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第8話「揺れる嘘と、王妃の怒声」

 お茶会が終わり、参加していた令嬢たちが続々と帰り支度を整えるなか――


 「フローリアス嬢だけ、少し残ってもらっていいかな?」


 今まで一切話しかけてこなかった王太子ブレイディアが、

 大勢の人前で、静かに、しかしはっきりとそう告げた。




 


 突然の言葉に、私は驚いて小さく息を呑む。

 周囲の令嬢が一斉にこちらを振り返って「なんでエマ様だけ……?」と囁き合う。

 私自身も困惑したまま母・マチルダのほうに目をやった。すると彼女は戸惑いながらも、不安そうに視線を返してくる。

 ――しかし、相手は王太子。母は「どうする?」と問いかけたいようだったが、それこそ逆らえない立場だ。

 私はほんの少し首を縦に振り、「言われた通りに残ります」と意思を示すと、マチルダはそっと頷いて安心するように微笑んだ。


 「お母様、すみません、わたくし、王太子殿下と少しお話いたしますね」


 「ええ……分かったわ。わたしは別室で待たせてもらうから、エマ、失礼のないようにね」


 王妃ミランダからも「公爵夫人様はあちらでおくつろぎを」と案内があり、母は渋々一礼して去っていく。

 8歳の子どもなのに、こんな場面に一人置いていかれるとは――改めて思うと恐ろしいけれど、今はやるしかない。


 

 


 案内されたのは、先ほどのお茶会会場から少し離れた、小さな応接間だ。

 天井からは豪華なシャンデリアが下がり、ふかふかの赤い絨毯が敷き詰められ、中央には向かい合うソファーが一対。

 そこにゆったりと腰を下ろしていたブレイディアが、微笑を作って待っていた。私は静かに敬礼してからソファに着席する。


 「……お待たせして申し訳ございません、王太子殿下」


 私がそう言うと、ブレイディアは相変わらずの飄々とした調子で返事をする。


 「いいよ、気にしないで。ゆっくりして」


 ――子ども同士なのに“殿下”とか“敬語”とか、何とも歪な空気。

 やがて侍女が紅茶の準備をしに来るが、その間はお互い無言。

 重苦しい沈黙に耐えながら、「なんで私だけ?」という疑問が頭を回る。

 紅茶が用意され、侍女が退室すると、ブレイディアは仮面のような微笑を保ったまま、当たり障りのない会話を始める。


 


 


「……お茶は好き? さっきのティータイムは楽しめたのかな。」

「ああ、そういえばラウラ嬢と話してたよね。あれは仲良くなれたの?」

「ふふ、よかったね、そういう友達ができて……」


 (殿下……わたしに興味なんてないくせに、どうしてこんな上っ面の話ばかり……)


 その声は上ずっていて、明らかに自分の言葉に興味を持っていない。

 まるで脚本に書かれた台詞を棒読みしているかのように、ブレイディアは次々と「君はどんな勉強を?」「普段は何して過ごしてるの?」と聞いてくる。

 私も丁寧に返事をしようとするが、あまりに“空っぽ”なので返答が空転するばかり。


 「……あ、ええと、わたくしは……はい、最近はマナーの勉強をして……。お陰さまで……ええ……あの……」


 気まずい微笑がエスカレートしていく。

 ――前回、ブレイディアに「友達になりましょう!」と勢いで宣言したことがあるからかもしれない。

 彼も私も、どう振る舞えばいいのか掴めないまま、無理に“談笑”している風を装っているのだ。


 (こんなに苦しい時間……王太子と会うのが恐ろしい理由が改めてわかる。破滅フラグだって立ちかねないし……)


 お互い笑顔を貼り付けたままの数分間は、8歳同士の会話とは思えないほど大人びていて、しかしその実、まったく心が通じ合っていない。


 


 やがてブレイディアが、私の様子をちらりと見てまた質問を投げる。


 「そういえば、フローリアス嬢は……お母様とは仲がいい?」


 「え、ええ……? ま、まぁ……どうなんでしょう……」


 急な切り返しに戸惑って言葉が詰まる。するとブレイディアは、わざとらしいほど饒舌になり、まるで暗記した“台本”を読むみたいに語り出した。


 「いいね。素晴らしいことだよ。ほら、王妃様――僕の母――はとっても優しくて、僕を誰よりも想ってくれている。顔も美しいし気品もあって、いつも僕に素晴らしい礼儀作法や心の在り方を教えてくれるんだ……!

  朝昼晩すべてのタイミングで、僕のことを気遣ってくださるんだ。だから僕は王妃様のことを尊敬していて、ほんとうに大好きで、大切で……」


 (な……なにこれ?)


