第190話 熚永平秀の乱・十六
桜の目の前に出現した選択肢は、こうだった。
『戦う』
『逃げる』
そして、頭の中に響く声は、ことさら強調するように、こう続けた。
『さあ勇者よ。勇敢なる者よ。未来を切り拓きなさい』
だから、桜は笑ってしまう。
ひどく懐かしい。具体的には思い出せないけれど……
(そうそう、そうだった。こういう性格の人がいた印象は、残っている)
いかにも『戦え』と言わんばかりの誘導。
勇者。勇敢なる者。未来を切り拓け──逃げてはいけない。死中に活あり、と言わんばかりの言葉である。
あまりにも、悪質。
「あなたが誰かは知らないけれど、あなたのことはなんとなくわかるよ。あなたは……惑わない者を好むんだよね。あなたの言葉に乗せられない者を、好むんだ。だから」
桜は、選択する。
もちろん──
「私は、逃げる」
──世界が動き出す。
その一瞬前、頭の中に、声が響いた。
『人は散り際こそが最高だと思いませんかぁ?』
その声に、応じる。
「いやいや。人は、生きてこそでしょう」
ルウの剣が迫る。
それを受け、桜は、『逃げる』ために必要な手順を組み上げていく。
(安心してください師匠。私は最後まで行きます。途中で『散る美しさ』になんて惑わされたりしません)
……異世界勇者の根本的な考え方は変わらない。
彼が優先するのはあくまでも『願いを背負って、叶えること』。目の前の戦いなどにはそもそも興味などなく、戦わずに済むならその方がいいとさえ考えている。
生涯を通じて彼が戦闘そのものに楽しみを見出したことはない。そもそも、彼が戦意高く行動したことなど、一度もないのだ。
生き残り、行きつく。
その果てに、たまたま世界の滅亡と、異世界侵略があった。
それこそが勇者であり、主人公である。
ルウの剣をかわし、桜が動く。
その先にいる者、梅雪の出したシンコウ。
桜の出したシンコウの影と互角の戦いを繰り広げる、シンコウの『影』。
そこに介入する。
と、シンコウたち、介入者の力を利用し、戦いを加速させる。
膠着していた戦況が誘導される。
何がしたいのか?
その狙いに真っ先に気付いたのは、ルウだった。
「小僧! お前の出した方をひっこめろ!」
「すでにやっている!」
だが、梅雪は舌打ちをし、シンコウは戦いを続けている。
……異界の神威によって出された影は、生前の全盛期の性能、それから人格を維持する。
ただ出した者の味方として振る舞うだけの生き物。自らが吸った血によってか、自らが背負った魂によってかの違いはあるものの、その性格は生前のままである。
ゆえにシンコウ……
己との斬り合いを邪魔されたくないので、送還を拒否した。
それを可能にするのが、あらゆる力──神威さえも己の力に換える技法。梅雪から覚えた神喰の亜種。ついにシンコウが名をつけることなく、神髄たる転の一部に組み込み、剣士なみの身体能力を発揮するに至った技術であった。
かくしてシンコウたちの戦いは、桜を巻き込んで加速していく。
その達人同士の戦い。愛神光流の開祖と皆伝が噛み合う戦い……
外からの刺激をすべて力に換えてしまうため、介入できる者が限られる。
「死んでも厄介な女め!」
梅雪が『影』を蹴散らし切って介入。
ウメがルウの『影』の首を裂いて介入。
ルウは戦闘速度を見て、介入を断念。あの戦いはもはや、十割の自分でなければ介入できない。
当然ながら桜を射程距離に捉えていたサトコも介入できない。そもそも入り混じる者たちの速度が速すぎて狙った相手にボールを当てることができないのと、今の状況だと、誤って梅雪やウメを封印する危険性もある。
神喰状態の梅雪、ホデミに命を奉納し火炎化したウメ、ともに体が神威で出来ている。
妖魔とは言えないだろうが、封印対象になる可能性があった。
かといって介入せず黙って見て、サトコのボールを待てばよかったかと言えば、そういうわけにもいかないのだ。
そもそも桜はまだボールの一投で死ぬほどには弱っていないので、これを弱らせる必要がある。
