第165話 北の崎にて 1
(困ったことになったな……)
氷邑梅雪、さすがに困惑する。
恐山学園都市荒夜連での戦いから、一週間が経過していた。
死力を振り絞った梅雪らはさすがにすぐに旅を再開することはできず、荒夜連にてしばらく療養をすることとなった。
建物などは無事である──凍蛇を用いた能動的な神喰において、ルウは『意思あるものは呑めない』と見抜いた。それは正しい。
だがもっと前提の話として、そもそも神喰、神威を呑む技である。なので荒夜連じゅうの永久凍土を呑み込んで回っても、建物などは無事なままであった。
まあ、建物にかかっていた不壊の蓮華も呑んでしまったが、もはや雪女が地獄から怨念を飛ばしていたせいで起こっていたような異常気象はない。
それに必要であればまた不壊の蓮華をかけ直すだろうし、梅雪はそのことについて一切責任をとる気も謝る気もなかった。
その荒夜連の一角……
サトコの母校にある寮内。
長年人に使われていなかったのでサトコや七星織に掃除させ(途中で織にはやめさせた。役立たずを通り越して邪魔だったので)使っているその場所。
四人一組で使うことが想定された、二段ベッドが二つあるその部屋にて、梅雪は……
ずっと抱き着かれている。
誰にかと言えば……
その人物をどう呼んでいいのか、梅雪は未だに迷っている。
だが、本人的には、こう呼ばれるべき存在らしい。
「凍蛇」
梅雪の腰に左側から抱き着いていた少女が顔を上げる。
その見た目、アメノハバキリの人間形態である。
あの時……
マサキが天上天下を発動させ、黒い蓮華が神だと発覚した、あの時。
相手が神だとわかったので、梅雪は神特攻であるアメノハバキリを使おうとした。
だが凍蛇、それを許さなかった。
業物との併用はアリだが、意思ある剣との併用は凍蛇的にナシだったらしい。
さりとて凍蛇、ある程度の判断力はあり、梅雪の邪魔をしたくないという意思もある。
結果として起こした奇跡。
神器剣との一体化であった。
そうして丸呑みにされたアメノハバキリは、アメノハバキリの性質を受け継ぎ、梅雪用にチューンナップされた凍蛇でもあるという……
ようするに、神の力の無効化のオンオフを任意で切り替えられる便利剣となったわけ、なのだが。
アメノハバキリから受け継いだ能力は、神関連スキルの無効化(オンオフが可能。特定の力だけ選択してオンにするなどは不可能)だけでなく……
人型になる力もだった。
ゆえに梅雪、人型になった凍蛇かつハバキリにずっと抱き着かれている。
ただの女であれば邪魔だから蹴り飛ばすところなのだが、凍蛇は梅雪の刀。腰の左にあるのが当たり前という認識をほかならぬ梅雪がしてしまっているため、どうにも蹴り飛ばしにくい。
しかし見た目は銀髪碧眼の女の子、ようするにほぼアメノハバキリなので、これを見たアシュリーなどがわかりやすくほっぺたをふくらませて『よくないと思います!』と苦言を呈したりする状況が出来上がっている。
が。
(まあ、そろそろ、自分の中で整理もついたか)
この人型になってしまった刀をどう扱うか。
梅雪は、激闘でぼやけていた頭がようやく復活したので、決定することができた。
(まず、神器剣を着服する形になってしまったことについて。神器剣本人から証言させて、帝には下賜という形で俺へプレゼントさせればよかろう)
可能か不可能かで言えば、不可能寄りの可能、といった目算だ。
何より刀自身が梅雪から離れる気が全然なさそうなので、帝を押し切ることは可能だろう。
次に、ベタベタされすぎる問題および、この剣をどう扱うかについてだが……
「凍蛇」
梅雪がはっきりと呼びかける。
すると凍蛇、抱き着いたまま梅雪を見上げ、にへらと笑う。
見たまま──いや、見た目以上に、仕草が幼い。
アメノハバキリはあれで年上という自覚がある言動も多少見えたが、今の状態だと本当に年下……いいところ三歳とか五歳とか、そういった雰囲気である。
「人の姿の時はべたべたするな。俺の腰に収まりたくば刀の姿に戻れ」
「…………や」
