第167話 氷邑家の現在
氷邑梅雪はほくそ笑む。
機嫌がよかった。何せ、長年の懸案事項であった『主人公』の所在がようやくつかめたのだから。
いるかいないかはわからなかった──いや、『氾濫』の主人という設定を背負っており、その四天王であるルウなどが実在する以上、存在はするのだろう。
しかしいつ出るかわからず、出たとしたら放置するのも面倒事になりそうである。なので、さっさと潰したかった。
そもそも、梅雪の原動力から考えても主人公潰しは必須である。この世界の主人公はまだ何もしていない──氾濫の主人として六百年ほど前のクサナギ大陸を侵略してきた罪はあるにせよ、梅雪が直接何かをされたわけではない。
しかしゲーム剣桜鬼譚での梅雪からすべてを奪ったゴミクズである。まだ何もしていないとしても許せるものではない。
その仇敵と、ようやくまみえることができるのだ。
梅雪、近年稀に見るウキウキ状態であった。
今の梅雪ならあらゆる罪状を土下座一つで許して助命し、熨斗までつけて罪人を帰してやりそうなほどであった。
まあ、『主人公』は殺すが……
「くっくっく……はっはっは……はぁーはっはっはっはっは!」
悪の三段笑いである。
当主の間──
父・銀雪に抱きしめられて認められ、家督を継いだ梅雪にとって、今やこの部屋はホームであった。
とはいえ当主の間は当主の寝室ではないので、布団などは別の部屋にあるが……調度品が、銀雪が当主であったころとかなり変わっている。
テーマをつけるとすれば『魔王城』であろうか。
黒いカーテンを窓にかけ、床を黒い板に張り替え、豪華な椅子を運ばせ、そこに足を組んで座っている。
最近の梅雪はお召し物にも黒だの鎖だのが増えていた。
氷邑梅雪十三歳。
クサナギ大陸においては成人として扱われる年齢である。が、『一人前』という意味ではなく、たとえば市井の職人などは、成人して弟子入り、そこから五年ほどの試用期間を経て、ようやく一人前と認められる──という『真の成人年齢』みたいなものが設定されている。
五年間は下働きの日々であり、決して仕事を任されるということはない。
大名家も実は同じようなシステムで運営されており、『成人であれば家督を譲り受けることができる』という決まりはあれど、前当主急逝などの事件がなければ、たいていは最低でも十八歳になるまで家督を譲られることはない。
この前当主・銀雪の『大胆な人事』は氷邑家の評判をいたく落とした。
もともとその性質が凶にして暴である梅雪、イメージアップ戦略をしなかったので、評判は悪い。
さらに言えば夕山神名火命に恋慕の情を抱く者、偉い者にも市井にもまことに多く、これを妻に迎えたという事実のみで、多くの男どもからの評判が勝手に終わっていくという酷い事実もあった。
また、それ以外にも梅雪、というか氷邑家の悪評を広めようとする勢力が存在したりと、とにかく、何か行動をするたびネガティブキャンペーンが勝手に展開されていたので──
梅雪としては、手間がなくて素晴らしいといった具合であった。
(まぁそれはそれとして、この俺や父について勝手に悪評をばらまいた連中は並べて晒すが……)
主人公の他にそういった連中も、今の機嫌がいい梅雪をして『土下座しても許さないリスト』に入れられていた。
「梅雪様」
ようやく主人公を殺せる喜びに浸っている梅雪へと声がかけられる。
碧眼を向ければ、そこには正座で控えているアシュリーの姿があった。
金髪碧眼の天狗である少女は、この三年で背も伸び、これまでの幼女丸出し状態から、永久歯に生え変わるなどのこともあって、ぎりぎり『女性』といった感じに変化していた。
恰好は相変わらずぴったりと肌に吸い付くようなパイロットスーツであるが、最近は何か恥じらいに目覚めたようで、作業中などはオーバーオールみたいなものを着ている。
あと最近は梅雪の寝室に当たり前みたいな顔でいるということもなくなり、なんとなく性徴を感じさせられている。
何より大きな変化は礼儀作法を覚えようと努力を始めたところだろう。
これまでのぎりぎり山猿よりは人間寄りといった態度が相当なものだというのに気付いたようで、なんと今のアシュリー、正座をしている。
しかし正座に慣れていない彼女は、当主に対する本来の姿勢が『用意された座布団を横に置いて床に直で座る』というものなのだけれど、脚がしびれるのを嫌がってふかふかの座布団の上に座っている。
大名家側室としての態度が身に付くのはまだまだ先の様子である。もう少しがんばりましょう。
「いよいよ、剣聖と決着をつけるんですよね」
