第194話 熚永平秀の乱・戦後処理 二
氷邑梅雪は、地下牢の中にいる者の名を呼ぶ。
「名もなき暴徒──否、熚永平秀」
呼びかけられた男は、地下牢の硬い床の上に正座した状態で、伏せていた目を閉じた。
赤い瞳に赤い髪の、背の高い男である。
年齢は三十代ということだが、その姿勢が美しく、顔立ちがいかめしさによって多少老けては見えるが造り自体は若々しいため、もっと若年に見える。
着ているものは梅雪が用意させた衣服であり、食事を抜いていたわけでもなく、現在は多少の暑さはあるものの過ごしにくいほどではない気候であるため、血色もいいし、身ぎれいだ。
地下牢の罪人。とはいえ梅雪は己の地下牢に粗略に扱っていい者を入れる気はないため、湯浴みなどもさせている。普通に自分ちの地下に何日も風呂に入ってない犯罪者がいるの、嫌だから。
まあ、粗略に扱っていいような犯罪者は、そもそも領都屋敷になんぞ入れないし、入れる必要があれば殺してしまう、というだけの話だが。
熚永平秀。
敗軍の将である。
彼はここ最近、梅雪の顔が見えればいつもそう言うように、今回もまた、同じ言葉を発した。
「私の処刑の日取りが決まったのか」
すでにその心には、一片の生存意欲もない。
それでもこうして生きながらえているのは、彼がその性格から『今回の責任をとって処刑されるところまでが義務』と考えているからであり、そうでなければ、とうに自ら舌を噛み切るなどして死んでいるだろう。
梅雪は顎を上げて、語る。
「俺はな、こういった状況において、たびたび考えることがある」
「……?」
「『己の死を覚悟した者を殺すこと、果たして報復足り得るのか?』ということだ」
「……」
「熚永平秀。貴様の家臣であった──ああいや、当時は当主ではなかったのか? まあ、当主一族ゆえに責任を負ってもらうとして、家臣であった熚永アカリがこの俺にかけた多大なる迷惑、まことに許しがたい狼藉であった。が、それは、アカリの死を以て収めている」
「……」
「さらに、アカリの死後、貴様ら熚永家がこの氷邑家にした悪評を流すといった調略行為、まことに不愉快であった。とはいえこれは、そもそも悪評を流すつもりであったところの手間を省いたと、言えなくもない」
「……」
「しまいに、このたびの反乱、帝ともども、落胆の念を禁じ得ない。『あの、伝統ある熚永が、どうしてこうも愚かな判断をしてしまったのか。熚永の名を消し、御三家を両輪と呼ばねばならなくなる』と、帝もたいそうお嘆きだ。氷邑家としても、貴様らに殺された家臣、壊された屋敷など、まことに遺憾に思っている。この罪、許しがたきものである」
「……」
「だが、そうも死ぬ覚悟を固められては、殺すことが罰になるとも思えん。そこがな、困りどころなのだ」
平秀は……
しばし視線を地面に向けて悩むようにしてから、口を開く。
「武家の法度には、領主に弓引いた者についての刑罰も記されていたように思う。それは、氷邑家にもあったはず」
「それは現在、書き換えの最中だ」
「……」
「我ら武家が掲げる法度は、北条家の祖から発し、帝の祖がそれを学び、各武家に広めたもの。……つまり、数百年、時代が変わっても更新がない。古びた決まりで裁けるのは古代の罪のみ。個人的な所感として、法度など百年か五十年ほどもすれば総ざらいし書き換えてしかるべきと思うがな。……まあ、公正に法度を書き換えられる者がいる前提での話だが」
「では、新しき氷邑家の法度において、我らはどのような罪で、どのような罰を?」
「そもそもにして、平和な時代が続いた帝内地域において、『自家に攻めて来た他家』を裁く法など後回しだ。というより、違う国との戦争なのだから、国際法を参照すべきであろうが……その国際法というのがな、五百年前のものだ。五百年前、何が起きていたかわかるか?」
「……帝の先祖により、弓が禁じられ、卑怯者の武器とされた」
「その背景として、暗殺が横行していた。……つまるところ、戦争が禁じられた時代、それでも敵対領地の者を害する者に対する罰しかないのだ。そしてそれは死刑である」
