第184話 剣桜鬼譚・異聞 一
剣聖シンコウは、白んだ世界の中にいた。
術式。梅雪の行使した、なんらかの大規模な……儀式道術だろうか? それに巻き込まれている。
(結界の中に相手を閉じ込める? 幻を見せる? あるいは、現実を改変する?)
道術士との戦い、剣聖にとってもちろん既知。
故郷である穴山領から逃れた際に、その土地の当主が差し向けた刺客は精鋭であった。
その中には剣士もいたが、道士もいた。道士の中には、術式を使う者もいた。
そして剣聖、それら刺客に襲われて、今なお生きている。
すなわち、道士らの術式を斬り裂いて生きているということになる。
剣聖は優れた『目』を持つ。
その『目』の前では、あらゆる術式の弱点、解除条件などは一瞬で詳らかになるのだ。
つまり道士の身で剣聖を殺そうとするならば、術式などに頼らず、膨大な神威をそのまま向けて相手を圧殺するような戦い方が、まだしも勝率が高いと言える。
ゆえに剣聖、普通であれば、『まともにやれば楽しめたはずなのに、なぜ、術式などという小技に頼ってしまうのか』と失望するところであった。
……だが、確信がある。
梅雪は、自分を失望させないと。
ざぁざぁと風が吹き、あたりの景色が、剥がれていく。
そうして次に現れた景色は──
「…………」
──蒸気装置が稼働する、独特の音がする。
路面は石畳。伝わる震動は汽車だろうか。
この気配。この匂い。この音。この震動。
間違いなく、ここは、
「……蒸気都市、帝都?」
クサナギ大陸における帝のお膝元。
大正浪漫と蒸気テクノロジーによって作り上げられた、煙と石の街、帝都であった。
術式とは思えないリアルな感触に、剣聖をして一瞬、呆ける。
だが、それも一瞬のこと。
周囲に唐突に現れた者が、このようなことを叫び、走り回っているのを感知する。
「帝、弑逆される! 謀反! 謀反ー!」
その報告が駆け巡る一瞬あと、シンコウはまたしても周囲の気配が唐突に消え、そしてまた唐突に現れるのを察知した。
「謀反者を倒せ! 夕山様を探せ!」
蒸気甲冑の気配が四方八方から迫り、蒸気強化装甲をまとった兵らの重苦しい足音と、減圧の音がシンコウに迫る。
わけがわからない。
だが、迫りくる敵に対応するのは、シンコウにとって思考を挟む必要のないことであった。
体が勝手に『敵』へ対応する中で、シンコウは考える。
(術式、のはず。しかし、これはあまりにも……先ほどまで氷邑領都屋敷にいたのは間違いない。であれば、今いる空間は、幻と考えるのが必然)
必然、なのに。
(基点が見えない。幻に閉じ込める術式には、幻が噴き出す地点が絶対に存在する。それがない。そもそも……元の場所の面積を無視しすぎている。これは、まるで)
まるで。
……その概念は、あらゆる世界から侵略を受けているクサナギ大陸において、その世界に住まう者が知っていてもおかしくないものであった。
そもそも帝の祖が封じ込めた氾濫の主人やその従者たちがそうであり、さらには歴史知識がある者であれば、サイバネティック・ネオアヅチやスペース五稜郭などが、そういった経緯でこの大陸に降り立った者たちとの戦いをしていたことも、知っている。
その概念とは、すなわち。
(異世界転移でもさせられたかのような)
剣桜鬼譚・異聞。
術式対象をゲームの剣桜鬼譚に閉じ込める術式。
すなわち疑似的な異世界転移を強制する術式であり……
これは、あくまでも『娯楽』を提供する術式である。
が、ゆえに、破るには設定されたクリア条件を達成する必要がある。
……だが。
(氷邑梅雪、この術で、どのようにわたくしを殺すつもりで?)
