第14話 氷邑はる 表/裏
梅雪と、はるの母とは折り合いが悪い。
はるの母はいまだ存命であるのだが、どうにも梅雪を目の敵にしているらしく、出会ってしまうと互いに殺し合いでも始まりかねない様子となるのだ。
父・銀雪はそういった事態を避けるためか、もっと他に理由があってか、はるとその母には離れを与えており、はるの母はおろか、はるさえも滅多に本邸へと招くことをしない。
そのはるが今、本邸、しかも進んでいた道から推測するに、恐らく当主の間の方向へと向かっていた。
「どうしたんだ?」
縁側である。
魔境出発の気概であった梅雪だが、はるという、本邸で会うには意外な人物と出会い、少し話してみることにした。
というよりも、はるの方が梅雪を引き留めお茶をねだったので、『話があるのだろうな』と思い、付き合ってやることにした──というのが正確なところだろうか。
……もっともこの出会い、どうにもはるの従者側は全く想定していなかった様子である。
はるの従者は、すなわち、はるの母の従者だ。当然、梅雪をよろしく思っていない。
基本的に、梅雪とはるが出会っていいのは、本邸と離れの間にある場所だけということもあり、背後に控えるはるの従者どもから感じ取れる視線には、『さっさとこの厄介ごとが終わってくれないだろうか』という気配をたっぷり感じた。
(おそらくだが、はるがどこかに中座したら、この者らを手打ちにしてしまうな……)
侮りを感じる。煽りを感じる。
そもそも、はるは大好きだが、はるの母とその一党について、梅雪は全くいい印象を抱いていない。
はるの母──あの癇癪持ちで何事にも当たり散らし、何気ない発言一つをあげつらって馬鹿にしただの育ちが悪いだの言い募るヒステリックな女のことを、梅雪は嫌っている。
はるのことを思えばしたくない想像ではあるのだが、もしも自分が当主となって実権を得たら、はるの母は放逐してしまう気がするのだ。それぐらい、嫌っている。
(どうしてあの女から、このような天使が生まれてくるのだろう……)
ぽかぽかの日差しを受けながら、縁側で足をぶらぶらさせる可愛い妹。
ふとした瞬間に見える大人びた横顔に、ゲーム剣桜鬼譚における運命──主人公に寝取られる未来がよぎって、脳と心臓が破壊されそうになる。
抑え込んでいる憎悪が噴出しそうになって、梅雪はつい「おっと」と口走った。
はるが、梅雪へ視線を向ける。
……だが。まだ、話し出さない。
(あるいは特に用事はなく、俺とこうして縁側で茶をすすりたかったというだけか? まあ、それでもかまわんが……)
梅雪は無言のままにこーっと笑うはるに微笑み返し……
背後を見た。
そこではアシュリーが、梅雪の背中に隠れるようにしていた。
「……貴様は何をしているのだ、アシュリー」
「声の温度が全く違いませんか!?」
「それはまあそうだろうが」
「否定しないんだ……」
どうにもアシュリーの記憶は長くはもたない様子なので忘れているらしいのだが、アシュリーは現在ちゃっかり出戻りしているだけで、つい先日まで氷邑家の軍備品を持ち逃げし出奔していた泥棒である。
何だろう、もちろん取り戻したし、流れの中で側室候補にもなっているのだが……
「いや、はると同じ扱いをされようというのは、流石におこがましいだろう?」
「追い打ちするんだ!?」
そこで、これまで黙って足をぶらぶらさせていたはるが、笑う。
はるの笑顔は育ちの良さが出ているのか、とても上品なものだった。
アシュリーからすると『お姫様……!』という感じだが、梅雪からすれば『ちょっと猫を被ってるな』という印象である。
梅雪と周囲に人がいない状態で遊ぶ時のはるは、もっと子供っぽく笑う。
「どうした、はる? 何か俺に話があるのか?」
「あにさま、どこか行くの?」
