第161話 恐山学園都市荒夜連 十二
時をマサキと氷邑梅雪が戦闘を行う少し前まで遡る。
「ふむ、成功か」
梅雪がそうつぶやく視線の先にいるのは、ルウであった。
この時のルウの姿はとっくに進化後である。否、たった今、進化したところであった。
梅雪──
神喰にてマサキの永久凍土を呑み込んだ。
永久凍土、すなわち氾濫四天王三人分の神威が込められた神威の塊。それを喰らったならば神喰状態となるのに不足はない。
充溢する神威はともすれば精神に強い高揚をもたらし、梅雪をすぐにでも戦場に駆り立てようとする。この全能感の中で落ち着き払った振る舞いをするのに、大変な忍耐力が必要であった。
神喰からこの忍耐まで、数か月前の梅雪ではできない偉業と言える。
そして梅雪、実験の結果……
神威を分配することに成功した。
一カ月の妖怪狩りでも進化しなかったルウが、たった今進化した理由はすなわち、梅雪から神威を分け与えられたことにあったのだ。
とはいえ進化後のルウは純粋な出力強化のみであり、期待していた『神の権能』を授かることはかなわなかった。
ボールに入れられた妖魔、というよりも妖魔すべての特徴である。ノヅチが進化して巨大化し八又になってもその存在はノヅチであるのと同じ。異界の騎士ルウが強化され薄着になって翅が生えても、その存在自体のランクは上がらなかったのだ。
進化の恩恵は出力の強化のみ。
もともとのルウの格の高さゆえにマサキ戦では役立つだろうが、企図したほどの変化ではない──
だが、梅雪、神威の分配実験に成功する。
分配、というか。
やったことの本質は、能動的に決まった量の神威を吐き出すということである。
「……サトコの先輩たちは、助かるか?」
ルウが問いかける。
梅雪は鼻で嗤う。
「俺は『信じろ』と言ったぞ」
「……貴様は性格の悪い小僧だが、その言葉には不思議と『信』がある。一度口にしたことは違えぬ──そう信じられる、何かを持っているな」
「ああ、そうだとも。ゆえに、この戦いが終わったら、貴様のことも殺してやる。楽しみにしていろ」
「とはいえ、ボールに囚われているうちは、死ぬことだけはないと思うが」
「必ず方法を探し出して貴様を解放してやる」
「……やれやれだ」
ルウは肩をすくめた。
殺害を前提とした解放。そのために努力する。
ねじれている。どうしようもなく。
だが、だからこそ、信じられる。梅雪は性格が悪い。されど、ただ単に性格が悪いだけではなく、その性格の悪さは彼なりの美学・信念に基づくものだと理解できた。
美学や信念がある者は、たとえその性質が悪であろうとも共闘適う。
そのことをルウは経験で知っている。
梅雪は言葉を続ける。
「さて、天上天下という術式だが──恐らく、マサキがそれを使おうと逃走を開始したら、俺たちでは追いつけん。まあ、マサキがよほどの間抜けであれば話は別だが、単純に恐山の外に出るだけなら、アホでも十数個は方法を思いつくだろう。ゆえに、逃げられる。これは確定だ」
天上天下──
サトコからの情報と、梅雪のゲーム知識によって、その発動条件は確定し、効果も確定した。
恐山から出て七歩歩き、天上天下唯我独尊と唱えると、東北ゾンビパンデミックが起こる。
そしてその術式、わき目もふらず手段も選ばず全力逃走すれば発動するので、基本的にこれを防止するのは不可能である。
現状だと速度で回り込んだりするといった手段をとるしかないが、マサキの神威量を見るに、単純出力だけなら父・銀雪をも超えるのではなかろうか?
