第13話 父と子
「父上、魔境に行って参ります。ここにいる忍軍頭領アシュリーとともに、『魔境』に奪われた奴隷の所在の調査に出向くので、お許しをいただきたく」
「そうか。お前の好きなようになさい」
「ありがとうございます」
◆
氷邑家、廊下。
アシュリーがずっと、何か言いたげな顔をしている。
氷邑梅雪は大名家の後継であるので、余り領地から離れて遠くに行くことは出来ない。
遠出をする際には……というより、屋敷から出る際には現当主である父から許可を得る必要がある。
だが、梅雪の父は全てを許す。
梅雪の行動を叱ったり、止めたりすることが全くないのだ。
実際、領内とはいえ、忍軍を連れ戻すために屋敷を出る時にも、『氷邑忍軍を連れ戻して参ります』という言葉に『そうか、好きになさい』と優しく微笑んで答えるだけであった。
「…………当主様のこと、優しいお方だと、思ってたんですけど……」
氷邑家のよく磨かれた廊下を歩きながら、たっぷりの沈黙と、『言いたいんだけどこれ、言ってもいいのかなあ』の葛藤がうかがえるチラッチラッをさんざん繰り返したあと、アシュリーは隣を歩く梅雪に声をかけていた。
「……今日、お言葉をいただいて……何だか、『優しい』とは、ちょっと違う気が、しました」
この発言もまたアシュリー以外に言われたならば、梅雪はキレ散らかすだろう。
だがアシュリーは信頼出来る家臣である。梅雪の対応は寛大であった。
「……父上は、俺を恐れておいでなのさ」
「どうして?」
「さてな。俺自身を恐れている訳ではなかろう。恐らくだが……俺に嫌われるようなことをして、極楽におわす母上に嫌われるのを恐れておいでなのだろう」
梅雪の母はとうに故人である。
梅雪がまだ幼い、妹のはるが生まれるよりも前に亡くなった。
どうにも父は母のことを深く愛していたようで、その忘れ形見である梅雪を宝物のように慈しんでいる様子がよく見られる。
あるいは、腫物のように触れるのを恐れている様子が、見られる。
何かを要求すれば可能な限りで最大限要求に応えてくれる。我侭を言っても怒らない。
余り家臣に無体をすれば、流石に咎めるようなことを言うが、それも優しく、梅雪の態度を改めるために注意をしているというよりは、叱っておかないと家臣への示しがつかないので一応叱っているぶる、という様子であった。
「……そのような育て方では、子供が歪むことなど、分かりそうなものだが……分からんのだろうな」
「なるほど……そうしてご主人様が出来上がったのですね……」
「……俺が何でもかんでもお前の言葉を許すと思っているなら、そろそろ認識を改めさせる必要があるな」
アシュリー、結構調子に乗り易いのか、ここ数日で梅雪との距離感がかなり縮まった。
梅雪も自分のために命を懸ける人材に強く当たることが出来ず、ついつい甘くなってしまっているので、最近のアシュリーはもう、発言前にいちいち『あ、あ、あ、あの』みたいに第一音に詰まらなくなっていた。
それはいいことだと思う。だが、余り舐められても沽券にかかわるというものだろう。
そろそろ厳しくしなければならない。だが……
「……とはいえ、どうしたらいいのかが分からん。なるほど、俺は確かに父上の子らしい。身内を怒るやり方がさっぱり思い付かんときている」
梅雪の怒りには『最強』と『無』しかないのだ。
あるいは、穏やかに見えるあの父も、昔はとてつもない癇癪を抱えていたのだろうか?
それが人の中で生きるうちに、穏やかさを必要とされて、あのような……『無』になってしまったと、そういうこと、なのだろうか?
