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第176話 熚永平秀の乱・五

 かつて、熚永(ひつなが)の弓が堂々と大陸最強を名乗れた時代があった。


 すでに数百年も昔の話だ。

 帝の祖が大陸を統一してしばらく……二代ほどが経ったあと、全国的に合戦をやめよという令が発された。


 ところが、これがよろしくなかった。

 帝の祖の圧倒的武力を前には膝を屈した者たちだが、別に『それ以外』にまで膝を屈したわけではない。

 特に戦いなんていうのは負けて生き残った側は報復を誓う。当主のみならず、というよりも、当主以上に家臣団が報復を誓うものだ。

 そういった家臣団を諫めるためにも別な何かを提供せねばならない。だが、仲間を殺され、父祖伝来の地を切り取られた恨みなど、相手の命以外の何で賄えようか?


 結果として横行したのは暗殺であり、暗殺の道具としてもっとも恐れられたのが弓である。


 基本的に遠方から音もなく狙撃が可能、という武器は恐ろしいものだ。

 その恐ろしさの裏返しとして弓矢は大層槍玉にあげられ、大陸全体が弓を自粛──『弓など修めんとする者は、外道の暗殺者になるつもりなのだ』という酷い風評被害の中で弓矢を扱えない空気にされていった。


 そうして、帝の祖が示した方向を、大きなものは山から、小さなものは扇の的まで、その精密かつ豪快な弓術で射貫き続けた熚永家は、『槍』を名乗ることになってしまったのだ。


 だが、熚永の奥義は紛れもなく弓矢の技である。


 彼は──


 熚永家一族衆、御年五十になる古豪たる弓使いの彼は、『かつての熚永』を夢見ていた。


 弓隊が堂々と白日のもとで並び、敵対する者に大勢が一斉に矢を射かけ、雨のごとき矢玉が戦わずして敵を屠る──そういう、かつての熚永。この古豪でさえも直接見たわけではない、昔話の時代の熚永だ。


 攻められている氷邑(ひむら)家の側は、『この戦いで熚永家が勝利しても、弓隊のことは隠しおおせるに違いない』と思っている。

 帝への忠義を示し、悪逆の氷邑家を誅する正義の戦いにおいて、『弓を用いて勝利した』というのは明らかに外聞が悪いからだ。


 そして熚永家当主平秀(ひらひで)もまた、弓を使ったことはぼかすつもりでいる。

 そもそもにして、熚永家が弓を自粛した経緯は、世間の風潮があり、当時の帝から『矢の熚永が率先して、弓という兵器を手放したことにしてはくれまいか』と頼まれたというのがあった。


 ゆえに『弓を手放すこと』は帝からの命令も同然である。

 それでも秘伝として伝えてきたのは、『いざという時には汚名を被ってでも帝のためにこの身を矢とし、敵を射貫かん』という忠義の心のためであり、正義を示す戦いにおいて弓は使わない方がいいというのは、熚永家全体としての共通認識ではあるのだ。


 だがここにいる弓隊を率いる古豪、すべて終わったら弓隊の活躍を白日のもとにさらすつもりでいる。


 独断専行である。

 もちろん、彼なりの想いや物語はある。あるが、紛れもなく主家の方針と違うことをやらかすつもりでいるのは事実であった。


 ゆえにこそ、この古豪にはなさねばならぬことがあるのだ。


 氷邑家当主梅雪(ばいせつ)および、先代当主銀雪(ぎんせつ)を、弓で殺すこと。

 そのぐらいの手柄なくば、弓を白日のもとに晒すのは許されぬというようには思っている。

 ……主家が『そこまでの手柄あったとして、正義の戦いに弓を用いたと発表するには、まだまだ世相が厳しかろう』と考えている中で、『せめてこれぐらいの手柄は挙げねば』も何もあったもんではないのだが、この古豪はそういうつもりでいるのだ。


 ゆえに弓隊の士気もまた、他の部隊同様──

 否、ここに攻め入る熚永家のどの部隊よりも、部隊単位としては高いであろう。


 すっかり隠密し暗殺するための武器となってしまった弓を用いるこの部隊、表向きには熚永家の忍軍も兼ねている。

 ゆえに隠形(おんぎょう)もまた一流。氷邑家領都屋敷北にある林に潜み、射線が通る場所を探す。この暗闇の先に銀髪が見えようものならば、その瞬間には矢を射かけ、一矢で仕留めるつもりであった。


