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第178話 熚永平秀の乱・六

 混乱中の先手軍。

 その中でも手練れに属する者は、背後から出現した静かな圧力を察知する。


 相争っていた。最初は『相手が手柄欲しさに味方を殺したので、その報復』といった動機での争いだった。

 だが、今は、『報復の最中、道理を解さない老害が/中年が/若造が自分たちを殴ったので、やり返している』という程度の理由で、陣はおろか列さえもない、武器を持っての殴り合いになっていた。


 そうして血が流れると、最初は熱狂する。

 だが、次第に冷静になり、『自分たちは、何をやっているんだ』という、当たり前のことに気付き始める。


 ……すでに争いを煽る声が消えていたというのも、彼らが熱狂を続けられなくなった理由であろう。


 そんな時に、背後から、来るのだ。


 足音はなかった。

 神威(かむい)を発しているというわけでもなかった。


 ただ、その存在が、暗闇の中から薫っている。


 それだけで、冷静になりかけていた全員が足を止め、そちらの方を振り返ってしまう。


 全員の視線が集まる中──

 現れたのは、剣聖シンコウ。


 これが味方として陣にいることは、もちろん、熚永(ひつなが)家中全員が知っている。

 だが、この場にいる全員、無意識に、剣聖に体の正面を向け、武器を握り直していた。


 背後から来る、味方陣営であるはずの女──


 なぜだろう、自分たちの首筋に刃をつけているようにしか、思えない。


 ……だが、味方なのだ。

 剣聖は、声をかけてきた。


「先手の皆様に申し上げます。どうぞ、わたくしの進路を阻まれませぬよう」


 そこで先手軍は気付く。

 自分たちは相争っており、そのせいで、氷邑家の西門部隊が二の丸より先に進めていない。

 だから当主平秀(ひらひで)が、奮起を促し、冷静に攻めを再開できるよう、剣聖を放り込んだのだ──そう思った。


 まったくの勘違いであった。

 致命的なほどの、勘違い、なのだった。


 奮起を促されていると思った先手の五十代部隊長、剣聖の前に歩み出て、語る。


「あいや、待たれよ! 我ら確かに相争うという醜態をさらし申した! しかし、剣聖殿の声により、本来の役目を思い出した! これより我ら三軍、遺恨を忘れ、手をとりあい、ともに門を攻める所存! 平秀様には『申し訳ない。働きにてお返しいたす』とお伝えくだされ!」


 剣聖の登場を、平秀からの『グズグズしているようだと、部外者であるはずの食客に手柄をとらせるぞ』という奮起を促すメッセージと受け取ったのだ。

 であるから自分たちが連携を取り戻し、攻める意思を明確にすれば剣聖は帰ると、そう思っての発言であった。


 しかし、それは勘違いなのだ。


 そして剣聖はすでに忠告している。


『わたくしの進路を阻まれませぬよう』


 これが最後通牒だと気付けなかった部隊長、進路を阻んだ者として当然の末路をたどることとなった。


 剣聖の刀が、ゆったりと動き──

 五十代の先手部隊長の鎧の隙間を通って、その首を貫いた。


「お、ご……!?」


 突き刺され、その刃が半ばまで通過するまで、部隊長は自分が突き刺されていることにさえ気付けなかった。

 剣聖が刃を抜けば、同時、部隊長が倒れこむ。


 乏しい灯り、先ほどまで争っていた場所の中でも、はっきりとわかるほど、濃い香りを放ちながら、血が地面に広がっていく……


 一拍も二拍も遅れて、場が沸騰したようになる。


 多くの声が上がるが、意味が明瞭な声はなかった。

 ただ、『自分たちの味方であるはずの食客が狼藉を働いた』ことを疑問視し、責め、嘆き、『あの聖女(しょうじょ)とも呼ばれた気高い女がなぜ自分たちに刃を向けるのか』と問う声が上がっている。


 殺到する。


 先手が、剣聖に、殺到する。


 すなわち──


 進路を阻む。


 剣聖はただ前へ進んだ。

 前にいる者が斬られ、どかされていく。


 あまりにもゆったりした歩み、あまりにも遅い剣。

 だけれど一切の抵抗をさせない、意識の隙間を裂くような剣筋である。


 五人もそうして斬って捨てられたところで、ようやく熚永家先手部隊は剣聖を『敵』と認め、これに武器を突き出し、攻撃を開始する。


 致命的すぎる間違いであった。


 前を阻まなければ、剣聖は刃も興味も向けない。

 だというのに、阻んでしまった。


 だから、『終わり』。


 剣聖は歩いて行く。

 一度も止まらず、ゆったりと歩いて行く。


 その道のみが美しく、その道の左右には死体と血溜まりが散らかされる。


「ふふ」


 剣聖は二の丸の門を前に、唇を笑ませる。


 横に従っていた(さくら)が問いかけた。


「師匠、何か楽しいことが?」


 一応は味方であった者たち、それも有象無象としか思えない者たちを斬り捨てて、血に酔うような師匠ではないはずだった。

 そんなもので酔えるのであれば、剣聖はもっと無節操に人を斬り、もっと早くにクサナギ大陸を挙げて討伐されていただろう。


 桜は、今の惨劇を見ても、師匠の笑顔の意味が気になるだけであり、これを止めようとか、咎めようとかいう気が、己の中に一切ないのを理解する。


 誰かとともに、どこまでも罪を背負う。

 それは自分に適した生き方であると、桜は実感していた。


 師匠のシンコウは、艶やかに微笑む。


「いいえ。楽しみに近付いている──その実感があるのです」


 門の隙間に刃を差し入れ、(かんぬき)を斬り裂く。

 非力な師匠である。だが、その太刀筋は止まりもせず、薄紙でも裂くように滑らかである。


 門が開く。


 二の丸の先には──誰もいない。

 敵兵は配備されていない。


 だから、剣聖と桜は、止まらずに歩いて行く。


 その二人を暗闇の影から見る者があった。


 イバラキである。


「……いやァ、無理だなありゃ。時間稼ぎもできねぇや。本当に大丈夫なのかねぇ、うちの大将は」


 もとより『自分のもとに連れてこい』という命令だったゆえに、剣聖の進路を阻む意思もなかったが……

 阻めと言われて、何ができたかを考える。

 ……答えは、出ない。


 こうして剣聖シンコウ、二の丸も無抵抗のまま突破が確定した。

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