 その話はまるで、下手な役者が必死に台本を朗読しているみたいに嘘くさく、しかも妙に饒舌に続く。

 「母上は素晴らしい女性で……」「笑顔が優しくて……」「僕をいつも支えてくれて……」などと、聞けば聞くほど胡散臭く、まるで“洗脳”された人のように長々と話すのだ。


 (これ……嘘だ。私がゲームの展開を知ってるからとかじゃなく、彼の声が震えてるし、手も握りしめてる)


 手元を見れば、ブレイディアの小さな拳がカチコチに固まっている。

 洗脳、そう表現したくなるほどの異常な自慢話に、私は思わず息が詰まる。

 そして気がつけば、私の怒りと苛立ちが沸点を超えていた。


 


 「……殿下は本当に王妃様を信じていらっしゃるのですか?」


 敬語を保つよう努力しながら、そう問いかけるが、ブレイディアは笑顔のまま話を被せてくる。


 「もちろんだよ。母上と僕は愛情で結ばれているから……」


 その瞬間、彼の手が小さく震えたのを見て、私は思わず声を荒げそうになったが、「敬語、敬語……」と必死にこらえる。


 「――嘘、ですよね。そんなの……。嘘ばかりを言っていらっしゃるじゃないですか!」


 ついに、感情が爆発しかけ、言葉づかいが乱れそうになるのを慌てて修正する。

 しかし勢いは止められず、私はトーンを上げてブレイディアの仮面を否定する。


 「笑顔も、言葉も、すべて嘘……あなたは本当にあの王妃様と一緒で幸せなわけがないでしょう!? 殿下が本当に愛しているのは本当のお母様でしょ!」


 最後はもう敬語どころじゃない。一気に本音をぶちまけてしまった。

 口走った瞬間、私の胸に「まずい!」という警鐘が鳴り響く。

 ブレイディアの瞳が、驚きに揺れ、それから笑顔がはらりと崩れ落ちる。



 


 「……ど、どうなのよ……」


 八つ当たり気味に詰め寄るような口調になってしまい、後悔が押し寄せる。

 自分が言ってしまった言葉の重さに、息が乱れる。一方、ブレイディアは微動だにせず私を見つめ、やがてその整った顔が冷やかな真顔へ変化する。


 「――君は、僕の何を知ってるの?」


 低く静かな声。幼さが消え、まるで大人のような冷徹な瞳が私を射る。

 私は一瞬、息を詰まらせて何も言えなくなった。


 「母と仲良く過ごしている君には、どう映るんだろうね。幸せを当然と思って生きている令嬢たちは、誰もが僕に“幸福な目”で微笑みかける……でも、結局は他人事なんだ。

  君も彼女たちと何が違うの? ……そんな君が、どうして僕のことを語れるわけ?」


 その言葉はあまりに重くて、私は返答に窮する。

 私は前世のゲームをプレイしていたから、彼の闇や悲しみを“知っている”気になっていた。しかし、いざ目の前にいるブレイディアは血の通わない笑顔を浮かべながら心を閉ざしていて、私の言葉はまったく彼に届いていない。


 (わたしは……何も分かってない。ゲームの知識で偉そうに彼を救おうなんて、大きな勘違いだったんだ。何も……知らないのに)


 沈黙のまま俯く私を見て、ブレイディアは苦しげに唇を噛み、それからソファから立ち上がり、足早に部屋を出て行ってしまう。

 王太子を怒らせた……

そんな不安も浮かぶが、それ以上に、彼の表情に滲んだ苦しみに心が痛む。




 私は動けずにいたが、数秒後には自分も立ち上がって部屋から飛び出した。

 「ブレイディア殿下……!」と廊下を駆けるが、どこにも姿は見当たらない。

 焦りを隠せず、広い王妃宮を手当たり次第に探し回る。

 初めて来た場所なので道が分からず、迷子になりそうなままあちこち駆け回った。


 (あの子……どこに行ったんだろう。ごめん、わたし、余計なことを言っちゃって……)


 不甲斐ない自分に苛立ちを感じていると、不意に鋭い女性の声が耳に飛び込んだ。

 ピタッと足を止め、物陰に隠れてそっと覗き込む。そこには――


 「何度言ったら分かるの!? 早くあのフローリアスの子供と仲良くなりなさいよ! 役立たずが……!」


 ミランダ王妃が苛立ちをむき出しに、ブレイディアを怒鳴りつけていた。

 ブレイディアは床に膝をつき、頭を垂れている。王太子とは思えない卑屈な姿だ。


 「そ、そんな……殿下……」


 私が震える声をかけそうになったが、咄嗟に息を止める。

 ミランダのヒステリックな怒声は、さらにエスカレートしていた。


 「役に立たないなら要らないのよ! あんなにチャンスを与えたのに、何でうまくやらないの!? 私が恥をかいたらどうするつもり!?

  あんたなんか、この私が保護してやらなきゃ、もうとっくに殺されてるでしょうに……分かってるの!? さっさと誠意見せてきなさいよ!」


 ミランダは今にも手を振り下ろしそうな勢いで、拳を震わせながらブレイディアを責め立てる。

 ブレイディアは抗うことなく、小刻みに肩を震わせて耐えている様子。


 (こんな……こんなの、絶対に嘘じゃない! こんな人が“優しい母”だなんて……!)


 先ほどブレイディアが口々に語っていた「王妃は優しく、僕を愛してくれてる」など、まるで真逆の光景。

 ショックで体が震える。ゲームでも知っていたはずなのに、こうして生々しく目にすると心が痛くて堪らない。


 こんな光景を見るくらいなら、最初から知らずにいたほうがマシだったのかもしれない。

 しかし、いま目の前で怒声を浴びせられる彼が“王太子”という立場だからこそ、誰にも本当の姿を見せられないのだろう。

 苦しさとやるせなさ、そして己の無力を噛み締めていた。


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