あくまでも娯楽の提供というこの術式、殺傷能力は皆無である。
イベントに巻き込まれてその中で死ぬことはもちろんある。
しかし、梅雪が『とっておき』という感じで出したにしては、ぬるい。剣聖ほどでなくとも、ある一定以上の手練れであれば、イベントに巻き込まれた程度では死にはしないであろう。
……術者からすれば。
死なれてたまるかという話である。
『このゲームおすすめだよ!』でおすすめした相手が死ぬ行為、ファンとして許容できない。
……そう、これは、あくまでも、布教行為なのだ。
数々のオタクが、自分のおすすめの作品を他者に布教するにはどうすればいいかということに心を砕いてきた。
ただ押し付けるだけでは、うざったがられるだけだろう。
友人関係になって初めて『おすすめ』に興味を示してもらえる。まあ、それでもいいが、そのために多くの人たちと友誼を結んでもいられない。というか、そんなコミュ力がない。
有名ストリーマーが紹介してくれないだろうか? でも、万人向けじゃないから、きっと、あんまり視聴数が稼げないし、無理だろうな……
そう、知っている。
布教にもっとも必要なのは、『ともに楽しんでプレイしよう。気に入ったら買ってくれ』という距離感であると。
だからこそ、この術式──
「剣聖シンコウ」
蒸気装甲をまとった兵たちが通り過ぎたあと、すぐそこに出現した気配、氷邑梅雪。
シンコウは剣を構えてそこに立っている。
だが、戸惑いは消し切れない。
明らかに『必殺』を企図して放たれた道術。
殺傷力に乏しいばかりか、せっかく脱出の目がシンコウをして見えない世界に閉じ込めたというのに、術者まで中にいては台無しである。
たいていの道術は術者が死ねばその発動を停止する。天才が並々ならぬ執念の上で半端ではない試行回数を経て、一生のうち一度作れるかどうかというほどの会心の術式ぐらいしか、そのルールからは逸脱できない。
ゆえにここが単純に『閉じ込めて餓死などを狙う』術式だとすれば、術者が中に入ってはいけなかった。
なんらかの縛りで術式の効果を上げているとしても、梅雪は目の前に現れるべきではなかった。
……しかし氷邑梅雪、意味のない行動はしない男である。
他者から見れば意味がわからなくとも、彼の行動は彼なりに意味がある。
シンコウは、刀を構えながら、待った。
梅雪は、会話するのに不自由のない距離まで近付き、両手を広げるという隙だらけの姿勢で、こんな言葉を発する。
「どうだ?」
「…………『どう』とは?」
「こうして、剣桜鬼譚が始まった。なかなかワクワクするオープニングだとは思わんか?」
「……」
問いかけの意味が本当にわからない。
シンコウは人生で初めて、ここまでひどく困惑したかもしれないとさえ思った。
今、殺し合いをしていたはずなのに。
なんだろう、この……金持ちが、自慢のコレクションでも見せて来るような……
シンコウはたまらず、問いかけた。
「この術式はいったい、なんなのですか?」
普通、術者が術式について問われても答えない。
たいていの術式には弱点がある以上、情報など与えない方が有利だからだ。
だが梅雪、「ああ」と笑う。
「これは、剣桜鬼譚のハードモードだ」
「……?」
「貴様の困惑の内容を当ててやろう。『この術式でどうやって自分を殺すのか?』。答えてやる。この術式では殺せない」
「……何を、」
「ここは、あくまでも、剣桜鬼譚のハードモードを二人でやるだけの世界だ。……まぁ、有象無象だの、イベントだのに殺されるような弱者であれば、確かに必殺の術式と言えるやもしれん。だが、基本的には、俺たち双方に平等に苦難は降りかかるし、あらゆる攻撃は俺たち二人に向けて行われる。俺たちはともにプレイヤーだ」
「……」
「そして、脱出条件だが──『プレイヤーが最後の一人になること』。つまり、俺もお前も、互いを殺さなければ脱出できない」
「なんの意味がある術式なのですか」
「布教だ」
梅雪、もとより頭のおかしな言動の多い者であったが、本格的にわからない。
シンコウは梅雪が三年間で頭と心を壊してしまったのか、と心配になった。
だがそうではないのだ。
「認めてやるよ、剣聖シンコウ。貴様は強敵だ。そして、俺は貴様の命をある意味で惜しんでいる。まあ、殺すは殺すのだが」
「……」
「だからな、『どちらかが死ななければ脱出できない』という状況に俺自身を追い込んだ。貴様の命を惜しんで、気の迷いが出ぬように」
シンコウは、ようやく察することができた。
この術式、殺傷能力とか、戦術的意義とかは、皆無である。
ではこの術式を発動することで、梅雪がどのように得をするのか? それは……
「そして、最期に、俺の愛したゲームの世界を体験させてやろうと思った。ここまでの世界を創造するにはな、命程度は懸けねばならんかったので、この布教行為、これから殺す相手にしかできんのだ」
氷邑梅雪。
……剣桜鬼譚というゲームに出て来るキャラクターは、みな、その信念を曲げない。その願いのために倫理道徳など気にしない。
ネームドキャラはすべてがわがまま。世界の命運、人の道、そんなモノより自分の願いが大事だろう? という者どもばかり。
つまり、この術式は──
「つまりこの術式は、俺の心残りを解消するためだけのものだ」
本当に、本当に、本当に。
ここに入れた相手に有利をとれるとか、閉じ込めてしまえば勝利が確定するとか、そういった特性のものではなく。
これから殺す相手に、氷邑梅雪が好き放題するためだけのもの。
氷邑梅雪のわがままを叶えるためだけの、世界創造。
本当にただの布教行為。
ただし、この布教行為こそ、梅雪に最後の覚悟を決めさせる儀式でもある。
……梅雪は、己の癇癪が、情の移りやすさに端を発していることを知った。
だからこそ付き合いの長い者を相手には、覚悟を決める契機が必要になる。
ゆえにこれは、甘さを捨て、『では、殺すか』と衒いなく殺し合いを始めるためだけの道術。
殺すと決めた、しかし、心情的な理由で殺しがたい相手を殺すためだけの世界。
その中で、梅雪は剣を抜き──
「では続きといこうか。殺してやる、剣聖シンコウ」
晴れやかに、語る。
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