「では、そうすべし」
「ところが、死を望む者をただ殺して、何が楽しい? この俺を侮り、コケにした者に対する罰が、ただの死などと生ぬるいとは思わぬか?」
「……氷邑梅雪、貴様……!」
「死を望む者の処遇について、俺は考えた。なおかつ──貴様の行ったことは愚か者の罪悪ばかりではあるが、一点、この氷邑家の悪評を流し、この俺の領地に攻め入った罪を補って余りある、情状酌量の余地を俺は見つけてしまっている」
「……」
「氾濫の主人に一矢つけたな?」
「……」
「この俺を狙えば狙えたはずだ。だが、貴様は氾濫の主人を的にした。その行為の意味を知りたい」
平秀は、押し黙った。
ここで死するべきだと考えている。だからこそ、己の罪を軽くするために開く口など、ない。
だが梅雪、鼻で笑う。
「貴様の部下がすでに吐いている。『クサナギ大陸の平和のため』であったか?」
「生きているのか!?」
その言葉を聞かせたのは、『じいや』のみである。
当時、すでに瀕死の重傷であったが……
梅雪は、肩を揺らして笑う。
「ちょうど、神威が余っていたものでな。その時点で死していなかった者、すべて治療し、生かしてある」
「……」
「貴様の罪の償い方を、この俺が考えてやったよ。生きている家族のため? 死に損ねた忠臣のため? そのようなもの、どうでもいい。そんなもののためではなく──この俺に忠誠を誓え、熚永平秀。貴様の残りの人生、貴様の弓の技、ここで潰すには惜しい。償いたいのであれば、生きて、俺のための矢を放て」
弓隊。
梅雪は常々、これを欲しいと思っていた。
『中の人』の常識を参照できる梅雪にとって、『弓が卑怯者の武器である』という常識、ちゃんちゃらおかしい。
弓とは良くも悪くもただの飛び道具である。
卑怯者が使えば、確かに卑怯者の武器であろう。だが、刀とて、槍とて、道術でさえも、卑怯者の手にあらば、卑怯者の武器である。
大事なのは使い手。
そもそもにして、『弓が卑怯』というのもまた、五百年前に突如決めつけられた価値観にしかすぎない。
これほど優れた兵器を『卑怯だから』の一言で歴史から消してしまうのは、あまりにも惜しい。
そして熚永の弓は恐らく、大陸随一。
で、あればその技術、熚永が潰えるならば、氷邑家で伝承したいと梅雪は考えた。
当然、これを素直に呑む平秀ではない。
「……私は、熚永家最後の当主として、死を望む」
「ああ、この一週間でな、熚永平秀は自刃したぞ」
「……何?」
「屋敷に火を放ち、自ら腹をさばく見事な最期であった。俺は平秀のことを氷邑家にド迷惑をかける最悪な屑と認識しているが、それでも武家として感じ入るところがあったほどの、見事な最期である」
「……馬鹿な。私は、生きている!」
「いやいや、間違いあるまいよ。生き残った熚永の家族が証言した。その者ら、平秀の自刃があったからこそ助命され、今は帝の庇護下にいる」
「…………」
「それとも──『自分こそが平秀であり、まだ生きている』と名乗り出て、改めて腹でも切るか? 『どうしても』と言うならば止めぬが……せっかく助かった家族の命を台無しにしてまで通す意地とも思えんなァ。まあ、もし? 仮に? 平秀が生きていたならば? 嘘をついてまで生存を拾った家族に義憤があり? それらを悉く殺すためならば? 生存を叫ぶやもしれんが?」
「…………氷邑、梅雪」
「で、貴様は誰だ?」
「……」
「『実は生きていた熚永平秀』か、それとも、『熚永の乱のどさくさに紛れて氷邑家に押し入ろうとした火事場泥棒』か? ああ、ちなみに──」
「…………」
「現在の氷邑家法度において、火事場泥棒への罰は労役である。すなわち──俺の命令に従い、命懸けで、罪を償うため、俺に尽くすことを罰としている。……まったく不快だなァ? この俺に尽くせるというのに、それを罰に思うなどと」
平秀は……
目を閉じた。
その時、平秀の脳裏には、これまでの人生がよぎった。