 その覚悟のほど、蔵に残っていた『(ぬえ)』の使用もためらわぬほどである。

 この妖魔矢、放った者がだんだん妖魔に変貌していく代物。その代わりに雷の速度、このクサナギ大陸においては光と等しいものとして扱われる速度にて飛ぶ必殺必中の矢。

 狙いさえ過たなければ必ずや一矢にて梅雪、銀雪親子どちらであろうとも射貫く。そういうつもりの矢であった。


 ……実際にそれが適うかはともかくとして。

 古豪率いる熚永弓隊は、そのつもりである。


(しかし今日は、風が強いな)


 氷邑家から氷邑湾に吹き降ろす風が強いという話は聞いていた。

 そもそも氷邑家は『風』と深い縁を持つ領地でもある。風の神の加護に守られたこの家の周囲には不思議な風が吹くとされ、それがもしも氷邑家の守護を成さんとする『悪しき風』であれば、この氷邑家の窮地に黙っているつもりもなかろう。


(だが、この程度の風であれば、読める。無風かつ安定した足場で動かぬ的を射るだけという甘い訓練はしていない。熚永の弓は、相手がどのように動こうが、どのように不安定な足場であろうが、どのような風が吹こうが必中)


 かくして、古豪は強風の中を進み、木に登り……


 ついに、氷邑梅雪の頭部をその視界に捉えることに成功する。


 距離、遠い。梅雪の頭が豆粒のようだ。

 しかし神威(かむい)にて強化された視力、なおかつ暗闇でも十全に遠くを見る訓練を続けてきたその身、仇敵の頭部を見間違えるはずがない。


『鵺』を(つが)える。


 強風でぎしぎしと揺れる木。しかし枝ぶりは立派であり、両脚のつま先をつけてしゃがめば上に乗ることは可能。

 引き絞る弓が強風を受けてびょうびょうと鳴る。それは、鵺の鳴き声を連想させる甲高い音であった。


(シナツ、ホデミ、ミカヅチ、ミズハ。どうかこの矢、外させ給うな。もしもこの矢が外れたならば、この身、二度と人前にさらさず、朽ちていくに任すこといとわず)


 熚永の祖が大事な場面でたびたび行った詠唱。

 それは多くの者にとって願掛けにしかすぎない。

 だが、この場面、この時、鵺を用いて、きちんと我が身・人生を代償として支払う覚悟を持った者が唱えることで、その身には力が充溢していく。


 引き絞る。

 狙いをつける。

 矢を放つ。


 古豪の人生の中で最高の一射となった手ごたえが残っている。

 矢は光の速度で飛ぶ。ゆえに、次の瞬間には貫かれた梅雪の頭部が見える──


 見える、


 はず、


 なのに。


「………………?」


 放ったはずの矢が、視界の中にない。

 梅雪の頭部に突き刺さっていないのはおろか、周囲のどこにも見当たらない。

 外したとて雷と化した矢の破壊は、音とともに衝撃をまき散らすはず。だというのに、矢が……


 矢が、


「……なん、で、矢、が、まだ、ここ、に」


 確かに放ったはずなのに、それは、まだ、弦に矢筈(やはず)を触れさせたままである。


 何が起きたのかと思って、振り返る。


 そこにいたのは──


「きゃははははは」


 白い、機工甲冑。

 そいつが、矢が弦から離れるより早く、矢筈をつまんで止めていた。


 ……風が、やんでいる。


 鵺は放たれれば光となる。

 だが、放たれる一瞬前、弦が矢を押し出してから、弦から離れるまでは、まだ光ではない。

 光ではないならば、この白い機工甲冑──


 迦楼羅(かるら)ならば、放たれる前に追いつく。


「ねーえー」


 迦楼羅が甘えるような、幼い少女の声を発する。


「あそぼー」


 ……古豪の視点において、何が起きているか、さっぱりわからない。


 なぜ、こうもやすやす発見されたのか──

 それはこの迦楼羅が梅雪のまねをして風の流れで索敵し、林の外から林全体の敵の位置をつかんでいたからだなどと、想像できるはずもない。


 なぜ、先ほどまでいなかったはずなのに、矢が放たれる前にこんな、わけのわからないことになっているのか──

 迦楼羅は未だ自我が幼く、複雑なことはできない。だから、『矢を放とうとする者を見つけたら邪魔をする』という単純な命令を守るため、矢を放つまでは見逃していたということなど、誰がわかってたまるか。


