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第174話 熚永平秀の乱・三

 氷邑(ひむら)領都屋敷・正門──


 そこに布陣したイバラキは、閉ざされた門を抜こうと槍を並べる軍勢を物見台から見下ろし、鼻で笑った。


「いやァ、先手(さきて)に裁量権のあるおサムライ様を四人も入れるたぁ、正気じゃねぇな」


 正気ではない──

 裁量権のあるサムライというのはようするに、指揮官になりうる実力、実績、それから家柄がある者ということだ。

 通常、先手というのは潰れやすい位置である。そこに、家に残せば政治・軍事両面で役立ちそうな者を入れておくというのは確かに正気ではない。

 だが、家の興亡を懸けた一戦である。熚永(ひつなが)家の視点に立てば、速攻で片づけねばならない状況というのもあり、そこに多くの実力者を入れるのは必然とも言える部隊編成であった。


 しかしイバラキが嗤ったのは、そのような理由ではない。


「あれじゃあ、手柄の取り合いをしてくれって言ってるようなもんじゃねぇか。なぁ」


 この戦い、熚永家の興亡が懸かっている。

 ゆえに、士気は比類なく高い。全員が、『我こそが熚永家を再び隆盛せん』という気迫に満ちている。


 その戦いで、先手に大将が一人と、まったく同質・同兵力の部隊を率いた指揮官が三名。

 領都までの道中での様子も見たので間違いない。違うのは指揮官の年齢、能力、思想のみで兵の質と力は同等である。

 しかも見れば功を争うように城門を抜きにかかっているときている。


 笑いが止まらない。


「どいつもこいつも、大江山(おおえやま)に学んじゃいねぇらしい。なぁ、トラクマよぉ。オレらの戦いは軍略書にもなってるっていうのに、大事なことが書いてねぇんだから笑っちまうよ。あとで梅雪に教えてやろうぜ。『大江山に向かった軍隊、そのすべて士気軒昂。ゆえに敗北した』ってな」


 軍の逃げ道を塞ぐべきではないのだ。

 それは暴走を引き起こすから。


 軍内で競争させるべきではないのだ。

 それは手柄のとりあいを引き起こすから。


 勝手知らぬよその土地に攻め入るというストレスを甘く見るべきではないのだ。

 それは──敗北を呼ぶから。


 興亡がかかった一戦において、士気の高い軍勢など、自分で自分の逃げ道をなくしてしまっている馬鹿どもに他ならない。

 軍内で競わせる目的で『二番手』を決めていないのだろう。いいと思う。だが、やるなら競わせる軍同士の戦場はばらけさせるべきなのだ。同じ戦場で功を競う軍隊を横に置くなど、『足の引っ張り合い、よーい、どん!』と言っているようなものだ。


 目の前に『門』という、注力すべき目標があるうちは、健全な競い合いができることだろう。

 だが……


「『短期目標』がなくなり、『心的重圧』の中で、『横に手柄を取り合う相手』がいる状況で、どこまで仲良くしてられるかねェ。……おい、トラクマ、下に指示しろ。門を放棄する。二の丸まで下がるぞ」


「氷邑家のサムライどもは……」


「梅雪が選んでオレにつけた従順な野郎どもだがな、納得できないヤツも出るだろう。そういうヤツは残せ。必死に奮起して、三の丸から敵を通さないように抗戦するだろうよ。その『必死の抵抗』を抜けた先に油断がある。せいぜい生贄になってもらおう」


 指揮官の指示に従わず、戦術意図も読めず、ただ『少しでも本丸のそばに敵軍を近寄らせてはならない』と、必死に蒙昧かつ愚かなことをする連中、味方でもいらない。

 この戦いで肝要なのは『絶対に敵を本丸に近寄らせないこと』ではなく、『相手を皆殺しにすること』だ。

 だいたいにして梅雪は剣聖とその内弟子だけ本丸に通せと無茶振りをしてきている。その無茶振りをやりやすくするために、三の丸であまりにも敵を留めすぎるのはよろしくないのだ。


「梅雪の野郎は銀雪の出陣を敗北条件にしてるが、オレらの敗北条件は『梅雪を本丸から動かすこと』だ。まぁ、『待ち受けている』ってぇつもりでいる大将が、剣聖に釣られて外まで出陣ってのも格好はつかねぇわな。大将に格好つけさせるのも部下の仕事ってやつよ。そのためにゃあ、ある程度抜かせなきゃならん。……はあ、まったく、武家社会勤めの苦労ってヤツだ」


