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第173話 熚永平秀の乱・二

先手(さきて)大将、まずは城門をこじ開けよ」


 熚永(ひつなが)軍から見た氷邑(ひむら)領主屋敷。

 難攻不落、というほどでもない城塞である。


 まず熚永領側、北西方向にある正門、堅牢ではあるが攻城兵器を出すほどの構えでもない。

 さらに南方向から屋敷までは真っ直ぐに広い坂がある。軍を展開して上ることのできる坂である。それはとりも直さず、氷邑家側も、軍勢を展開しておくことができる、という意味になるのだが……


 熚永平秀は、不気味さを覚えていた。


(……すんなりと領都屋敷までたどり着けてしまった)


 明朝に出発し、現在は夜である。


 熚永領都と氷邑領都とは隣り合っており、間にどこかの代官領地を経由することなくたどり着ける。

 それでも、宣戦布告は朝にはしていたのだ。道々に軍を配備しておくぐらいのことはできよう。


 しかし、されていない。


 宣戦布告してから領都屋敷に攻めのぼるまでに当然あるべきと考えていた野戦、一度たりとも発生していないのだ。

 氷邑家は最初から籠城の構えである。


(一応、戦略的に理解できる動きではある。現在、遺憾ながら我らの方が謀反軍とみなされている。であるからこそ、籠城し時間を稼げば、七星(ななほし)家や帝からの援軍も期待でき、氷邑、七星、そして帝の三軍に結集されてしまえば、我らは勝つことができぬ。加えて、氷邑が我らの弓隊を警戒しているのであれば、野戦よりも『己の城』で迎え撃った方が警戒しやすくはある、と言えなくもないが……)


 違和感がある。


 籠城には籠城の有利があるのはわかる。だが、野戦には野戦の有利が確かにあるのだ。

 その『野戦の有利』を捨ててまでとるほどの『籠城の有利』があるかと言えば……熚永平秀の知り得ない何かの要素でもあるのか? という感じだ。


(専守防衛に徹して世間からの評価を得るのが狙いか?)


 熚永家、己の風評的不利は理解している。


 氷邑家は悪徳を重ねてはいるし、悪評も多い。

 これまで評判が悪かった後継者がそのまま、しかも成人とほぼ同時に当主になったのだ。その評判を払拭するような善行もなく、活躍はしたが、聞こえてくるのは『亜人』の躍進ばかり。

 氷邑家現当主梅雪の動きはといえば、商人をさらってみたり、傭兵と顔つなぎをしたり、しかも長らく領主屋敷を空けて遊び歩いていたという話まである。

 今回、熚永家が立った一番の大義名分は『無辜(むこ)なる商人を誘拐し、その財産を不当に奪おうとしたこと』であり、これは民衆から見れば『正義の熚永家が悪逆の氷邑家を誅する戦い』──と、言えなくもない状況ではある。


 そもそもにして熚永家のアカリがやらかしているというのがあるので、評判はイーブン、民衆人気は熚永、帝の覚えのめでたさは氷邑、今回勝利した側が世間の風評を塗り替えて『正義』とみなされるであろう、といったところか。


 なので風評は大事というのはわかる。

 が、すでに商人誘拐をやらかしている氷邑家、どう考えても風評を気にする家には思えない。


 そもそも、風評を気にするのであれば、商人誘拐などの悪行を働かなければいいだけの話なのである。

 帝都騒乱での活躍で充分に家の評判は高まっていた。それをそのまま維持すればよかっただけの氷邑家が悪逆をする理由は、『当主・梅雪の性質が悪であり、悪なる行為をしたい欲求を抑えきれないからだ』という以外に考えられない。


 だからこそ熚永家は己の正義に確信をもって行動できているわけだが……


(不可解。しかし、氷邑領都屋敷はここまで攻め込まれてしまえば防衛に向かぬ構造だ。ここより前の関近くであれば堅牢な砦があったものの、そこではなく、ここで籠城を選ぶというのは──いささか、熚永家を舐めすぎだ)


 熚永の主力は『槍の』を名乗り始めたあたりから鍛え上げている槍足軽および、弓隊である。

 槍足軽は一人一人の力で言えば、たとえば七星家の彦一(ひこいち)などに及ぶべくもない。しかし、軍として穂先を揃えて運用すれば、他二つの御三家の主力とも充分に拮抗しうる。

 加えて熚永家の特色である弓隊。秘密裏に技を受け継がせ訓練を続けたこの部隊、一列に並べて矢を放つというかつての時代の軍勢的運用はできないものの、暗所に潜んで要人を狙撃するという運用において比類なき威力を発揮する。

 その部隊を領主屋敷すぐそば──弓の射程まで入れてしまった時点で、氷邑家は間合い的絶対不利状況からの開戦となるのだ。


(北西正門、南の坂道から槍足軽部隊を向かわせ、北東の林から弓隊で当主梅雪および銀雪を狙撃する。我らが勝者となり帝に忠義を示すには、何よりも速攻が肝要。帝が援軍を氷邑家に差し向けてしまっては、我らが帝に弓を引くことになってしまって、この戦いは失敗に終わる……ゆえに、氷邑家は野戦をして我らを遅延することが一番の勝ち筋だったはず。……氷邑梅雪、その程度もわからない程度の戦略眼しかない、暗愚ということか?)