アメノハバキリだった時にはもっと饒舌だったはずだが、この状態の凍蛇、どちらかと言えば無口である。
まだ自我が幼いゆえだろうか。もうしばらくすれば、アメノハバキリのように話し始めるかもしれない。それはそれで梅雪としては微妙な気持ちになるが……
ともかく。
「よかろう、貴様に節度を教育するのはこの俺の役目と見える。だが──俺の教育は厳しいぞ」
「…………」
「まずはわかりやすい話をしてやる。凍蛇、貴様は、この俺の刀だ。氷邑家後継にして、いずれ家督を継ぐ、名家たる御三家の、恐らく将来的には筆頭と号する、この俺の……」
「……」
「何より、クサナギ大陸最強となる俺の、刀だ。……想像してみろ。最強の男が常に腰に女を抱き着かせているなどと、格好がつかんだろうが」
「………………」
「俺に格好つけさせろ」
その説得は──
効果があったらしい。
凍蛇はしばし何かを考え込むようにしたあと、その身を刀へと変じさせる。
離れる気はないが、梅雪の言いたいことは理解したし、尊重する。そういった様子であった。
まあ凍蛇、生まれてから半年も経っていない刀である。
そう考えれば甘えん坊なのも致し方ないと言えよう。
(帰るまでにはもう少し育っていてくれるといいのだがな。……なぜ刀の精神的成長を願う状況になっているのだか……)
梅雪はベッドから立ち上がり、腰に凍蛇を帯びて歩き出す。
その顔には困ったような、しかし楽しそうな笑みが浮かんでいた。
◆
サトコは、『先輩』と一対一で、部屋のベッドに座って向かい合い、しばらく話し込んでいた。
その『しばらく』、すでに五日目である。
いろいろなことがあった。話したいことがたくさんあった。
謝りたいこともあったし、謝ってほしいこともあった。
でも、うまく整理できなかった。
だから全部を話している。荒夜連を出てからの全部。やらかしたことも、すべて。
先輩のリアクションは相変わらず大きかった。
帝都にオロチちゃんを放った話をした時には顔を青くして泡を吹いていた(わりと当然の反応である)し、プールでの立ち回りの時には悲鳴をあげていた。
ヒラサカのことを紹介した。梅雪のこともしゃべった。
そして、マサキを倒した時のことも、話した。
先輩はマサキが出るちょうど反対側に配置されていたらしい。
サトコがボールを投げて不意をつき、そこを先輩が決めれば綺麗な話だったなあと、振り返って思う。
だが、そういう綺麗さがないのが自分たちらしいともサトコは思った。荒夜連。その戦法は一人を相手に集団でかかって妖魔を肉壁にみんなで石を投げるというものである。野蛮で泥臭いのが荒夜連流だと思う。
ひとしきり話して、サトコは「そういえば」とつぶやく。
「梅雪が先輩たちを説得したんですよね? よく説得されましたね」
あの性格と物言いを知っているだけに、サトコは『よくみんな協力してくれたな……』と感心していた。
何か高圧的に命令でもして、その場の流れで土下座させて、全部うやむやのままになんとなくで従わせたのではないか、という疑惑がある。
だが、そうではないらしい。
先輩は語る。
「まず土下座って言われてぇ……」
「やっぱりそこはそうなんですね……」
先輩のしゃべりはトロくさいのでまとめてしまうと、梅雪、助け出した礼を述べさせることによって上下関係を刻み込もうとしたらしい。
しかし荒夜連の乙女たち、認識としてはマサキとの激闘の最中にあり、凍らされた前後の記憶は曖昧で、まだ戦いの中にいたつもりだった。
そこでいきなり出てきた知らんガキに土下座要求されても頭がついていかない。
当然ながら反発というか、だいぶ困惑寄りの状況になったらしかった。
が、
「私がみんなにね、お願いしたんだよぉ」
「先輩が?」
「うん。だってねぇ、あの子、一生懸命だったから。一生懸命な子を見るとね、応援したくなるの。一人で頑張ろうとしてる子にはね、優しくしてあげたいでしょう?」
ほにゃにゃ、みたいな効果音が出ているに違いない笑顔を浮かべ、先輩は語る。
なんというかまあ──
「先輩らしいですね……」
マサキとの激闘中という認識にあったくせに、だ。