それなるは走馬灯と呼ばれるもの。高速で己の生き様が、生まれたその時から、今日ここに至るまで流れ……
そして、目を開いた。
「……私は、熚永家の次期当主となり、帝への忠誠篤い家臣たるべしと教育を受けた」
「そうか」
「政治を学び、剣を学び、弓を学び、戦術を学び……歴史を学んで、祖の活躍に憧れた。一本筋の通った忠義とは、これほどまでに気高く美しいのだと……感銘を受けたのだ。であるから、『そう』あろうと、努力を重ねた」
「そうか」
「……だが、土壇場で気付いた。私は……忠義に憧れる者でしか、なかった。……恋に恋する少女が如く、忠義に憧れる者であり……忠義の本質など見えていない、愚か者でしかなかったのだな」
「そうか。で?」
「……お答えいただきたい。あなたは、氾濫の神威を放つモノと戦っていたな。アレは……あなたが、時間をかけ、手間を尽くしてでも、必ず滅すべき敵か?」
「相違ない。俺は、アレを必ず殺す」
「……であれば、クサナギ大陸の平和のため。……あなたこそが、このクサナギ大陸に再び襲い来る危機から、民草を守ると信じ、あなたの矢となりましょう」
「よろしい。これにて熚永家は滅亡した。貴様と、貴様に忠義を誓い、最期までともにあった家臣すべて、この俺があずかる」
「……すべて、か。すべて……生きている、のか」
「この俺が手ずから治療した。ゆえに、死など許さぬ」
「……」
平秀は、黙ってそこで頭を下げた。
梅雪はその土下座を見て、鼻を鳴らす。
「ただし、納得せぬ者が多い。特にジジイがうるさい。貴様がどうにかしろ」
「御意」
「加えて命じる。熚永平秀の名を捨てよ。今後、二度と熚永の名を名乗ることは許さぬし、家族と仮に再び出会おうとも、他人として振る舞え」
「……それについて、一つ、お願いがございます」
「申してみよ」
「我が新たなる名として、『ヨイチ』と名乗ることをお許しいただきたい。……これなるは、熚永の開祖の幼名。熚永を捨てること、異はありませぬ。されど……その生きざまに憧れる者として。その生きざまをなぞりたいと願う者として、我が新たなる名は、これといたしたく」
「許す。熚永平秀、これにて完全に死んだものとする。貴様はこれよりヨイチだ」
「恐悦至極」
「貴様には弓術の伝承および、汚れ仕事を任す。だが、この俺が、氷邑梅雪の名のもと、約束しよう。いずれ、弓隊は白日の下で矢を放つであろう」
「………………」
「そもそも、このような優れた兵器を暗殺運用だけするなど、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。……弓は『誰でも修練により修めることができるゆえ、放った者の個性がわからぬ。だからこそ卑怯者の武器』ということだがな。……あの時、貴様が放ったような矢を、貴様以外が放てるものかよ。あれなるは、熚永平秀の堂々たる名乗りであった。熚永平秀以外には放てぬ矢であった。『誰でも修練で修められる』などと、努力したことのない者どもの戯言にしかすぎん。誰もが努力できるなどという幻想、己の人生を省みてもう一度吐ける者がいかほどいる? まして──貴様ほどの領域に努力のみで至れる者、いるとすれば名乗り出てほしいものだ」
「……熚永平秀は他人でございますが、そのお言葉は、嬉しく存じます」
「他人であるのに嬉しいとは、これはまた面妖なものよなァ?」
「我は矢であるがゆえに。弓が褒められれば、我が事のように嬉しいのでしょう」
「で、あるか。……では来い。貴様に氷邑弓隊を任す。これは労役刑であるゆえ、休めると思うなよ」
「仰せのままに」
牢が、梅雪手ずから開かれる。
平秀──改めヨイチは立ち上がり、牢から歩み出ると、主人たる梅雪の前に改めて膝をついた。
かくして、熚永平秀の乱、完全収束。
熚永平秀の最期は、『家に火を放ち、腹をさばき、館とともに大爆発、炎上』というものであった。
……その死後、氷邑家に『ヨイチ』なる裏仕事の者が登用されたが……
歴史上、熚永平秀と、ヨイチとは、まったくの無関係である。