 なぜ、この機工甲冑は、気付かれず背後をとったのに、侵入者たる自分を殺さなかったのか──


 その答えは、


「あそぼー。あそぼー。あそぼー」


 遊び相手を欲していたから、などと。

 ……家の興亡を懸けた一戦、弓の地位を取り戻すための戦いに挑んでいる古豪には、想像もつかない。


 これは、真剣な、命を、人生を懸けた戦いなのだ。

 それを……


「遊ぼう、などと、ふざけているのか、貴様は……!?」


 馬鹿にし、穢す、若造。

 理解の外すぎる。埒外すぎる。論外すぎる。

 許せるわけがない。


 古豪は迦楼羅から距離をとりざまに、通常矢を番える。

 そして空中で身をひねりながら狙撃。


『鵺』は相手の手の中に残ってしまったが構わない。すべて鋼鉄で出来た矢は、機工甲冑であろうがやすやすと貫通し──


 ──た、ように見えたのに。


「あそぶ? あそぶ? あそぶ!」


 射貫いたのは、残像で。

 真横から、声がする。


「きゃはははははははははははははははは!」


 童女の笑い声が響く。

 未だ中空、木の枝から落下中である。古豪は腰をひねって横を向き、鋼鉄の矢を再び番え、放つ。

 連続し、『熚永の矢』──神威で編んだ矢を番え、放った。

 尋常の弓矢ではできぬ速度での二連射。


 迦楼羅は一本目の矢を避け、二本目の矢を──

 指先でつまんだ。


 つままれた神威矢はじゅっと音を立てて消え去る。


 ここでようやく地に足をつけた古豪、呆然と立ち尽くしてしまう。


 それから、声が、漏れる。


「……わ、我々は……我々は、熚永のお家を再び盛り立てるために……人生を、懸けて、この戦いに……」

「んー?」

「鍛え上げた、弓矢の技は、いついかなる時も必中で……」

「んー? んー? あえー?」

「だ、だというのに、こんな、こんな、遊ぶ? 遊ぶだと? 遊びでこの戦いに噛んでいるような者に、こんな……!?」


 ……人生を懸けて積み上げた技術を用いた、人生の大一番。

 古豪である。懸けてきた人生の長さもまたかなりのものだ。

 才能ある若者であった時代もある。技術を身に着けた中堅であった時代もあった。

 そして今、この熚永の大一番に、その弓矢の技は最盛期を迎えているという自負がある。


 それが。

 人生そのものが。


 こんなふざけた童女に、まったく、通用しない。


 人生そのものを否定されるかのような理不尽な才能。

 それを目の前にした古豪、愕然とし、ただ嘆くしかできない。


 しかし迦楼羅──

 老人の人生とか、この戦いが大事とか、そういう難しいことは全然わからない。


 遊び相手と思った人が、ぼんやりしている。

 だから、彼女はこう解釈する。


「かるらの番だ!」


 その姿が掻き消える。

 ……古豪は優れた『剣士』であった。だから、迦楼羅の速度が乗り切る前であれば、その姿を捉えることができる。


 その速度。

 すでに古豪が全力を振り絞って、決死の覚悟で神威を回さなければ対処しきれぬものである。


 ……すでに心が折れかけた古豪と迦楼羅の『遊び』が始まる。

 林の中にはまだ息を潜めている者がいるが、迦楼羅がここを遊び場としている以上、矢を放った瞬間に『遊び相手』にされる。


 これより始まるは、『鬼ごっこ』。


 穴倉の(ドワーフ)を見つけ出そうというところから始まった、子供がよくやる遊び──

 ただし鬼は林全体の索敵を完了し、音速で動き回る白い機工甲冑。


 片方にとっては紛れもなく命懸けだが、もう片方にとっては完全に遊びである戦いが、こうして始まっていた。

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