第159話 恐山学園都市荒夜連 十
「ありえない! むかつく! むかつく! むかつく!」
マサキは豪雪の中を逃げていた。
その身は莫大な神威を宿す大妖怪であり、メインの妖怪は雪女。
ゆえに裸足に着物一枚という格好で雪深い恐山を降ることはなんの問題もない。
その速度は速く、その移動は雪の上を滑るようであった。
ただでさえ視界の悪い豪雪の中。これに追いすがるのはそうそう出来ることではない。
だが……
マサキが進もうとしている方向、巨大な氷の壁が出現する。
もちろんマサキ本人が自分の進路を阻むわけもなし。
あいつだ。
「あのガキイイイイイイイイ!!!」
氷邑梅雪。
マサキはその名を知らないが、先ほどまで戦っていたあのクソムカつくガキが、自分に追いつこうとしているのはわかる。
この豪雪の中、数多の妖怪と一つになった、雪女の自分に! たかが人間の分際で、追いつこうと──
「いやあいつ、人間の気配じゃなかった……妖魔!? また妖魔のくせに私の邪魔をするの!? どいつもこいつも! どいつも、こいつもおおおおお!!!! どうして! 私の邪魔をするの!? どうして、私の人生の足を引っ張るの!? 死んでよぉ! 早く死んでよぉ! むごたらしく死んでよぉ!!!」
豪雪の中で叫ぶ。
声は広く反響し、声にこめられた神威が反応し、雪崩さえ起こした。
当然ながらマサキは雪崩程度なんでもない。
だがマサキならぬ者には大きな被害が及ぶはずなのだ。だというのにまた氷の壁が出現し……
「キャハハハハ!!! 天罰ぅ!」
「こ、い、つううううううううう!!!」
白い機工甲冑が、マサキに追いつく。
迦楼羅。
鳥を思わせる三本指の足から強烈な蹴りが放たれ、マサキを進行方向とは逆に吹き飛ばす。
さらに、
「視界をもらうぞ」
声と同時にマサキの首に黒い短剣が突き刺さる。
投擲され刺さったそれは、一瞬ののち、雷を帯びて爆ぜる。
首から上が──術式発動に必要な眼球が消し飛ぶ。
再生までは一瞬である。
だが、一瞬程度の時間はかかる。
ここでマサキ……
キレすぎて、冷静になった。
(あのクソガキが来るんだったら視界を塞ぐ意味はない。あいつは『死』の術式を相殺してくる)
一瞬の思考。
ようやく考えて戦闘を始める。
だが……
(何をするつもり? ……あああああもおおおおお! わかんないよぉ!)
戦闘時の状況判断、相手の意図を読むという行為には、慣れが必要だ。
マサキ、その積み上げた歴史の中で、確かにずっと戦いを続けてきた、が……
戦闘思考をしたことがない。
ただ持っている術式を神威の多さに任せてぶつけるのみ。
それのみでなんとかなった、というか──
マサキのこれまでの戦闘は、地獄に続く門の向こうから、現世に向けて術式を放つのみであったのだ。
外に出たのは今回が初めて。
たいていは門を挟んで飛び道具の打ち合い。しかも、荒夜連の戦術は整備されており、流れがあった。
マサキ側もそれはわかっているので、相手がいつもこう来るからこっちはこう、というような決まり切った対応しかしておらず……
(いきなり動き回りながら四方八方から来る敵に対処するなんてできるわけないでしょ!? なめてんの!?)
三次元的な戦いに認識がついていかない。
だから、
(相手がどう来るとか、どうでもいい! とにかく恐山の外に出れば勝ちなんだから、それだけ考えればいい!)
ここでマサキが直感的にとった行動、それは……
自切であった。
自分の腕をちぎって投げ、足をちぎって投げ、再生を始めた頭もちぎって投げる。
胴体が吹き飛ばされたまま飛んでいく。
だが、マサキの意思はすでにそこにはない。
腕、足、頭。そのどれかを基点にしての再生を狙う。
もはや自分が人間であるなどカケラほども認識していないゆえの人外戦術。
相手が三人で来るならこっちも自分を三手に分けてバラバラに逃げちまえという単純な発想からなる、単純にして通常は不可能な逃走法。
果たして追ってきた梅雪、ルウ、迦楼羅は──
まず迦楼羅が、マサキの腕に向かって飛んだ。
梅雪およびルウ、迷いなくそちらへ続く。
「なんでだよぉ!?」
正解であった。
腕を基点に再生したマサキ、逃走を再開。
しかし頭の中は不可解さでいっぱいだった。
(なんでだよ! なんで!? なんで!? 普通さあ、足か頭だと思うじゃん!? おかしいよあいつら! 頭がおかしいんだ!)
