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第186話 熚永平秀の乱・十二

 一瞬──


 ウメと(さくら)にとって、梅雪らの姿が消えていたのは、幻かと思えるような一瞬であった。


 従者たちの戦いは、守るべき主人が消え去った瞬間に止まっており……


 主人たちの出現を、従者たちは注視していた。


 彼女らの視線の先には、このような光景がある。


 剣を振り下ろした姿勢で立つ氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)


 そして……


 膝をつき、手を地面につき……


 荒い呼吸をする剣聖シンコウである。


「師匠!」


 桜が飛び出そうとする。

 それを、ウメが阻む。


 その構えは氷邑一刀流。

『これより背後に何者も通さぬ』という剣術であるそれは、誰かの道を阻み、背にいる誰かを守るためには最適である。

 それを銀雪(ぎんせつ)より与えられた、氷邑一刀流を振るうのに最適な長さの長刀で行うのだ。ウメの才覚、ホデミの加護も加わり、その姿は炎の壁である。


剣桜鬼譚(けんおうきたん)はな、冷静に思い返せばだいぶ不親切で狂ったゲームよ」


 梅雪は語る。

 剣聖が生きていること、想定通りという様子であり……


 ウメが阻むので、『主人公』が介入せぬこともまた信じ切っている、そういう様子でもあった。


「イベントの発動条件が難しすぎる。味方ユニットを寝取られる。そもそも難易度が高い。前情報なしで血道を切り開いた攻略サイトの先人たちには頭の上がらぬゲームだった。そして……」


 凍蛇(いてはば)を抜いたまま、シンコウに近付く。


「ハードモードは、死ぬと能力が初期化される」


 氷邑梅雪オリジナル、異世界創造術式、『剣桜鬼譚・異聞(いぶん)』。

 その脱出条件は他プレイヤーを殺し切ることというデスゲーム方式。


 しかしゲームの布教で相手に死なれてはたまらない。

 ゆえにこの術式内での死、あくまでも『術式内での死』であり、現実世界では命まで奪われない。


 しかし、ペナルティがある。


 死、すなわちゲームオーバーになった者、能力が初期化される。


「これの酷いところはな、ステータス、装備のみでなく、スキルまで初期化されることだ。……いや、誰が楽しいんだろうな、この仕様?」


 しかし狂った難易度のモードがあるのも、ある時代のR-18ゲームのお約束のようなものである。

 そもそもR-18系のゲームはいわゆるコンシューマー系より総じて難易度がめちゃくちゃ高いか、めちゃくちゃ低いかのどちらか──ヘビーユーザーかすぐ抜きたい人向けなのだ。

 たぶん古い迷宮探索ゲームみたいなノリで実装した難易度だったのだろう。SLGでやるなと言いたい。


「さてシンコウ、今の貴様はもはや『剣聖』ではない。愛神光(あいしんひかり)流が使えない状態のはずだからなァ」

「……」

「では、殺す。だがその前に、命じる。土下座しろ。地に額をつけろ。それから、素っ首、叩き落としてやる」


「師匠!」


「ウメ、そいつは殺していい」


 梅雪が冷たく命じると、ウメが動く。

 その間、梅雪はただ黙って、『主人公』の動向を見ていた。


 シンコウは……


 あらゆる危機に対応するための『カン』みたいなものが、確かに失われているのを感じていた。

 雷の加護もないように思われる。まだ握っている剣がやたらと重い。剣の持ち方を体が忘れているのだろう。


 その状況で、しかし、シンコウは考察ができる。


(氷邑梅雪、なぜ、待つのです?)


 土下座待ち──なるほど、ありえそうである。

 だが、シンコウは謝罪することに思い当たらない。殺し合った。結果が出た。だから死ぬ。今はそういうタイミングであり、そもそも梅雪、『土下座しろ』と命じておいて、ぐだぐだと固まる者を許すほど我慢が利く性格ではないものと、シンコウは思っている。


(今すぐ、わたくしの首を斬り落とせばいいはず。そうしないのは、余裕? 傲慢?)