そして、今、桜が何を思ってシンコウに斬りかかったかと言えば──
ルウが叫ぶ。
「転で速度を溜められるぞ!」
愛神光流は、外部からの衝撃を己の中で回し、回し、回し、どんどん力と速度を増していく身体操作、理合こそが神髄。
現在の桜、シンコウたちとの斬り合いの中で速度を溜め、離脱のための勢いを稼いでいる。
シンコウ、そしてシンコウ、さらに桜、梅雪、ウメが絡み合うように、互いの衝撃を利用し、際限なく加速していく。
加速を留めようとすればすなわち死である。さりとて介入しなければ桜が速度を溜めるのを見ているしかない。
あるいは見に回り、サトコのボールがラッキーヒットをするのを待つしかない。そういう状態にさせられた。
「この状況で……この状況でェ! なぜ、このような、阿呆みたいな手段を思いつくか、『主人公』ォ!」
さすがにこの機転は梅雪をして想定外。
というよりも、桜が唐突にシンコウに斬りかかった瞬間、その機転を看破できただけでも偉業である。
運命に愛された閃き。
そうとしか言えない。
梅雪は舌打ちした。
(外部から道術でシンコウごと撃てばよかった? 否! こいつらにそのような大雑把な道術が通用するわけがない! 加速されるのがオチだ! では、ここからとれる手段は──)
剣桜鬼譚・異聞。
強制的に異世界転移させる術式であれば、桜を閉じ込めることも可能。
神威消費は莫大だが、そもそも神威量において作中随一の梅雪。あの異世界創造術式であろうがあと二回は発動が可能。
……神威量的には、可能なのだ。
(──こいつらが一瞬でも動きを止めれば、布教活動も可能か!? だが、こいつらの動きを止めるのが至難! というかそれが出来たらそもそも発動の必要もない!)
剣桜鬼譚・異聞は異世界を創造し、デスゲームに巻き込むという理外も理外の布教活動である。
それゆえに制約が多い。具体的には、『こちらの話を聞く姿勢になっている者』にしか布教できないのである。
戦っている最中に横から布教活動をしても無視されるが必定。
つまるところ、『相手が落ち着いており』『自分の話を聞く姿勢で』、さらに言えば『相手との関係性が一定以上になっていなければ発動できない』──好感度参照の術式だ。
そして梅雪が懸念している部分だが、桜と梅雪との関係性、梅雪の一方的な片思いである。
桜にとって、梅雪はどうでもいい──
いや。梅雪のみではなく、世界のすべてが、どうでもいい。
ただただ仲間であった人の願いを背負ってどこまでも歩む存在は、何かに強烈に執着するということがない。
彼女はあくまでも『生きるために必要な信念を借りるだけ』の存在。ただ生きていくだけにしては強大すぎる運命と才覚を持つゆえに、他者の願いを叶えるという退屈しのぎをする、共犯者にしかすぎないのだから。
すなわち、
「くそ!!!」
手詰まり。
「氷邑梅雪」
激しい剣撃の中で、桜の声が静かに、ゆったりと耳に届く。
耳触りのいい声だ。相手の脳になんの刺激も与えない、一瞬あとには忘れていそうなほどに、滑らかな声だ。
だが、梅雪、心情的に、この声が甚だ不快である。
「なんだァ!?」
「あなたが私を殺すと言ってくれたこと、嬉しかったよ」
「あァ!?」
「だって──私に殺意を向けない人を殺すのは、やっぱり、何か、ためらいがあるから」
「……き、さ、ま、は……!」
「じゃあね梅雪。また会おう」
桜が受けた剣の勢いを利用し、乱戦から抜けていく。
その速度、雷よりなお速い。
梅雪とて速度を留めることが適わぬとわかった時点で、速度を溜める方へと戦いをシフトしていた。
だが、及ばないのがわかる。……あとからならなんとでも言えるが、最初から『留めよう』と思わず、『溜めよう』という方向性であれば、加速が足りた可能性もあった。
桜、離脱──
の、その、まさに、瞬間。
氷邑領都屋敷、西。
正門のある方角。
そこから飛来した神威矢が、桜の体を貫く。
「……なに?」
梅雪でさえも理解の外にある一撃。
それを成した者の名は──
熚永平秀。
この乱の、本来の主役であった。