いきなり出てきた土下座要求男が『一生懸命そうだったから』、それだけで言うことを聞き、仲間たちを説得した。
本当に、先輩らしい。
だって、サトコがこの先輩に色々してもらった理由も、まさにそうだから。
「……私、先輩の真似をしてたんです」
「おほぉ?」
「先輩みたいに、のんびりして、トロそうで、頭がよくなさそうで……」
「えぇ……? すごく酷いよぉ……」
「でも、誰にでも好かれる、そういう感じでいこうとしてたんです」
サトコ、素の性格は、自他に厳しい修行僧タイプである。
だが神器確保を目指して街中に潜入する都合上、そのままの性格では人の中に溶け込めないと思い、先輩をモデルにして極めておかしな『おほぉ』だの『あひぃ』だのいう鳴き声を言葉の頭につけ、語尾もほにゃほにゃさせてみたりしていたのだ。
その作戦は成功し、モコモコ頭で幼い見た目なのもあいまって人の警戒を解き、溶け込むことに成功した。
でも……
「私の性格には合わなかったみたいです」
「ひぎぃ……」
「先輩みたいに、あったかくなかった。すぐに地が出るし……そういう感じはやっぱり、先輩にお任せします」
「えっとぉ」
「……潜入中、色々なことがあったし、色々な……キャラを演じました。でも、もう、潜入しなくていい。……私は私に戻ります。素の私のまま……一緒に行きたい人がいるんです」
「…………うん」
「少し休んだら、荒夜連には退学届けを出して……氷邑梅雪と一緒に行きます」
荒夜連。
マサキという脅威を退けることには成功したが、恐山はそもそも定期的にあの世とつながる場所である。
地獄にはマサキからうまく逃れた、かつての百鬼夜行の中でも厄介だった妖怪がまだ潜んでいるはずだ。そもそも、総大将のぬらりひょんが影も形もない。地獄にいるのか、東北にいるのかさえ、わかっていない状況である。
ゆえに荒夜連、これからも地獄の門が開くたび、そこから出て来ようとする者との戦いは続けなければならない。
サトコが決意して語ると、先輩は『ほわほわ』という効果音が出ているに違いない笑顔を浮かべて、言う。
「サトコちゃんは、梅雪くんのことが好きなんだねぇ」
「一万本ノックがしたいっていうことですか?」
「おほぉ!? 違うよお!?」
一万本ノックとは、サトコが一万の球を打つのでそれを捕球する訓練であり、めちゃくちゃキツい。なぜって一万の球を捕るまで終わらないから。
サトコはため息をついた。
「……満遍なく鈍いくせに一部偶然鋭いの、先輩って感じですよねぇ」
「正解だったのにいじめられたぁ……」
「言葉にしなくていいことがあるんですよ、世の中には」
「ないよお?」
「あるんです」
「……ほとんどないよお?」
「なんでちょっとだけ食い下がるんですか……」
「大事な気持ちは、伝えた方がいいんだよお。だから、私はサトコちゃんに『好き』っていっぱい言うの」
「言われすぎて言葉の価値が暴落してます」
「してないよお」
「してます」
「……あんまりしてないよお?」
「だからなんでちょっとだけ食い下がるんですか。もっと完全に食い下がるがさっさと引き下がってくださいよ」
「あひぃ……」
先輩が泣きそうになっていた。
サトコは目を閉じてため息をつき……
ずっと、ずっと、言いたかったことがあった、はずだった。
もっと、もっと、素直に言えると思っていた言葉がたくさんあった、はずだった。
でもこうして向かい合うと、大事な言葉ほど出て来なくて。
だから、
「そうだ、潜入中に髪が伸びたせいで、青毛玉扱いされてるんですよ。……先輩、また切ってくれますか? 私が髪を切らせるの、先輩だけなんですよ」
「いいよお!」
……確かに言葉にしなくてもいいことなんか、この世にはないのかもしれない。
きっと、今の言葉に込めた本当の意味は、この鈍い先輩には伝わっていないんだろうと思う。
でも、
(今の私の勇気だと、このぐらいが限界かな)
私も好きです、信頼してます。
……そんなことを素直に言えるようになる日が来るかどうか。
サトコにはまだまだ、わからない。