 とはいえイバラキ、楽しそうに笑っている。


 トラクマが物見台から跳び降り、下へ指示を伝える。

 イバラキは……


「熚永家──てめぇらの死に方を決めたぜ。そうだなぁ……家の興亡を懸けた一戦で、勝利したあとの自分の立ち位置のために、横から仲間に斬り殺されるってぇのはどうだ?」


 笑う。

 凶悪に、笑う。


 その目にある『偉そうなサムライ』への怨念めいたものはいささかも衰えていない。

 熚永家の命運は、こうして呪われた。



 熚永家譜代(ふだい)家臣が一人、その名を煙十(えんどお)平清(ひらきよ)

 二十代半ば、『これから』という年齢である。


 生まれつき剣士の才に恵まれた平清は熚永家での出世に必須となる『弓』の秘伝を受けたうち一人でもある。

 名門の中でその才覚を認められ、勤勉にして真面目。煙十家というのは七星(ななほし)の縁者でもある御三家家中の名門であり、まさしく出世を約束された人物であった。


 ところが熚永アカリの謀反によって、熚永家そのものが未来への道を閉ざされる。


 彼にはその時、七星家に身を寄せる手段もあった。

 しかし、彼の忠義がそれを許さなかった──というのは本人の視点に寄った表現であり、実際のところ、彼が熚永家に残ったのは、七星家へと逃げた先での扱いがいいものではないと考え、さらには一族の立場ある者の中では若かったために、このまま熚永家に残っていた方が、よくしてもらえるだろうという打算もあってのことであった。


 加えて言えば、『苦境にある家に忠義を捧げる』という物語、その主人公のような立場の自分に酔っていたというのもある。


 ともあれ、彼にとって熚永家の再興は己の命運を張った賭けであり、これの達成に対するモチベーションは非常に高い。

 そんなやる気をかわれて先手(さきて)の一つの部隊を任されている。


 大抜擢である。


 熚永家はアカリがやらかしたせいで、『新進気鋭』が肩身を狭くし、伝統的な考え方・立場を持つ者の発言力が強くなっている。

 いわゆる年功序列制の強化であり、その中で二十代半ばというのはいかにも若く、上には大量の『目の上のたんこぶ』があった。


 だが先手の一部隊を勝ち取った。

 この氷邑家攻めは熚永家の興亡を決める重大な戦いである。なので、ここで手柄を挙げれば、年功序列を飛び越えて躍進することが充分にありえた。


 ……とはいえそれは、これが熚永家興亡の一戦であることを充分に理解しているがゆえの思想である。

 また、自分に酔っている面もあるとはいえ、熚永家への忠義の心も嘘ではない。なので、お家存続のかかった戦いの中で手を抜いたり、内輪の争いに目を奪われたりということは、さすがにありえない。


 ありえない、はずだった。


「先手大将、熚永長秀(ながひで)、討ち死に!」


 城門が突撃によって破れ、熚永家先手はいよいよ氷邑家屋敷に突入する。

 防衛にさほど向いていない屋敷──とはいえ名門の家であるから、三の丸、二の丸、一の丸と抜けないと本丸にはたどり着けない。

 城門を破った今、ようやく三の丸に突撃したばかりであり、熚永家には時間がない。氷邑家の援軍として帝の軍勢が遣わされてしまえば、これと矛を交えるわけにはいかないし、何より人数差が開いてしまってまともにやっても勝ち目が薄くなる。ゆえに、援軍がたどり着くまでに勝敗を決してしまわねばならない事情があった。


 それはもちろん今回の氷邑攻めに加わった全員が理解しているものだから、先手大将に任じられた長秀もまた急いでいた。

 城門を破り、三の丸を守る氷邑家決死隊の激しい抵抗を抜いた長秀は、当然のように先を急いだ。後ろを振り切るような速度である。聞こえてきた声によれば、敵大将氷邑梅雪の姿が見つかったということだから、それも長秀を急がせた理由ではあったのだろう。


