならない。
一瞬で静かになった謁見の間で、梅雪は頭を下げながら、小さく鼻で笑う。
(さて、貴様の『器』を見ようか、帝)
……七星家、熚永家。
それと同様、帝にも『敵対しないでやる価値』が必要だと梅雪は考える。
だからこの論功行賞は、帝という男の器を見るために参加してやっているもの。
傲岸不遜なる若者の目が、クサナギ大陸最上位たる帝を見る。
……だが。
御簾の内側からの視線もまた、梅雪へと注がれている。
この論功行賞──
帝と氷邑の、静かなる戦いであった。