第163話 恐山学園都市荒夜連 十四
右手に黒いボールを握りしめる。
サトコは目を閉じ、深呼吸を二回、三回と繰り返していた。
左手にヒラサカ──勾玉になった神器ヨモツヒラサカ。
右手には黒いボール。
マサキと梅雪らの戦いはまだ続いている。
梅雪の想定通り、倒し切れない。
いっぱいいっぱいになっているようで、さっきからキレた叫び声が恐山に反響している。
だが、倒し切れない。とてつもない量の神威を持った神威生命体であるマサキはそれだけタフなのだ。
時間さえかければ倒し切ることもできるだろう。
だが、その時間をかけるということが許されない。『老』の術式に、やぶれかぶれになったマサキがしてくるかもしれない唐突な行動……時間は基本的に、こちらの不利に働くのだ。
サトコが目を閉じて集中していると……
不意に、懐かしい記憶が蘇ってくる。
それは走馬灯のようなものなのだろうか?
失敗すれば死──否、死以上の目に遭う一投を前に、サトコの精神が瀕死の状態になっているのかもしれない。
その記憶は、先輩と過ごした日々だった。
情けない先輩。
自分の実力を認めない上級生たち。
一人でリーグを勝ち上がってやると意地になっていた日々。それが可能だと──上級生であるというだけで、実力はどうせ自分以下なんだろうと他者を舐め腐っていた日々。
荒夜連でマサキを相手取るメンバーから外されたあとも、似たような気持ちの日々だった。
自分が救う。
それは傲慢さを前提としていた。先輩たちの失敗を前提としていた。
彼女らすべてをひっくるめたよりも、自分一人の方がきっと強いというのが無意識にあった。その気持ちは『助けたい』というよりも『助けてあげる』というものだったことを否定しない。
だが、今は……
サトコは、右手の黒いボールをベルトのポケットに戻す。
手を握って、開いて、ボールをポケットから取る。
「うん、そうだよねぇ」
目を開ける。
吹雪の向こうに、戦いの影が見える。
「私の役目を、果たすよ」
自分に今できることがなんなのかを見極め、できることを精一杯にする。
人を信じることには勇気が必要だ。自分の才能だけを信じて突っ走るよりも、よほど強い心がいる。
仲間がいるからこそ、考える。考えて、行動する。
サトコの目に力がこもる。
左手のヨモツヒラサカから力を引き出す。
黒いボールを握った腕を動かす。
何千回、何万回……その程度では利かないほど繰り返してきた投球動作。
肩甲骨を上に引っ張って腕全体を持ち上げ、腕を落下させる衝撃で始動。
回転の中で加速し、肩からの回転、腕のねじり、スナップ、すべてに下半身から伝わる力を込めて放つ。
狙いは正確に。腕の動かし方にこだわっているうちは、まだまだ練習が足りていない証拠。無意識に投球動作ができるまでに己の体に教え込めば、あとは見つめたところへボールは勝手に飛んでいく。
浮かせた足で踏み込むと同時、ボールをリリース。
荒夜連伝統の投射術式がヒラサカの力を受けて強化され、そのボール、音速を超えて吹雪を引き裂き、飛んでいく。
衝撃であたりの雪が爆ぜて舞う中、放たれた黒いボールは──
◆
不愉快な笑い声、雷の轟音、目の前で剣を振るクソガキの煽り。
マサキが耳障りな音を消し去ろうと攻撃を繰り返している。
マサキには『ここ以外からの何か』に気を配る余裕などなかった。
だから──
山頂から吹雪を切り裂き迫る黒いボールに気付けたのは、たまたまだった。
(まずい)
あの一投、当たれば確実に死ぬ。
梅雪らから見れば未だ尽きぬ莫大な神威を持つマサキ。肉体を爆散させても『死』を認めない、精神まですっかり妖魔となった怪物。
だがマサキ、黒いボールの開発者だけに、そのボールへの評価が高い。
肉体をバラバラにしても決して死を認めない怪物は、そのボールに肉体を貫通されたら死ぬ。死を認める。そして、封印される──
ゆえにマサキ、梅雪の剣を避けず、荒夜連の雑魚どものボールを氷の壁で雑に弾き、迦楼羅の蹴りさえ無視して、山頂より飛来するボールへ全神経を注ぐ。
両手に分厚く氷をまとい、胸に迫るその一投を捕球。
「ぐううううううううう!」
ありえない勢い。回転の熱でマサキが『絶対に防ぐ』という意思をもって神威をこめた氷さえも溶かす、魂の一投──
だが。
回転が止まる。
ぼろりと黒いボールが雪へと落ちて行く。
「はあ、はあ、はあ、あはははははははははは!!! やった! とった!」
達成感さえ覚える攻防戦であった。
マサキは今の一投が、梅雪の計画の中で必殺を期して放たれたものであるとは知らない。だが、ボールに込められた気合は感じた。感じただけに、その一投こそが自分を倒そうとする連中の中で、なんらかの大事なものであったのだろうというのはわかった。
だからこそ、勝利を確信する。
ぼてっ、と雪の上に黒いボールが落ちる。
このボールに貫かれれば、マサキとて封印される。マサキだからこそ、封印される。なぜなら、自分の開発したものは絶対だ。このボールで貫かれて封印を避けられる妖魔など存在しないと心の底から信じている。ゆえに、その法則はマサキ自身に何より効く。
それを捕球したのだ。無為にしてやったのだ。
マサキは勝ち誇り、落ちたボールを見下して鼻で笑い……
次の瞬間。
ボールから出てきた十本の触手にその身を絡めとられた。
「…………はぁ!?」
その触手、氷邑湾の海魔である。
おかしい。絶対におかしい。ありえない。
だって──
「なんで、私を捕える予定のボールに中身が入ってんのよ!?」
中身の入ったボールで妖魔を捕えることはできない。
つまり、このボールは最初から、マサキを捕らえる気はなく──
動きを封じる。
油断を誘う。
一人がそうして隙を作る。
あとは──
チームメイトが捕獲を試みる。
これまで絶大な神威量による絶え間ない攻撃で、荒夜連の乙女たちに全力投擲の隙だけは許さなかった。
しかし今、マサキは呆けている。そして、動きが止まっている。
荒夜連の生徒、止まった的に剛速球を当てることなど、造作もない。
「待──」
マサキが肩越しに振り返る。
妖魔どもの陰から出て、全力のピッチングフォームをとる、九名の乙女たち。
マサキからすれば顔も覚える価値のないその他大勢ども。
その投擲したボールが──
「こ、の!」
『死』の術式。
乙女たちに届く前に中間地点で爆発。
いつの間にか、視線の先には氷邑梅雪。
ニヤリと笑う憎たらしい顔を最後に──
九つの、全力投球された黒いボールが迫っている。
回避の手段は、
あるはずだった。
だが、思考が飽和している。ゆえにとれない。
「……嘘でしょ」
いかにも強そうなヤツに負けるならまだ納得がいった。
だというのに、体を貫く九つのボール、名前も顔も意識にのぼらない、その他大勢の放ったもので……
マサキは己の術式の完全性を確信している。
ゆえに、九つのボールで貫かれたこと、マサキにとってこの上なく『死』を確信するもので……
「ありえな、」
黒い靄になり、マサキがボールに吸い込まれていく。
ぼすん、と重いものが雪に埋まるような音がした。
しばらく未練がましく動いていたボールの動きが完全に停止し……
荒夜連で恐れられ続けた雪女、封印終了。
ゲームを決めたのは18番ではなく──
名もなきチームメイトであった。