そんなモノと雪山で徒競走など馬鹿馬鹿しくてやっていられない。まあ、それしかないならそうするしかないのだが……
「相手が全力で逃げるとわかって、手を打っておかないのは阿呆のすることだ。ゆえに、手を打つ」
「どのように?」
「これから荒夜連の連中のみ吐き出す。そして、恐山のふもとを囲ませる」
荒夜連の乙女たち。
下級生は事前に逃がしたとはいえ、それでもまだ頭数がある。
九人一組で戦う上に、ローテーション制の戦術をとる都合上、九人が八組ほど氷漬けになっていた。
まあ、端数も一人いたが……
ルウは疑問を解消するために口を開く。
「小僧、貴様の神喰なる技、意思のある生命体は呑めないようだが?」
神喰──
そもそもが梅雪の命を奪う神威による一撃を吸収・同化する起死回生の技である。
凍蛇を得たことで能動的に行えるようになったが、それでも呑めるのは神威による現象……すなわち、『放たれた雷』とか、『神威製の氷』とか、そういったもののみ。
たとえば妖魔のような意思を持つ神威生命体は呑めない。
ゆえに最初の一撃でマサキを呑むことは適わなかった。
それはとりも直さず……
「荒夜連の者たちは純粋な神威に近い状態であったのではないか? すなわち、すでに『命』ではない状態であったということで……」
そういうことになる。
意思があるかどうかが呑めるかどうかを分けるならば、呑まれた荒夜連生徒たちは意思がない状態だったということになる。
そこから吐き出されたとて──生きているのかどうか。
ルウはそこを問いかけたのだ。
ただし、その質問はあくまでも疑問解消のためのものでしかない様子だ。
信じろと言った。ゆえに嘘はつかない。
そう述べた梅雪の言葉をルウは信じていた。だからこそ、不可能かどうかの杞憂はない。そこにあるのは、数々の術式を見てきた者としての興味であった。
梅雪もそこにある『信用』を感じ取る。それを感じ取れるだけの成長はしている。
なので説明に尺を割いてやることとした。
「俺が蘇生させる」
「……一人一人に人工呼吸でも?」
「やることは近いな。神威によって癒す。奪われた神威を補填してやれば、息を吹き返すだろう」
「…………いや、その技法は…………妖魔である私に神威を注ぐのとはわけが違うだろう? 人間の治療だぞ?」
「ふん。ウメに出来たのだぞ? この俺にできぬと思ってか?」
プールでの別れの時──
ウメは剣聖シンコウに命じられて、己の肉体を神威で癒した。
実は梅雪、神威にそんな用法があるということを知らなかった。
なぜならば剣桜鬼譚のシステムにおいて、HPとは兵力である。
怪我を負っただの動けなくなっただの瀕死の重症に陥っただの不治の病に侵されているだの、そういったものはすべてイベントとしてしか発生しない。
そしてイベントであるから、たいてい何かしらの条件を達成するまで解消されない。『お前の神威を巡らせて自分自身を癒せ』などという展開は存在しなかったのである。
だが確かに、明らかに重傷を負ったような描写をされたユニットが、次の瞬間には元気に戦場で陣頭指揮をとっていたりもする……
ゲーム的な都合ではなく、ある程度の手練れならば神威による自己治癒ができると考えれば、なるほど道理である。そして、そういった説明、ゲームならばテンポを優先して省くことも充分にありえた。
何せゲームで表示できるテキスト量はどんなに多くともクリック一回分で四行までなのだ。最新の人気ゲームだと二行がスタンダードである。
いちいち『神威により治癒した』の一文を挟んで一行を無駄にし、クリック数を増やして読者に冗長感を覚えさせる理由はない。省ける文章は省いているはずだ。
なので梅雪、神威治癒について知らなかった。
……クサナギ大陸に存在するユニットの中にそういうことができる者もいた。戦国時代に実在した医者が元ネタのユニット、『スーパードクター頭文字D』こと『MANASE.D』である。