迦楼羅は直感によって。
梅雪およびルウは、神威濃度によって、本体を見極めたのである。
しかしマサキ、神威濃度で本体がどれかバレるという発想に至ることができない。
そういった細かい戦闘時の情報に無頓着というのもある。
だが、一番の問題は、そんなこと気にしてる余裕がない、というものだった。
ゲーム的にたとえれば、マサキは最初から複数のチートコードを使って強さを手に入れ、最強クラスの実力を身に着けた存在。
一方で梅雪ら、ゲームをまっとうにやってレベルを上げて今の強さに至った存在。
立ち回りの習熟度がまったく違う。
プレイをしながら細かい機微に気付き、それを加味して動くというのは、立ち回りが身についていないプレイ中に気にしている余裕がないのだ。
「こ、のおお!」
神威総量に任せて特大の氷の壁を出現させる。
相手がルウと迦楼羅のみであれば、この二者に多大な迂回を強いる、パワー任せの妙手であった。
だが、
「だから貴様は馬鹿なのだァ!」
梅雪、氷の壁をやすやすと砕く。
……神威の総量において、梅雪とマサキでは、マサキが圧倒的に多い。
だが一度の攻撃、一つの動作に込められる神威量、梅雪の方が多い。
タンクの容量がどれだけ多くとも、蛇口から出せる最大水量は蛇口による。
そして戦闘における神威放出の最大水量、戦闘や訓練を繰り返し、神威を素早く移動、術を構築したり身体を強化したりといったことを繰り返すことによって慣れることでしか増えない。
マサキは術式開発においては、コツコツと細かいものを積み上げていくことができた。
だが、戦闘方面の訓練などしていない。地獄に追放されたあとにも、神威総量に頼った戦いばかりしてきた。
そこに動き回りながらの戦いという初めての経験の中、戦闘玄人の三名を相手にしている。
本人は気付いていないが、考えることが多すぎて神威操作がなおざりになっており、その出力、地獄に突っ立って術を撃ち合う時よりもだいぶ少なくなっている。
ゆえに梅雪がやすやす氷の壁を砕き、真っ直ぐマサキに迫る。
……ここでマサキが妖怪・妖魔の性質を思い出し、『死』が『散逸』であることまで記憶にのぼらせ……
自分を地獄の外で殺して散逸させたら、結局地獄の外で復活するのだから、それはもはや勝ちなのではないかというところまで思考を進められれば、また違った対応をしたことだろう。
実際、この勝負は最初から最後までマサキの圧倒的優位状況である。
何せマサキの勝ち筋はほぼ無限であり、梅雪らは細い穴を通すようなか細い勝ち筋をたどるしかない状況なのだから。
マサキは、自分がどうやって倒されるか──自分の負け筋を推測できれば、また違った行動をとることができただろう。
しかし高速戦闘、立体的軌道でひたすらマサキを攻め続けている三名が、マサキに落ち着いて思考する余裕を作らない。
結果、マサキの行動は──
「うっざ! うっざ! うっざぁ!!! もう、もう、もう、ほんと、いい加減にしろよおおおお!」
叫び、
拳を握り、
拳に氷を纏わせ──
自分の胸を思い切り殴った。
するとマサキ、無数の肉片に分裂する。
マサキがとった行動、それは。
三手に分けても本物を見破られる。ならば……
無数に分かれて逃げればいい。
さすがの梅雪らもマサキを見失ったという意味で、この目論見は成功であった。
……ゆえに、マサキが敗北する理由は。
相手が自分をどうやって負かすつもりなのかという考察を怠った、怠らざるを得ない状況に追い込まれ続けたこと。そして……
梅雪が『殺す』ではなく『終わらせる』と表現した理由について考えもしなかったこと。
さらにもう一つ。
荒夜連を侮りすぎたこと。
この三つである。