 そうして背後の軍と分断された結果、先手大将討ち死にの報せが来た、というわけだ。


 熚永の興亡を懸けた一戦にともに挑む同志である。

 しかし、討ち死にまでの流れを頭で整理する平清の中には、こういう思いも芽生えた。


(いくらなんでも、敵総大将がこのような前線まで来ているはずはなかろうに……拙速が求められるとはいえ、あまりにも(つたな)い。いや……老いのせいで咄嗟に頭が回らなかった、ということなのだろうか)


 先手大将熚永長秀、アカリが帝都で大騒ぎをするまでは引退していた、元侍大将である。

 人は老いれば当然、性能が落ちる。神威(かむい)をうまくその身に巡らせることはできなくなり、頭の巡りも悪くなる。

 言い方は悪いが、二十代半ばの若手からすれば、熚永の興亡のかかった一戦で重大な『先手大将』に任じられた長秀、六十代の老害である。

 ゆえにその失敗を経て、平清は思うのだ。


(私のような若手に先手大将を任せた方が、よりよい結果につながったはずだ)


 氷邑家決死隊を倒したあと、熚永家の前に障害らしい障害は立ちふさがらなかった。

 暗闇の敵地である。ゆえに緊張感はある。しかし、実際に攻撃が起こらない。先手三部隊、すべてが慎重に進み、けれど、そろそろじれったいと思い始める頃合いであった。


(……他二部隊を率いるお歴々も、それぞれ、五十代と四十代。……フッ。尊敬すべき先達のためにも、ここは、若い私が先に行くべきであろうな)


 己が手柄を欲する立場であることを思い出させられた平清、ぐずぐずと遅い他の二部隊に合わせてやることの必要性を見いだせなくなり、先行を決意する。


 暗闇の中、率いる部隊へと号令をかけた。


各々方(おのおのがた)、思い出されよ! 熚永の興亡がかかったこの一戦、速度こそが肝要である! 華々しく討ち死にされた先手大将の遺志を継ぎ、我ら若輩が先達の先を行き、熚永の未来を示すべきと心得る! 二の丸に最初に入るは我らぞ! 続けェ!」


 暗闇の敵地での警戒しながらの進軍に焦れていた軍勢、そろって大声をあげこれに賛同す。

 だがいきなり駆け出すという愚は犯さない。先手大将は後続から分断されて討ち死にしたのだ。ゆえに平清、他の二部隊の隊長へ向けて声をかける。


「そういうことで、我らが先頭を行かせていただく! よろしいか!?」


 暗闇の中である。

 熚永のように暗闇から狙撃する弓隊はいなかろうが、氷邑家には道術がある。

 ゆえに灯りは最小限に落とした中、声だけのやりとりが続く。


 ここで平清は『ここまでグズグズと怯えた足取りを続けた連中だ。一番最初に奮起したのは我らが部隊であるから、当然、我らに先陣を任すであろう』と考えていた。

 だが、そのようなものは若輩の道理である。


 老人には老人の道理があるものだ。


「否である! ……そなたらの檄にて、我らも目が覚めた。そなたらこそ未来! ゆえに、もっとも危険な先頭を任せるわけにはいかぬ! ここは、我ら老骨が奮起すべき時ぞ!」


 五十代の指揮官である。

 昨今の年功序列気風の強まった熚永の風潮からすれば、確かに六十代の先手大将が討ち死にしたならば、彼らが次の先手大将になるべきであった。

 というより、総大将にして当主の平秀、そのつもりで部隊の人員を六十代、五十代、四十代、そして二十代と年代を分けているし、それぞれが率いる部隊の人員も同じような年代で編成している。


 しかし熚永家、というより帝内(ていない)地域には長らく戦争と呼べる戦いがなかった。

 その影響にて老いているからといって戦争時思考が早いというわけでもない。この戦い、熚永家の興亡を懸けた一戦なれど、多くの者にとってぶっつけ本番なのである。


 ゆえに『すぐに自分が次の先手大将として名乗りを挙げるべきであった』ということには、この五十代の将、平清が奮起してから遅れて気付いた。

 気付いてしまったからには、年嵩の者として若者に先を譲るわけにはいかない。……それは言葉通りに『若者を死地から少しでも遠ざけたい』という思いやりもあった。一方で、最近、年齢と発言力が比例するようになった熚永家の風潮の中で醸成された、年寄りの意地も、あった。


