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第172話 熚永平秀の乱・一

 氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)さえも知らぬ話ではあるが……


 これより始まる戦い、後世においては『熚永(ひつなが)平秀(ひらひで)の乱』と称されることになる。

 この戦の中心人物は、現在の熚永家当主である平秀であり、世間に名が残るのはその人物ということだ。


『乱』である。


 このクサナギ大陸における戦国の始まりとなる乱。


 しかしその内実、現在、戦いを目の前に控えた氷邑家が本当に警戒すべき相手が熚永平秀かと言えば、そうではない。


「対剣聖の戦、布陣を発表する」


 軍議の間──


 血統的に優れ、伝統と格式と、あと金があるような大名家には、だいたい『家臣団全員で合議をする場』である『評定(ひょうじょう)の間』、『特に当主が打ち明け話・密談をするために使う部屋』である『当主の間』、それから『戦争方面の活動で本部となる軍議の間』が存在する。


 これより始まるは、熚永家が氷邑家に攻め入るという戦い。


 軍議の間には当主の梅雪と、その直臣、それに氷邑家の中でも重要な働きをする重臣たちが集っていた。


 それらを見回し氷邑梅雪、目の前にある軍議台(梅雪の腰ぐらいの高さの木製の台。氷邑家周辺地図が乗せられている)を片手で叩き、鼻で笑った。


「熚永の連中、身の程知らずにも宣戦布告をしてきおった。者どもも聞いたことであろう。あの聞くに堪えない戯言を! 『氷邑家は帝を騙しその妹を無理やりに手籠めにした逆臣である』『これを討って帝の目を覚まさせることが真の忠臣の在り方である』『これは大義と正義、そしてクサナギ大陸の未来を決めるための戦いである』──フンッ、どうにも人は理想に酔うとああも醜い酔漢になるらしい。現実が見えていないにもほどがある」


 そこで梅雪以外に鼻で笑う者がいた。

 梅雪はそちらを見て、たずねる。


「何か言いたいようだな。言っていい、許すぞ、イバラキ」


 イバラキ──

 肩口で黒髪を切り揃えた半鬼(ハーフドワーフ)の女性である。


 (ドワーフ)族はその種族特徴として『大人になっても背が低い』『骨と肉が太い』『額から角が生えている』などのものがあった。

 しかし半鬼であるイバラキ、角はなく、その体も細く、子供のように見える。


 着ているものは巫女装束にほど近い衣装であった。

 かつて大辺(おおべ)に着せられたものよりもう少し肌が隠れてはいるものの、基本的なデザインはそのまま……というより、その服を仕立て直したものであった。


 立っている場所は、梅雪の右。

 すなわち、侍大将の立ち位置である。


「どこかに攻め込む連中ってぇのは、自分たちの勝利と正義を疑ってはいないものにございます。そういう連中こそが、もっとも操り易く、もっとも食いでのある獲物となる」

「では先手(さきて)は貴様に任せよう。軍の力で連中の正面軍を減らしてやれ」

「承りました。思い上がったサムライに最悪の最後を迎えさせてご覧にいれましょう」


 その時イバラキが浮かべた笑みの凶悪さは、山賊・酒呑童子(しゅてんどうじ)のころよりもなおすさまじいものであった。

『武家』の常識によくも悪くも揉まれ、『武家』のヒエラルキーと価値観の中での暮らしは、彼女の凶悪な牙をより長く、鋭くしたらしい。戦術を覚え、部下以外を従わせる術を覚え、そして……簡単に言ってしまえば、宮仕えのストレスが溜まっている。

 これと敵対するサムライ、ろくな最期を迎えなさそうだと確信できる顔つきである。


 ゆえに梅雪は満足げであった。


 彼が正義に属する者であれば生理的に嫌悪感を覚え、不安を覚えそうな顔。しかし梅雪、正義ではない。正義だの悪だのという価値観をくだらないと嗤い、ただ己の願望を成すために軍を動かし、人の命を天秤に載せる者──

 すなわち、戦国大名である。


 その大名の視線が別な場所を捉える。

 そこにいたのは……


「アシュリー。卑怯者どもの相手は任す。事前に命じた通り、矢の一本たりとも俺の視界に映すな」

「……」


 アシュリー、黙ってうなずく。

 その顔立ちは幼さがまだ残るものの、武家の忍軍頭領としての自覚がいくらか芽生えたものであった。


 梅雪は一瞬だけ柔らかく笑い、「さて」と視線を全体に行き渡らせる。


「知っての通り、熚永家は弓隊を出してくる。まさか弓矢という兵器がどのようなものなのか知らぬ者はおらんと思う。が、ことさら言っておこう。弓矢というのは、誰が誰を殺したか特定できない。生まれつきの個性に関係なく、修練次第で誰でも覚えられる、音もなく闇夜から人を殺せる、恥も外聞もない卑賤なる武器である」


 クサナギ大陸の価値観だとそうなっている。

 暗殺だのだまし討ちだのはないわけがない。それでも一線として、『どんな才覚を持った者がやったのか、そのヒントさえもあたえない弓矢という兵器を使うのは卑怯であり、やってはならないことである』という価値観があった。


 とはいえ梅雪、自分が弓隊を率いる立場であれば、これを使うことにまったく容赦をしなかっただろう。

 卑怯だの悪だのは、勝者が敗者に貼るレッテルにしかすぎないのだ。勝利したならば、勝利した戦いの内容など好きにいじれる。ゆえに熚永家もそうするであろう。


 つまり、熚永家が勝利した場合、連中は弓など使っていないということにすると思われる。

 そうするためには、何をしたらいいか?


