第164話 恐山学園都市荒夜連 十五
その時、恐山の上空にいつでも立ち込めていた分厚い雪雲が晴れていった。
雪女と融合していたマサキの怨念が作り上げていた異常気象。あの世といつでも隣り合っている霊場たる恐山ゆえに受けていた地獄からの影響が薄れ、恐山の上空から数百年ぶりの日の光が降り注いでいた。
そう、時刻は昼頃なのである。
夜がごとき暗さの中での戦いであったが、出発は昼ほど近くの朝だった。
それがまだ、昼頃。……長い戦いだと思っていたが、その展開の密度が高かっただけのこと。実時間はそう多くは経っておらず、しかし戦いに参加した者たち、その場にへたりこむほどの疲労を覚えていた。
必死だったゆえに、終わった時の反動もすさまじい。
ルウさえもがその場に立ったまま目を閉じ、大きく息を吐き出す程度ではあるが休息をしていた。
その緩み──
──『病』の術式の影響であった。
この術式はモチベーションを高く保てない者を戦線から離脱させる。命を惜しむ者を敗走させるといった効果を持っている。
しかし恐山荒夜連の面々、普段から対マサキのための訓練を続け、さらにその実力を学園同士で切磋琢磨しているため、メンバーのやる気が非常に高い。
ゆえに『病』の術式を気合によってほぼ無効化していた。
それが気合の源であるマサキを倒したと思われる状況になったのだ。
誰がその弛緩を責められようか。
その時、梅雪らは山頂から滑るように駆けてくるサトコの姿を見た。
光差し込む雪景色の中で映える青毛玉である。背後にはヒラサカとハバキリも従え、三人して慌てた顔で何かを必死に叫んでいる。
「まずい!」
最初にサトコの声を捉えたのは、ルウであった。
すぐさま背後に向けて駆け出すが──
遅かった。
ルウが駆ける先。
そこにいたのは、ぼさぼさの黒い頭をした、白い着物をまとった、やせぎすの女。
そいつは、恐山の領域から出て、体を引きずるようにしながら、最後の一歩を──七歩目を踏み出し、つぶやく。
「天上天下唯我独尊」
そのぼさぼさ頭の女。
マサキだった。
雪女との融合が溶けた、素の姿。
ボールに妖魔である雪女だけが封印された結果、ボールの中に入る条件を満たせずに吐き出された血肉の通った人間。
この極寒に耐えられる存在ではない彼女は、凍えながら雪の中を這うように進み、そしてついに、術式発動に至る。
天上天下が、始動する。
マサキの頭上に黒い蓮華のようなものが出現し、九枚の花弁を一枚ずつ開いていく。
見ていればわかる。
あれが開ききった時、東北地方は終わる──
「小僧!」
「わかっていると言っているだろうがァ!」
梅雪とルウが同時に黒い蓮華に斬りかかる。
同時、迦楼羅がマサキ本体へと踊りかかったが──
「……?」
マサキ本体。
すでに凍死していた。
「雷よ!」
「顎を開け世界呑凍蛇!」
黒い蓮華に二者の攻撃が迫る。
ありったけの神威を込めた一撃。たいていのモノは跡形もなく消し飛ばされるほどの威力が轟音とともに炸裂した。
だが、壊れない。
その理由にいち早く気付いたのは、数多の経験を持つルウ。
「まずい、あの蓮華、神の一種と化している!」
クサナギ大陸における神。
土地に根付くモノ。加護を与えるモノ。ダンジョンの奥地に潜み試練を与え力を授けるモノ。
それらは龍脈などと呼ばれるエネルギー溜まりそのものを指す場合もあるが……
『世界との契約』を結んだ、もともとはただの生き物であった存在、あるいは生き物でさえなかった存在を指す場合もあった。
天才・マサキが奇跡的に生み出すことに成功した天上天下という術式──
その術式自体が起動と同時に神に成っていた。
ゆえにこそ、梅雪は叫ぶ。
「ハバキリ! 使ってやるゆえ俺のもとへ──」
神のスキルを無効化するアメノハバキリ。
普段の梅雪であれば、ここまでの激闘のあとにシナツのスキルを無効にされてしまえば動くことも適わない。しかし今、神喰状態であれば、充分にハバキリを振れる。振れば勝てる──
……だが、思わぬところから出たモノのせいで、『梅雪がアメノハバキリを使う』ということにはならなかった。
梅雪がハバキリへ手を伸ばし、ハバキリが駆けてくる、その時。
梅雪の手の中で長刀状態になっていた凍蛇が蛇のごとくその刀身をうねらせ、切っ先をそれこそ口のごとく上下に大きく開きながら……
アメノハバキリを丸呑みにした。
「──は!?」
さすがの梅雪も思考が止まるほどの驚きを覚えた。
何が起きたのか?
