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第169話 『主人公』

 剣聖シンコウは慈悲深い聖女(しょうじょ)である。


 彼女はあらゆる人の可能性は否定されるべきではないと考えており、対象が弱者であれば強くなる機会を与えるし、庇護を必要とする進歩の可能性もない弱者であればその剣術でそういった者を守ったりもする。

 強さを熱心に志す無才の者にとってはまぎれもなく聖なる乙女であり、氷邑(ひむら)梅雪(ばいせつ)らに向ける面は、ほとんどの人が知らぬので、世間一般では『優しく、勇気があり、分け隔てなく他者に接し、その技術を惜しみなく他者に提供する、神のような女性』という評価になっていた。


 そういったシンコウが行き倒れを見つけたならば、人として当然、これの世話をする。

 そしてその行き倒れが記憶を失っていたならば、しばらく庇護し、面倒を見る。

 ついでに剣術を教えたりもする。このクサナギ大陸において、記憶のない者が生きていくには、『強さ』はどうしても必要だからだ。


 最初、シンコウがその『行き倒れ』に剣術を教えたのは、巡り合った孤児にそうするようにという、習慣からであった。

 シンコウの目をして、その『行き倒れ』には才覚を見いだせなかったのだ。


 だが……


(奇妙)


 魔境にて剣術を教え始めて数日。

 シンコウは、首をかしげることになっていた。


神威(かむい)量や質に特異なところは見当たらなかった。動きや体つきに優れたところは見当たらなかった。だというのに、いざ剣を振らせてみれば、何かを思い出すかのごとくその精強さを増していく)


 シンコウの目は多くの者を見てきただけあって、かなり確かである。


 この『行き倒れ』、剣術を吸収すること水に浸した薄紙のごとくであり、神威量も日増しに増し続けている。

 また、物覚えがいい。語彙(ごい)などを見ても、どこにでもいる行き倒れの浮浪児という様子ではない。もともとはなんらかの高等な教育を受けていたのであろうというのがわかる。


 だというのに、初見では『なんの才能もない』としか見えなかった。


(知識、語彙はもとからあった。しかし……鍛えるごとに、生まれつきの天分、才覚そのものが増していっているかのような……なんとも、奇妙な)


 シンコウの目は正しい。正しすぎた。

 ……『主人公』はゲームの中で上限なく成長するユニットである。

 最初のステータスは低く、特異なスキルもなく、その『中身』はプレイヤーなりである。


 氷邑梅雪のような強烈な『我』はなく、天才と呼べるほどの神威量的才能もない。

 ただ、鍛えれば鍛えるほどどこまでも強くなるだけの凡人──それこそがゲーム剣桜鬼譚(けんおうきたん)における主人公なのである。


 ゆえにこそ、鍛える前の主人公、見るべきところのない凡人そのものである。

 シンコウの見立ては何も間違えていなかった。ただただ、主人公という存在が世界のあらゆるものから見て例外なのだ。


(面白い)


 シンコウは、一心に己を鍛える『主人公』を見て、唇を舐める。

 黒い目隠しの下から、好奇と興味が『主人公』を射貫かんばかりであった。


「行き倒れのあなた」


 基礎鍛錬中の『主人公』に声をかける。


 びょおおお……と『魔境』特有の乾いた砂交じりの風が吹いて、『主人公』の長い黒髪を揺らし、その顔を覆い隠した。


 シンコウは、言葉を続ける。


「寄る辺が見つかるまで、わたくしがあなたを導きましょう。つまり、あなたを内弟子として、愛神光(あいしんひかり)流の皆伝を見据えて育てる、ということです」


『主人公』は修練の手を止めず、しかし、シンコウの声を無視しているわけでもなかった。

 しっかりと耳をそばだてている。その上で、シンコウに言われた通りの動きを全身全霊で行っている。

 この素直さはまぎれもなく、『人から教えを乞う者』としての至上の才覚であった。


「しかし、いつまでも『行き倒れのあなた』では困ってしまいます。そこで、あなたに『名』を与えようと思うのですが、いかがでしょう?」


 ……シンコウはもちろん知らないが。

 これは、剣桜鬼譚における『主人公名決定』のイベントである。


 ここでシンコウが『あなたの名前を、決めてくださいますか?』と問いかける。

 そうしてプレイヤーが名前を決めるというのが、ゲームの流れ。だが……


「あなたの名前を決めてください──と言おうにも、何も知らない者に名を決めろというのも酷でしょう」


 記憶のない『主人公』には、己の名を決めるべき印象深い何かも当然ない。

 ゆえに当然の気遣いである。


「よろしければ、わたくしが決めてしまおうと思いますが、いかがでしょう?」


 そこで『主人公』は、剣を振る動きを止めて、シンコウへと向き直った。

 今から始まる『儀式』は、シンコウに申し付けられた修行を止めてでも、真剣に向き合うべきものだと判断したらしい。


 姿勢を正した『主人公』は、「よろしくお願いします、師匠」と頭を下げる。

 シンコウは、


(……たまらなく素直。彼とは正反対で……これはこれで、()いものですね)


 彼。

 梅雪。


 それが頭に浮かんだシンコウは、ふと、氷邑家の方向を見た。

『主人公』は、いきなり視線を逸らしたシンコウに、「師匠?」と呼び掛ける。


 シンコウは、つぶやいた。


「そういえば、魔境の外はすでに春ですね」

「……」

「決めました。貴女の名は──『(さくら)』としましょう」


 剣桜鬼譚における、主人公のデフォルトネーム。

 ……ただし、それは。


 R-18版PCゲームではなく──


 全年齢ブラウザ版の、主人公の性別をプレイヤーが自由に決められる剣桜鬼譚のデフォルトネームである。


 かくして、主人公が氷邑梅雪と同じ地平に降り立った。

 ただし、梅雪の『中の人』が完全にフォローしているわけではない、ブラウザ版の設定を背負った、主人公が。

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桜と梅か
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