 目撃者を消す。

 ただし、その『目撃者』は──


「……とはいえ、弓を使ったかどうかなど、氷邑家を仮に倒してしまえばなんとでも言える。『勝者』の発言に対し物申すほどの発言力を持つ者がいない限りは、だがな。よって熚永家は、この氷邑家当主たる梅雪と、隠居した先代である父・銀雪(ぎんせつ)。さらに、妹のはる。あるいははるの母までは、殺さねばならんという気概で来るだろう」


 その時、家臣団に重苦しい怒りが走った。


 家臣団。

 梅雪が氷邑家の当主となったことを、まだ心の底では認められぬ者も多い。


 しかし現在まで残っている家臣ども、先代・銀雪への忠義比類なく、その妻や娘の身命に敵の刃がかかるとなれば命懸けで奮起する者どもである。

 ゆえに梅雪、家臣団にはこう命じる。


「迎撃は俺の直臣とその配下のみで行うゆえ、お歴々には、はるのいる屋敷の守護を任す。いざとなれば連れて逃げるといい」

「わしはお供いたしますぞ!」


 と、声をあげる老人、梅雪の剣の師匠である。

 ……とはいえ手練れとは到底言えない。基礎的なことを教えたり、基礎的な運動を監督したりといったご隠居だ。梅雪が光断(ひかりたち)を覚えたさいに試し斬りされた老爺であった。


 この老爺、最初の最初から梅雪に忠義を誓っている者の一人である。

 ゆえに梅雪の対応は比較的柔らかい。


「ならん。老いぼれは足手まといだ。貴様は、はるの屋敷にいろ」

「……ぐうう……! し、しかし……!」

「貴様の心配、まったくもって杞憂である。忘れたか? この俺の軍勢には、妖魔さえもがいる。──そうだな、サトコ」


 梅雪が視線を向けた先にいるのは、青い髪を肩でばっさり切った少女である。

 年齢は肉体的には十二かそこらに見える。しかし実のところ、梅雪より二つ年上。

 硬い表情をしたソフトボールウェア風の和服を身にまとったサトコ、手の中で黒いボールをもてあそびながら、切られてなおもこもこと巻かれ始める髪を引っ張って伸ばすなどしつつ、応じる。


「そうだね。でも、広い場所じゃないとちょっとやりにくいかな。できる限り視界が通る方がいい」


 かつてはアヘ声のようなものをいちいちつけていた彼女だが、今の話しぶりは端的で装飾がなく、聞く者によっては『態度が悪く不愛想』と言われそうな様子であった。

 だがこれこそがサトコの素である。やる気なさげで無礼そうな天才。もとのサトコは『こう』らしい。


「では、貴様には氷邑湾方面の上り坂を任す。軍が展開して上れる広さで、障害物もほぼない場所だ。貴様一人でやれ」

「……わかったよ」


 ふう、と息をつくサトコは、それきり黙った。

 梅雪は視線をまた全体に戻し……


「じき、天眼(てんがん)を終えた(おり)から最新の布陣情報がもたらされるだろう。貴様らに任すのは、『軍勢を蹴散らすこと』『はると夕山様のいる離れを守ること』、そして──『剣聖とその内弟子を俺のもとまで誘導すること』だ。そうすれば、あとは俺が決着をつける」


 相手の最も強い駒を、こちらの急所たる大将のもとまで誘導しろという戦術、普通に考えて理外である。

 しかし、氷邑家の中にはかつて、『魔境』で剣聖を取り囲んだ者もいる。……あの手練れを相手に『集団』など意味はない。逃げる隙を与えるだけ。ここで剣聖を倒すならば、最も強い駒にぶつける以外にはない。


 そして氷邑家において『最も強い駒』こそが、梅雪であるということに、この場にいる者たちは異を唱えなかった。


 ……あるいは、銀雪をこの戦いにかかわらせようという話が少しでも出ていれば、異論があったかもしれないが。

 梅雪は最初から、このように明言している。


「剣聖はおろか、他の誰も、父には一切近づけさせん。父が出ざるを得ない事態、氷邑家の敗北と心得よ」


 梅雪は──

 何が父を殺すのか、その犯人を絞り込んでいた。


 ……それとは別に。今回のケースにおいては、剣聖が犯人となりうる可能性がある。

 あのイカレ女、梅雪にやる気を出させるために銀雪を殺すなど普通にしそうであり、銀雪と戦った上で勝てる者の筆頭は剣聖である。


「貴様らが誘引した剣聖とその内弟子は、俺が殺す。邪魔が入らぬよう本丸で戦う予定ゆえ──」


 ぐるり、と周囲を見回し、


「家臣団のお歴々は、俺が戦いに集中できるよう、はるのいる離れを守れ」


 家臣団がうなずく。

 大声は上がらないが、その目の真剣さは口以上に物を言っていた。


「アシュリーは弓隊の一切合切を滅ぼせ」


 同じく、声は上がらなかった。

 だがもっと幼いころの彼女にあった、ふわふわした感じもない。

 仕事を振って、任せられる相手──かつてただの幼女にしかすぎなかったアシュリーは、今はしっかり、頭領の顔をしている。


「イバラキ、サトコ、軍勢を減らすことを改めて命じる。有象無象の処理を俺にさせるなよ」


 挑発的な物言いに対し、イバラキは鼻で笑って「かしこまりました」と挑発的な視線を返す。

 サトコはボールを放り投げて受け取るということをしながら、「了解」と静かに、梅雪を見もせずに応じた。


「そしてウメ。俺の左側を任す。剣聖の内弟子の相手は貴様がやれ。容赦をするなよ」


 もとより無口なウメもまた、声を発しない。

 場は水を打ったように静かだった。

 だが、流れる空気は燃え盛るように熱い。


 かくして、熚永平秀の乱が開幕する。

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