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第180話 熚永平秀の乱・八

 剣聖シンコウ、二の丸に続き、三の丸も突破。

 いよいよ氷邑(ひむら)家本陣に至る。


 彼女はあくまでもゆったりと、散歩のように氷邑家を進み、目的の場所にたどり着いた。


 そこは──


 剣聖シンコウが、芝居で梅雪(ばいせつ)をなじった地。

 奴隷への扱いをとがめ、そのままウメを連れ出した、ある意味で二人の出会いの地。

 本丸邸宅すぐそばの場所に用意された、剣術を訓練するための空間である。


 シンコウは、そこで月を見上げる少年へ声をかける。


「お待たせいたしました」


 まぎれもなく万感の想いのこもった言葉である。


 だが、それを向けられた少年、「ふん」とくだらなさそうに鼻を鳴らす。


「貴様を待っていたことなど、人生で一度たりともない」


 少年は──


 氷邑梅雪は、振り返る。


「だが、久しいな剣聖。……最後の機会をくれてやろう。貴様には、まず、真っ先に、この俺の姿を見た瞬間にすべきことがある。それが何かわかるか?」

「成長なさいましたね」


 シンコウは視覚で人を捉えることができない。


 だが、わかる。

 梅雪の身から(ほとばし)神威(かむい)、まさしく神の領域。

 身体も理想的に成長している。なくなった左腕が生えることはなかったようだが、長年形成し続けた左腕は、そこの神威密度だけが異常であり、腕一つがまるで強大な妖魔のようでさえあった。


 背も高くなっている。

 シンコウの記憶にある梅雪はまだまだ幼子であった。かつて、身長でシンコウが上回っていたはずだが、今はもう、すっかり追い抜かされてしまっていることだろう。


 元服(げんぷく)を迎えた時点であれだけの長身である。もっと肉体が出来上がるころには、さらに頭一つ分ほどは背が伸びるのではなかろうか?


 なんと美味しそうな神威。なんと美しい(にく)

 シンコウは己の目が見えぬことを、人生で初めて惜しいと感じた。


 しかし剣聖の感動などどうでもいいとばかりに、焦がれるほど美しい成長を遂げた梅雪、大げさに、仰々しくため息をつく。


「貴様は三年あっても人間の常識を学べなかったものと見える。……いいか、指名手配犯。貴様のしたことは、熚永(ひつなが)の愚か者どもを焚きつけて、我が領地に外患を誘致した。あげく、かつて俺にかけた迷惑についても、まだなんら反省を示しておらぬ。最後にもう一度だけ教えてやろう。人に迷惑をかけたら、『ごめんなさい』だろう?」

「いい刀をお持ちの様子」


 昔から、変わらない。


 剣聖は常在戦場である。


 剣の聖女(しょうじょ)という評価、梅雪からすればまことに片腹痛い。


 この生き物は、人語に極めてよく似た鳴き声を発する化け物でしかないのだ。

 コミュニケーションなどとれない。会話などできない。

 ただ己の願望を叶え、その他のことには自動的に反応を返すだけの、ヒトによく似たナニカ。生まれつきか、あるいは人生のどこかでか、そこまではわからないしわかってやるつもりもないが、とにかくどこかで決定的に『ヒト』から外れてしまった、ヒトによく似ているだけの生き物なのである。


 ゆえに、道理は通じない。

 お互いに、相手に寄り添う気もない。


 ただ、お互いの目的だけは、奇妙にも、不快にも、偶然にも、合致している。


「氷邑家当主として沙汰を言い渡す。死刑だ。手打ちにしてやる、指名手配犯。大人しくそこになおれ」


 腰から抜き放つ剣、もちろん世界呑(せかいのみ)凍蛇(いてはば)

 幼いころより片手で取り回しのしやすい小刀であった。だが、成長した肉体を得てなおその剣、小刀のままである。

 梅雪は十三歳にしては長身。十一歳のころからぐんぐんと背が伸び、体つきもよくなった。それゆえに幼いころに小刀として扱えていた刀、この肉体で持てば脇差のごとく短く見えるものである。