「……しかしだ。貴様の目からどう見えようが、俺は父上を愛している。思えばあの家で、味方と呼べるのは父上だけであった。……まあ、そのような状況になったのも、剣士の才がない俺を、父上が後継指名したのが理由とも言えるのが、何とも言い難いところではあるが」
「剣士の才って、そんなに重要なんでしょうか……」
「この上なく重要だ。剣士の才というのは血筋に宿る力と言われている。それがない大名家の子は……本当は血筋ではないのではないかという疑いを抱かれ続けるのだ」
「ええ……? だって……」
「間違いなく俺は氷邑家の子であり、父上は血のつながった父上だ。だがな、剣士の才を宿していないというのは、そういうことだ。血のつながりを疑われ……母の不義まで疑われる。そういうことなのだ」
どこの誰とも知らぬ者との子ではないか──と言われたこともある。
氷邑家が代々剣士を輩出し続けてきた名家であり、梅雪の道術の才が母親譲りらしいだけに、余計に言われる、という感じだ。
まあ、氷邑家の特徴である銀髪碧眼は継いでいるので、表立って言われることはないのだけれど、どうにも家人・家臣たちから氷邑家の血を継いでいないような、当主となることを『血を継がせる何か』が拒絶しているのではないか……そういう視線や声の調子を向けられることは多かった。
その時に子供の梅雪は、押し黙ってはいけないと思い、高圧的に、本家の正当な血筋を持つ後継であると、己を大きく見せようとしてきた。
それこそが少し前までの『何でも煽りとみなしていちいちキレまくる梅雪』である。
「ご主人様は何も悪くないのに」
「態度と言葉遣いが悪かった」
「それはそうですけど!」
やっぱコイツ、一回ガツンとやるべきじゃないかな……と梅雪はアシュリーを見て、
「だが、反省する気はない。この俺を侮る者へは、分からせが必要だ。ただし……以前までの、反射的に怒鳴りつけるようなやり方では、余計に侮られるし、味方も出来ないと学び……今は改善中という訳だ」
「なるほど……」
「とはいえ、思い出すたびにハラワタ煮えくり返るような心地となるのも事実だ。よくもこの俺に説教垂れてくれたな、剣聖ィ……!」
「ぴえっ」
「……こういうものを蓄えて、蓄えて、蓄えて……そうして、きちんと、時を選んで解放する分別を俺は身に着けた」
「でも寝室でよく思い出してキレてますけど……」
「修行中だ」
怒りはこらえて消し去ることは出来ない。
『中の人』の知識において、アンガーマネジメントという概念を知った。
それは怒りは六秒こらえると消え去り、代わりに憎悪という結晶になって心の中に溜まり、堪忍袋の底をどんどん上げていくというものだった。
ならば憎悪はどこかで吐き出さなければならない。
だが、喩えば剣聖への憎悪を、アシュリーにぶつけても気持ちよくない。憎悪はやはり、憎悪を抱かせた当人に返すのがもっとも気持ちがいい。
だから……
「この俺の腹の底に溜まった憎悪を、剣聖にぶつけに行く。俺の役に立てよ、アシュリー」
まずは、氷邑梅雪が今の氷邑梅雪となった時に抱いた憎悪を、消化しよう。
そのための最低限の戦力は整えた。
自分を鍛え、自分にはない能力を持つ忍軍を取り戻した。
もっと万全を期すことも出来たかもしれないが、時期的に余り遅れると敵が強くなり過ぎる恐れもあるし、父の暗殺は剣聖とは関係ない誰かの仕業である可能性が高いので、暗殺対応前に済ませておきたかった。
あと……
(待っていろよ『主人公』……! 貴様の師匠と奴隷を奪い返してやるぞ……!)
まだ出会っていない男への憎悪をたぎらせる。
……もっとも、その『主人公』だが、いない可能性がある。
まだ魔境にいない、というよりも、まだこの世界に存在していないという可能性があるというのか……
そんな存在へさえ憎悪を抱くのだから、これは剣桜鬼譚の知識を得た弊害、と言えるのだろうか?
まだ梅雪は『主人公』に何もされていない、が……
剣桜鬼譚のあらゆる知識を頭の中に流し込まれた梅雪は、主人公にこれからされることが分かっているので、その時の虚しさ、絶望などが憎悪になって、ちょっとこらえきれそうにもなかった。
「ぴえぇ……」
隣のアシュリーが泣くほどの形相で笑いながら、梅雪は歩いていく。
この憎悪、果たして『魔境』に辿り着くまでに溜めこみ続けられるかどうか、不安に思う──
そんな時、だった。
「あにさま!」
どたどたと廊下を走る音がして、廊下の曲がり角の向こうから少女が一人出てくる。
ミニ丈の着物を着た、銀髪碧眼の少女。
後ろからお付きの者たちが「姫様!」と慌てて追いかけてきて、それらが梅雪を見て一瞬固まり、頭を下げる。
そんな中梅雪のそばまで来て天真爛漫に微笑むのは──
「あにさまだ!」
……本邸にいるのは極めて珍しい。
梅雪の腹違いの妹である、はるだった。