「ああ。これより『魔境』に行く。先ほど父上にも許可をいただいた」
そこではるの従者たちがどよめいたのは、『魔境』というのが『逃れ者たちが最後に集う荒れた土地』であり、ようするに『氷邑家後継者というお貴族様が行くような場所ではない』という認識だったからだろう。
ようするに『貴族の立場でスラムに出向くなんて……』というあきれと、『それを許可されたんだ。本当は当主様もこの悪たれに死んでほしいのかな』というヒソヒソである。
(うーん、殺してしまいそうだ)
はるのセラピー効果が梅雪にとってすさまじいのですぐさま怒鳴ったりはしないものの、はるがいなくなった瞬間、氷漬けの死体が二つ出来上がりそうな気がする。
実際、『中の人』が入る前も、はるの前での梅雪は噂ほどの悪童ではなかった。そして、はるのそばについていた従者どもが知っている梅雪が『比較的穏やかな梅雪』だけなので、ここまで舐められているという訳なのだろう。
「あにさま」
「どうした、はる?」
後ろでアシュリーが「声音が違う人だよ!」と嘆いている。多分アシュリーはめちゃくちゃ甘やかされたいんだろうなというのは梅雪も分かるのだが、頼むから自分が執行猶予中の出戻り者だというあたりも思い出していただけたらと思います。
はるはまた暫く沈黙を続け、「んー」とだけ声を発した。
その様子はどこか、時間稼ぎのようでもある。
言葉を探している、というよりも。こうして梅雪を引き留めて時間を稼ぐことが目的、というような。
……そうする理由が思いつかないにもほどがあるので勘違いだとは思う。梅雪は、一瞬だけ頭によぎってしまった想像を振り払うように、首を左右に振った。
だが、このままいつまでもはるとともにいる訳にもいかない。
これより『魔境』に入り、奴隷を取り戻すのだ。
だから梅雪が、ここから辞する旨を告げようとした、まさにその時。
はるがようやく、口を開いた。
「あにさま、何をしに行くの?」
「さらわれた奴隷がいたのを覚えているか?」
「はい」
「取り戻しに行く」
「なんで?」
「俺の物だからだ」
「それは」
はるの言葉の間に小さく挟まった沈黙は、今度こそまじりっけなしに、言葉を探している様子のものだった。
そうして見つけ出された言葉は、
「あにさまが行くべきこと、なの?」
「……」
氷邑梅雪。
大名家後継者。
後継者の務めは、忍軍を手ずから取り戻しに行ったり、奴隷を手ずから取り戻しに行ったりというものではない。
当主教育を受け、政治を学び、人間関係をはぐくみ、人を差配するやり方を覚える。
最近の梅雪は現場主義過ぎるのは確かだ。奴隷を取り戻そうというにしても、自ら行く必要性はない。大名家後継者であれば、人を使ってやらせるのが本道であるとさえ言える。
だから、はるの指摘は正しい。
正しい、が。
「どうした、はる」
「……」
「大名家後継者として適格な行動か否か──そういう問題について論じるのであれば、お前が正しいのは分かる。分かるが、解せんな。そもそも、なぜ本邸に来た? アシュリーの話によれば、最近、本邸でよく姿を見るということだが」
「あにさま、私」
「責めているのでも、何かを疑っているのでもない。そもそも、お前が本邸にいるのは、氷邑家の姫として間違えたことではない。……ただ、お前の行動に少し、知らない意図を感じる。それは、お前が大きくなってきたから、というだけか?」
氷邑梅雪はシスコンである。
だが、『中の人』の記憶と認識を得たことで、客観性を備えるに至った。
その客観性によれば、はるの行動は不自然さが確かにあるのだ。
……いや。今だけではなく。最近、だけではなく。
思えば最初から、無視しようと思えば気付かない程度だが、違和感みたいなものはあった。
その違和感について梅雪はまだ言語化出来ない。