だが、そのユニットはスキルとして他者治癒を可能にするものを所持しているので、まさか自己治癒は誰でも可能(理論上は)というふうには認識していなかった……
が、シンコウがそういった秘術があると明らかにした時点で、梅雪、その技法を認識するに至る。
あるとわかれば実現できるのが梅雪の天才性。ウメの自己治癒を見てから二週間もするころには自己治癒までは可能とし……
凍蛇の拵えの完成を以て、条件付きでの他者治癒をも身に着けるに至った。
その条件というのが凍蛇を帯びた上で神喰状態であることだ。
……いや、治癒をするだけなら、その状態でなくともできるのだが。
「神喰状態であれば、莫大な神威で一気に治癒が可能となる──目算だ」
通常状態だと、効果が極めて緩やかなのだ。
数日かけてちょっと効果が出たかな、ぐらいである。なのでふもとに置いてきたムラクモ、まだ片腕が完治していない。
ルウは「ふむ」と息を漏らし、
「このたびの作戦、ほとんどが貴様の『確信』に基づいて立案されている。『実際にできたことがあるし、身についている』ではなく、『できるはずだ』に基づいている」
「俺は信じろと言った」
「そうではない。……貴様一人に重圧がかかりすぎているように感じるのだ。貴様は、この作戦を成功させるため、ぶっつけ本番でいくつもの高等技術を成功させねばならない。一つでも失敗すれば、東北地方がゾンビに包まれるのだろう? ……大丈夫か?」
それは子供を気遣う大人の声音であった。
ゆえに梅雪、舌打ちをする。
「この俺を見下すな」
「……ふ」
「何がおかしい?」
「いや。……無礼を詫びよう。見下す意図はなかったが、確かに貴様は、そういう男だった」
「わかったようなことを言うな」
「……謝っても駄目とは、どうすればいいんだ」
「黙れ。そして、行け」
「ああいや、すまないがもう一ついいだろか」
「なんだァ!?」
「これから荒夜連の者たちを解放し、治癒し、ふもとを囲ませ、マサキの逃走を防がせるように布陣する──その作戦は支持するし、解放と治癒までは信じよう。だが……作戦に従ってもらえるよう説得しなければならないだろう? その……なんだ……可能か?」
これは『お前の性格で初対面の女の子たちに作戦を説明して従ってもらうことが可能か?』という問いかけである。
氷邑梅雪は、氷邑梅雪なのだった。
傲慢で口を開けば相手を煽り散らし、他者を見下していることが態度から透け、物言いがいちいち大上段からという特上偉そうなクソガキである。
クサナギ大陸広しといえど、クソガキランキングで間違いなくディフェンディングチャンピオンとなるだろう、親戚にいてほしくないクソガキである。
初対面の人に協力を要請するという役割にもっとも不向きな人材であろうとルウは危惧したのであった。
だが梅雪、これも鼻で嗤う。
「発想が間違えている。『説得』? するものかよ。俺がするのは『命令』だ」
「いやだから……」
「人を従えられない大名など、存在価値がない」
「……」
「直臣でないから? 家族が家に仕えていないから? 代々の縁がないから? その程度で有象無象どもを従わせられぬ者、大名とは呼べぬ。……まァ、不安なら見ていろ。そして、己の心配が杞憂であり、この俺への侮辱であったと理解し土下座しろ。見せてやる、この俺のカリスマを」
「どんどん何かよからぬものが積み上がっている感じがする」
「フラグなど立っていない。……ふん、では見ていることを許す。貴様も荒夜連の連中のついでに、この俺にひれ伏してもいいぞ」
かくして自信満々の梅雪を見ることになったルウ。
その胸中は不安でいっぱいであったが……
結果として、荒夜連の乙女たちを動かすことには成功し、山のふもとに布陣させることを納得してもらうことになる。
……もっとも、それは。
梅雪の手柄と呼ぶにはちょっとばかり難がある経緯によってだったのだけれど──
策はこうして成った。
あとは、マサキを狩るのみだ。