 しかし変わらない。

 刀が梅雪に合わせて長さや厚みを変化させているのだ。


 名工・大嶽丸(おおたけまる)の打った刃が、神器アメノハバキリを喰らった結果の異常現象。

 どれほど時が流れようが、どれほど主人の肉体が変わろうが、その主人にとって最適であり続ける唯一無二永遠不離の愛刀の意地。


 その刀が刃をさらした瞬間、あたりの空気が凍り付き始める。


 梅雪の膨大な神威がさらにふくれあがる。


 剣聖は、こらえきれないように頬を持ち上げた。


「技を、見ましょう」


 すでに刀は抜かれている。

 異世界剣フラガラッハ。異界の騎士ルウが異世界勇者王より下賜されたふた振り一組の黒い剣。

 右手刀は四尺(百二十cm)ほどもあり、片手で振るには長いし、重い。

 しかし非力なるはずの剣聖はその重さも長さもものともしない。


 切っ先が下がった構えは重さに負けているゆえではなく、それがもっともこの状況にふさわしい位置だからそうしているだけのこと。

 立ち姿は洗練に洗練を重ねられ、周囲の空気に溶けて姿が霞むかのように自然でありながら、強い力で叩こうとすればすべてが倍の力で跳ね返ってきそうな奇妙な迫力も醸し出している。


 相手に成長を求めておきながら自身は停滞するような剣聖ではない。

 梅雪も天才である。そして彼女もまた天才である。それゆえにここまで戦いはもつれこんだ。追いついたと思いきや追い抜き、追い抜いたと思えばまた追いつかれる。生まれた年が前後していたならば、互いの戦歴はそっくりそのままひっくり返っていたであろう。

 すなわち──


 才能において、方向性は違えども、同格の二人。


 梅雪は殺すと述べた。

 剣聖は応じるように微笑んだ。


 間。


 互いの切っ先が互いの命に届く者同士で向かい合った時、二者が実際に動き出すまでには、傍から見ると奇妙な『間』が生まれる。

 合図はいらない。号令ももちろんいらない。


 二者はただ、間が合えば殺し合う。


 剣聖が無造作に前へ歩くのと、梅雪が一歩を踏み出すのとは、ほぼ同時である。


 互いにもっと速く進めるだろうに──否、この極限の緊張の中では逸って足が速く前に出ようとするはずであるのに、互いにゆったりと、まるでそれまでの人生を踏みしめるかのように接近し……


 剣聖のフラガラッハが。

 梅雪の凍蛇の、神威により伸びた刃が。


 腕を伸ばせば互いの喉に届く距離で、ぴたりと停止。


 二者の顔に浮かぶのは笑みであった。


 梅雪は見下すように嗤う。

 剣聖は恋焦がれるように微笑む。


 ──金属音。


 音が鳴るまでにこの二人の動きに気付ける者が、果たして大陸に一体何名いるのか?

 あまりにも無造作に振るわれた刀と刀が、互いの首筋に迫ったところでぶつかる。


 鍔競り合いが起こっている。


 それは、かつての剣聖と梅雪では決して起こらなかった。

 剣聖は生来の非力ゆえに鍔迫り合いの維持ができず──

 梅雪は合わさった瞬間に剣が返されるために、鍔迫り合いに引き込むことができなかった。


 だが、二者が今、拮抗している。


 体躯は梅雪の有利。神威量もまた梅雪の有利。

 剣聖が出力で梅雪に勝る個所はどこにもない。だが、拮抗しているのだ。


「またふざけたことをしているようだなァ、剣聖?」

「もう、すでに理解をしたくせに。……読み解きましょう、互いの三年間を。わたくしは、今日、あなたと殺し(愛し)合います」

「何やらふざけた副音声が耳を汚した気がする。ゆえに一部同意しよう。貴様は今日、終わる。いい加減付きまとわれるのも飽き飽きしているところだ。だから──」


 スッと空気が急速に冷え込み、あたりが時間ごと凍えたようになる。


 凍蛇が莫大な神威を纏って青白く輝き──


「──この日を、貴様の命日とする」


 打ち合いが、始まった。

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