第187話 熚永平秀の乱・十三
『主人公』とは、何か?
「師匠」
黒い神威が桜のもとへと集っていく。
それはまさしく、異界の神威。
「師匠」
桜は凛々しく、美しく、されど奇妙に印象に残りにくい顔で、シンコウの亡骸を見ている。
梅雪とウメが斬りかかる。
だが、桜、抵抗しない。
その身に刃が滑り込み、血を流し……
治癒する。
莫大な神威が成せる業──では、ない。
治癒能力に特別な才能を持つ──のとは、少し、違う。
──『主人公』とは、何か?
それを『プレイヤー』と翻訳した場合、『セーブ&ロードによる無限のやり直しによって望んだ運命をつかみ取る者』である。
またあるいは、『多くの仲間を庇護し、その能力を適切に見て、配置できる、外なる知識を持つ者』である。
では、プレイヤーに操られる主人公という人物とは、どのような者か?
「師匠、ごめんなさい。私……あなたの死が、あんまり悲しくないんです」
黒い神威が集っていく。
帝の祖の時代、異界より侵略してきた異世界勇者の神威。
神威生命体、すなわち妖魔は倒しても、適切に封印しなければ散逸し、いつか復活する。
だからこそ帝の祖は異世界勇者たちを死国全土を用いて封印するしかなかったが……
なぜ、そこまで大規模な封印が必要だったのか?
たとえば離苦罹球形浄土のようなアイテムだって、あったはずだ。あのボールよりは不便であろうとも、その時すでにクサナギ大陸をまとめていた帝の祖が、似たようなアイテムさえ手に入れられていなかったのか?
……妖魔は、散逸する。
だが、散逸する直前であれば、すなわち殺した直後であれば、アイテムに封印することも可能だ。
帝の祖が広大な土地に異世界勇者を封印せざるを得なかった理由、それは……
殺しきれなかったから。
散逸という段階まで、帝の祖をして持っていくことのできなかった生き物こそが、異世界勇者である。
「私にはやっぱり、何もないんだな」
刻まれながら、桜は語る。
ずたずたにされながら、桜はまったく意に介した様子もなく、空を見上げる。
「でも、あなたのくれたものが、私にはあります。だから」
黒い神威が凝縮する。
桜の全身が暗闇に包まれ、梅雪とウメが弾き飛ばされる。
「ともに間違えていきましょう。ともに罪を重ねましょう。あなたの意思は私が受け継ぐ。行きつくところまで行きましょう。信念も願いもない私は、あなたの信念を借りて、生きていきます」
──主人公、すなわちそれは。
天性の共犯者。
信念などプレイヤーの操作次第でいくらでも歪む。
願いなどプレイヤーの行動次第でころころ変わる。
誰かに操作される者、それこそが、主人公。
異世界において、『主人公』は弱者たちと偶然、最初に出会った。
それゆえに、弱者たちの願いを叶えるべく戦った。
本人には信念などない。
ただ、強大な力と才覚、そして運命に恵まれていた。
願いも信念も外付けのまま、行きつくところまでただ進み続けるだけの者。
主人公とは、そういった異物の総称である。
さらに加えて述べるならば……
「だから、あなたも、そばで見ていてください」
仲間の願いを受け継ぐ者。
それこそが、主人公。
誰かに祈りを託される者。
それこそが、主人公。
たとえ仲間が死そうとも、その魂とともに歩み続ける者。
それこそが、主人公。
……桜が切り刻まれても死なない理由。
そんなものはない。桜は間違いなく死んでいる。
ただ、彼女は死を覆せるだけである。
仲間とともに歩む者。
異界の神威の本来の持ち主。
すなわち、『異世界勇者』とは──
「ねぇ、シンコウ師匠」
──死霊術師。
黒い神威から、桜の『仲間』があふれ出す。
その仲間たちに桜は見覚えがなかった。その仲間たちの願いを桜は思い出すことができなかった。
けれど、その仲間たちの列にまた一人……
剣聖シンコウが、加わっていた。
真っ黒いのっぺりとした、シルエットだけの存在。
異界の神威からあふれ出す『影』。
騎士ルウがプールで暴れた際にも発したモノ。
その力の本来の持ち主こそが、異世界勇者。
死を覆し、魂を縛り付け、その願いの元の持ち主よりも迷いない足取りで、願いの行きつく先まで進み続ける。
その結果世界が滅びても気にしないという、主犯を置き去りにする究極の共犯者こそが、主人公である。
では、最強無敵の存在なのか?
主人公は、負けないのか?
そうだろう。ただし……
とうにこの世界の主人公は、彼女のみではない。
「顎を開け、世界呑凍蛇ァ!」
凍蛇より発した蛇が、異界の神威を呑む。
神喰、完了。
梅雪は──
舌打ちをした。
「こうなったら面倒だと思っていた。が、まァ……考えてみれば、ちょうどいい、か」
笑う。その顔は傲慢そのものである。
「『主人公』。……いや、桜、と呼んでやるか。貴様はそれで、全力だ。……少々だけ、有利不利だの、戦術だのに拘泥していたが……まぁ、全力状態になった貴様を呑み下すのは、弱っちい貴様を殺すより楽しそうだ」
「氷邑梅雪。……あなたに恨みはないんだ。でも、師匠があなたを殺したがってたから、私は、そうする」
「そのように腑抜けたことで俺を殺せると思ってか? ……舐めるなよ有象無象。宣言してやろう。……貴様は殺す」
「死ぬわけにはいかないな。だって──こんなに、私が進むのを見ている人がいるんだから」
「抜かせェ!」
神喰状態の梅雪と、黒い神威をまとった桜。
両者が、ぶつかり合った。
氷邑家領都屋敷の戦い、決戦へと突入する。