もちろん、違和感だけではるを遠ざけることもない、が……
「何か、悩みがあるのか? 俺で力になれることか?」
今この場で、自分を引き留め話をしているのはそういうことなのではないか──梅雪はそう感じた。
はるは、
「……あにさま、最近、いろいろしてる」
「そうだな。俺も……まぁ、いろいろ、ある」
「心配」
「……心配?」
「うん。心配」
それ以上言わないのは、言葉が思いつかないからではないのだろうと理解出来た。
心配なのだ。
はるは──
氷邑家の本家の長女。
血によって才能が受け継がれるとされる世界。名門の剣士の家系たる氷邑家の血を、梅雪と同じぐらい受け継いだ少女。
……ゲーム剣桜鬼譚において、梅雪の欲してやまなかった才能──剣士の才能を備えたユニットとして実装されている彼女は……
「弱い俺が、心配なのか」
「………………」
はるの目に少しばかりの緊張が走った。
だから梅雪は、はるの髪を撫でた。
「確かに俺は、弱いのだろうな」
「…………!?」
「ははは。認めると思わなかったか? ……そうだな。そうだ。俺は、そうだった。だがなはる、人は成長すべき生き物だ。成長するためには、まず、受け止める必要がある。己の弱さを受け止められない者は、成長の前の前の段階までさえ到達出来ん」
「……」
「そして、受け止めたなら、反省することだ。反省したならば、対策することだ。対策を立てたならば、それを実行するのだ。……そうしなければ、人に成長はない」
大人だろうが子供だろうが、顧みる機能を失った者は成長しない。
失敗に対しあれこれ理屈をつけて『しょうがなかった』『あれは実質失敗じゃない』などと言い訳を連ねる者。成長の機会を逸した者である。死体に等しい。
氷邑梅雪は死体であった。
だから──
「俺は、剣士になりたかったよ」
死体であったころの梅雪は、この発言を、こんなふうに、微笑さえ浮かべながら出来なかった。
剣士になりたかったという言葉は、剣士になれないと受け止めることだから。
そんなふうに受け止める痛みに、かつての梅雪は耐え切れなかった。
「なぁ、はる。俺は確かに剣士になりたかった。剣士のように戦い、剣士のように認められたかった」
阿修羅との戦いを思い出す。
剣士でありたかった。剣士であるならば、阿修羅との交錯が起こった一瞬、阿修羅の胴を半ばまで斬れていただろう。
父・銀雪であれば……向かい合った瞬間に、大陸最硬の騎兵たる阿修羅さえ一刀両断出来ていたのではないか? ……今なら、そういう想像も出来る。自分より優れている者が、自分より優れた結果を出すだろうと想像しても、何も傷つかないことを知っているから。
「だが、俺は剣士じゃない」
剣士のように阿修羅と一合交えてみて分かったのは、自分は剣士じゃないという、当たり前の事実だった。
だから、切り替えた。『勝ちたい勝ち方』ではなく、『勝利』を選ぶことが出来た。
今なら出来る。
「兄は身の程を知った」
「……」
「知った上で、何一つ諦める気はない」
「……え?」
「剣士のように勝ちたい。ならば、そうなるように鍛えるだけだ。……はる。兄の挑戦は、強いお前(傍点)からすれば頼りない歩みなのかもしれない。けれどね、はる。そうやって一歩一歩進んでいくことで、俺はいつか、至るんだ」
「何に?」
「はる、こちらへおいで」
梅雪は手招きして、はるの耳に口を寄せた。
……この誓いは。この夢は。
くだらない連中に聞かせて、穢させたくなかったから。
「俺は最強になるよ」
「……」
「だから、兄を信じてく──おい、アシュリー」
大事な誓いを語った梅雪は、覆いかぶさるようにして、アシュリーまで今の小声を聞いていることに気付いた。
アシュリーが「へへへへ」と三下めいた笑いを浮かべる。