 ありえそう、では、ある。

 すでにシンコウは(ひじり)の名を戴くほどに極めた術理さえ失っている。

 無力なただの女だ。術理のないシンコウは、剣士ではなく、道士ではなく、騎兵でさえない村娘。積み上げたものがなくなったならば、無力な女にしかすぎない。

 だから、放置しても問題ない。確かに、そうだろう。


 だが。


 シンコウは、愛神光流を失った。

 雷の加護も、失った。


 けれど、その思考、経験、そして……

 人格までは、失われていない。


 神を斬れず、死ぬ。


 それはとても悔しいことだ。


 だが、戦いの中に生きていれば、望みを叶えずに死ぬこともいつかあるだろうとは思っていた。

 その時が今訪れている。だから、心は落ち着いているし、ここから命乞いで生きながらえようとも思っていない。


 では、必ず失われる命を、無力な自分は、どう使うか?


 シンコウの人格は、変わらない。


 多くのどうでもいい者には、分け隔てない聖女である。

 そして執着した相手は……


 いやがらせをしてでも。

 下手な芝居を打ってなじってでも。


 自分を見てほしい。

 自分だけを見ていてほしい。


(氷邑梅雪、どうしたら、彼はわたくしのことを心に残してくれるでしょう)


 今のシンコウの願いはこれだけであった。

 ゆえにこそ、その執着は、彼女に閃きを与える。


 シンコウは微笑む。


 梅雪の剣の切っ先は突き付けられているが、梅雪の意識は桜に向いている。


 彼らしくもない。もっと警戒心が高いはずだ。『殺せる相手』にだって油断などしないはずだ。意識を外したりしないはずだ。

 で、あるならば──


(桜を警戒する必要があるのですね。桜が何かをするのだと、あなたは知っているのですね。そして……)


 シンコウは、笑う。


(──わたくしが桜より先に死ぬと、まずいのですね)


 狂人の洞察力はこうして正解にたどり着く。


 今のシンコウはただの女。剣を持ち上げることもできぬ非力の身。

 だが……


 目の前にある梅雪の剣に、食らいつくことはできる。


 シンコウ、凍蛇に口づけをした。

 そして、呑み込む。


「貴様ァ!?」


 遅れて気付いた梅雪だが、一歩遅い。


 神威による他者治療は、難しい。


 神喰(かっくらい)状態であれば莫大な神威で他者治療も適う。しかし、今の梅雪、異世界創造道術によってかなりの量の神威を消費している上、力を喰らえる相手もいない──


 一瞬の思考。


 ウメにホデミの炎を放たせるか?

 ダメだ。間に合わない。というより、あの状態から隙を見せれば、ウメが『主人公』に殺される。


 では主人公に何かをさせる?

 その状況ではダメだ。主人公に『何か』をされてはならないから、こうしてシンコウを延命していたのだから。


 もっと事前に用意すべきだったか?

 どのようにリソースを捻出する? 子飼いの手勢のみで熚永(ひつなが)軍に対応するには戦力をばらけさせるしかなかった。特にサトコはあそこから動かせないという結論は正しい。


 そもそも──


(何もできなくなった状態から、剣を呑んで自殺するなどと、想像できるわけがあるかァ!?)


 首を斬ろうとするなら、その前に止めることができた。

 胸を貫こうとするならば、その前に止めることができた。


 だから、皮膚や筋肉で守られていない、喉を自ら、内側から、突いた。

 しかも中から頸動脈を己で抉るというおまけつきである。常人の覚悟、心理では決してできない自殺方法。


 合理的だ。

 合理的に──なぜか、シンコウは、『自分の死が自陣営の利になる』と勘付いて、死んだのだ。

 そんな情報、ゲームをやっていなければ知るわけがないのに! 情報を知っていたところで、『死ぬために刃物を呑む』などという狂った真似、誰にできようか?


 思考時間が、終わる。


 シンコウが、死ぬ。


「師匠」


 ……そして。


『主人公』が──


 師匠を殺された主人公が、覚醒する。


 剣桜鬼譚における、覚醒イベントが、始まった。

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