「……ああ、そうだ。それもある」
梅雪としては主人公が『主』で、剣聖は『ついで』なのだが、確かにこれから始まる戦いは、剣聖との決着でもある。
それに何より、『最近剣聖の弟子になった謎の人物』よりも、『剣聖』の方が、仮想敵として周囲に浸透しやすい。梅雪と剣聖との因縁は氷邑家家中では有名であるし、わけのわからん名もなき剣士より剣聖の方がどう考えても第三者視点で梅雪の目的に見えるからだ。
だが、『ついで』だ。
(あの変態女のために、このような準備などしてやるものかよ。剣聖、貴様は俺に執心しているようだが、俺は貴様になど興味がない──そのことを理解しながら、死んで行け)
……という具合に意識しているが、梅雪に言わせればあくまでも『ついで』。興味もない相手、ということにしておいている。
「しかし……くくく……いやはや、驚いたなァ? いや、笑った、と言うべきか。剣聖に『主人公』。あの二人が兵力として頼る先がまさか──落ち目の熚永家だとは」
忍軍の情報によると、そうなっている。
熚永家──アカリの実家である。
アカリの起こした帝都での乱痴気騒ぎ以来、七星家はどうにか評判を回復させたが、熚永家の方は、評判回復の機会がなかった。
それは梅雪が各地で起こる、解決したら熚永家の評判向上につながりそうなイベントをすべて潰してしまったことが、遠因と言えばそうなのだけれど……
特に潰す気はなかった。
実力向上のためにいろいろやっていたら、まぁ帝内地域は近場だし、いろんなイベントを結果として潰してしまったと、そういう程度の話である。
「でも梅雪様、熚永家の弓隊は脅威ですよ」
「弓隊! ほお! 熚永家、どこの誰とも知らん連中に秘蔵の弓隊まで貸し出すのか!? ハハハハハハ! 貧すれば鈍するというか、溺れる者は藁をもつかむというか──いやはや。『弓』で回復できる名誉などあるかよ。連中、クサナギ大陸はエアプか!?」
「えあぷ……」
「この俺に頼ればよかったものを」
言ってはみるが、アカリを直接討伐した氷邑家にだけは頼れなかったのが実情であろう。
何をふっかけられるかわかったものではない──というのが、向こうの言い分になるはずだ。とはいえ、ふっかけられても力を借りておけ、というのが、今この時に至っての梅雪の感想ではあるけれど。
「まぁ、熚永家はこれで終わりだな。これよりは七星と氷邑で、帝の両輪として支えて行こうではないか。……それにしても──」
梅雪は、指折り数える。
「敵は、剣聖、『主人公』、そして熚永家。……おいおい、氷邑家本邸に攻め入るには、明らかに戦力不足ではないか? この俺が傭兵でもあてがってやった方がいいのではないか? ちょうど、境のサイカとも顔つなぎができているしなァ」
「弓隊は侮らない方がいいと思いますけど……」
「氷邑家機工忍軍頭領アシュリー」
「……」
「貴様の忍軍は弓隊を発見できんのか? 撃ち落されるただの的か?」
「いいえ」
「であれば、弓隊の相手を任せる。この俺の視界に一本たりとも矢を入れるな。できるだろう?」
「はい」
アシュリーの顔には、忍軍頭領としての冷徹さがあった。
体だけではない。役目を負う者としての責任感も、彼女の中で育っているのだ。
そして、梅雪は、横に立つ剣士に話しかける。
「ウメ。貴様には……まあ、剣聖の弟子の方を任すか」
「はい」
その発音は明瞭であるが、口数は相変わらず少ない。
この三年ですっかり女性らしい体つきに成長した彼女は、そこに存在するだけで『この剣士の横にいる者には軽々に手出しできないぞ』と他者に思わせる、不気味な存在感を放つようになっていた。
なお……
ゲーム世界では『トヨ』として『主人公』のそばに侍っていた未来のあるウメ、普通にしているとゲームグラフィックに近い服装になりそうであった。
NTRを見るのは別に平気だが自分がNTRされるのは大嫌いな梅雪、ウメの服装がゲームに近くなると脳破壊の波動を感じてしまうため、服装を整えさせている。
現在のウメの格好は黒を基調とし赤の差し色を入れた姫騎士風のものであり、梅雪と並んでいると『魔王とその側近』に見えるようにトータルデザインされている。夕山神名火命によって。
現在の氷邑家のコンセプトである『魔王』もだいたい夕山の思い付きのせいと言えなくもない。
「……実力的にな。まぁ、この俺がわざわざ剣聖の相手をしてやりたいわけではないが、適材適所の結果として──」
氷邑梅雪、『お前のためじゃないんだからね』という言い訳を挟みつつ、
「──この俺が手ずから殺してやる、剣聖」
剣聖の運命を、決めた。