「大丈夫です」
「それは許しを乞う側が言う言葉ではないなァ?」
「え、なんでちょっとキレてるんですか?」
「俺ははるに話をしていたつもりだが。主人とその妹との内緒話を盗み聞きするとはいい度胸だと思っている」
「だってだって! 二人でずっと話しててずるいんだもん!」
「子供か!」
ところがアシュリーもはるも、そして梅雪さえも、紛れもなく子供なのであった。
三人合算しても三十歳にもならない。
梅雪は──
(まぁ、いいか)
大事な誓い。くだらない連中に聞かせて穢させたくない言葉。
それをアシュリーが盗み聞きしたことを、許した。
……というより。最初から、怒りはわいていなかったことに気付かされた。
……気付かされたのがなんだか悔しいので、アシュリーのとがり耳を引っ張ることにした。
「なんでぇ!?」
「はる」
「あの、なんで耳を引っ張るんですか!?」
アシュリーがうるさいので意識から締め出す。
はるもちらりとアシュリーを見たが、なんとなく楽しそうに笑いをこぼしたあと、梅雪だけを見た。
「はい、あにさま」
「俺は行く。いいな?」
「はい。行ってらっしゃいませ」
はるが居住まいを正して一礼する。
梅雪はそれを見たまま立ち上がった。……アシュリーの耳を引っ張った状態で。
「すいません! すいません! なんだか分からないけど怒ってますよね!?」
「これでなんだか分からんのは、だいぶ再教育が必要だな……」
あきれていいのか怒っていいのか分からず、笑う。
笑っていると、
「アシュリー」
はるが、声を発する。
アシュリーは『助けてくれるってこと!?』という目ではるを見たが、そういう話ではなかった。
「あにさまを、守ってね」
「それはもちろんですけどあいだだだだだだだだ!? ちょっとなんで強く引っ張るの!? 耳って敏感なんですよ!」
天狗の生態に興味がない梅雪はそのまま、アシュリーの耳を引っ張って去っていく。
氷邑家の廊下は掃除が行き届いているので、パイロットスーツ姿のアシュリーがつるつる滑っていく。
その様子を見送って、はるは立ち上がった。
すぐさま従者たちがはるに近寄り、こんなことを言う。
「はる様、その余り梅雪様と深く接するのは、お母様もご心配なされますよ」
「ええ、梅雪様には剣士の才能もございませんので、ともすれば今からでもご当主様の気が変わるやもしれませんので……」
その発言に、はるは、
「あなたたち」
厳しい声を出した。
……そこには先ほどまでの天真爛漫な様子はなかった。
梅雪の前で見せる──今までは見せていた、心配事などこの世に一つもないかのような、何も考えていないお姫様という様子はなかった。
その顔も、声音も、どこに出しても恥ずかしくない名家の姫のものである。
「今の会話を横で聞いていてその意見なのですか?」
「……ええ、ああ、いえ、その」
従者たちは、はるの毅然とした態度に口ごもってしまう。
はるはにっこりと微笑み、
「……『いらない』かも」
微笑みの中で発するにしては余りにもゾッとするような声を立てた。
だが、口の中で転がされた小さな声は他者に聞こえることはない。
聞こえたとして、この幼く天真爛漫な少女の声だと思うには、余りにも大人び、冷たい者であったから、誰もはるの声だとは気づかなかっただろう。
はるは従者たちに微笑みを向ける。
「……お父様に呼ばれていましたね。あなたたちはここで待っていなさい」
「……は、しかし」
「『待っていろ』と言っていますが」
「…………はい」
うろたえ、一礼し、その場でたたずむ従者たちを背後に、はるは当主の間へと向かう。
向かう間に自分の顔をひと撫で。
すると、そこにはいつもの、子供らしい、無邪気で天真爛漫な笑顔があった。
仮面のように、そこにあった。