凍蛇は主人たる梅雪の邪魔をしたのか?
黒い蓮華は開き、東北でゾンビパンデミックが起こるのか──
その答えは、
◆
マサキは、己がいわゆる『霊魂』と呼ばれる状態になって浮遊しているのを感じた。
空から見下ろすような視界の中では、黒い蓮華が花弁を開かせている。
それを破壊しようとクソガキや黒いのが攻撃を加えたが──蓮華はびくともしない。
「……あは」
マサキは、笑う。
「あははははははは……あはははあははははははは!!!」
雪女の剥がれた素の顔立ちで笑い声を立てる。
男を魅了するための儚さを持つ雪女。その偽装が剥がれた笑みには、これまでにない生々しい醜悪さがあった。
「ざまあみろ! ざまあみろ! ざまあみろ! 私の勝ちだ! 私を使うだけ使って地獄に投げ捨てた連中! 延々邪魔をし続けた連中! さんざん煽ったクソガキ! みんな死ね! みんな妖怪になれ! 人間なんかいらないんだよぉ! みんなみんな──私よりかわいそうになれ!!!」
心の底からの叫びはしかし、とうに音にはなっていない。
霊魂の発するどす黒い輝きだけが叫びに合わせて奇妙な波形を発した。
もう完全に、勝ち。
ここからあいつらが逆転する手は、ない。
……だから、
「…………あれ?」
マサキは一瞬遅れて、
「なんで」
自分の体──霊魂と、黒い蓮華が、同時に、とてつもなく長い刀によって両断されているのを見る。
その刀の持ち主は、
梅雪。
「え、なん、で、私、勝った、よ?」
マサキの自認において、マサキは『不遇の天才』であった。
術式開発における優れた腕前と知性を持っていた。だが、生きるのが……商売とか、偉い人へのおべっかとかがうまい連中に利用され、働かされるだけ働かされて、こっちの願望なんか一切聞いてもらえない日々を過ごしていた。
そしてついに地獄へ追放。
だが、そこからが逆転劇の始まりだった。妖怪と次々に融合して力をつけた。地獄でも術式を開発した。
あとは地獄と現世を結ぶ門が体を通せるぐらい広がる日を待つだけであり、その日は来た。
苦戦もあったが終わってみればいい刺激だったと思う。最後に勝利すればそれでいい。自分の足を引っ張るしかできない能無しどもがなるべく惨たらしく死、いや、死より酷い目に遭ってくれればそれでいい──
そしてその時は来た、
はず、
なのに。
マサキの目の前に、穴が開いた。
その先の景色は──
「うそ、うそ、なんで、なんで、なんでなんで!? なんで──地獄への道が開いてるの!? 私、死んだでしょ!? 私が死んだら行き先は極楽以外ありえないでしょ!?」
こんなに慈悲深いのに。
こんなに徳を積んだのに。
何を罰せられることがあろうか?
わからない。
マサキにはわからない。
わからないまま……
「やだ、やだ、や、やだああああああああああああ!!!」
地獄が、彼女を呑み込んだ。
黒い蓮がバラバラに散って、消えていく。
荒夜連の戦い──
これにて、完全に死合終了。