 氷邑梅雪が暗愚であるとした方が、この状況に綺麗に説明がつく。

 そして、それが事実であるならば、こうして起死回生のための身命を懸けた一戦をしている熚永家にとって、この上なくありがたいことである。


 しかし熚永平秀、頑迷にして理想に傾倒しすぎるところはあれど、愚かではなかった。

 というよりも、悲観的であった。


(いや、否、否、否。否である。この熚永家の命運を決める一戦、『相手が暗愚であり簡単に片付く』などと、そのように楽なことがあるはずがない。天は我ら熚永家に試練をお与えになっている。ということは、我らが立ち向かうべき相手こそ、熚永にとっての最大の試練に他ならぬ。ゆえにこそ──氷邑梅雪、有能に違いない)


 熚永平秀、氷邑梅雪を『有能にして悪逆非道なる者』と定義する。


(我らをハメるためのなんらかの悪辣な罠が仕掛けられているは必定。……考えろ。やつは一体、何を仕掛けてくる?)


 熚永平秀に油断はなかった。


 ……だが。

 慢心はあった。


 彼は理想主義であり、正義感の強い男でもあった。

 熚永家の特徴である赤い髪を長く伸ばし、遠目に見ると細くも見えるが、その実、理想的な大きさの筋肉を備えた美貌の偉丈夫。

 その才覚は『剣士』であり、弓の技ももちろん優れているし、まともに槍や刀を使わせても充分に強い。

 性格としては七星家彦一に並ぶほど真面目である。勉学も欠かさず、戦略も学び、あらゆる苦境を受け止め乗り越える試練と認識し、それを打ち破るための努力を欠かさぬ人であった。


 だからこそ、氷邑家へ攻め込むほど追い詰められてしまっているとも言えるが──


 人は誰しも無意識に、『自分が一番努力していて、自分が一番かわいそうだ』と思い込む脳の働きがある。

 それは自分の努力だけは主観的に見ることができるからだ。そして、自分に近しい者の肩を持ってしまうのもまた、この脳の働きによるものである。


 平秀の視点では、『自分たちは、アカリから発したこの苦境・逆境の中で、十分以上に、いつか熚永家の忠誠を帝にわかっていただくために、並ぶ者がないほどの努力をし、さらに身命どころか人生さえ賭す覚悟でここに立っている』という状態だ。

『ゆえに、我らは強い』と思ってしまうのも仕方ないことである。


『強い。──少なくともまともな戦いであれば氷邑家と互角以上の戦いができるほどに』

『強い。──成人したての若造に戦術で敗れることはありえないほどに』

『強い。──一人一人が家名を背負っているゆえに、兵卒の士気で負けるなどということは万に一つもないほどに』

『強い。──帝の祖に仕えた伝統ある熚永家。そこに仕える者どもも一兵卒に至るまで伝統と格式があり、背負うものがあるからこそ己に常に厳しい鍛錬を課してきた。兵の質では負けることなどありえない』


 根拠のある思い込みである。


 だが、世の中は理不尽だ。


 歴史、伝統、日々の鍛錬。……そういうものは、人を順当に強くする。


 だが、歴史の中で必ず伝統あるものが勝利してきたわけではない。


 理不尽な天才というのは、いつの世にも現れるものだ。


 ゆえに、戦が始まってから最初に届いた報告は、熚永平秀を大いにおどろかせることとなった。


「報告! 先手大将、討ち死にし……その」


「……報告が言葉に詰まるとは何事か!」


 先手大将討ち死に。

 戦が始まってまだ一時間と経っていない。だというのに先手を任せた者が死んだ。──それは、通常、平静を保てなくなるほど精神に打撃をもたらす情報である。

 しかし平秀は動揺を抑えた。驚嘆に値する精神力である。


 その平秀をして、


「先手軍、仲間割れし、相争っております……!」


 その報告には、言葉を返すこともできず、呆けた顔をするしかなかった。


 ……氷邑梅雪第一の牙。

 元山賊団『酒呑童子(しゅてんどうじ)』頭領・イバラキの戦術が、始まっていた。

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