 ゆえに退かない。


 ここで声を発するのは、五十代と二十代の半ばである、四十代の将だ。


「待たれよ! お歴々は熚永家の歴史を知る者。これからの熚永家になくてはならぬご意見番であらせられる。一方、若者が熚永家の未来であることも事実。ゆえにここは、中堅たる我らが先頭を行こう!」


 これもまた言葉通りの想い、相手の命を守りたいという気持ちはあった。

 一方で言葉にしない思い、ここで先頭に立った者が第一武功だという気持ちも、あった。


 ……余裕を与えられれば、こうなる。

 勝利が見えれば、勝利のあとのことを考える。

 勝利のあとのことを考えた人が、本来自分たちが得るべきはずだった手柄を横取りされそうだと思えば、必死になる。


 必死になれば──


「だいたいよぉ、年寄りどもは普段から偉そうなくせに、さっきまでビビッてまともに歩けてもいなかったじゃねぇかよ。赤ん坊の這い這いの方がマシな足取りのくせに、よくもまぁ『若者は未来』だなんて言えるよなぁ」


 大きくはない。聞かせるようでもない。

 しかし、『ただ、ぼやいている』と聞くには、あまりにも整理されすぎた──あてつけのような声が、若者の軍からこぼれる。


 老人の軍からは「若い連中が功に逸るのは、流行り病のようなもの。病人を先に行かせるわけにはいかん。後方に引っ込んどれ」という声があがる。

 中堅の軍からも「老いも若きも手柄欲しさが目に見えてしまって、本当に醜いな……」という声が上がる。


 必死になり、視野が狭まり、重圧の中で言い争っているため、早く決定しなければならないという焦りがある。

 この状況なら、入るのだ。


 普段ならば明らかに怪しいと思い、耳を傾ける価値もないような──流言(りゅうげん)が、入る。


 流言が入ったところで、指揮官はそう愚かでもない。

 自分の部隊の者をいさめようと声をあげる。


 声があがれば、いったんは静かになる。

 静かになり、緊張が高まり、しかし何もなく時間がすぎ、「では」と冷静に話し合いを始めようと声を発したその時──


「いてっ、おい、誰だ! 俺を殴りやがったのは!?」


 暴力の、音がする。


 最悪のタイミングである。狙ったように、最悪な、タイミングであった。


 ざわめきが広がれば、もう、『おしまい』。

 暗闇の中で見つかるはずのない犯人捜しが広がり、指揮官のいさめる声が届かなくなり、あたりが騒然としていく。


 騒ぎの中で指揮官が大きな声を出す。

 その瞬間、また静かになったその場に、音がする。


『どさり、がちゃ』。


 それは──


 鎧をまとった人間が地面に倒れる音であった。


 音の発生源を見る。

 月明かりにちょうど照らされ、比較的多くの者の視界が通るようになったその場所にあったのは……


 二十代の平清が率いていた部隊の者の、死体であった。


「手柄ほしさにそこまでするのか、クソジジイども!」


 誰かが怒鳴る。

 平清、そこで気付くことができた。


(誰の声だ!? 聞き覚えがないぞ!?)


 ゆえに、叫ぶ。


「落ち着け! この騒ぎは敵の姦計である!」


「平清様!? 誰の味方なのですか!?」

「老害どもを庇うのか!?」


「ち、違う! そうではなく、本当に──」


 冷静な指摘は必ずしも人々の心に響かない。それどころか、指摘が冷静であればあるほど、逆に人の怒りを煽ってしまう場面というのが存在する。

 それは、人間が共感を重要視する生き物だからだ。ようするに──


『一緒に怒ってくれない人は、仲間とみなせない』。


 ……かくして、先手三軍、指揮官はまだ冷静であったが、配下がどうしようもなく沸き上がり、仲間内での争いが始まる。


 同格の三軍、年代ごとの不満、若き将が果断かつ有能であり、老いた将が慎重かつ若者に失敗する姿を見せられないと硬直しており、中堅がこの二者の間に立とうという意思のないゆえに起きた悲劇。

 その演出をした者は、二の丸の門の向こうから聞こえる阿鼻叫喚を聞き……


「無能どもが。共食いで死ね」


 うすら寒く、笑っていた。

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